第五話『銘柄釘を打ち込んで』-4-
今日、悠太郎は家に帰れないので光莉の家に泊めてもらっていた。運が良いのか悪いのか、外出禁止警報が出されたからだ。かなり、巨大なものが外を歩いていることだけはわかっていた。姿を見たものは誰もいない何かは、毎夜現れるわけではない。だが頑丈な遮蔽装置はどんな場所でも備え付けられているし、何よりも絶対に、警告に従わなければいけないということが当たり前にあった。悠太郎の当初の目的は、光莉の見せたいもの(当然アレイポラスⅧ世の骨)があるからとの緊急電話での呼び出しがあったからだ。
「今夜は時間がたっぷりだ」
話題はやはり、アレイポラスⅧ世の腕だ。遮光カーテンを透かすほどの雷が光っているが、遮音された窓をビリビリと揺らすだけで音は届かない。雨が降っている。珍しいことだ。激しい雨が降っていて、サイレンが聞こえていた。夜を歩く怪物がいるのだ。闇に紛れて何かが歩いている。だがそれを悠太郎は暴いてやろうとは思わなかった。
「咒の文字が解析できているわけだけど、試してみない?」
シャワーから出てきた光莉の第一声だ。悠太郎は驚いた。つい昨日までは咒の取っ掛かりさえわからないと唸っていたのが光莉だ。ゲットオンの情報交換で有益な何かがあったのかもしれない。それも、アレイポラスⅧ世の腕の骨を見せたいと言った直後であることが悠太郎は気になった。少し興奮気味の光莉は、薄いパジャマに着替えて、湯で火照った赤味のある肌と熱でベッドに腰掛けた。今にも言葉を吐き出してしまいたいと思っていることがわかるほどには、彼女はうずうずしていた。
悠太郎は、そんな光莉に色香を感じる前に少しの、デジャブのようなものが違和感した。前にもこんなことがあった気がする。いや、ありえないと悠太郎は内心で考えを捨てた。もしこんなことが二回もあったら、光莉は二回も悠太郎の前で咒を披露することになる。そんな間抜けが、と馬鹿な考えだった。
「見て!紙人形!!」
光莉がチョキチョキとハサミを手際良く滑らせていたと思えば、あっという間に頭と手のあるシンプルな人形が、彼女の手の中に生まれていた。紙人形には咒のような文字が書き込まれていた。
「動く、のですか」
「試していないと?実験済みです。ほら、立って見せて」
悠太郎が驚く暇さえもなかった。それは、当たり前のように立ち上がり、当たり前のようにくるりと回って見せ、当たり前のようにこけて、当たり前のように起き上がって見せた。
「咒……」
「そう!」
光莉は興奮を隠さずに胸に手を当て、
「見つけたんだ!よくある特別な血や才能なんかじゃない、咒は文字が起こすんだ」
とても、偉大な発見だと言えるのだろう。世紀の、がつく大発見だ。きっと、このことは光莉と協力していた仲間たちとも『絶対』に共有されている。素晴らしいこと。であるはずなのに、悠太郎の心は『剥がされるべきではなかった神秘のベールを捲ってしまった』とでも言うべき心境だった。
光莉も、おそらくはそれを察したのだろう。ただ純真に喜び、楽しんでいた表情も、今は失せていた。
「……そっか」
「いや、光莉、違うんです」
「うぅん、なんとなくそうだろうと思っていたし、でも一緒に喜びを分かち合う?てのをちょっとやってみたかっただけ。ちょっとだけね」
光莉は、恥ずかしそうと言うには、あまりにも、あまりにも悲しそうに紙の人形を片付けた。
「老衰した社会は過去への純度を高めて、未来へは期待しない。期待をしていないから、未来を考えることができない。栄光は過ぎ去ったものであり、現代から未来はその残照で取るに足らないと考えているからーーとは思わない?」
「急にどうしたんですか、光莉」
「俺はね、悠太郎。未来が欲しい。俺だけじゃない、俺の後の子供たち、そしてその先のまだ顔を知らない子供の子供たちまでの時間は欲しいんだ。時間稼ぎで資本を注入するのとは違う、時間稼ぎではない本物が」
「……でも未来に対して、楽観はないですよね。未来を考えるてそういうことだ。まだわからない先の時間を考えるのは……とても苦しいものだとは言いませんけど、でも、やっぱり悲観的な冷たい目です」
光莉は小さく、優しく笑いながら、
「悠太郎のそういう視座は『昔から前からずっと』やっぱり好きだな」
悠太郎は、その言葉が『子供っぽく見られている』と少し不快に感じて眉をしかめた。
「……お泊まりは予想外ですけど」
「お泊まりセットは用意してあるよ」
「そうじゃないです。お願いがあるから、が、そもそもでしょうに」
「そうだった」
「まったく」
「ちょっと過去に行ってみないかい」
「頭がいつもよりも飛んでますよ」
「文字通りで嘘は何もないんだけどなー」
話を頭から潰しては、光莉と話すことなんて不可能だ。悠太郎も心得ていて、
「どうやって過去に行くつもりなんですか」
「意識だけ。ほら、休眠遺伝子てあるじゃない?」
「用途不明で、活動していないと思われる情報はありますよね」
「うん。もしそれを精神的に辿れたとしたら、過去の血の記憶を見られるのではないかと」
「鶏を恐竜にしようという実験くらいなら知っています。でも記憶なんてものは、遺伝子にあるものなのですか」
「さぁ?でも記憶って、脳にだけ存在するわけではない、よね」
「可能性としては、まあ……はい」
光莉の背中よりも向こうの壁に、カレンダーが貼られていた。だが、日付や曜日がわかったところで今の社会には不要だろう。昨日と明日は同じになってしまったのだから、明日とは昨日でしかないのだ。
外で、変わらず何かが歩いていた。知らない何かがだ。




