31話 固定された座標
遠征隊は朝の支度を整え、森の中の開けた場所で休息を取っていた。
私は馬車の横にしゃがみ込み、補給袋の中身を確かめている。乾燥肉、保存パン、水筒。数を確認し、紐を結び直す。いつも通りの作業。
それなのに、胸の奥が静まらない。
――何かが起きるかもしれない。
理由はない。ただ、その予感だけが消えなかった。
瞬間――ガサリ、と葉が揺れた。
「魔物だ!」
兵士が即座に武器を構え、アルトさんが剣を抜く。
喧騒から距離を取るように、私はそっと馬車の後ろへ身を潜めた。
補給係は前線に出る役目じゃない。
求められているのは、自分の身を守り、必要なときに動けること。
馬車の固定具を確かめながら、視界の端で戦闘を追う。
魔物は三体。この程度の小規模戦なら、すぐに終わる。
不意に、本来なら右へ跳ぶ軌道だった魔物が、なぜか左へ逸れた。
そのせいで、アルトさんの立ち位置が一歩ずれる。
ほんの一歩。
けれど、その一歩で、私との距離はぴたりと保たれた。
私は動いていない。
近づこうともしていない。
それなのに――距離だけが、正確すぎるほど維持される。
戦闘はあっけなく終わった。
私は救護袋を抱え、軽傷を負った兵士のもとへ向かう。
進路の先にアルトさんがいる。
ただ、それだけだ。
声をかける気はない。
明確な意思を持って近づくつもりもない。
なのに――足元の地面が、わずかに崩れた。
乾いた土のはずだった。雨も降っていない。
それでも、私が踏み出した場所だけが沈む。
よろめき、救護袋を落としそうになる。
辛うじて踏みとどまった。
顔を上げたときには、アルトさんの姿は兵士の背に隠れていた。
……まただ。
距離が、維持されている。
偶然。そう思おうとする。
けれど、胸の奥がひどく冷える。
足元を見る。
さっき沈んだはずの地面は、何事もなかったように乾いている。
崩れた跡もない。
踏み跡すら、残っていない。
風が吹く。
森がざわめく。
その瞬間――視界が、わずかに歪んだ。
世界が、薄く軋む。
音が遅れて届く。
色が、ほんの少しだけ褪せる。
――要観察
頭の奥で、誰かが囁いた気がした。
おそるおそる振り向くが、そこには誰もいない。
兵士たちは通常通りに動き、アルトさんも剣を納めている。
何一つ、おかしなところはない。
おかしいのは――私のほうだ。
救護袋を抱き直す。
手が冷たい。わずかな震えが止まらない。
整える。
揃える。
崩れを戻す。
それが、私の役目。
物語の中心じゃない。
聖剣も、奇跡も持たない。
それなのに、考えてしまう。
次に何かが起きたとき。
私は、どこに“配置”されるのだろう。
風が止む。
森が、不自然なほど静まり返る。
その沈黙が、やけに長く続いた。




