42話 少しだけ違う朝
朝の匂いは、昨日と同じはずだった。
湿った土と、夜露を吸った草の青さ。
焚き火の残り香が、まだかすかに空気に溶けている。
鍋の中でスープが静かに煮立ち、白い湯気が立ちのぼる。
遠征隊の朝は早い。誰かが起きれば、自然と他も目を覚ます。
鎧の擦れる音。低い咳払い。水筒の口をひねる、金属の小さな軋み。眠気を追い払うような、短いあくび。
いつも通りの、変わらない音の重なり。
私は木箱に腰を下ろし、芋の皮をむいていた。
刃が薄く実をなぞる感触。
指先に伝わるひやりとした冷たさ。
皮がくるりと途切れずに剥ける、小さな達成感。
昨日と同じ。
おとといとも、きっと同じ。
――同じ、はずなのに。
ふと、手が止まった。
刃先が芋の途中で止まり、白い実が朝日にさらされる。
理由は分からない。
何かが起きたわけでもない。
ただ、胸の奥にわずかな揺らぎがある。
不安、ではない。
かといって安心とも違う。
ほんの少しだけ、軽い。
重石がひとつ、どこかへ転がっていったような。
けれど、それが何だったのかは思い出せない。
思い出せないのに、確かに“あった”と分かる。
そんな曖昧な感覚が、胸の奥に漂っている。
「リナ、水は足りているか?」
振り向けば、アルトさんが立っていた。
朝日に照らされた横顔は、相変わらず真っ直ぐだ。
隊を率いる者の目。迷いを見せない声。
けれど、
「……はい。予備も含めて十分です」
答えながら、私は首をかしげる。
いつもと同じやり取りのはずなのに、アルトさんの立ち姿が、ほんの少しだけ違って見えた。
以前は、すべてを背負い込んでいる背中だった。
誰にも触れさせないように、固く閉じた肩。
今は――無理に抱え込まずに立っているように見える。
重さが消えたわけじゃない。
けれど、重さと共に立つことを選んだような、そんな静かな強さ。
そのことになんだか安心感を覚えて、ふふ、と小さく息を吐く。
「……リナ?」
「いえ、なんでも」
笑われたと思ったのか、アルトさんがわずかに怪訝な表情を浮かべた。
慌てて否定しながらも、今度ははっきりと笑顔を作った。
「いい、朝ですね」
物語は続いている。
けれど、その響きは、昨日までとほんの少しだけ違っていた。
何が変わったのかは分からない。
何も変わっていないのかもしれない。
それでも――
私はもう一度、芋の皮をむき始める。
薄く、途切れないように。
朝の光の中で、続いていく今日を、確かめるように。




