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第一話『魚と黄金手』-2-

 三女神に祝福されたエクランドス。


 そう名付けられたアレイポラスⅧ世の三男は、すくすくと成長していた。人の頭、人の体を持った祝福された子として生まれている体は、充分な肉をつけ、健康な心を育んでいた。少々垂れた目つきではあるが、薄くとも写す世界は見えていた。


 そんなエクランドスは奇妙なことにも、哀れな、牛頭で処刑された祝福されざるエクランドスよりも歳を重ねているが、その神秘はアレイポラスⅧ世のみが知っている。


「母……」


 王の庭で、エクランドスは美しい白い牛レウルシルの前に立ちながら、自分で言っている意味に迷いながらしかし言いきった。


「母よ!」


 種族の壁を越え、彼は彼女を母と呼ぶ。エクランドスの身代わりとして死んだ、エクランドスとして死んだレウルシルの子に代わり、彼が息子となると誓いをたてているからだ。これに対して父アレイポラスⅧ世はエクランドスの決意を尊重していた。つまりエクランドスには産みの母オーラニア、乳をいただいた母グインネイヴ、そしてレウルシルの三人の母がいるということだ。


「母よ、私は母の息子としてあるだろうか?」


 白い牛レウルシルは、不安顔のエクランドスの頰を舐めた。その香りは蜂蜜のようであり、招かれざる小さな命がエクランドスを襲った。不安を拭う為の慈悲ではないことは明白だ。ただ……もしかしたら当のレウルシルにはその気はなかったかもしれないが。


 無数の羽音が、ギチギチと打つ顎の音が、エクランドスに襲いかかった。それは外骨格で身を包み、それは群れていて、百万の装甲兵にも等しく無秩序に統制され、命を捨てたように巨人へと襲いかかる小さな存在だ。


「うわぁ!」


 エクランドスは、母の蜜に誘われた針や鎌を持つ、鎧持つ虫達にたかられ、その脚の限りに走った。だが羽の持つものはひらりと飛び、容易く追いついてはエクランドスの服へと鉤爪で取り付いた。叩き落とされバラバラになろうとも、衝撃に四肢が捥げ、体液を撒こうとも、その複数の目の集合は冷たく写していた。写し続けていた。


 白い牛の母レウルシルは、人の母よりも遥かに厳しい。かたわらでは、二人の母、オーラニアとグインネイヴがはらはらと成り行きを見守っている。だがこの白い乳牛の母を鞭で打つようなことは考えもしないようで、見守るだけだ。


 王の庭で、三男の王子エクランドスの悲鳴が響いた。


 声が耳に届いていようとも衛兵達は不動の姿勢を崩さなかった。賊の侵入ではないと理解しているからだ。時折、事情を知らず慌てた家政婦や奴隷が、スカート下の剣を抜き走るが、王子を襲うものとそれを見守る人を見て、そそくさと人知れず仕事へと帰っていた。


 なんだ鍛錬か。


 よくあることだ。


 微笑ましく見守るのは、決まって白い傷跡をもつ歴戦兵か倍給兵だ。


 エクランドスにとってはそれどころではないだろう。彼は素手で、虫達の恐ろしい襲撃を身をもって学んでいた。個人の心を消されたような、圧倒される数と余計を削がれた執念を刻まれた。


 エクランドスはカチカチと顎を鳴らす甲虫を叩き落とした。だがそんなものは何の意味もなく、別の虫が代わりに襲ってきた。


 虫達が去った時、腹を満たした時、残されたエクランドスの顔は醜く何倍にも膨れあがり原型などなく、衣服の下も水死体のように膨れていた。ただ幸い、レウルシルはまだそこまで鬼ではなく、彼を刺した虫の毒は致死に至るものではなく、せいぜい一日、それも数多く刺されれば酷く痛む程度のものだ。


 白い乳牛レウルシルの教育は厳しい。


 その気性と徹底は、見るも無残なレウルシルを見かねた乳兄弟の妹、グインネイヴの娘ユカタチが慌てて駆けよろうとした姿を鼻息一つで吹き飛ばしてしまうほどだ。


「母よ!私の不出来はお叱りになられるのもごもっとも!しかしユカタチをーー」


 あまりにも醜い姿へ変わったエクランドスは、痛む四肢と足裏で王家の庭の草と地を確かに踏みしめ、吹き飛ばされたユカタチの元へと寄った。


「ーー虐めるのであれば、母と言えども私は許しません!」


 エクランドスは、土のついたユカタチの顔を彼の衣服の袖で拭いた。しかしなかなか落ちない。それもそうだ、彼女の肌は母グインネイヴの美しい褐色の肌を受け継いでいるのだ。汚れは最初の一撫でで落ち、後の汚れと思い込んでいるものは彼女の地肌である。


「落ちないな。酷く汚れた顔だ」


 あまりにも失礼なエクランドスに、遂にユカタチは怒り、その頭を焼いた土よりも硬い拳で殴り、王家の庭に沈めた。

 

 悲しいことに、エクランドスはこの中で唯一の男児、そして最も弱い男児であった。


「母よ。私はどうしてこんなにも弱いのだろうか」

 

 エクランドスは泣いた。それは涙を流さない男泣きであった。上の兄、イフィニアス、ペルタンダスとは比べるまでもなく彼は弱かった。それが酷く悲しかった。


「私は無力だ」


 槍でも弓でも兄らに勝てず、王であり父アレイポラスの指先にもなれない程度の力しかないのだ。そしてそれを、エクランドスは自覚していて、母らや乳妹ユカタチも今以上を求めていない。エクランドスはそれが何よりも苦しくて仕方なかった。何よりも許せないことだった。


 そんな、無力なエクランドスに声がかけられた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 主人公がこの先どう動いていくかなど今後の展開が楽しみです。ブックマークに登録させていただきました。今後とも執筆頑張って下さいませ。
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