第三話『神の不在』-3-
風に運ばれて……火薬の匂いだ。青草に混じり、焼け焦げるそれに鼻は自然とシワを寄せていた。エクランドスの嗅いだことのあるその匂いは、何度も王家の庭の大実験で生まれたものと同じなのだ。
「王子エクランドス。音が何かわかるでしょうか」
「試しているな、テレパチオン」
第Ⅲ軍団の全員を下馬させ、銃を構えて備えさせるエクランドス。腰が痛い、眠いと小言がありながらも動きは素早く、目線がまったく腑抜けていない。フリントを起こした銃が、兵士が周囲へ目を配る。だが、口と鼻に覆いをしなければならない煤混じりの小雪のせいで視界は悪かった。
「よく嗅ぎ分けられたものです。こうも舞っているものが多いというのに」
テレパチオンの素直な感想が聞けた。
「斥候、前へ」
早馬の軍団兵が威勢よく飛び出す。帰ってきた。
「一戦交えた後のようです」
果たしてエクランドスが見たのは、戦場と、すでに勝敗を終えた戦場跡だ。黒焦げた塊と、桃色の肉が露出したヒトガタがさまよい、色とりどりの焦げていない羽毛や、また黒く変わりはてた羽毛が散っている。
「サリサス人の小競り合いで間違いないようです」
「あんな死体が歩いているのは初めて見たぞ、テレパチオン」
「死体があるからこそ、戦場処理には気をつけて……」
テレパチオンが何かを言いかけて、
「いえ、咒が刻まれています」
焼け焦げた、欠損した、『歩く何か』に対してテレパチオンが眉をひそめた。エクランドスにはその理由がわからない。だが鼻を曲げるような、『人間が焼けた臭い』に集中が乱された。それが歩いているのならば、なおさらだ。
「死体を歩かせる律法学者がいると」
「わかりません。学者でなくとも文字は刻むことが可能です。死後に力学が裏返り歩いたか、あるいは罠として刻んだのか。どちらにせよ、咒に刻んだ文字はサリサス人ではありません。彼らには、律法を文字にする習慣はありません。なぜならーー」
「ーーサリサス人の律法とは大自然の母のみか。遮ってすまないな、テレパチオン。だがアレがくるぞ」
「ご容赦を、王子エクランドス。軍団兵に命令を出すべきでしょう。起きた者をどうするのか、ご決断を」
「……」
命令。
エクランドスは、僅かに躊躇った。だが、すぐに命じた。「撃ち殺せ」とだ。命令は速やかに実行された。褐色火薬の燃焼が押し出した、鉛玉はライフリングで真っ直ぐの軌跡を描き切り、起き上がった死者でサリサス人を完全に破壊した。大口径の銃弾は着弾の衝撃でキノコのように変形し、情け容赦なき打撃で骨を砕き四肢を吹き飛ばした。
「テレパチオン!」
「はっ」
「我々か、あるいは他国の律法学者が、我々の民であるサリサス人に、このような醜い働きをさせたのだな」
「律法学者の文字が使われています。ですが必ずしも律法にたずさわるものとはかぎりません。貴方のように」
「いい答えだ。そう、律法学者とはかぎらない。だが私は、この哀れなサリサス人の戦士に無様をさせるために文字を刻んだ者を許さないだろう。そして下手人は、我々の先に、戦場で蜜を吸っている可能性が高い」
「なぜでしょうか、王子エクランドス」
「勘だ。意味もなくサリサス人を使わず、意味があってサリサス人に付いているのなら、まだサリサス人にいるかもしれないと考えたまでのことだ」
エクランドスは倒れたサリサス人の遺体、これを仕向けた者に対して怒りに震えた。咒を刻んで新しい律法の力学をかける……終わるべき物語は終わらせるべきなのだ。起き上がる死者は勇者だけでいい。
「やはり、サリサス人も銃を使うのだな」
火薬の匂いの元を、エクランドスは見た。鍛造された鉄の筒に、木製の肩当てが付いている武器だ。検分すれば、それが黒色火薬の燃焼により発生したガスが、この筒に押し込まれた弾を押しだす銃であることがわかった。それだけだが、弓のように弦の弾力を使わない、個人が持つ武器としては圧倒的に特殊なものだ。
なぜならば火薬に消費する硝石は、王家の庭に作られた『穢らわしくおぞましい丘』以外では極めて限定的なのだ。しかしサリサス人が持つ銃手には誰もが、潤沢な火薬をぶら下げていた。分析しないことにはわからないが、恐らくは共和国の火薬とは配合が違うはずだ、とエクランドスは推測した。
「翼人の腕は特殊ですから、投げ矢以外ではそう使えるものはありません。弓は力が必要ですから」
エクランドスは弓の難しさを身をもって知っていた。弓の名手であるペルタンダスに追いつこうと無茶をして、腕が壊れかけたことはあるのだ。壊さないようにと、彼は火薬式の銃の改良を繰り返しているわけだ。
「未来に足を運ぶうえでは純粋でいられなくなる、か」
軍団兵のシワの寄る肌で片付けられる屍骸には、手足を鉛玉で吹き飛ばされたのであろうサリサス人が多くいた。あるいは、頭を顎だけ残して消えたものも。
(時代……時代か)
エクランドスの胸中では、去年と同じように美しい花が咲いたと花見する人々を思い出していた。去年と変わらないように。来年は花がつかないとは考えない。過去を繰り返すことを望み純粋さだ。それは未来を案じているようで、見てはいない。純粋さの影が、未来を閉ざす、そういうこともありえるのだろうか。
エクランドスには、難しい疑問であり、答えがまだわからなかった。わからないのだ。だからこそ、彼はその口を開くことなくつぐんだ。




