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第六話『蠢き待ち伏せお前は殺す』

 つまるところ、話し合いとは暴力ありきなのだ。言葉を尽くして通じるのではなく、言葉を通すのだ。第Ⅲ軍団は、エクランドスは武力によるサリサス人統一という行動をサリサス人全体の繁栄とともに約束して、実行した。何故か、も何もない。サリサス人の娘、ケツァル族の子が背中を押したのだ。


 自身には何をなすべきであるのか。第Ⅲ軍団という力をどう使うべきであるのか。何ができるのか考えた結果での行動だ。無傷の勝利などありえない。血が流れた。命も流れた。それでも決断し、妥協を探し求めそうなった。成果が、サリサスの土地の安定に繋がった。どうと言うことはない。サリサスを巡る子育て戦争が今まで繰り返されていたのは、誰も解決策を示さず、誰もそれに何かやろうと動かなかったからに過ぎなかったのだ。充分な力と決断と血を持ってすれば、子供であるエクランドスでさえ解決できた、その程度の問題でしかなかった。だが共和国には今まで何も……エクランドスは思考を振り払った。


「サリサスにさらなる繁栄を約束したが、これも妥協か。半分しか達成できていない」


 子育て戦争は止めた。だが新天地の約束は妥協が必要だった。王家の庭が消えたのだ。代わりに大規模な共同育児の組織として調整した。育てられる資源の再分配だ。食べ物の管理の徹底、充分な頭数で子供を確実に育てる運営だ。開拓と、許容できる死の切り捨て。自然は容易く全てを取り戻そうと手を伸ばしてくる。だから争わずとも飽和することはないという計算だ。それにサリサスの土地は、独占をはからなくても豊かな世界だ。雪に覆われた死の大地のようで、しかしとても豊かな自然が白い闇の中でたくましく生きている。


 生きられる。


 手を取り合えば。


 エクランドスの役目はここまでだ。彼の手を離れたサリサス人は、余所者を必要としないだろう。だから、もう大丈夫なのだとエクランドスは考えた。数多くの衝突と失敗があるだろうが、何事も完璧はないのだ。だからそれは、求めないでいた。


 終わったのだ。


 エクランドスが『巣立ち』の準備をしていると、サリサス人の友が怒鳴り込んで口汚く吐いた。汚い言葉だが要約すれば、「ここで暮らせ」と言うことになる。逃げるな、とも。


「お前は最後の血の一滴を恐れているだけの腰抜けだ!」


 この言葉は、あまりにも深くエクランドスを刺した。エクランドスには、サリサス人の各部族に伝書を出すだけの熱意があったのは事実だ。粘り強く交渉の機会を求めて、いくつかは成功した。硬い信念があったからこそ耐えられた。それはいい。だが世界にはどうしても相入れない少数は絶対にいるものだ。不可避だ。言葉は拒絶の壁を前にしたとき、閉ざされた耳には決して届かない。打ち壊すものが必要だ。それが暴力だ。エクランドスが第三軍団で力で制圧する。平和のために戦争を起こす。大きな矛盾だ。だが、もっとも現実だ。


「血を恐れている。当たり前だ。血は痛みなのだから」


 例えば、咒の銃は当然だが文字が刻まれている。文字の形への力学だ。あろうとする力で、差異は歪みと引き裂きを生むこともある。数十の鏃や数十の棘となり肉を裂き骨を砕くだろう。エクランドスは力を欲しながら、力を恐れていた。振るうべきときに振れるか試されていた。


「平穏を求めて戦争を起こすなんて絶対に、絶対におかしい」


 だがーー決意した。悩みの海で溺れ、流れの中で死ぬことなく彼は這い上がった。第Ⅲ軍団が、動いた。幾多の有翼部族がエクランドスに味方すれば、幾多の『反乱』が起こりこれを鎮圧した。特筆に値するものは何もない。ただ戦い、それは平定されたと書けば充分なものだ。だがしかし、サリサス人にとっては支配者が生まれたというだけのことでも、これが共和国の事情となると複雑化は加速した。アレイポラス王の軍がサリサスの土地を制圧し、サリサス人を保護ということにして実質的かつ強大な軍事力を保持したのだ。


 共和国の民衆評議会は、『第Ⅲ軍団』の独断を反乱として討伐軍を編成していた。エクランドスの耳にも届いている。これに対してアレイポラスⅧ世は、あくまでも第Ⅰ軍団の分遣隊という形であると弁明し、警察活動を超えない王の義務の範囲であると釈明した。王権に許された裁判の範疇に過ぎないというのが理由だ。村間戦争の調停と変わりないと、アレイポラスⅧ世は答弁した。


