幸せの中
日が経つにつれて、エルドラフはホスト居住者としての恩恵を享受していった。ここでの全ては外で過ごす時間よりも、快適で、暖かくて、なによりも代えがたい安心があった。
少年はそれを本当に受け取っていいのかすら、判断がつかないまま、1週間という時間が過ぎていった。
教室を出てみんなの背中を追いかけるようにエルドラフも立ち上がる。
「エルちゃーん。帰ろー。」
「うん。」
いつも送り迎えをしてくれるのは、アニューだった。エルドラフは彼女の甲斐甲斐しさに感謝しながらも、視界の端に空の机が目に留まる。そこに居るはずのアンは、今はいない。
「あー。アンはしばらく帰ってこれないよ。」
「…骨が折れてるんだったか。」
「そうだし、しかも肋骨。先生が言うには、3本も折れてるのに鋼鉄の雪風を渡れるのはすごい、だったよ。」
そっか。とつぶやいて踵を返すことしか少年はできなかった。それ以上にできることはないからだ。
廊下を出て子供たちの流れを追いかけながらに、今日の復習をするのがエルドラフの日課になりつつあった。
「苔は…岩を溶かすために…遺伝子くみか__わ!」
「あらごめんなさい。」
ながら歩きをしていたエルドラフの脇を、スピードが乗った担架が通り過ぎる。押していたのはカリーニ先生は謝罪だけ置いて去っていく。
「な、なにごとだ?」
少年の腕を掠れて消えたのは、担架の上に乗る鉄の箱だった。銀色で長方形の鉄の箱は、いやに目立っている。
「あれ?初めて見たっけ?あれは検疫者よ。」
「検疫者?」
「病気を見つけること。体調不良になると、あんな感じで運ばれるの。地下の……」
慣れない専門用語に頭を捻っていると、アニューはお姉さん力を発揮する。
「ここが地下3階でしょ。学校と、奥には病院がある。じゃあ地下8階は?」
「僕たちの部屋だ。9階も。」
「さらにしたはなにかな〜。」
「……エンジンルームだ。」
燃料を入れて動く熱を出す機械であると理解はしていた。だがそこに連れて行かれる理由に見当がつかない。
さらに険しくなるエルドラフの顔を見て、アニューは真剣な顔で語った。
「バイオマス発電機。有機物やゴミを溶かして電力を生む機械よ。有機物はまぁ…簡単に言ったら食べれそうなもの。」
「食べれそうなもの…。」
「つまり人間も有機物。どういうことかわかる?」
いやな考えが浮かんで消えた。その刹那に少年はある光景を瞳に宿す。
仄暗い窮屈な部屋の中で、手探りにベタついたモノを漁る。耳障りな湿り気のある音を耳にしながら、ミチミチと柔らかい繊維が全てちぎれるまで引き伸ばす。
それは口減らしの為に殺した仲間の臓腑。少年は罪悪感で感情を殺しながら、飢えに耐えかねて引き千切った内臓を頬張ったのだ。
嫌な記憶が鳥肌を立てて、舌によみがえる鉄臭さと水っぽい質感。とてつもない吐き気を催して、身体を曲げそうになっていると、横からアニューが抱きしめた。
「ごめんね。噂話なら笑うかと思ったんだけど、まさかそんなに顔を青くするなんて。」
「________」
鼻のように香しい匂いが、身体を突き抜ける。余波は脳味噌をしびれ刺させ、感覚を惑わせる。あとを追いかけるように心臓が跳ね回っている。
なによりも男にはない女性らしい柔らかさが、少年の思考を振り回していた。
何が言いたいかといえば、刺激が強すぎたのだ。
(こ、これは毒だ!男を惑わせる毒だ!!)
「怪談話ってやつ。そんなのありえないし、嘘だから気にしないで。」
「は…はひ…。」
毒にやられた少年の思考は尾を引いていて、どうしようもなくなっていった。
「う、うん?」
その毒にも慣れ始めた頃に、エルドラフは違和感に気づいてしまった。
「なぁアニュー。あの箱には体調が悪い誰かが入ってるんだよな。」
「そうだよ。たしかタカシマだったかな?」
「ふーん。」
身体が触れた途端に感じた平穏。エルドラフは触れた生物の動きを感じ取る能力があった。息遣いや心臓の跳ね方で、健康か否かが分かるのだ。
(体調が悪いにしては、整えられたような息遣いだった。)
運ばれるほどに身体が悪い時、人間のリズムが狂う事を知っていた。それゆえに違和感だった。箱の中から漏れ出した鼓動は、普通そのものだったからだ。
「……。」
「ほら!ぼーっとしてないでいこ。」
「な、ひっぱるなっ!!危ない!」
アニューはエルドラフのリズムを狂わせる。それだけで少年にとっては幸せだった。




