第二話『微睡む竜の半眼』-2-
光莉は黙々とタッチテーブルについている。いつのまにかテーブルは、物を書く家具から、大きなタッチパネルと演算機になっているのだ。時代だ。彼女はデータを、『手の動きと比較して明らかに早すぎる文量』で纏める。「何かわかりましたか?」なんて、悠太郎はそんな『わかりきった質問』をすることはなかった。
悠太郎は邪魔にならない程度の質問を投げた。前から気になっていたことでもあるが、話の種にと対光莉とのトークにストックしていた話題でもある。
「民衆議会議長のノグ=ボーて変わった名前ですよね」
「ノグ=ボー?うん。まあ、現代に似た発音だとこうかな程度のものだから、本当にそう読むかわかんないよ?」
「いえ、そうではなく」
悠太郎は前から疑問に思っていたことを口にした。
「他の人と名前の雰囲気が違いすぎませんか」
それに対して光莉は「あー」と『右上を見つめながら』記憶を振り返りつつ、
「国が違うからね」
「国がですか」
「そう。ノグ=ボーはどこかの都市国家、ギリシア風に言うならポリスのようなもの出身だけど、本当にそうなのかはわからない。少なくとも第Ⅲ軍団のエクランドスやアレイポラス王と同じ民族というわけではなさそうなんだ。ただ、そうらしいとは言っても、ノグ=ボーが神官職としての名前とかだったら、わからないんだけど」
「よくわからないことだらけ、というわけですね」
「まあね。ただ、どこかの誰かの創作だったとしても、謎を紐解くのは暇潰しに楽しい。楽しいと思わない?」
「暇潰しですか。暇、無駄は人間の至宝だと思いますよ」
「謎のほうに食いついて欲しかった」
「謎ですか。では、謎とは何ですか」
「センパイ、それはとてもいい質問だ」
光莉は人差し指を立てて、それを宙に回すように振りながら話し始めた。上機嫌だ。
「……」
だが、光莉のお喋りで開いた口が何も言わずに閉じた。どうしたのだ、悠太郎は心配したが、「なんでもない」と返される。
資料保管庫には時計がない。ついでに窓もない。悠太郎がタブレットを見れば、時刻は一六〇〇時を少し過ぎた頃合いだった。夕方が目前に迫っていた。彼にとってはそろそろ、夕飯の仕込みをしたい時間だ。
「光莉、お手伝いはもう終わりでいいですか?夕飯を仕込まないと。ご飯は炊けるまでに一時間以上かかるんです」
「あっ、ちょっと!」
悠太郎の服が、ちょこんと引っ張られる。
「今晩奢るからさ、一緒にファミレスに外食としゃれこまないかい」
お呼ばれすることになった。基本的に一人暮らしでなんでも一人なのが、悠太郎という男だが別に独りが好きなわけではないのだ。
「どういう風の吹き回しですか?」
「たまにはセンパイと二人きりで話したいから……と言えたら最高だけど残念、ちょっとした集まりがあるんだ、ファミレスでね」
「大人数は苦手です」
「センパイの思うような集まりじゃないよ。交流会とか、意見交換だ。センパイを入れても片手の指で足りるくらい。安心だね」
「そう言って前は合コンに騙されて出席しましたよ!」
「また古い話題を」
やれやれ、光莉は肩を竦めて「そういえば彼の娘がまたメールくれてたよ」と言った。
「添え物にしかなりませんけど、ご馳走になります」
「ただのファミレスだから、中学生でもやれることだと思うけど、その感謝は心地好いから色をつけてしんぜよう」
「……色?」
「ドリンク飲み放題」
「わぁ、それは嬉しいです」
悠太郎は素直に喜んでいた。お酒は苦手だが、炭酸飲料は好きなのだ。炭酸とツマミの小皿は相性がいい。
「なら、早く予定を消化しないとですね」
「おう!」
光莉の元気な返事には、嘘がなかった。彼女はさっさと切り上げる為に寡黙に努めた。何をやっているのかは、彼女のアイモニターを直接覗くことでしかわからない。しかし悠太郎はそんなことをやるつもりはなく、ぼんやり待ち続けた。待つことには、慣れていた。
真面目な顔が見えた。
光莉の、優しそうな大和撫子とは違う顔だ。どこか獣のような鋭さがあるのに、知っていると儚さが滲むような雰囲気は、外面以外に気をとられているからかと悠太郎は考えた。
実は、悠太郎は光莉が調べているものを知っている。彼女は咒を信じているのだ。そしてそれが、決して『迷信や偽物、創作で生まれたありえないトンデモではない』ということもだ。
咒とはどうやら、文字の力学であるらしい。
その程度のことであれば、悠太郎でも調べられた。だが文字が問題なのだ。わからないのは、その文字は現在普及しているいかなる言語を表す文字ではないということしか分かっていない。粘土板にも文字そのものに関する、形がわかるものは、少なくともまだ見つかったという公表はなかった。
文字が事象に影響を与える。
そんなことがありえるのだろうか?
悠太郎にはわからなかったが、わからないから、ありえないと断じることもなかった。少なくとも彼は、文字の力学があるという前提があればを考えられる人間であり、だからこそ、光莉との付き合いもあるのだ。