 共和国の時代が動いた。絶対王政の残照が、立憲君主によって最後の掃討を画策する機会となった。市民の盾兵団が首都ククルスニアを出陣したのだ。目的は、芽を摘むこと以外になかった。恐れるものは、それが存在しているだけで必ず恐怖し続けてしまうのだ。民衆議員は賭けをした。賭けとは負ける可能性も一定数存在する。だからこそ、僅かでも気にし過ぎ、これを絶対に排除したい心理が命令を出させた。


「私は共和国を割った。永劫、この罪は汚点となるだろう」


 エクランドスは大きな懺悔で潰されようとしていた。サリサス人の子育て戦争を止めた。しかしそれの為の行動が、あまりにも巨大な反動となって跳ね返ったのだ。アレイポラスⅧ世と、そして第Ⅰ軍団と第Ⅱ軍団と、王家の庭に住む全ての連絡は絶たれエクランドスはサリサス人の土地で、僅かな手勢で孤立した。事実では、アレイポラスⅧ世は処刑され、イフィニアスは連座、第Ⅰ軍団はククルスニアで武装解除。第Ⅱ軍団とペルタンダスは王国軍と市民の盾兵団の挟撃を受けていた。


「エクランドス王子、命令を」

 

 第Ⅲ軍団が命令を待っていた。父が死んだ、兄が死んだ。敗者としてだ。だがエクランドスの中では最後の瞬間まで復讐に走ることを無駄とする、冷酷な目があった。


「首都ククルスニアには向かわない。我が軍団は、サリサス人の土地に身を隠し、市民の盾兵団を端から食い千切り撃破しろ」


 エクランドスは軍団旗を見上げた。


 魚と黄金手だ。


 魂がないと罵られる魚、あらゆる存在に差し伸べられる黄金の手がそこにひるがえった。


「……」


 ささやかな違和感をエクランドスは覚えていた。嫌な感じではないが、何かとても『違うことに気がついていない』という感覚だ。だが彼はその違和感を振り切った。迷っているよりも決断を下す立場なのだ。彼が最初の一雫を流さなければ、川は流れない。


 エクランドスは決断した。


「ククルスニアには帰らない」


 王家の庭を、父を、母を、兄を、全てを見捨てることを決断した言葉であった。正しいことが何かは往々にして判別が難しい。見捨てるというのは社会性に美徳を見出していれば忌むべきかもしれないし、狼達がそうであるように群れの資源を効率的に運用する為の自浄あるいは最適化とも見れる。エクランドスの場合はどうだったか。手持ちの戦力は一個軍団にも満たない戦力だ。また、彼が戦争を構えるということは多くの血を流すことになる。いや、あるいはささやかな血かもしれない。エクランドスが確信するところは、正義の所在はどうでもよく、エクランドス自身の死あるいは共和国の脱出で消えることの方が流れる血は圧倒的に少ないということだ。


 共和国を発つ。


 エクランドスの固い意志だった。


 第Ⅲ軍団をサリサス人の土地に置いていく。


 旅立ちは、エクランドス一人だけ。王家であることが罪となった今では、その生存が全てにおいて大悪だ。共和国が混乱すればどうなるか。叛乱に叛乱を起こすよりも、速やかにエクランドスが消えた方が共和国の傷は遥かに浅いという考えだ。しかしそれは、エクランドスが自分の命を投げ捨てるということを意味した。


「ピッラム。この土地の後を放棄してすまない」

「王子エクランドス、謝罪はいい。だがわからないな。何故、戦わないのだ。部族からいくらか戦士を集めれば、共和国を占拠することも可能なのに」

「共和国を戦火に沈められない」

「それは逆賊も同じに追われ、そして死ぬことを受け入れても守るべきことなのか?」

「そうだ」

「わからないな。本当に。だが私の盟友に、私が嘴を突くことはできないし許したくない」

「サリサス人の未来を見られなくて、また王家として面倒を放棄するのが……残念だ」

「見られるさ。それに我々の親を名乗り出たのだ。逃しはしないぞ」


 エクランドスは、そそくさとサリサス人が『旅支度』を始めたことに気がついた。


「戦わないよ」

「戦えばいい。お前の軍だって戦うだろう。今までのように」

「いや、第Ⅲ軍団はここで解散だ。だからピッラム、第Ⅲ軍団の群れを頼む。老いぼれだからな。雪原にくれてやるべきなのかもだが、今まで忠を尽くしてくれた兵士に報いた最後を押し付けたい」


