OutputFile_002:管理者権限とピンク色のパケット
「ーーで、どうなんだよ。三神さんとの『セッション』は順調なのか?」
俺がわざとらしくニヤニヤしながら問いかけると、一也はウーロン茶のグラスを握りしめ、みるみるうちに耳の先まで真っ赤に染め上げた。
「……順調、と言えば順調だが、予期せぬ例外処理の連続だ」
「ほう。あの鉄壁の御八代一也が、例外処理に頭を悩ませてるとは珍しいな。例えばどんなだ?」
一也は深々とため息をつくと、トレイに置かれた冷めた焼き鳥をいじりながら、ボソボソと語り始めた。
「……先週末、彼女の要望で『休日のカフェ』における実地調査を行った。その際、彼女から予測不能な直接的プロトコルを実行され、俺のメインサーバーは一時的に完全停止した」
「ブッ!!お前、デートでそれやったのかよ!最高じゃねぇか!」
「笑うな。周囲の視線というノイズがどれほどシステムに負荷をかけるか、お前にはわからないだろう。さらに帰路においては、人混みという物理的衝突を回避するため、俺の方から手首を把持するという致命的な運用ミスを犯した」
「運用ミスって、自発的に手繋いだだけだろ。もうすっかり恋人同士じゃねぇか。」
「違う。あれはあくまで『ノードの保護』という正当な業務の範疇……」
「はいはい、出た出た。自分の恋心を『システム障害』だの『業務』だので言い訳する悪い癖。20年前から全く成長してねぇな。」
俺が呆れたように鼻で笑うと、一也はぐぬぬ、と小さく呻き、グラスの氷をカラカラと鳴らした。
だが、そんな不器用な同期を見つめながら、俺の胸の中には少しだけ感慨深い思いがあった。ここ数年のあいつは、どこか機械的だった。仕事の鬼、あるいは感情を失ったログ解析マシーンのように、ただ黙々とサーバーの保守メンテをこなす日々。私生活の気配はゼロで、休日は自宅のサーバー室で技術書を読むか、古い機材をいじり倒すだけ。「こいつはこのまま、一人で孤独なエンジニア人生を全うするんだろうな」同期として、友人として、どこかそんな諦めのようなものすら抱いていた。
そこに、あいつの人生を根本から揺さぶる『規格外のバグ』が突入してきたのだ。
思い返せば、三神ミソラというギャルがインフラチームの島に初めて現れた日ーーあの時から、この物語は始まっていた。コールセンターのトラブルを神速で解決した一也の背中に、彼女が一目惚れした日。
そしてあの日から、俺は裏方として、この不器用なオジサンの恋のバックアップを密かに開始することになった。
振り返れば、俺が仕掛けたアシストの数々はなかなかにドラマチックだった。まず、御八代一也という男の最大の弱点は「休日の私服が存在しないこと」だった。この男のクローゼットには、グレーのカーディガンとスーツの二択しか入っていない。あのままでは、せっかくの休日のカフェデートに、時代遅れの不審者スタイルで突撃してしまうところだった。
「ーーなあ一也。お前、マジで言ってんの?45歳にもなって休日の私服ゼロってどういうバグだよ」
あの時、俺が駅前の紳士服店の無理やり連れだし、ネイビーのカジュアルジャケットを強制購入させたのは、紛れもなく俺のファインプレーだ。「このジャケットはお前の装甲だ。これを着て行け」と押し付けなければ、あいつは間違いなくカーディガン姿で三神さんを絶望させていたに違いない。
さらに、社内BBQの時だ。
「俺は行かん」と引きこもろうとした一也を、「三神さんたちと同じグループだぞ」と脅すように参加させ、あまつさえ若手の神楽坂を同じ班にぶち込んで「親心ロジック」を爆発させたのも俺だ。あの時、一也は「若い者同士のネットワーク構成が最適だ」などと本気で勘違いして、後輩を推すという盛大な自爆をかましてくれた。
その結果、嫉妬に狂った一也がトングを握りつぶし、最後は第2サーバー室での「壁ドン」という劇的な結末へと繋がっていったのだから、俺の演出プランは完璧に機能したと言っていい。
「……なあ、一也」
俺は串に刺さっていた焼き鳥を口に放り込み、少し真面目なトーンで問いかけた。
「なんだ、徳大」
「お前、今だから言うけどさ。あのギャル……三神さんがお前の人生に現れて、本当に良かったと思ってんだろ?」
一也の手が、ピタリと止まった。
彼はゆっくりと顔を上げ、黒縁メガネの奥の黒い瞳で俺をじっと見つめた。店内の喧騒や、隣の卓のサラリーマンたちの笑い声が、その瞬間だけ遠のいたような気がした。
「……ああ」
絞り出すような、けれど偽りのない低い声だった。
「彼女が来る前の俺のシステムは、静穏だったが……完全に停滞していた。どんなに精巧なコードを書いても、どんなに大規模なサーバーを守り抜いても、どこか空虚なログが蓄積されるだけだった」
一也はグラスを見つめ、微かに笑った。
「だが、彼女にシステムをハッキングされて以来……俺のCPU温度は常に許容値ギリギリだ。予測不能なエラーばかり起きるし、思考リソースは彼女のことで完全に圧迫されている。……だが、不快ではない」
その表情は、20年前のあの冷え切ったサーバー室で、自分のコードに誇りを持っていた若き日のそれと重なっていた。機械ではなく、生身の人間として、誰かを愛し、誰かに執着し、感情を爆発させている。
「そうかよ。なら、これからは管理職として、お前のその『過負荷な恋人生活』が無事に安定稼働するように。適宜バックアップしてやるよ」
「……頼む。だが、余計なパケットを流すなよ」
「ははっ、善処するわ」
俺たちは再びジョッキを合わせ、乾いた音を響かせた。
だが、この時はまだ、俺も一也も知らなかったのだ。
「交際スタート」という平穏な運用フェーズに入ったはずの二人を、そしてそれを裏で見守る俺を、さらに盛大な「世代間ギャップという名のシステム障害」が待ち受けていることをーー。




