第三話『神の不在』-4-
サリサス人とは、有翼人の部族総称だ。翼手肢を腰に、あるいは四肢を翼に進化している。軽快な二翼種と、重厚な四翼種に大別される。この翼手は飾りではなく、サリサス人は空を自由に飛べるのだ。
蛮族、あるいは辺境種族と都市圏の街や村の人間に言われている。それは単に野蛮だからなのではなく、種として多くの『違い』があるからだ。同じ人間だが、人間とは分類学上で単一を示すものではありえず、多様な人間が存在している。話し、文化をもち、時に交雑もする『異種』なのだ。
異なるとは、恐ろしいのだ。
エクランドスはサリサス人の土地に立った。みずからの、となる予定の第Ⅲ軍団の老新兵たちと馬と犬を引き連れて。
「アレイポラス王の三番めの息子、エクランドスだ」
エクランドスは声を張り上げた。声の大きさは、王家として割と重要なのだ。見ためと耳に心地よいかも大切だ。中身はあまり重要視されないので、上手い仮面を作れば人気者とエクランドスは教えられた。イフィニアスとペルタンダスにだ。それを初めて聞いたエクランドスは、二人の兄が少し怖くなったことがある。
ーーそれは置いて。
エクランドスが接触したのはサリサス人、ケツァル族だ。彼が呼びかけたケツァル族の面々は投げ矢の先端こそ向けては持ってはいないが、羽ばたき大きく、決して地上には降りてはこない。警戒しているのだ。王家の人間を相手にしても、ケツァル族に遠慮はなかったし、またエクランドスも期待してはいなかった。
そもそも、ケツァル族を含めてサリサス人は共和国に帰属しているわけではない。他のどの国にも属さない民族として、あるいは種族として国境をまたぐことを国際社会が黙認している。
サリサス人全てを敵にまわすということは、完全徴兵制の共和国の最大動員した戦力でも足りない。膨大な数、そして空中機動を発揮する恐るべき種族だった時代もあるのだ。サリサス人同士が激しく争い、皮肉にも最大の敵はサリサス人自身であるからこそ、比較的平穏に交易ができているとも言える。
なにせ伝承では、サリサス人に助力を請う王が、サリサス人に殺されて帰ってきたということもあるからだ。
盾を持つ軍団兵が、エクランドスの背後に控えている。まばたきの間に位置を入れ替える力がある。それはサリサス人の投げ矢が降るよりも速い。だからこそエクランドスは、信頼を知る安全の中で声を張った。
信頼があるから立っている。
それもあるが、エクランドスの心にあるのは第Ⅲ軍団に参加した兵士に対する信頼だけではない。彼はサリサス人を恐れる。だが同時に、そして確かに、サリサス人を共和国の市民と同じ兄弟と見ているのだ。
エクランドスは、共存を根にする主観を持っている。弱者を助け、隣人と協力しあう。狭窄な即物の視座ではなく、まだ見ぬ将来と子供たちのためにこそ立つべきであるという哲学を思索している。
アレイポラスⅧ世に彼をサリサス人問題へ派遣させたのは、そんな考えであることを知られていたからなのかもしれない。
「もう一度名乗る!我が名はエクランドス。雪と砂の風を追い抜くサリサス人の一血の耳に、知らぬという言葉がないことを祈る」
羽音が風を起こした。エクランドスの髪を揺らし、肌を撫であげ、鼻先をこする。速い……鳥ではない何かが空を影させた。サリサス人、有翼の兄弟達だ。
「ケツァル族、スリアラムシュの四番めの娘ピッラム!」
舞い上げられた土埃が、エクランドスの目に入った。痛み、涙で滲む視界。しかし彼は目を閉じることはなく、翼をもつ隣人から目を逸らすことなくこれを見据えた。彼女の鉤の足が、エクランドスの前にある地を掴む。
王子の眼前に立つ、しかし軍団の誰もがだからと前に出ることはなかった。不動を守り、彼らもまたエクランドスを信じていた。エクランドスのサリサス人に対する尊重があった。決して腑抜けることのない意志の硬さが共和国だけでなく、サリサス人にも向いていることへの信頼だ。
敵意がないばかりか、尊重されている。サリサス人が気がついたのか、他のケツァル族の面々も、バラバラと地上へと降りる。だが全員ではなかった。四分の一は、どこかへと飛び去った。
「私エクランドスとピッラムの話し合いの席をここに設けたこと、まずは感謝から入るのは、時間を無駄にするとお考えになられるだろうか」
エクランドスはみずからの手で、ピッラムと名乗る女サリサスに贈り物を渡した。資産を共有するサリサス人の文化では、気っ風の良さは大きな美徳だ。彼は両手いっぱいの嗜好品を見せる。
ピッラムは驚きの顔を隠しもせずに、そして喜びを隠しもしなかった。
「いえ、感謝の気持ちを確かに。しかし、この場所での時間は限られているのでご理解ください。本題を」
「ならば率直に切り出そう。子育て戦争の激化を、我々が傍観するにはあまりにも規模が拡大しすぎているぞ。血を流しすぎだ」
「やはりですか。大方の想像はついていました。外れることもそうはありませんが」
ピッラムは深く息を吐きながら、
「少々面倒な事態が重なっているのです」
「面倒、ですか。ピッラム」
ちらり、エクランドスの頭には咒がよぎった。哀れなサリサス人の戦士の慣れ果て姿もだ。
「知ってのとおり、サリサス人はサリサス人と纏められるが、私たちは誰一人としてサリサス人などとは考えていない」
エクランドスは頷き、
「外の人間が、有翼の人間につけただけの名前ですから、たしかにそうなのでしょう」
「えぇ、三番めのエクランドス。厄介なことと言うのは、サリサス人がこの地にいても、全てが変わらない一族だけではないということです。貴方の生い立ちくらいには厄介なのですよ、三番め」
サリサス人であるが、サリサス人として含まれてはいない、いなかったサリサス人。そこでエクランドスの勘が輝いて、
「他部族が侵入したのですか」
サリサス人の越境は基本的に黙認されていた。元々が渡りの性格の部族もいるのだ。季節で大移動を繰り返す者らに、定住の規則を嵌めることを諦めているとも言える。だが、まさかサリサス人が入れ替わろうとしているなどありえるのだろうか?エクランドスが疑念を抱いた。




