第三話『神の不在』-5-
サリサス人の彼女は、煌びやかな装飾で着飾っていた。その衣服は一目で、手間と素材に惜しみをかけず、またかけるべきではないという考えが読み取れるだろう。とても高貴であり、資産を身につける傾向があるサリサス人の文化でも特にお金持ちで裕福な家の出身であることは明白だ。
大地が切り裂かれた岩場の割れ目に、彼女は滑り込む。ケツァル族の子育て中の別荘なのだろう。あるいは、要塞か砦だ。
「穴の中に住んでいるのですね」
「夏の間の仮住まいですけどね」
雨風をしのげる、岸壁が顎門を開いたような岩場には砂の浜が広がり、そして何万というサリサス人が集まっていた。第Ⅲ軍団が招かれたのは、ケツァル族のコロニーだ。翼の生えた小さな子供たちが騒がしく待っていた。声は反射して、凄まじい。
さしもの第Ⅲ軍団の精鋭も眉をしかめたが、エクランドスは気にしなかった。
油を燃やしているわけでもないのに明かりがあるのは、ヒカリゴケをむしってあちこち植えているからのようだ。淡い青の生体発光が、洞窟を照らしている。それは、幻想的な光景だった。
「あれは……」
エクランドスは、老若が一緒に、巨大な柱を掘っている姿を見つけた。
「トーテムですよ、王子エクランドス。知りませんか?」
「実物は初めて見ました。ということは、あれに彫られた物語があるのでしょうか」
「勿論、そうですよ。今年、私たちがここにいた証でもありますからね」
ケツァル族のトーテムは、律法に従って建造される。だがそれは共和国の律法とは当然違うものだ。神とそれにまつわるものが、図形や抽象化された生き物として表現するのだ。トーテムを作る人間、トーテムの記憶の数だけ形は色々だ。
「さて」
スリアラムシュの娘ピッラムが、どかりと尻を落とした。エクランドスも誘いに乗り、尻が汚れることを忘れて対等に正面に座った。柔らかな砂のおかげで固さはあまりない。
だが、空気が張り詰めた。アレイポラス王の息子という名前ではあっても、エクランドスという名前の王子がそれ以下に命じることが神託と同じように聞き取られることはない。ピッラムもまたスリアラムシュの娘としての立場があるのだ。
話せるのか?
エクランドスの内心では、人に見えない汗をかいていた。それはピッラムという、迷いのない女に全て見抜かれていると不安にさせた。未熟ゆえに相手が全て優れているのではないか、全て無駄なことをやっているのではないかと思い込む病だ。不安は恐れを呼び寄せ、恐れは体を固くし緊張を目覚めさせる。
エクランドスの側につかえる軍団兵もテレパチオンも、全てを彼に負担させるだろう。彼らは手助けを出すことはない。
「王の会話となるのかな?」
ピッラムから話題を切り出された。
「緊張しないでくれ。見れば、私と貴方は同じ歳くらいだろうか。兄でも弟でもない関係というのは不思議な感覚だ」
「私もだ、スリアラムシュの娘ピッラム。姉でも妹でもない対等な乙女殿」
敬語がーー抜けた。言葉を変えるということは、立場を変えるということ、認識を変えるということだ。また言葉が異なるものになればまた、それに乗る力学も変わる。今、エクランドスとピッラムは初対面とは違う、違わなければいけない言葉をまじわした。
「子育て戦争の被害を小さくするには、つまり先程話した『外から来たサリサス人を排除』すれば解決すると考えていいのか」
「いや、無駄だ。『私たち自身がどの部族が外から来たのかわからない』のだからな」
「私がアレイポラス王の名でやるべきこと、任せられたことは、この地に過剰な死がある事実を正すこと。子育て戦争による血の流れを止めたい」
「笑止と言うのだろう。お前たちがサリサス人と乱暴に纏めた我々は、過去、そして今、そして未来も殺しあう。お前たちは自分たちに被害がでたから私たちに干渉しているだけなのだろう?でなければ、これまでの戦争に心を痛めながら見捨てていたということになるが、王子エクランドスはどう考えているのだ」
アレイポラス王は今まで、どの王もサリサス人の子育て戦争を止めようなどとはなかった。絶対王政から共和制の立憲君主の中でも何も変わってはいない。少なくとも、エクランドスの記憶ではそんなことはなかった。サリサス人の、辺境種族の問題であって、数が減ってくれることはそれはそれで都合が良いことだからだ。
「部族が何であろうが、結局のところそれは大差がない。我々の闘争は激化しただろうが、しかしもしエクランドスがこの地で我々に言葉を届けたいなら、何も違いはない解決策しかない。倒し、群れに組み込む。全てを倒し覇者となれば群れは長を無視してなにもかも自由とはいかない」
エクランドスに翼はない。ピッラムには翼がある。この差は大きなものだ。大きすぎる差なのだ。だがエクランドスには、初めからそんな考えは抜け落ちていたのだろう。
「ケツァル族以外は、ことごとく滅ぼさなければ戦争は止まらない、と」
「サリサス人と呼ばれている、そういうものは、この土地にいるからそう呼ばれる。伴侶はサリサス人以外から見つければいい。私たちが唯一のサリサス人となれば、適当な場所で半分ずつ血をわければ血筋は保つ。だがそれにはサリサスの軛がある」
「サリサスの軛?」
「我々が私たちではないという矛盾だ」
どうすればよいのだろうか。
エクランドスは悩みに沈んでいた。ピッラムの言うことを全て呑むことは不可能だ。そして彼女が言う通り、サリサス人はたった一つの部族ではない。ケツァル族と偶然に先に出会ったから、ケツァル族につくのか。それ以外を滅ぼすのか。
第Ⅲ軍団は、禿げと白髪の老骨だ。最古参で歴戦の敗残兵の爺様がたは忠誠心のみで余命を生きていると過言ではない。やれと言われれば、老い先短い命を今日と定めるだろう。だが、『できてしまうからこそ』エクランドスの言葉は、口は重くあるべきなのだ。
サリサス人のこの土地に、絶対の神はいないのだから……。