 軍団旗、魚と黄金手がエクランドスの手から離れた。これで良いのだ、彼は自分の行く末を楽観視していた。だがこの決断の為に、四度胃袋のものを吐き出すほどに悩んだ。エクランドスの一人旅だ。全てを捨て、野垂れ死ぬ、あるいは生き延びても『その前』を捨てて殺す。それが、エクランドスの決断だ。王の名前に連なるものは不要となった。良い悪いでなく、共和国がその道を選択して掴んだ。であればすでに、エクランドスの王家としての役目は終わった。


「テレパチオン。軍団旗を託した。これよりこの旗は、お前たち第Ⅲ軍団だけではなく、サリサス人もまた示すものであることを忘れるな」

「心得ました、王子エクランドス。しかし……寂しくなります」


 心にもないことを言ってくれるな、とエクランドスは思い込むことにした。独りで死ななければいけないのに、テレパチオンの言葉は彼の心を揺らすのだ。死にたくない。だが同時に第Ⅲ軍団を一緒にともなうことが何を意味させてしまうのかもエクランドスにはわかっていた。より多くを生かすことを第一にするのであれば、その道は選べないのだ。世界は民主主義に移行している。そして王家は消えゆく存在である。エクランドスの小さな頭は、今を恐れるなと自分自身を勇気づけた。震える心を守りながら、エクランドスは放浪する。


 彼の背中に続くものはーーいない。




 革命党と言うのだそうだ。ノグ=ボーは民衆議員とにこやかに握手する革命党幹部に眉をしかめた。神殿と民衆の合いの子ということになる新党だ。『旧制を倒すことを第一義にする』という、手段と目的が入れ替わった典型に見えた。


「ボー様」

「悟られるな。肉人形どもめ、あれが竜の加護とでもいうのか」

「ボー様」

「わかっている。咒は許容しよう。だが死者に新しいものを入れるべきではないのだ」


 再三の忠告を吐く従者に、流石にノグ=ボーも口をつぐんだ。彼は神殿の肉人形、咒を刻まれて歩く死者が好きではない。はっきりと嫌悪感を抱いていた。従者の体にも、存在を歪めるほどではないが文字の矯正が咒として刻まれている。『身入り』の兵士は皆んな、咒を刻むのが主流だ。だがそれでも、死者の再利用にまで……ノグ=ボーは気に食わなかった。あるいは彼自身がかつては、その身で戦うことこそを至上としていたからか。己で立てない者に生きる資格はないという考えだ。


「兵団を動かしたらしいが……」


 どこに動かしたのだろうか。ノグ=ボーはとぼけた。王族狩りに兵団を動かしたのは知っていた。最低限の血を流して終わらせる為の血だ。血は流れた。最後の一滴を残して。不愉快な流し方ではあるが、とノグ=ボーは毒を吐いた。できることであれば、ノグ=ボー自身が正面から撃破することにこだわりたかった。本音だ。王家を卑劣で排斥することなど望んではいなかった。殺すならば、その死さえも仕方がない呑める状況で殺したかった。だからこそ今までアレイポラスⅧ世を殺さず機会を作り続けてきた。


 裏目に出た。


 恥知らずは、流儀を捨てて都合の良い結果、あるいは願望だけを見て動いた。


(考えても仕方がないことだな。考えるべきは強く、美しい未来だ。過去を振り向くだけでは生き残れない。祖国を滅ぼさせはしない、というわけでもないが……少々、この国を失うのは……惜しいのだ)


 ノグ=ボーは誇りと自信しか持っていない連中を見た。内乱とも言えないような僅かな血しか流れていない。だが、身辺を整理した結果、都合のいい頭に挿げ替えられた人間も多かった。口だけはまわる。それが条件の数合わせが多いのだ。一抹でも不安は多すぎるというものだが、ノグ=ボーは私兵を見た。初期化された権力構造に食い込もうと躍起になる人間もまた多い。


(アレイポラスⅧ世は死んだか。呆気ないとは言うまい。死とはいつもそういうものだ)


