今日、静かじゃない?
詩乃は、よく話す。
そのことに慣れてきた頃――俺はある日、気づいてしまった。
「ハムオ~」
(ん?)
「今日のお昼、何食べよう」
(好きなもの食べれば?)
「麺かな」
(昨日も麺だったじゃん)
「でもご飯も食べたい」
(ご飯にしときなよ)
「でも麺……」
(……お米)
交わらない攻防が続く。
***
「ねぇハムオ。これ可愛くない?」
スマホの画面を見せられる。
(見えない)
「ほら」
(近い近い近い)
近すぎて、逆に見えない。
「可愛いよね~」
(うん)
多分ね、という感想は、心の声だとしても飲み込んだ。
***
「ハムオ、今日寒くない?」
(大丈夫)
「寒かったらちゃんと潜るんだよ」
(分かってる)
「これもう一枚入れとこうか」
(いらない)
「入れとくね」
(聞いた意味)
***
そんな調子で、彼女は一日の中で何度も俺の名前を呼ぶ。
朝起きて。
仕事に行く前。
帰ってきて。
ご飯を食べながら。
寝る前。
「ハムオ~」
(ん)
「ねぇハムオ」
(何?)
「ハムオ見て」
(見てる)
「聞いてよ~」
(聞いてるよ)
話す内容も、大したことじゃない。
今日の仕事のこと。
何を食べるか。
眠い。
お風呂がめんどくさい。
最近気づいたが、彼女は家にいると「めんどくさい」がやたら多い。
仕事中の姿からは、まるで想像できなかった。
(家と職場で違いすぎない?)
そう思う一方で、その落差が少しだけ気にかかる。
最初の頃は、
(俺、返事できないんだけど)
と思っていた。
それでも彼女は、毎日話しかけてくる。
そして俺もいつの間にか、心の中で返すことに慣れていた。
そんなある日——
「ただいま~」
(おかえり)
いつも通り、彼女が帰ってきた。
鞄を置いて、着替えて、俺のところへ来る。
「ハムオ、ただいま」
(さっきも言ってたよ)
頭を撫でられる。
そこまでは、いつも通りだった。
「……」
(……)
彼女は黙ってスマホを見ている。
ご飯を食べている間も、聞こえるのは食器と箸が触れる音だけ。
時々こちらを見て、目が合えば笑う。
ただ、それだけ。
(……?)
話すことがない日だってあるだろう。
そのうち、何か話すだろう。
そう思っていた。
(……今日、全然話さないな)
そこで、ふと引っかかった。
(……)
引っかかったことに、引っかかる。
(……いやいや、別にいいけど?)
俺はハムスターだ。
そもそも会話なんてできない。
毎日あれだけ話しかけてくる方が珍しいはずだ。
(……)
なのに、なんとなく落ち着かない。
理由の分からないざわつきを誤魔化すように、俺は回し車に乗った。
***
しばらくして、彼女がベッドに入る。
俺もいつものように、その隣へそっと降ろされた。
「ハムオ、おやすみ~」
(おやすみ)
彼女が電気を消そうと手を伸ばす。
(……)
今日は、本当にそれだけらしい。
どこか違和感を抱いたまま、俺はまぶたを閉じる。
そして、その時は、前触れもなく始まった。
「あ、そうだ。ハムオ」
(ん?)
身体を浮かせて横を向き、彼女がこちらを見る。
「今日ね、賄いがめっちゃ美味しかったの」
(……うん)
「魚だったんだけどね」
(うん)
「最初見たとき、今日魚か~って思ったんだけど」
(うん)
「食べたらめっちゃ美味しくてさ」
(よかったじゃん)
そこから、今日の賄いの話が始まった。
どういう味だったとか。
誰が作ったとか。
思ったよりご飯が進んだとか。
おかわりしようか迷ったとか。
正直、どうでもいい。
(どうでもいいんだけど…)
「それでね~」
(うん)
いつも通りの声に、ふっと身体の力が抜ける。
(……ほんと、よく話すな)
そう思いながら俺は、再び目を閉じた。




