30話 微かな接点
夜が深まる。焚き火の赤い光が揺れ、周囲の木々が長く伸びた影を落とす。風がひそやかに葉を揺らす音だけが、静寂の空気をかすかに震わせる。
私は馬車の横に腰を下ろし、荷袋を抱えた。手のひらに感じる荷物の重みが、かろうじて心を現実に繋ぎ止める。
だが、胸の奥のざわめきは消えない。戦場で見た光景――止まった道、魔物の呻き、倒れた兵士、無力だった自分。そのすべてが、重く、冷たく胸を押し潰す。
ぎゅっと力を込めて荷袋を抱え直す。それだけで少し息が楽になった気がした。
大丈夫。私はここにいる。
ふと、焚き火の向こう側へ意識が向いた。
剣を背にしたアルトさんの姿がそこにはあった。
立ちあがろうとして、止まった。
何かに縫い止められたように動けない。なにがそうさせているのか自分でもわからない。
ただ、動いてはいけない。声を掛けてもいけない。そんな感覚だけがあった。
本当は――近づきたいのに。
まるで見えない線が引かれているような、昨日までのように隣で笑い合うことさえ許されないような、奇妙だけど絶対的な感覚。
頭の奥で、かすかな違和感が弾ける。
言葉にならない何かが、引っかかる。
もしかしたら――私が近づくことを、何かが拒んでいるのかもしれない。
視線を手元に戻す。今の私にできることはたったひとつ。
乾燥肉に保存パンと水筒。ひとつひとつを確認して、補給袋を整える。
変わらない手順。いつも通りの作業。できることはほんの少ししかない。
だけど、それが私にできる唯一だ。
少しでも遠征が楽になるように。明日へ繋がるように。
そして――アルトさんの助けになるように。
「アルトさん……」
小さく息をして、その名前を呟く。
「どうか無事でいて」
それは、ただの願いでしかないけれど、心からの祈りだった。
そのとき、焚き火が、ぱちりと大きく弾けた。
火の粉が夜空へ舞い上がる。
反射的に荷物整理の手を止めて、ゆっくりと顔を上げた。
そこにアルトさんがいる。そんなことはわかりきっている。
だけど、視線を合わせられない。
揺らぐ視界の端にアルトさんの姿だけが映る。
こんなにも近いのに、遠い。
この距離が何よりももどかしい。
焚き火の光が揺れる。
影が、ゆっくりと伸びる。
火の粉が一つ、ふわりと落ちた。
それは――
ちょうど、二人の間を通るように。
触れてはいない。言葉も交わしていない。
それでも、ほんの一瞬だけ。何かが、繋がった気がした。
すぐに消えてしまうほど、小さな感覚。それでも、確かに、そこにあった。
夜は静かに続いていく。
私は荷袋を抱えたまま、揺れる炎を見つめた。
物語の端にいる自分を、静かに受け入れながら。




