検疫
静かな部屋の自動ドアがスライドした。部屋に入ってきたのは、スーツの初老であるオジジだった。
突然の来訪者に一瞥したのは椅子に座り、パソコンに向かっている眼鏡をかけたカリーニ先生だ。普段は学業を教えている彼女は、子供たちを管理運営する事が真の任務である。
「どうだ。検疫は進んでるか?」
「長老はせっかちですね。まぁでも、さっき結果が出たところです。アンは肋骨が折れてますが、大したことはありません。本人もすごく元気で…」
「ミナミの娘だぞ?そんな分かりきったことはいい。俺が知りたいのは。こいつだ。」
オジジはカリーニ先生の側で足を止める。それから腕を胸の前で交差させて、鼻息を吹かす。
「ミナミから聞いてはいたが、本物を見られるとは。」
前面ガラス張りの狭苦しい部屋。そこには白いベットの上で寝ている、服を新しいものに着替えたエルドラフがいる。
エルドラフの身体には、バイタルを取るためのケーブルが沢山張り付いている。寝苦しそうな様子にも関わらず、安らかに眠っていた。
子供の容姿ながらに色白で、透き通るような肌。ホスト居住者では先ず見ない不健康そうな肌を見ながら、カリーニ先生は呟いた。
「肌の色からわかるように、メラニンの色素が欠乏しています。」
「アルビノってやつか。」
「……いえ、症例ではないですね。紫外線という刺激がなくなった兆候があります。おそらくは地下生活が大半を占めている可能性があります。」
オジジは、まるで子供みたいに無邪気な笑顔を作る。
「日光から遠ざかる毎に、色素を薄くしていく。へぇ〜興味深いね。」
「遺伝子情報から親を調べてますが、照合できませんでした。ギデオンが取り扱っていない情報となると…。」
「まぁ年齢的にもね。この大陸で生まれたと考えるべきだ。きっとロス海側から渡ってきたんだろう。すごいね〜子供なのに。」
「驚くべきは体組織が変容していることです。強アルカリの性質に耐えうる体組織、環境に適応した新たな人類だと言えます。」
「同じ箱舟に育まれた、同じ人類のはずなのに、ここまで枝を分かつなんて。面白い。」
オジジは机の上に置かれたファイルを取り上げ、中身をめくる。推定年齢12歳。血液型B型。家族構成なし。
「ふーん。血液型あるんだ。」
「ギデオンによって赤血球の形を統制されますからね。初めてみたときは驚きましたよ。」
ホストに住むものは遺伝的多様性を捨てている。防御機能とも呼べる赤血球の形をより良いものにデザインされているため、血液型は昔話になっていた。
現環境を生きる者にとって、もはや神話クラスの話である。
「そうだね…懐かしいなぁ、血液型占いなんかあったりしてさ。」
「なんか、面白そうですね。」
「そうでもしないと暇を潰せなかったんだよ。昔の人は。それから名前は…記載がないね。」
カルテ唯一の空欄は名前欄だった。
「本人曰く、名前は私達に発音できないものだと。」
「へー。なんか僕らに詳しいね。探索班にでもあった事があるの?」
「ミナミに世話になったと言ってます。恩返しのために、薬を持ってきたんだそうです。」
「……そうなんだ。」
カリーニ先生はオジジの反応が気にかかった。なぜなら英雄とも呼ばれているミナミの事を意に介していないからだ。
ギデオンでも解析できなかった病魔の特効薬。これ以上にない吉報に、長老としての彼がそうなんだと終わらせる態度が気にかかって仕方がないのだ。
(MRIでもPETでもわからない。内側から壊死していく謎の病気なのに、特効薬に反応しないなんて。この人は何を考えているの?)
気付けば眉間に皺が寄っていて、カリーニ先生は揉みもほぐし、データ上のカルテを濃くしていく。
「まぁ呼び名は考えてあげないとね。」
「あ、たしかアンが呼んでましたね。あーっとえーっと……エルドラフか。ミナミがつけたとか____」
大したことのない情報なのに、オジジの時間は固まった。手に持っていたファイルが地面にぶつかって大きな音を立てる。
「____今、エルドラフと言ったか?」
声に抑揚がない。温度感もない。ただの無になったオジジの気配は、空間に空いた暗黒の穴のようだった。
カリーニはその気迫に負けて冷や汗を流し、ゆっくりと長老に顔を向けた。
その表情は言葉にもできないほどに、恐ろしい物だった。
「え…えぇ。」
「ははっ!!そうかそうか!!あはははは!!ミナミは見つけたのだな!!アハハハははは!」
口が裂けるのかと思えるほどの笑顔に、違和感を感じずにはいられない。
感想が実感に変わる頃に笑いをやめて、オジジは無表情に戻ってカリーニを見た。
「そうだ。エルドラフをミナミに会わせてあげよう。」
その提案はとても恐ろしく、後先を考えない老人の悪ふざけだった。
アンはいつものように、母が眠るベットの横で肩を落としていた。どこか息の詰まる閉鎖的な部屋の中で、肩を落とし、普段の隙間から溢れる母の手を握っている。
話しかけるわけでもなく、ただその場に座るだけ。無為な時間が過ぎていた。
その光景を、エルドラフは後ろから眺めていた。話しかけるわけでもなく、ただ眺めていて、声をかけることができないでいた。
この光景が何を意味するのか。なんとなくわかっていたからだ。
どの生物にふりかかるもの。真の平等がここにはあった。
「……ごめんね。エルドラフ。」
アンは振り返る事はない。自身の溢れ出る欲求には素直だが、複雑な悲しみの感情はかくしてしまう。彼女はそういう人なんだとわかっていた。
「お母さん…死んじゃった。」
幾度となく見てきた仲間の死。軽くはない終わりに、2人の心は絡め取られていた。




