二人で残業…?
時は、詩乃と一颯がまだ一緒に働いていた頃まで遡る。
二十二時二十分——
夜営業のレストランの退勤時間まで、あと十分。
比較的忙しくない今の時期は、人件費削減のため、ラストまで残る人数も絞られていた。
それでも料理長は、変わらず忙しなく動き回っている。
アルバイトの私と彼はすでに片付けを終え、いつでも退勤できるよう、最後の作業を進めていた。
そして——
二十二時三十分。
(よし!上がれる!)
早く帰りたいと心の中で叫びながら拭き掃除をしていた私は、時計を確認するなり、跳ねるように身体を起こした。
その日は、少し忙しい一日だった。
(早く、帰りたい…お風呂に入って、布団に飛び込みたい)
そんなことを考えながら辺りを見回して、ふと気付く。
(あれ?)
彼がいない。
いつもなら、退勤時間の二分前には入口付近に集まっているはずなのに。
私は、料理長に声をかけ、後輩を先に上がらせる。
(緒方さん、どこだろう?)
辺りを見渡すと、厨房奥にある備品庫の前に、その姿を見つけた。
(え?まさか…)
私は時間を見間違えたのかと、もう一度時計を見る。
けれど、間違いなく退勤時間を過ぎている。
小さな疑念を抱えながら近づいていくと、彼は発注用紙を手に、備品の在庫を確認していた。
(今から…?)
正直、私は明日でもいいと思っている。
急ぎのものがあるわけでもない。
今やらなければ困ることでもない。
少なくとも私には、今やる必要性を一切感じられなかった。
「……」
何も言わず、じっと彼へ視線を送る。
「……」
それに気付いた彼が、こちらを向いた。
「…やっとかないとね」
(いや、いいよ。明日で)
そう言えるはずもなく、私はただ首を傾げる。
「………先、帰っていい?」
(もう、帰りたい)
「……」
彼は私と視線を合わせたまま、少しだけ止まった。
そして何も言わず、再び発注用紙へ視線を落とす。
(え、帰るなってこと?)
分からない。
(私に何をしろと?)
別に、彼が一人になるわけでもない。
少し離れたところでは、料理長が相変わらずパソコンに苦戦している。
厨房内の締め作業も、もう終わっている。
私が残ったところで、できることなんて特にない。
本当に、彼の意図が理解できなかった。
(……まぁ、いいか)
小さく息を吐く。
そして、少しだけ格好をつけるように告げた。
「…なら、付き合ってあげよう」
言った直後、なんだか急に恥ずかしくなった。
彼がどんな顔をしているのか確認することもできず、そのままくるりと背を向ける。
(……何言ってんだ、私)
誤魔化すように、離れていき、すでに終わっているはずの磨き作業を始めた。
しばらくして、彼がこちらへ歩いてくる。
どうやら、終わったらしい。
「終わった?」
「終わった」
そのまま私たちは、料理長に挨拶を告げる。
「お疲れ様でした」
「お疲れ様です」
そして、それぞれの更衣室へと入っていった。
***
私の着替えは、とにかく早い。
長年培われた癖なのか。
それとも、いつだって一刻も早く帰りたいという気持ちが強すぎるのか。
今日も彼より先に着替えを終えた私は、さっさとタイムカードを切り、そのまま帰ろうと廊下を歩く。
その途中、向こうから歩いてくる彼とすれ違った。
「おつかれ~」
「おつかれ。今日、真っ白じゃん」
「せやで」
その場で立ち止まり、見せびらかすようにポーズを取る。
白いトップスに、白いボトムス。
意識していなかったが、確かに、上から下まで真っ白だ。
私はボケているつもりなので、羞恥心はどこかへ行っている。
その間にできたはずの数秒の差は、いつの間にかなくなっていた。
「……」
「……」
どちらからともなく、隣を歩き始める。
特に何かを約束したわけでもなく、自然と歩調は揃っていく。
他愛もない話をしながら、二人で駅までの道を歩いた。