 ノグ=ボーは護衛である咒を刻んだ肌の女とともに、新しい顔繋ぎに足を運ぶ。汚らしいすぎる連中とも、ずっと初対面で名前も知らないということでは困るからだ。だが心底からの親睦を深めるということはなかった。かつては敵であってさえも、一定の視線からは尊敬しさえできたこととは大きな違いだ。ノグ=ボーには蔑みの評価しか残らない新しい世代の議員と話した。内容は大したものではなかった。語るに値しない程度のものだ。だがそれでも、民衆からのウケが良かった。民衆主義とでも言うべきか、熱狂する民衆に寄り添える代弁者であるのだ。彼らの声は民衆の声だ。そういう意味では、咒を刻んだ肉人形と変わりはないと言えた。


 ノグ=ボーにとっては不愉快な事実だが、どうあれ共和国は首都ククルスニアから、大きく政治の方向転換を試みている。それが正しいのかは、ノグ=ボーにはわからないことだ。


「正しさとは分からんものだな」

「そうですね、我が主人」

「答えは期待していなかった」


 ノグ=ボーは王国よりも更に先の国から、共和国へとやってきた。有耶無耶の都市が連合を作っていた世界からだ。だが共和国の人間となった。だからこそ、共和国という国家を考えた。だがそれは、とても異質な考え方だ。




 辺境で孤独なエクランドスはたくましく生き延びていた。俗世の全てから切り離された野生の生活だ。王族とは思えない生活だが、術は心得ている。


「……」


 言葉を忘れたかのようにエクランドスは静かだ。話す相手はいない。話す相手も求めない。第Ⅲ軍団の旗を捨てた日から、彼は自分自身に問いかけている。分不相応であったから、罰が落ちたのではないか。それは誰が下したのか。選んだアレイポラスⅧ世が招いたのか、あるいは手にしたエクランドスに訪れたのか。口で言葉を紡ぐことが極端に減った彼は考えることが増えていた。ここはサリサス人の土地、サリサスとは神の名前だ。神の土地でエクランドスは考えていた。


 冬の寒さを凌ぎながら、僅かな肉を狩り命を繋いでいく。エクランドスの全てであるが、それさえも許されなかったのだろう。それは晴れた日であった。決して暖かいわけではなかった。だが、久方振りの太陽が雪原に反射して眩しい、そんな日だ。雪原に銃声が届いた。


「ーーッ!」


 エクランドスが膝をつく。真っ白い雪の上は赤く、赤く。彼の足に食い込んだそれは、爆発したように四方へ棘をあるいは枝のように伸ばし肉へ食い込み先端が皮を突き破っていた。咒の刻まれた銃弾だ。エクランドスは残った足だけで飛ぶように、近くの木に隠れた。赤い血が噴き出すほどの出血ではないが、穴からは流れ続けていた。千切れ飛ばなかったのは奇跡だ。エクランドスは咒を刻む為に、飛び出した銃弾の棘から血をぬぐい、あらためて咒を刻んだ。棘が収縮して、コトリと外へ摘出された。えぐれた傷を治す余裕はない。応急で肌にのたうった字を刻む。止血と肉を盛り上げる。


 敵が来た。人狩りだろうが殺し屋だろうか、何だろうがエクランドスを殺しにやってきた。スキー板を足に履いて滑ってくる。複雑に入り組む黒い木々を容易く避けながら滑る姿は、かなりの精鋭なのかもしれない。数は四人だ。王国軍だろうか、とエクランドスは考えた。ここに第Ⅲ軍団が、せめて一人か二人いてくれれば……無いものをねだるくらいには彼は追い詰められる。エクランドスは背中に回していた銃を手にする。倒さなければ生きて切り抜けることは不可能だ。手負いとスキーでは勝負にならない。


 咒を刻んだ銃弾が、放たれた。


 空中で四散し数十の銛となったそれは黒い木を穿ち、人狩りの一人を倒した。「やった」喜ぶ暇はない。エクランドスは分厚い手袋を外して、銃に褐色火薬を流し込みカルカで押し固め、新しい弾を捩じ込む。人狩りは目前だ。込めた、撃った。至近で直撃した人狩りは脊柱を破壊されぼろりと上半身と下半身が千切れる。


 だが人狩りが抜剣した細身の曲刀が、スキーで加速されて迫った。咄嗟に銃で防ぐエクランドス。曲刀は木製の肩当てを四分の三食い込んだ。だが折れない。だが抜けない。エクランドスは食い込んだ曲刀をじゅうごと捻り、人狩りの手首を破壊してやろうとしたが、人狩りの人間離れして怪力で逆に銃を捥ぎ取られた。


「くそッ」


 エクランドスは雪除けを破くように紐解き、腰の軍刀を鞘から引き抜く。片手だ。もう片手には、着剣し忘れた銃剣を握る。軍刀を行儀よく両手で構えていては、騎兵じみたスキー兵を相手に捌けないとの判断だ。残りの人狩りは二人だ。そのたった二人が、襲いかかる。血が流れた。獣の唸りが木々の凍る枝葉を震わせた。


 どうして?


