第五話『銘柄釘を打ち込んで』-3-
咒の、文字の力学で起き上がり踊る小石を、もう少し大きなものに変えた。要領は同じだ。子供ほどの石の人形が踊り、多くの市民や奴隷が集まってきた。王家の庭で商いをやっていたりする奴隷であり、辺境の蛮族とも言われる人間の兄弟種だ。かれらは遥かに昔の時代、人間と進化の枝分かれした種族ではあるが、人間としての根元は同じなのだ。
子供も大人も、咒で起き上がった人形に驚いていた。咒は一般に普及した技ではない。そもそも、文字の読み書きがあまり普及していないのだ。下賤とされる市民に知恵を与えるべきか否かの意見は、いつも衝突している。イフィニアスのような大学で知識を広めようとすることは多数派ではないのだ。ただ、奇術の類いとしか見られてはいない。咒とは一般にその程度の認知だ。だが、アレイポラス王の悪戯は、彼の数少ない楽しみだ。王家の庭では、誰かと話し触れ合うことが何よりのそれなのだ。
ーーただ。
中には気持ちが悪い!と言って石を投げる小僧がいた。正しい反応だろうと、アレイポラス王は苦笑した。そういうこともある。逆に投げ返されて、追いかけ回されて笑われていた。そこにいるのは、人間だけではない。いや、全員が分類学上は人間であるが、一般認識上では人間ではない者達だ。
王家の庭。
これが意味するものは、世界から取り寄せられた異種人間の集まりだからというのもある。羽や鱗、身長、様々な理由から人間の兄弟姉妹になる可能性があるのに否定されてきた親戚とも言える種族だ。
俗にと前置きすれば、非文明的な蛮族あるいは亜人である。
子を考えることは未来である。だが、ふと見渡したとき、野を駆ける獣でさえ考えるそれを文明人が考えることを放棄したのはいつからだったのだろうか。アレイポラス王にはわからなかった。未来を考えるものが不在になったのだ。子を成すとは穢れであり、子を考えることよりも今日の金に支配された。
文明の毒が、牙を剥きつつある。
何が正しい道であるのか、アレイポラス王はいつも足を、間違えないよう踏んできた。だが今、その足先は暗雲で隠された。それでも踏み出さなければいけない。それが出来なければ未来はないのだ。未来はいつだっておぼろげであり確証はありえないのだ。しかし……しかし、共和国は未来の不安から目を背け、過去を見つめるだけのものになりつつある。
アレイポラス王にはただ、それだけが気がかりであった。彼はみずからの腕をなぞった。かつて腐り落ちつつあった腕には、その骨には、咒によって文字が刻まれていた。力学が腕の骨にあるということだ。狂気的なことだが、見た目では筋肉の繊維と皮という分厚い壁で隠されている。何故そんなことをしたのか?やがて消えるかもしれない王という立場をやはり、どこかで寂しく思う何かがあるからだろうか。だが、この腕の骨に隠された咒は『死んでからしか作用しない』だろう。忘却が引き金となる咒の力学が、今は不活性化され眠りについている。
これを刻んだのはアレイポラス王の妻ではなくーーユカタチだ。非公式な、エクランドスの許嫁。無関係ではない。あるいは重大な関係でもある。もっとも幼い末の王子に、いつ死ぬかもわからない老木の残すべき力だ。アレイポラス王には何の価値もないが、未来においては何よりも重大なことになる。アレイポラス王は、この腕を守るだろう。
「……?」
アレイポラス王は『笛の音』を聞いた。咒の肉人形に簡単な命令を出せる音色だ。それはアレイポラス王の知らない命令だった。だがすぐに理解することになった。肉人形らがアレイポラス王を見つめ始めた。非情の死が、その瞳がアレイポラスを映している。
「なるほど、そういうこと」
全てを察したアレイポラス王が、それを言い切ることはなかった。彼の頭蓋は完全に槌によって叩き潰されて、それでも執拗に殴られる。バラバラに、挽き肉にされて血肉を晒す。肉人形、市民の盾兵団の凶行に対して市民はしばし、何が起きているのかわからなかった。だが、全てが終わり、残されたアレイポラス王の遺体を呆然を眺めていて、それは遂に溢れ出した。首都ククルスニアに血の雨が降った。王の関わる全てを完全に排除する、単なる掃討戦だ。
アレイポラスⅧ世の腕の骨。
「ーーと、されている」
「骨に見える磁鉄鉱ではないのですか?」
「間違いなく腕だよ」
悠太郎は思った。仮に腕だとしてなぜ、『この骨は未知の文字で埋め尽くされている』のだろうか、と。この上なく不気味な感じだ。恐ろしいことに、生きたまま骨に文字を刻んでいるのだ。不気味、だが悠太郎はどうしてかその文字が読めたような気がした。記憶媒体のような、錠前と鍵が揃って自動で再生されたような違和感だ。知らないのに知ったような気分にさせるものが、アレイポラスⅧ世の腕の骨にはあった。
「アレイポラスⅧ世て、あれですよね。三番めの軍団旗、エクランドスのお父様ですよね」
「博識な悠太郎くんに一〇ポイントあげよう。その通りだ」
光莉は両手で「大正解」の丸を作るという、けっこう謎な理解が難しい気持ちで悠太郎を褒めた。
「咒だよ」
「……この骨の全てがですか。動きませんよね」
「オカルトだろ?」
光莉は続きを言いかけた口を、何も言わずに閉じた。彼女が言葉のあとに続けようとしたものは何だったのだろうか。オカルトだからありえない。あるいは、気にしているのかとか、怖いのかとか。だが少なくとも、この骨に悠太郎は得体の知れないものを感じていた。人骨だからではない。死体だからではない。より、言葉にしがたい何かを根源にする不快を感じたのだ。
「第Ⅲ軍団の仕掛け人の腕なわけだが、粘土板とも明らかに違う文字が使われている。咒に使っていた文字ではないかと文献から推測しているけど、正直わからない。文献ではアレイポラスⅧ世は、腐っていた腕を咒を刻むことで切断を免れたとあるけど……」
「咒を刻むとか以前に、こんなになるまで彫刻されるくらいなら、いっそ切断のほうが慈悲ですよ。仮にこれがアレイポラスⅧ世が自分でやったことなら」
「「狂っている」」
悠太郎と光莉の言葉はまったく重なった。しかも咒を刻んだのは、エクランドスの許嫁であるユカタチだ。義父の腕の骨に刻んでいるのだ。ユカタチは何を思ってそうしたのだろうか?悠太郎の中では疑問が膨らんだ。そんなことをする娘とは思えない。肉と皮を剥いで、血の乾かない骨に咒を刻めるような娘ではないのだ。




