想定外の笑顔
私は、あの日、想定外の君の笑顔に、心をかっさらわれたんだ。
その日が、いつだったのか。
今でも、鮮明に覚えている。
まだ一緒に働き始めて、間もない頃。
仕事の話しかしない。
必要最低限しか話さない。
笑うことはあっても、どこか一歩引いたような笑い方。
近寄りすぎないように、線を引いている人。
そんな印象だった。
その日、たまたま帰る時間が重なった。
けれど、職場でのイメージもあって、まさか一緒に帰るなんて想像もしていなかった。
ビルを出れば、「あ、お疲れさまでした」と言って、各々解散だと思っていたのだ。
けれど驚くことに、その予想は外れ、他愛もない会話をしながら、駅まで歩いた。
話す内容といえば、
「今日忙しかったですね」
「そうですね」
そんなものだった。
改札が見えてきて、彼が先にICカードをかざし、改札を抜ける。
その後ろ姿をぼんやり見ていると、あるものが目に入った。
(あれ……)
バッグに、小さなストラップが揺れている。
見覚えがある。
いや、見覚えどころじゃない。
(あのキャラじゃん。)
有名と言えば有名。
でも、好きな人しか知らないような、少しマイナーなキャラクター。
私は、沈黙の穴埋めになるとしか思っていなかった。
(私も好きだし、ちょうどいいや)
「〇〇、好きなんですか?」
彼が勢いよく、振り返る。
訪れたのは、一瞬の沈黙。
「……えっ?!」
その声に、思わず肩が跳ねた。
「知ってるんですか?!」
その瞬間だった。
それまで見たことのないくらい、目を輝かせて笑ったんだ。
壁なんて、最初からなかったみたいに。
心の底から嬉しそうな笑顔。
(何、それ…)
反則でしょ。
恐らく、大好きなんだろう。
それが伝わってくる。
こちらが困惑するほど、無邪気で。
信じられないくらいに、嬉しそうで。
その笑顔が、あまりにも可愛くて。
気付けば私は、その笑顔から目が離せなくなっていた。
「私も好きですよ」
さらに笑顔になる彼。
私は、それどころじゃなかった。
胸の奥が、うるさい。
鼓動が、一つ早くなる。
(……やばい)
このままじゃ危ない。
そう気付いた時には、もう遅かった。
私に向けられた笑顔じゃない。
好きなものの話になれば誰だって、自然と口角が上がる。
そんなことは、わかっている。
けれど、そのたった一つの笑顔に、私はあっさりと落ちてしまったのだろう。
それを認めたくなくて、もがきまくったことを今でも覚えている。