 もし仮に、エクランドスが軟弱な考えを振り切っていなければ、彼は骸となってサリサスの雪原に晒されただろう。だが今、死闘を制したのはエクランドスだ。肉を斬り刻まれ、しかし膝を屈していても敵はそれ以上に頭を沈め、今雪に呑み込まれようとしていた。サリサスの土地に血は等しく流れた。だが立っていたのは、エクランドス一人だけだった。


 破壊された命だったもの。それがエクランドスの前に埋まっている。服を剥がせば、肌に無数の咒が刻まれていた。肉人形なのだ。全員がそうであった。エクランドスは文字を否定し一度完全に消したあと、あらためて咒を刻んだ。文字が彼らを再び起こす。雑に修復された部位はどこかまだ不安定だが、遠目には人間と変わりなく見えるだけの形が立った。恐ろしいことだな、とエクランドスは思った。死霊術とあまりにも似ているように見える。だが生き還りとはあまりにも違う存在だ。


「私の身をーー守ってくれ」


 肉人形に喋らすことは可能だ。だがエクランドスが新たに手中に入れた彼らはただ黙した。しかし行動で答えるだろう。それはまるでエクランドスの心と接続されたように彼を読んでいた。本人である彼よりもだ。




 絵本を読んでいるような気分である、のだろう。ぼんやりとした頭で彼は見下ろしていた。そう繋がっているからだ。この世界に繋がりのないものは『残念ながら』存在しない。微睡む竜の夢の一端も、魔女が搾り出す現実のひとしずくも、全ては繋がっている、繋がっていてしまうのだ。人が星と繋がりを求めていれば、またそうでなくてもそうなのだ。


 神とは認識されてはいけない。つまりそれは決して認識できない存在こそが神なのだ。普遍でありながら、信仰の端末によってあまりにも形を変えすぎてしまう神という存在だ。そしてサリサスの土地にもまた神はいる。


 肉人形を引き連れたエクランドスが雪を掻き分けていく。死者だけが生きるエクランドスに続いた。エクランドスは色々考えたが、不思議と心が汚れる気配はなかった。憎悪に、絶望に染まることはなく、ただ苦痛や運命とでもいうのか過酷な現実に対してもそよ風のように流せた。死ぬときには死ぬ、それだけだろうと、命を諦めているわけではないが死ぬ瞬間から目を逸らしているというわけもない。死ぬーーそれが来てしまったのならこれはもう仕方がないことだろう、そんな風にエクランドスは考えているのだ。


 兄イフィニアスならどう考えていたことだろうか。イフィニアスはエクランドスが尊敬する咒使いだった。魔術使いだ。誰よりも言葉を知っていた。今あるエクランドスの文字化された思考はほとんどイフィニアスから影響を受けている可能性も否定はできない。それだけの影響があったのだ。


「君らは何者だろうか」

「……」


 エクランドスの質問に、肉人形は何も答えなかった。




 咒とは、不思議な力だ。文字の力で物事を歪めて形の無い形を作る。人間が使える文字は無駄に難解となっているが、本来、咒の文字とはより単純であり、文字も最小の構成があるはずだ。ーーと多くの呪い師は考え日々研究している。


 神殿など大掛かりな組織が大々的に神秘を理解しようとしていることがあれば、家の庭で子供が実験でやるような程度のものまで様々だ。だが一つ共通しているものがあり、それは『誰も答えを知らない』ということだ。


 絹の男イーリは考えていた。


 神殿の深淵に張られた泉に、指先を浸し瞑想する。俗に、イーリは欲深く評判は悪い。逆に権力者には金で解決できることは『神の手』で通すので使える男と思われている。私欲で神を語る悪い奴、というのが市民の間でのイーリの有名だ。


 だが意外なことにも、イーリは神殿最高責任者として、もっとも信心深く、同時にもっとも『神を疑う男』でもあるのだ。これは矛盾していた。信者でありながら神を信じていないも同じなのだ。少なくとも純粋で敬虔とは違う。イーリにはイーリとしての言葉を持っているのだ。それは神の言葉ではない。何よりもイーリは知っていた。神の言葉というものは、『本質的に存在してはいない』ということをだ。


