コンタールの診療所
コンタールの町の診療所は商店街の手前にある。ベナード隊の隊舎より一回り小さなその建物には、医者が一人と助手が三人。いくらコンタールが小さな町であっても、町中の怪我人や病人が集う場所だ、それを四人で回すとなると、それは忙しいと同意語である。
コンタールは他の町と比べると怪我人等は少ない方である。これには昔のコンタールに医者がいなかった事も起因してる。医者がいないため下手に大きな怪我は出来ない。命に関わるからだ。そして重い病気になれば、王都などの大きな町に移住する者も少なくはなかった。
今はというと、腕の良い女医がやって来たため、皆が安心して――という言い方はおかしいが――怪我が出来るようになった。
なのだが、やって来た女医が大層美人である事で、別の問題が発生している。
「てめぇふざけんな! 俺が先だ!」
「うるせぇ! 早い者勝ちだってんだ!」
セレッソの目の前では、そんな大喧嘩をする冒険者がいた。年齢はアベートやサウセくらいだろうか。大した怪我をしているようには見えない二人は、診療所の中で言い争いをしている。
彼らの目的は女医に自分の怪我を診て貰う事だった。ぎゃあぎゃあと賑やかな二人に、セレッソ達は揃って目を丸くした。若干呆れの色も混ざっている。だってここは診療所で、怪我人や病人が集う場所なのだ。そんな場所で大騒ぎをするなど御法度である。まぁそれでも取っ組み合いの手前で止まっているので、ここが診療所だという認識は持っているのだろう。
「ねぇ、これって放っておいて良いの?」
「良くはありませんわね……マルグリートさん達は下がっていて下さいな、下手に手を出すと飛び火しますわ」
少し考えた後、セレッソはマルグリートにお見舞い用のシュークリームの包みを一つ手渡すと、もう一つを持ったまま冒険者達の方へと進み出た。
こういう手合いに何か言っても逆効果なのは知っている。だからコラソン亭での騒ぎの時はセレッソはミルクティーで気を逸らしたのだ。だが、今はミルクティーはない。ならばどうするか。
――――シュークリームがあるではないか。
セレッソはシュークリームの包みに手を突っ込むと、中から片手で二つ、それを取り出す。そして小さくなった包みをコートのポケットに突っ込み、空いた手でシュークリームを一つ持った。
右と左、両手にそれぞれシュークリームを持って二人に近づくセレッソは、まるで格闘家のようである。ずん、ずんと戦地へ向かうかのように表情を引き締め、歩くその姿に漢らしさが垣間見える。何とも言えないシュールさに、ピエールは思わず目を擦って、それが見間違いではないか確認した。現実である。
「せいや!」
掛け声まで漢らしかった。セレッソは喧嘩をする二人の口目がけて、シュークリームを突っ込んだ!
突然の乱入者、突然の甘味の攻撃である。ぎょっとした二人が同時にセレッソの方を向き、何か言おうとして――――咽た。
美味しい。だが苦しい。二つの相反する思考に、冒険者達は手をばたつかせ、何かを求めた。
「いす!」
「椅子はこっちですわ!」
意味を正しく取り違えたセレッソが、二人の手を取って椅子に誘導した。
違う、そうではない。冒険者達はそう言いたかったようだが、口いっぱいにシュークリームを頬張っているため話せない。
「はい、お水をどーぞ」
少しして、そこに白衣を着た黒髪の女性がやってきて、水の入ったコップを二人に手渡した。二人は大慌てでそれを受け取り、飲み干した。
そして一息つくと、キッとセレッソを睨む。
「あんた何するんだ、正気か!? いきなりシュークリーム突っ込む意味が分かんねぇよ! 何でシュークリームなんだよ! どこのだよ! 美味かったわ!」
「コラソン亭のシュークリームですわ!」
「どうりで美味いはずだよ!」
「そうでしょう? そしてミルクティーとよく合うんですの。何て素敵なのかしらっ」
冒険者達は顔を真っ赤にして怒っているものの、シュークリームは美味しかったらしい。さすがコラソン亭のシュークリームだ。
甘い物を食べたせいか、それともセレッソの突拍子もない行動に毒気を抜かれたせいか、冒険者達は少し落ち着いた様子だ。それぞれお互いの顔を見て、口についたカスタードクリームを無言で指摘している。
二人がごしごしと口元を拭っていると、もう大丈夫そうだと、見守っていたマルグリート達も近寄って来た。
「――――なんて、わたくしも騒いでしまったから、偉そうな事は言えないですけれど。ここは診療所ですもの、元気な人間こそ、静かにしないとダメですの」
そう言ってセレッソは口の前で人差し指を立てる。静かに、のポーズだ。にこりと微笑むセレッソに、冒険者達は顔を見合わせ顔をかく。
「……悪い」
「わたくしへ、ではなく」
セレッソの言葉に冒険者達は立ち上がり、
「騒いで申し訳ない」
と、周りの患者たちに向かって頭を下げる。それにセレッソも続いた。周りの人々は目を丸くしたが「いいよ」とばかりに小さく笑う。冒険者達もほっと表情を緩ませた。
「うん、よしよし。分かれば良いさ」
