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7.港町

「すっっごーーーい!!」

 アルトはきゃいきゃいとはしゃいで、人並みをすり抜けるようにして進んでいく。その間にも、通りに立ち並ぶ出店が物珍しいのか、終始目をきらきらとさせて「あれは何?」「これは何?」と、絶えず聞いてくる。

 その弾けるような顔が眩しくて、私は思わず目を細めた。

 アルトがはしゃぐのも頷ける。

 実は、私たちが神話の森から転移した先は、ただの森だった。見渡す限り、森。どこまでも森、森、森。それも、神話の森のような神秘さや特殊さもあまり無かった。そんなところをずっと歩き詰めだったら、飽きてしまうのも無理もないだろう。

 ふわりと風が吹いた。深く被ったフードの中にまで満ちる、潮の香り。

 そう。ここはこの大陸最大の、港町。


ー・ー・ー


 見たこともない食べ物、陽気な行き交う人々。潮の香りがするのに合わせて、いろんな声が混ざる。

 未知への止まらない興味。僕は今、それに突き動かされて走り出していた。

「アルトーどこー?」

 後ろから人並みの声に埋もれるように、エルフィーの呼ぶ声が微かに聞こえた。

「エルフィー?」

 振り返っても、そこにエルフィーはいなかった。

 行き交う人が、立ち止まった僕を見て怪訝そうな顔をしながら忙しなくすり抜けていく。

「エルフィー?」

 僕は慌てて引き返して、人並みに飲まれそうになっていた彼女を引っ張り出す。

 フードの中から覗く琥珀色の瞳と目が合う。彼女は困りきったように眉を八の字に寄せていた。

 僕は彼女と手を繋いだ。彼女は驚いたように目を見開いた後、少しだけ微笑んで手をぎゅっと握り返した。僕の左手と、彼女の右手が確かに繋がる。

 そうして僕たちは、賑やかで華やかな街の通りを堪能することにした。


「つかれたぁ…」

 ぼっふぁと、僕は布団に倒れ込んだ。掛け布団の柔らかさで誤魔化してるけど、ここの宿のベットはなんだか硬めだ。

 あの後、通りを練り歩いて出店を一つ一つ見物しながら、時たま買ったりしていた。そのせいか、気がついたら陽が沈みかけていて、エルフィーに連れられて僕は渋々宿に戻った。

「そのまま寝ないでねー」

 エルフィーはローブを脱ぎながら少しだけ笑うようにして言う。僕は布団に寝そべったまま、彼女の方に向き直った。

 やはり風が強かったとは言え、陽が差す中を一日中ローブを着て過ごすのは流石に暑かったようで、額にじんわり汗が浮かんで前髪が張り付いていた。

 僕は彼女がローブを脱ぐ瞬間が好きだ。細やかに揺れる白髪が露わになるのも、少しだけ気の抜けたように緩む表情も、こちらと目が合ったら微笑みかけてくれるその目も。

 全てが最大級の美しさを持っていて、僕の心を掴んで離さなくなる。まるで、めがみさまがこの世に舞い降りたような錯覚に襲われる。

 …実を言うと僕はまだ、彼女をめがみさまだと信じていたかった。だけど、めがみさまと言う枠に押し込めるには、彼女は人間らし過ぎる。僕より、よっぽど。

 あの日僕の村に降った砲弾に、僕の一部は抉り取られたままだ。外傷こそ残らなかったものの、今も脈打つ度に体の中のどこかが痛む。それがどこかも分からないまま、それが何を表すのか知らないまま。

「どうかしたの?」

 エルフィーの声が僕の耳朶を柔らかくくすぐっては布団に染み込んでいく。少しくぐもった声で僕は息を吐き出すようにして笑った。


 布団の中で、僕たちはくっつくようにして寝そべっていた。彼女が僕の髪を撫でる感触が心地いい。

 彼女とこうして同じ布団で寝られるのは、あとどれくらいだろう。

 彼女に迫るようにして伸びていく背丈と、日々増していく食欲と体力。僕がめきめきと成長していることは、僕の目から見ても明らかだった。だからきっと彼女は僕よりも、僕の成長を感じ取っていることだろう。

 こぷり、と突如腹の底で何かが蠢いた。ぬまっとした感触のするそれはしばらく腹の中を徘徊した後、お腹の後ろ側、背骨と臓器の間に居座った。僕の背骨にその手を回すようにして。

 ぞわりと、背中が痺れた。何かもわからない感覚に僕は戸惑う。ただ一つだけわかるのは、僕はきっとこの何かをずっと隠していかなければならないということ。勿論、エルフィーにも内緒。

 このぬらっとした何かが消えるその時まで、僕はたった一つの彼女に対する秘密を抱えることとなった。しかしそれはそう遠くない未来に、二つに増えてしまうことを、僕はまだ知らない。