「狭間に明滅する神……」


 静寂の中での呟きを聞くのは、咒を施された護衛の女だけだ。イーリは自分自身に語っていた。護衛の女が口を挟むことはなかった。ひたされた指先は、まったくさざなみを立てずに静止している。完全な停滞。肉体の停止。イーリの思考だけが回る世界だ。


(流れは正すべきものではない)


 民衆評議会が影で王族を処分した。共和国ぬは大きな動きだ。民衆評議会はかねてより、立法で国を運用したがっていた。民衆評議会が作った国の政が立法だからだ。王政が半端に残っているせいで今は完全な状態ではない。完全でなければ、排除しなければ安心はできないのだ。イーリは影に怯える民衆評議員の姿が心中に浮かぶ。王権は裁判を残している。民衆評議員にも有力だ。市民から民衆評議会を訴えることで、処刑されるかもしれない。いつでも殺される道具が首に突きつけられている。恐怖の影だ。写し鏡になる刃を恐れていた。かつてのおこないが、もし、が、あるのではないか。


 愚かな、というのがイーリの考えだ。


 利害と金銭の調整で汚く醜いイーリからすれば、美しくあろうとすることこそがおかしいのだ。だが、汚れている姿を民衆評議員は酷く恐れている。知られることを。民衆評議員は、民衆から選出される。後ろ盾は人気であり、人気が全てだ。だからこそ、明日よりも今日を重視する。重視しすぎる。


 王家を排除したとする。次はなんだ。次は共食いだ。お互いを破壊し尽くさなければ、永遠につきまとうだろう。王家が地位を脅かしているわけではないということに、気がつかないフリをして民衆議員は共闘しているのだ。


 王家はーー消えるだろう。


 イーリは、真実ではない神の代行としてはその時どのような行動をするべきだろうか。神は共和国の神だ。誰かに正義を求めはしない。それは咒と同様の言葉を持っている。だからこそイーリは肩入れはしないことを決めた。


「……」


 ちゃぷり、と水面から引き抜かれた指先から雫が落ちた。小さな雫だ。しかしそれは波紋となって、どこまでも広がっていく。




 第Ⅰ軍団の斥候が、北部の王国国境沿いでエクランドスを発見した。数多くの肉人形を連れているとも。そんな報告があった。見つけてしまった、というのがイフィニアスの正直な感想だった。しかもそれは、神官から伝えられたのは不快極まりなかった。神官は嫌いだ。多くの神官が、神を自身の都合で利用している。


 だが、とイフィニアスは反骨を消した。消えろ、と。そのほうが賢いのかもしれないとイフィニアスは思った。

 

 最高神官の職についている男が、瞑想から戻ってきていない。それに、ノグ=ボーもだ。二言で終わる受け答えの為だけに、イフィニアスは立っていた。待っていた。


「イーリ」


 神殿の奥から現れたイーリに、影が染み出すように柱から現れたノグ=ボーが口を寄せた。名前だけで呼んでいる。イフィニアスは二人の関係性を知らないが、殺しあうような仲ではないことを察した。イフィニアスは言葉を知っている。だが、言葉になっていないものは知らない。


「イーリ様、ノグ=ボー様」


 イフィニアスはこうべを垂れることなく、その首を太く高く話しかけた。


「私はククルスニアを去ります。第Ⅰ軍団と第Ⅱ軍団の敗残を合わせて」


 王家の血を消す。それはイフィニアスが成し遂げることの一つだ。もはや最後の一滴まで消し去らないと安心されないのだ。ならばその一滴に至るまで消すだけだ。共和国を無駄に割ることはできない。命を守る為に捨てることをおしめば、全てを焼き尽くすまで殺し合わなければならない。命を失う為に命を使うべきとは、イフィニアスは教えて貰わなかった。


「イフィニアス」


 イーリとノグ=ボーが並んで立っていた。イフィニアスは眉を歪めた。神官と民衆評議員の繋がりは、もうアレイポラスⅧ世しか知らないのではないか。イフィニアスは教えられてはいない。知らないものだ。


「はい、イーリ様」

「……いえ、何もありません。貴方が超えるべきものは、貴方が信じた先にのみあるでしょう」


 なすべきをなす。それはイフィニアスにとって、酷く当たり前の言葉でしかなかった。

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