第四話『文字の力学的作用』-4-
死体に咒を施した律法学者についての情報は集まらない。どの神の力学なのか、何に起源をもつ文字系統なのかも。誰も知らない不愉快な神秘だ。エクランドスであれば文字にしなくても内心、吐き捨てていることだろう。だがこれは見方によっては不幸ではなく、『極めて好ましい』ことでもあるのだ。
(知らない文字、か。テレパチオンめ下手な嘘をついたものだ。咒の文字は絶対に『同じ文字を使うというのに。知らない文字ということはありえない。そして優秀なテレパチオンが、私が咒に何も知らないと思い込んでいるわけがない。つまりサリサス人の死体に咒を刻んだのは、『共和国として知らせたくない人物が関わっている』ということだ)
厄介なことになっていた。つまりそれは、神殿勢力であり民衆勢力であることを意味していた。ペルタンダスは、自分に訪れる避け難い死に肩を掴まれた、そんな気がした。
だが今はその、嫌なものを振り払おう。最後の共和国への奉公になるかもしれない、サリサス人の棘をどうにかする。エクランドスはそれだけを考えていてくれれば……ペルタンダスは振り切った。
サリサス人の子育て戦争というが、実態は大戦に等しい。必要のない規模の殺し合いなのではない。サリサス人全てが殺しあうのだから、大規模な人口抑制に繋がる。痩せた氷のこの土地だけでは、毎年多くのサリサス人を冬越えさせるだけの物はない何もないのだ。もしサリサス人が一定の数を越えれば、それは周辺各国の災禍と変わるのは目に見えているのだ。だからこそ、サリサス人の数を減らせる律法学者の人形刻みの方法は共和国の人間としては好ましい成果を出していると見ることもできた。死体になっても殺しあうのだ。死体は生かすことなどはしない。死は伝染する。
咒と言えば、とペルタンダスは思い出した。民衆評議会の動きが怪しいのだ。王家の排除は評議会の悲願でもある王権の完全な停止と排除は伝統でさえあるが、明白に軍備を拡大して、王家の軍団を拘束し始めていた。勝手に軍団を動かせば越権として、率いる王族を処刑するだろう。叛乱を起こしたと罪を作ればいい。そしてそれに、第Ⅱ軍団は覚悟を飲み込み動かざるをえなかった。列強の一角である王国とあまりにも近すぎる故に、越境攻撃を許していたからだ。王家の第Ⅱ軍団の兵力供給地でもある、都会から見れば野蛮と思われる民族の危機だった。
ペルタンダスは全てを捨てた。自らの命もだ。そして第Ⅱ軍団にも捨てさせた。非常態勢へ予備役を動員して肥大化した軍団を動かし、王国軍の迎撃へと駒を進めることを、決意していた。
テレパチオンは上手くやるだろう。西方の心配は今は忘れよう。『小競り合い』が頻発している。王国の越境だ。弟とサリサス人問題で動いている男を頭から追い出したペルタンダスは、眼下で始まろうとしている戦場に思考を切り替えた。
「王国の黒弓隊を相手にまともに打ち合おうなんてするな!下馬してから射るんだ。臼砲を前へ、馬を静かにさせろ。銃の信頼は初弾だけだ、充分に引き付けよ」
ペルタンダスの指示が戦場を飛ぶ。雪草をかき分けていた八脚馬が雪に半ば沈みながら、第Ⅱ軍団の兵士が、ソリのついた臼砲を引っ張る。導火線に火をつけられた炸裂弾が、押し固めた褐色火薬で飛ぶ兵器だ。立て続く砲声が、炸裂弾を王国軍の斥候に降り注いだ。空中デモ消えずに燃える導火線の時限信管により、王国軍頭上に火の華と破片が巻き散る。白い雪原が、黒く、赤く。数百の小勢同士の戦いだ。大会戦ではない、ないが、だからこそペルタンダスにとっては面白くない死闘に巻き込まれた。鉄矢と鉛玉が激しく飛び交い、痛みをばら撒いた。
「咒式の誘導矢がくるぞ。盾兵、貫通させるな!」
遥か地平、黒い、小さな人影から何かが無数に飛び立つ。それは複雑な軌跡を抱きながら、一本として散らばることもなく、一つの巨大な鉄槌となって第Ⅱ軍団へと襲いかかってきた。存在の重圧が、盾兵として前に立つ軽歩兵を圧殺に来た。
「咒なんぞ、現実を歪めるものでしかないというのに」
重量馬の鞍に乗りながら、ペルタンダスは遠眼鏡を覗く。牙だらけの兎騎兵が、猫の手のような矛を持って騎兵突入の機会をうかがっている。好機を見つければ、第Ⅱ軍団を踏み潰すために雪原を疾駆することだろう。斥候には重い編成だ。ペルタンダスは、ギリギリと歯を食いしばる。黒弓隊に、兎騎兵と翼の生えた投槍の軽歩兵だ。完全に雪越えの装備を完備している。第Ⅰ軍団が担当していたら抜かれていたな、ペルタンダスは自分の軍団に対する自信を鼓舞しながら兵士を激励した。激励が必要だったのだ。
単なる小競り合いだ。
戦いは、日が暮れる前に終わった。夜が来る。寒い夜になりそうだった。凍える風が吹き荒れる中でも、極寒に慣れ親しんだ連中の髭が凍ることはない。油壺で暖をとり、酒を喰らいながらも酔わない男たちが歌に戦意に牙を見せている。
「……」
前線基地の深く鋭利なものに囲まれた深部で、ペルタンダスは不快に歪んでいた。手にした酒はまだ、一滴も飲まれてはいない。共和国の首都ククルスニアからわざわざ、戦いが始まった直後に早馬で特使が来たせいだ。ペルタンダスの越権行為を激しく責め立てた。処刑される可能性が極めて高いとも。民衆の安全を脅かすという大罪だ。ペルタンダスは鼻で笑いかけた。何度要請しても、越境で喰われるのは共和国の果てにいる蛮族だけだから、市民の盾を動かしてまで守る道理はないと拒否されていたのに、と。やられたか、とペルタンダスは奥歯を噛み締めた。
「特使殿は、つまりこの私の『越権行為』を咎めるために早急に都へ帰れと。なるほど」
「ペルタンダス王子。時間は有限なのです。はい、今日中に、この夜にでも貴方は最高裁判所への出頭へ努力するべきです」
「……」
いまかいまかと、器に注がれる前の壺をペルタンダスは持ち続けていた。入れそびれていたからだ。だが今それは、ペルタンダスの握力に屈して粉々に砕け散った。酒の気に混じって、甘い香りが満ちた。
此度の出陣は、王権に許された範囲での治安行動だ。要請に従い出陣、略奪もない、徴兵もない、自前の第Ⅱ軍団だけで全ての血を飲んだ。だがそれさえも、律法の解釈においては『許された許されないこと』にできるのだ。
出頭するべきだろうか?そこでペルタンダスは頭を振った。自分は何を考えているのか、と。やましいことは何もないのだ。正当に訴えればいい。それで全てが解決するのだ。もし、拒否したらどうなる。悪戯に疑惑を深めてしまう。誠実であれば、真っ当な評価を必ず受けられると信じているわけでもなかったが、ペルタンダスはそうあろうとした。
「特使殿ーー」
火薬の匂い?ペルタンダスの、寒さで赤くなった鼻が嗅ぎ分けた瞬間、銃声が轟いた。




