OutputFile_001:レガシーシステムの構築(20年前の約束)
新橋のガード下にある、いつもの焼き鳥屋。
俺、三本木徳大は、手元のジョッキについた水滴を指でなぞりながら、目の前でウーロン茶を飲む男のボサボサ頭を眺めていた。
「おい一也。お前、またカーディガンの袖口にコーヒーの染みついてるぞ。いい加減、新しいの買えよ。三神さんに嫌われても知らんぞ」
「……これは、単なる物理的な汚れだ。俺のシステムの根幹に影響はない。それに、彼女はこんな表層的なノイズで俺の評価を下げるような、低スペックな人間ではない」
御八代一也。今年で45歳になる、俺のたった一人の同期だ。
相変わらず息を吐くようにIT用語を混ぜ込んで屁理屈をこねるこの男は、つい先日、20歳下のギャルオペレーターに完全降伏され、晴れて恋人同士になったばかりである。
「はいはい、ご馳走様。お前が三神さんにベタ惚れなのはよーくわかったから、とりあえずそのネギま食え」
「……惚れているわけではない。相互のプロトコルが一致したから、セッションを維持しているだけだ」
顔を真っ赤にしてそっぽを向く同期を見ながら、俺はジョッキのビールを喉に流し込んだ。麦の苦みと一緒に、20年前の記憶がふっと脳裏をよぎる。
今でこそ俺は「インフラチーム課長」で、コイツは「現場のいちエンジニア」という上司と部下の関係だが、俺たちが25歳だったあの頃、俺たちの立ち位置は少し違っていた。
あれは、今から20年前。俺たちがまだ、真新しいスーツを着た生意気な若手エンジニアだった頃の話だ。
当時の俺たちは、とある大規模なクライアントのネットワーク構築プロジェクトにアサインされていた。ITバブルの余韻が残る時代。現場は常に人で不足で、デスマーチは当たり前。俺も一也も、連日終電帰りか、下手すればサーバー室の床でダンボールを敷いて仮眠をとるような生活を送っていた。
当時の俺は、良くも悪くも「要領のいい若手」だった。
技術力はそこそこだったが、クライアントの担当者と飲みに行って仲良くなったり、上司の機嫌を取って面倒なタスクを回避したりする『人間関係のルーティング』が得意だった。
一方の一也は、当時から完全に異端だった。
技術力、特にネットワークのトラフィック制御やトラブルシューティングに関しては、若手ながらベテランのシニアエンジニアすら凌駕するほどの天才的センスを持っていた。しかし、その性格が災いした。
『この仕様書は論理的に破綻しています。このまま実装すれば、半年後に必ずメモリリークを起こしてシステムがダウンします。今すぐ設計を根底から見直すべきだ』
クライアントのお偉いさんや、元請けのプロジェクトマネージャーが同席する定例会議で、25歳のペーペーだった一也は、平然とそんな爆弾を投下したのだ。当然、会議室は凍りついた。
『誰だあの生意気な若者は』
『納期が来月なのに今から設計を見直せるわけがないだろう』
大人たちの怒声と冷笑が飛び交う中、一也だけは一人、納得がいかないという顔で黒縁メガネを押し上げていた。
結局、一也の進言は『若手の戯言』として無視され、プロジェクトはそのまま強行突破された。
そして半年後。一也の予言通り、システムは本番稼働直後に致命的なダウンを引き起こした。
『どうなってるんだ!誰の責任だ!』
クライアントからの猛烈なクレーム。俺たちの会社の上層部は、責任逃れのためにスケープゴートを探し始めた。そして、目をつけられたのが一也だった。
『御八代君が、テスト環境での負荷検証を怠ったのが原因だそうだ』
そんな根も葉もない噂が社内で流され、あいつは全責任を負わされプロジェクトから外されそうになった。
その日の夜。
俺は、誰もいなくなった冷え切ったサーバー室で、一人で黙々と復旧作業のコードを叩いている一也を見つけた。ブラウン管の分厚いモニターの青白い光が、あいつの横顔を照らしている。
「……おい、一也。お前、自分がどういう状況に置かれてるかわかってんのか。上の連中、全部お前に責任押し付けて、お前をトカゲの尻尾切りにするつもりだぞ」
俺が背後から声をかけると、一也はキーボードから手を止めることなく、淡々と答えた。
「関係ない」
「は?」
「俺がクビになろうが、左遷されようがどうでもいい。だが、俺が組んだネットワークが、あんな無能な設計のせいで機能不全を起こしている状態だけは、エンジニアのプライドとして許せない。……あと3時間あれば、俺がパッチを書いて、すべて正常に稼働させてみせる」
コイツは、馬鹿だ。
自分が組織に殺されかけているというのに、自分の保身よりも、目の前の機械の正常稼働を優先している。人間関係の政治なんて一切理解しようとしない、不器用で、頑固で、誰よりも純粋なエンジニア。
その横顔を見た瞬間、俺の中で何かがカチッと音を立てて切り替わった。
(……あぁ、ダメだ。こういう馬鹿は、俺みたいに要領のいい奴が守ってやらなきゃ、すぐに社会に潰されちまう)
俺は一也の隣のパイプ椅子を引き寄せ、ドカッと腰を下ろした。
「わかった。お前はそのまま、3時間でその魔法のパッチとやらを完成させろ。機械のデバッグはお前がやれ」
「徳大……?」
「その代わり、人間のデバッグは俺がやる。お前が書いたパッチを『俺と上司が協力して作り上げた起死回生の策』ってことにして、クライアントに恩を売る。お前の名前は表に出さないが、その代わり、お前への処分も有耶無耶に揉み消してやる」
一也はタイピングの手を止め、怪訝そうな顔で俺を見た。
「なぜ、お前がそこまで泥を被る必要がある。それは論理的じゃない」
「論理じゃねぇよ。お前みたいな天才のコードを、こんなくだらねぇ社内政治で潰されたくないだけだ。……機械のことはお前が守れ。人間のことは、俺が守ってやる」
一也は数秒間、瞬きもせずに俺を見つめ返し……やがて、フッと小さく鼻で笑った。
「……非合理的な男だ。だが、その提案、承認しよう」
それが、俺たちの『役割分担』が決定した瞬間だった。
あれから20年。
俺はあいつが現場で最高のパフォーマンスを発揮できるよう、面倒な社内政治や他部署との折衝を引き受けるための「管理者権限」を手に入れた。
一也は俺の庇護の下、現場第一主義のインフラ職人として、その腕を極め続けた。俺たちは、互いの欠落を完全に補い合う、最強のシステムになったのだ。
……だが。
そんな20年来の堅牢なシステムに、まさかあんなピンク色の『バグ』が侵入してくることになるとは、俺も一也も、夢にも思っていなかった。
「……おい徳大。なぜさっきから一人でニヤニヤしている。気味が悪いぞ」
焼き鳥を頬張る一也が、不審そうな目で俺を見てくる。
「いや?お前が20年前からちっとも変わらない不器用な馬鹿だなって、改めて感心してただけだ。で、どうなんだよ。三神さんとの『セッション』は順調なのか?」
俺がわざとらしく意地悪に笑うと、45歳の鉄壁のエンジニアは、ウーロン茶のグラスを握りしめたまま、耳の先まで真っ赤に染め上げた。




