かなしき穴蔵の民
アサドに連れられたエルドラフは、女王との謁見を許された。
暗く広い空間には、湿り気を帯びた空気が澱んでいる。女王が座る玉座の両脇には、腕が異常に発達したネズミが控えていた。両拳を地面について巨体を支えるその獣は、殺意のないつぶらな瞳をこちらに向けている。
「いつ見ても……ゴリラだな」
アサドが吐き捨てた言葉の意味を、エルドラフは理解できない。
(ゴリラってなんだ……)
「それで、女王様は何をご所望なんだ?」
まるで質量を持っているかのような湿気が、女王ネズミの威圧感を伝えてくる。
彼女はゆっくりとした動きで短い腕を上げ、小さな指でエルドラフを指し示した。
「穴蔵の少年に用があるのよ」
エルドラフは目を丸くした。用を申し付けられるほど、女王ネズミと親交があるわけではないからだ。
とは言え、共通の知人はいた。それがアンの母であり、探索班の英雄として名を上げた『ミナミ』だった。
「あんた……ミナミとはどういう関係だい?」
特段含みのない女王の問いかけに、エルドラフは答える。
「命を救ってもらった。技術も、生きる術も教えてくれた。だから、アンを守ると約束したんだ」
「そうかい……あの子らしいね」
「……何を知ってるんだ」
エルドラフはスッと肩の力を抜いた。女王の心臓は跳ねるどころか、落ち着いた優しい鼓動を打っていたからだ。
母性。彼女からは、あふれんばかりの母の性質が伝わってくる。
そんな相手を警戒するなど無意味だと、いくら少年と言えど理解できた。彼女に戦う意思などないのだ。
「あんたと同じさ。追い立てられていたところを助けたんだよ。見返りに、あの子はあり余る技術をくれた」
「では、あなたも」
「言葉の使い方を変えたね。いい子だ……そのとおりだよ。私もあの子を助けると約束したんだ」
すると女王は、一回だけ拍手をした。パンッと乾いた音が響き、場の空気が止まる。
「さて。アンはまだ起きないよ。暫くは寝て体力を回復するだろうさ。こうなったのも、あんたがまだまだ弱いからだ。違うかい?」
突然の指摘に答えられない。言葉を喉から吐き出そうとしても、図星を突かれてつっかえてしまう。
「あんたは穴蔵の民。音を聞き取る能力なら、あんた達が一番だ。なのになんだい、あの体たらくは」
女王が指をパチンと弾く。すると、耳の長いネズミたちがジープの破片を持って現れた。
「あんた、音には反応してたが迷ったろう」
「なぜわかるんだ」
「わかるよ。あんた達が唯一、あいつに対抗できる種族だからね」
話の方向性が定まったというのに、アサドの興味は破片の方へ移っていた。歪に凹んだ表面をなぞるおじさんの姿は、なんだかんだ気味が悪い。
「音を先取りし、相手の動きを捉える。あんた達の力は、この大陸にいる者たち全員が畏怖しているよ」
「御託はいい。俺に何をさせたいんだ」
「……あんたに試練を与えるよ。それが、あたしができるミナミへの恩返しだからね」
女王はエルドラフをまっすぐ見つめ、頬杖をついた。
「あと百回寝たあとで、とある場所に行ってもらう。そこには、あんた達を襲った【オオアホウ】という怪物がいる」
「【オオアホウ】……聞いたことないぞ」
「大きな体に見合う、大きな羽を持つ傑物さ。こいつに襲われたらひとたまりも__」
エルドラフは聞き逃さなかった。心臓が一回だけ、大きく跳ねた音を。それは聞き耳を立てているアサドの胸から鳴ったものだった。
「そろそろヤツの来る時期さ。海に浮かんだオニオンを求めて空から降りてくる。そいつを仕留めるのさ」
「……弓矢はもう使えない。矢を使い切ってしまったんだ」
「うちで用意するよ。だから気にせず、修練に励みな」
言葉を切り捨てると、女王はエルドラフとアサドを残して闇の奥へと消えていった。
暗がりに残された男ふたりは、どうしたものかと顔を見合わせる。
「情に厚いのかドライなのか。長い付き合いだがわからないな」
「そうなのか?」
「彼らはネズミっていう種族だ。社交性が高いが……まぁ、あれはあれで母性故なのかもしれんが」
にやりと笑うアサドの横顔に、エルドラフはどうしても突っ込まずにいられなかった。
「なぁ、アサド。なにに気づいたんだ」
普通に尋ねたつもりだったが、アサドは驚きで口を開いたまま固まった。
「なんだよ。説明されてたろ。俺は耳がいいから心臓の音も聞こえるんだよ」
「それは知ってたが……この距離はちょっと異常だぞ。すごいな、少年」
アサドはボサボサの頭を掻きむしったあと、腕組みをした。それから心底疎ましそうに説明を始める。
「あいつが言ってたオオアホウってのは……なんといえばいいのか。鳥ってわかるか?」
「……」
「わかんねぇよなぁ……。鋭くて硬いクチバシを持っていてな、羽根って呼ばれる膜がある。これを使って空を飛び、上から獲物めがけて襲いかかるんだ」
「空……いや、ちがうな」
エルドラフはジープが襲われた時の光景を思い出しながら、自分なりの分析を組み立てていく。
あの時、不思議な音がしたのは空からではない。真横だ。
それもかなり遠くの距離から聞こえた音。そこから瞬きする間もなく跳んできた。アサドの言う『鳥』と呼ばれるものなら、見上げるほど高いところから大きく音を立てて降りてくるはずだ。
「いい顔してるぜ。そのとおり、お前らを襲ったのはオオアホウじゃない。別の存在だ」
「そんなのいるのか?」
「どこに何がいるのかわからないのが、この世界の面白い所だ。それより見ろ、ここ。足形みたいだろ?」
アサドが指差した部分は、凹みの頂点とも言える場所だった。だが、尖ってはいない。無骨に陥没したその形状は、何かの足形だと言われても不思議ではなかった。
「オオアホウはクチバシで襲いかかる。なら穴が空くはずだ。どう足掻いても、こんなに広く凹むことはねぇ」
「こんなに硬いものに穴が空くのか」
「あいつの恐ろしさは威力にもある。だが一番厄介なのは、視覚外からの突進だな。エルドラフ、お前ならそれに対抗できるんだよ」




