今俺、返事できないけど
彼女は、よく俺に話しかける。
というか、独り言が多い。
それに気付いたのは、ここで暮らし始めて数日経った頃だった。
朝――
「ハムオ、おはよ~」
(おはよう)
目を覚ますと、まず一言。
カーテンを開けながら、振り返る。
「今日、晴れてるよ」
(そうだね)
顔を洗いに行く前に、空気に言葉が溶ける。
「眠い~」
(起きたばっかだからだろ)
それから戻ってきて、髪を梳かしながら、続ける。
「今日髪型どうしよう」
(何でもいいんじゃない?…てか、仕事中帽子被るでしょ)
仕事柄、髪の毛は覆われた状態のはずだ。
それでも気になるものなのだろうか。
「お団子でいいや」
(じゃあそれで)
そこで、俺は彼女を見た。
後ろで髪をまとめる手が、止まったからだ。
「……やっぱぐるぐる巻きにしよ」
(言い方)
もちろん、俺の声は届かない。
仕事に行く準備をしている間、基本的には何か呟いている。
「今日忙しいかな~」
(忙しくないといいね)
「昨日結構暇だったから、今日忙しい気がする」
(それは、どういう理屈?)
「行きたくないな~」
(行きたくないんじゃなくて、まだ寝てたいだけでしょ)
それに関しては共感できる。
彼女の出勤時間は、俺には早すぎる。
朝四時半の時もあるくらいだ。
「まだ眠い」
(ほら)
予想が当たり、ドヤ顔をする。
そう思うと同時に疑問が浮かんだ。
(ハムスターにドヤ顔ってあるのか?)
まぁいいかと思いながら、あちこち動いて準備している彼女を目で追った。
そして、部屋を出る直前には、必ずケージを覗く。
「じゃあハムオ、行ってくるね」
(いってらっしゃい)
俺は、彼女の方に近づいて、見上げる。
それがいつもの流れになっていた。
「いい子にしててね」
(子供じゃないんだけど)
「帰ってきたら遊ぼうね~」
(しゃーなしな)
そうして、彼女がいなくなる。
***
夜――
「ハムオ~、ただいま~」
(おかえり)
あんなに早い時間から働いても、彼女の帰宅は遅い。
鞄を置きながら、ベッドに倒れこむ。
(先に着替えるか、風呂に入りなさい)
俺は、気持ち眉をしかめた。
「今日めっちゃ疲れた」
(そりゃそうだ)
そして起き上がり、着替えながら、今日あった出来事を話していく。
「聞いてよ、今日さ~」
(うん)
料理長がどうだったとか。
今日のお客さんがどうだったとか。
仕込みが多かったとか。
思ったより早く終わったとか。
誰かが面白いことを言っていたとか。
賄いが美味しかったとか。
「でね、そのときさ~」
(うん)
「私、絶対そっちじゃないと思ったんだよ」
(うん)
「そしたらやっぱり違ったの」
(だと思った)
「ね?」
(ね)
そしてふと思う。
(…なんで俺、心の中で相槌打ってんの?)
当然、彼女には何も聞こえていない。
俺が頷いているわけでもない。
それなのに彼女は、俺が聞いていることを疑いもしない。
(伝わるかとか、関係ないんだろうな)
らしい行動に、口角が上がる。
そんなことを考えてるなんて思いもしない彼女が、こちらに顔を近づけた。
「ハムオはどう思う?」
(どうって言われても)
「やっぱそう思うよね~」
(何を読み取った?)
俺の顔を見て勝手に納得している。
何も言ってない。
というか、言えない。
けれど、また、口角が上がりそうになった。




