第四話『文字の力学的作用』-1-
戦争、戦争だ。
サリサス人の内乱ということになる。子育ての土地をめぐって殺しあうということなのだ。そうやって、戦い、生き延び、命を繋いできた。共和国はその争いを、一度も止めようとはしなかった。だが、王子エクランドスが、残酷な、そしてそうあるべき自然淘汰の歯車に噛みつかれた。止めようと痛みを受け入れたのだ。
「紙が高いとはいえ、雪を掘り返して土を練るのは辛いな……」
「外の糞爺どもを使えばよろしいのでは?」
「テレパチオン、今のは口が汚なすぎるぞ」
エクランドスは信じられないものを聞いたような顔を浮かべ、しかしテレパチオンは軽い反応で、
「そうでした。ご容赦を、王子エクランドス」
「許そう、王家の信頼厚いテレパチオン」
伝書竜が背負った小さな粘土板には、細かな文字が狭しと固められていた。助力を求めたいから、状況を細かく伝えているのだろう。その粘土板の差出人は、エクランドスだ。テレパチオンは伝書竜の顎を撫で、空へと放った。例え雪が刃となる風の中でも伝書竜は運んでくれるだろう。方々の部族に熱烈な恋文というわけではないが、情熱はそれに近いものあった。実際、いくつかの返信には明らかに何かそういうことを期待した、抱いたものがあるのだ。サリサス人は意外と、慣れていないのか率直に感情をぶつけると驚くほど素直に答えてくれていた。心ない一文でも、それは心がありすぎるからなのだ。筆マメなエクランドスの、お手紙外交は直接対面すれば嘴を突き合わせがちなサリサス人の中にあって、彼の想像以上にうまくいっていた。うまく行きすぎて、ひがないちにち文字を刻んでいた。
「上手く回るほど次に困るのは贅沢か」
エクランドスは第Ⅲ軍団の価値の扱いに振り回されていた。悩んでいる。決断を迷っている。辛辣に考えれば、その迷いの瞬間だけ、時間をかける為に命が死後の世界へと流れている。戦争は始まっていて、戦争はまだ終わっていないからだ。サリサス人の感触としては、第Ⅲ軍団の存在は悪くなさそうだった。だがだからといって、子育て戦争が沈静化しているわけではなく、次の一手が必要だ。
魚と黄金手。
第Ⅲ軍団の軍団旗だが、その意味をテレパチオンは知らなかった。古い顔馴染みどもが最後の奉公と、すっかり傷とシワが刻まれた肌で曲がった背筋を叩きている。老体だ。だが、その体に刻まれている『記憶の文字』その積み重ねは、咒の律法にいたろうとしている。
つまるところ宗教、神に帰結する、してしまうとテレパチオンは考えていた。神とは願いであり、至る人であるからだ。だがもし人間が『そこに至ったとき』何が起こるのか。彼の最後の奉公とはやはり、利己的である利他主義なのだ。
サリサス人の土地にも神がいる。神とは信仰の形なのだ。絶対性はない。それ故に何処へでも生まれることがある。例えこの世界からあらゆる神秘と奇蹟が失われるような世界に変わろうとも、その時代の神が生まれることだろう。コンクリートと火と光に囲まれた世界に成り代わろうとも、神は必ず産まれる。逆にそれは人間が求めるからだ。神という何かは時代も世界も名前さえも飛び越えて繋がりえる。今は神と共存し、依存している。だが未来ではもしかしたら神を拒絶するだろうか。それは人間が主導を持つことだ。
「テレパチオン。サリサス人の様子が気になる。ちょっと出てくるぞ。南西に歩いて四日ばかしのところにいるから覚えておけ」
「テレパチオン。王子様から目を離すな。あれが塞いでいる。老木でもわかるぞ、お前は何を見ているんだ。孫同然のあれを虐めるな」
「テレパチオン。山賊どもの威勢が良すぎる。猟犬が腹一杯で樽になっているぞ。少し考える必要があるな」
「テレパチオン。霊峰が見ている」
「テレパチオン」「テレパチオン」「テレパチオン」
テレパチオンは「ふぅ……」とガラにもなく息を吐いていた。苦労には慣れているが、疲れないというわけではないのだ。第Ⅲ軍団の運用に不慣れな王子エクランドスの補佐になることが、そもそも苦労以外のなにがあるとも考えていたりするので、疲労は軽いほうだ。
息抜きに、湯を注いだカップにカカオの粉末を溶かした。本当なら紙で濾すところだが、擂鉢で砕いて直接だ。ドロリとした甘みが喉を流れていく。
燃料も嗜好品も、充分以上の備えが準備されている。補給基地への査察も兼ねていたが、能力も補給品の管理にも問題がなかったことに、テレパチオンは安堵していた。横流しはどこにもであるものだ。
「……」
あまり褒められたことではないが、テレパチオンは、エクランドスが方々に送る粘土板を読んでいた。紙のほうが軽いが、粘土板も大きさ次第では鳥が運んでくれる。伝書竜なら軽々だ。いくつかは『許嫁殿』への文だ。これは厳重にかつ確実に運ばせようと、テレパチオンは最精鋭の伝書竜に特命相当で預けた。好いた相手から何も届かなくなるのは寂しいものだ。テレパチオンと同じく煤けた隻眼の伝書竜は気負ったものもなく、つまらなそうに溜め息を吐きながら舞い上がった。
アレイポラス王に送る粘土板には、エクランドスにどこまでの裁量権があるのかの確認を。またいくつかの粘土板には、各地の有力な部族を通じてサリサス人の首長、あるいは族長に調停の場を用意する文を。それとは別に私信として、ユカタチに送る文もまだいくつかだ。これも件の精鋭に任せなければ、一通ではなかったか。
筆マメだ、とテレパチオンは思った。そういえば彼の知る、イフィニアスやアレイポラスⅧ世も筆マメであることに気がつき、王家とはそういうものなのかも知れないと考えていた。何年、何十年、その文字は残り続けるのだろうか。文字の記憶に思いを寄せる自分がいることに気がつき、テレパチオンは可笑しくなった。だがきっと、長い時間を残るのだろう。きっと笑い話、残したくない話ほど残るのだ。それがおかしかった。
「星か」
深い夜の中での火守りの番は退屈だ。テレパチオンは、パチパチと転がった『燃える燃料を素手で戻した』が、そんなことよりも流れ星が降った。宮廷学者は隕石が熱をもって燃えると科学に基づいた見解だが、もう少し信心ある人間だとそれは、魔女がこの世界に来た火であり、災厄の塊の来訪であり、幸運を振りまく気紛れな種子だったりする。
テレパチオンにとってはーー。