ー・ー・ー


 私が通りを歩くと、お嬢ちゃん、とよく声をかけられる。それは、お年寄りだったり軟派目的の男だったり、舐めて絡もうとしてくるチンピラだったりする。

 確かに私の見た目は今を生きる年若い娘そのものだ。けれど実際は、話しかけてきた人よりもずっとずっとずっと歳上だ。

 一言いうべきだろうか?私は貴方達の嫌いな長命種で、貴方達よりももっとずっと歳上だと言うことを。

 私はそうは思わない。それに年老いた私にとっては、お嬢さん、と呼んでもらえることは、少しだけ、嬉しかったりする。だから私は少しだけ微笑んで答える。愛らしく頬を染める娘のように、若々しく咲きこぼれる花のように。

「はい、なんでしょうか?」

 その瞳の奥には冷え冷えとした感情と、何も知らないくせにとせせら笑う私と、一握りの嬉しさが綯い交ぜになっているのを悟られないように。長年の間に、擦れて擦れて擦り切れてしまった感情が、不意に顔を覗かせることのないように。

 隠れてついたため息は、もう数えることを辞めた。


 …とは言ったものの、これは一体どう言う状況だろうか?

 確か、昨日は通りを練り歩いて堪能したから、今日は少し足を伸ばして港から外れたところまで行ってみようと言うことになった、はずだ。

 それがなぜか、私の手にはティーカップ、アルトの手には焼き菓子。私たちが座るのは丸い形をしたテーブルで、私たちの目線の先には、とあるお婆さんがいた。

 朗らかだけれど過ごしてきた年月の長さを感じさせる口調と、若者の良心を刺激する時折見せる寂しげな表情。

 かれこれ小一時間はこのお婆さんの話を聞かされている気がする。

 長命種の私は初めて、一時間と言う時間を長いと感じた。似たように繰り返される話の合間から、ほんの少しの驚きと喜びが顔を出してこちらに飛び込んでくる。

 私は心を落ち着かせるために紅茶を一口飲んだ。

 この紅茶なるものは初めて見るもので、見た目はお茶らしからぬ深く透明感のある紅色。その見た目ゆえに少し身構えたものの、一口飲んだらそれはそれは驚いた。他のお茶にはない香ばしさが鼻を通るのと同時に、少し苦味がある深い味わいが口の中に名残惜しさを残しながら喉を通り抜けていく。一言で言って仕舞えば、とても美味だった。

「…って言うことでねぇ、どう思うかい?お嬢ちゃん」

 突然お婆さんに話しかけられる。その口元は懐かしそうに緩められていた。何か良い思い出話でもしていたのだろうか。

「え、ええと…」

 ティーカップをソーサーに置きながら苦し紛れの時間稼ぎをする。意図せずに泳いでしまった目線が、アルトの目線とばっちり合った。

 アルトは、はっとしたような顔をした後、任せてとでも言いたげな顔をして、お婆さんの方に向き直った。

「お婆ちゃん、それならお散歩に行ってみようよ。何か思い出せるかもしれないよ?」

 子供の無邪気さは時には武器となる。アルトの愛らしい無垢さは、荒んだ大人の心に染み入るようによく効く。悪く言おうとするのなら、相手を油断させられる。そして、その緩んだ懐に潜り込めるのは、子供にしかない能力だ。

 …じゃあ、私は何なのだろうか。

 心の中に、じわりと嫌な暗雲が染み出すようにして視界の端をちらつく。

 子供特有の可愛げもない、年寄りのような貫禄もない。私にあるのは、どこか不気味な内面と外面の不釣り合いなちぐはぐさと、この先も一生独りだという運命だけ。

 ああ、浅ましい。

 ティーカップを掴んでいた手を離し、腿の上で両手を強く握りしめる。持っているものなんて何もないのに、強く強く。

 指先の爪が手のひらに食い込んで、じんじんと痛みを発する。左耳が、熱を持ったようにして私の脳内に直接囁く。

 お前なんて何者にもなれないのだから、と。

 涙腺が俄に刺激された。泣いてはだめだ、笑顔でいなくては、と思うたびに、どんどん目元の水位が上がっていく。

「そうだねぇ、二人も一緒に来てくれると嬉しいねぇ」

 ぱっ、と視界が突然やわく弾けた。目元から落ちかけていた雫は、まつ毛の先に引っ掛かるようにしてぶら下がったままだった。

 お婆さんが自身の皺のよった頬を撫でるようにして、目を少しだけ細めた。元々目がどこにあるかも分からないぐらいだったその顔にきゅっと皺が増えて、顔のどれがどのパーツなのかもよく分からなくなる。

 だけど…

「…お嬢ちゃん、老ぼれのお供なんて嫌かもしれないけどやってくれるかい?」

 だけど私は、その彼女の顔をとても美しいと感じた。よくある美醜のそれじゃなく、彼女には生命としての美しさがあった。きっと、一番最初に“美しい”と言った人はこんなふうなものを見たのではないかとすら思えるほどに。

 涙は跡形もなく乾いていた。まだ少しだけしなったままのまつ毛だけが、そこに雫があったことを知っていたが、そんなことはどうでも良かった。

 私は心の底から微笑んだ。ここまで生きてきたと言う年月と、そこまで人生を積み上げてきた彼女に対する敬意ともとれない何かの現れだった。

「もちろんです」

 きっとその顔は、年相応の娘のそれに違いなかったことだろう。


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