その様子を見ていた黒髪の女性が笑って行った。冒険者達は彼女を「クラル先生」と呼んだ。先生、つまりは医者である。クラルと呼ばれた彼女は、この診療所の医者だ。さらりとした長い黒髪と、金色の目をした美女である。
クラルに笑いかけられて、冒険者達が顔を真っ赤に染めた。
「あたしが注意しなければならない所だったんだが、助かったよ。ベナード隊の隊付き作家のお嬢ちゃん」
「いえ、わたくしは……あら? というか、わたくしの事、ご存じで?」
「あんたは良くも悪くも目立つからねぇ。コンタールでは知らない奴の方が少ないさ」
カラカラと笑って言われたセレッソは、うっと言葉に詰まった。良くも悪くも、と評されるあたり、セレッソも大概である。それについての自覚はセレッソにもあるが、改めて言葉にされると、多少は気にするものだ。まぁその言葉通り、多少は、であるが。
「それで、お嬢ちゃんはシュークリームを持ってどうしたんだい? あんたの所の隊長さんはさっき帰ったぞ?」
「あっそうでしたわ! わたくし達、ロシオさんのお見舞いに来たんですの」
ジャンヌの事はイサークに内緒にして欲しいと頼まれているため、人の目がある場所で言葉にするのは避けた。
ロシオの事を言うと、
「ああ、なるほどな。――――リモン君、ロシオ君の様子は?」
クラルは頷いて、奥にいる助手にそう声を掛けた。クラルの声に大柄な女性が顔を覗かせる。実に強そうだ。
リモンと呼ばれた助手の女性はにっと笑って答える。
「元気そうですよ。お昼もちゃんと食べてくれましたから」
「そうか、それは何よりだ。リモン君、申し訳ないが、こちらのお嬢さん達をロシオ君の病室に案内してやってくれ」
「はーい」
リモンにそう頼んで、クラルはセレッソ達を振り返る。セレッソは礼を言って軽く頭を下げると、クラルはひらひらと手を振って、診察室へと戻って行った。
セレッソ達はリモンに案内され、ロシオの病室へと歩く。その道すがらに、セレッソはさり気なくジャンヌの事を尋ねてみたが、返って来た答えは「来ていない」というものだった。
「ジャンヌさん、どこへ行っちゃったんだろうねぇ」
「心配ですよねぇ……」
マルグリートとピエールは心配そうにそう言った。公演を延期した事から見ても、足を捻って診療所へ向かったというのは事実だろうとセレッソは思う。理由を言えば、イサーク一座はその誰もが舞台に対して真剣で、情熱的だ。精霊祭での公演でも、石碑の前で歌っていた時も、ジャンヌは心の底から舞台を楽しみ、そして人々に楽しませようとしているように見えた。
だからこそ診療所に来ていないという事が奇妙なのだ。
怪我の具合がどの程度なのかは分からないが、どの程度であっても無理をすれば酷くはなる。イサーク一座の舞台では、ジャンヌは歌姫であると同時に役者なのだ。歌うだけが彼女の役割ではなかった。怪我を直そうとするならば、医者に診て貰うか安静にしているかのどちらかだろうが、そのどちらでもない。
何故ジャンヌは診療所に顔を出さなかったのか。歩きながらセレッソは考えて、ふと気が付いた。出さなかったのではなく、出せなかったのではないのかと。診療所が普段通りならばジャンヌは顔を出していたのではないかと。そして普段と違うのは、診療所には朝いちでロシオの意識が戻ったと連絡を受けたベナードが来ていた事だった。
「ここがロシオさんの病室ですよ。意識が戻ったばかりですから、あまり無理はさせないで下さいね」
そんな事を考えているとロシオの病室に辿り着いた。
はっとしてセレッソが顔を上げるのと、言い終えたリモンがウィンクをするのは同時だった。戻って行くリモンにセレッソ達は揃って「ありがとうございます」とお礼を言うと、ロシオの病室に向き直る。
そしてコンコンと軽くノックをした。ドアの向こうからは直ぐに「どうぞ」という声が返ってくる。セレッソはとりあえず考える事は横に置いて中に入る事にした。
セレッソが「失礼しますわっ」と言って静かにドアを開けると、ベッドの上で上半身を起こした姿のロシオが見えた。顔に貼られたガーゼや、腕に巻かれた包帯が痛々しい。だがそれとは裏腹にロシオはにこりと笑った。
セレッソが部屋の中へ足を踏み入れると、マルグリートとピエールもそれに続き――――ロシオの姿を見た途端に表情を強張らせた。そして慌てて廊下の方へと身を隠す。驚いてセレッソが振り返ると、二人とも顔が青ざめている。心配して声を掛けようとした時、
「どうしました?」
と、先にロシオがセレッソに声を掛けた。セレッソは一瞬マルグリート達に視線を向けた後、
「……いえ! ベナード隊長がいた気がしたので、婿に! と言おうと思ったのですけれど、別人でしたの。セーフですわ!」
と、誤魔化した。やや強引な言い回しであったが、セレッソがベナードによく求婚しているというのは、コンタールでは馴染みの光景である。ロシオもその様子がするりと浮かんだらしく、
「診療所で叫んだらアウトですよ、セレッソさん」
などと苦笑しながらそう言った。セレッソはニコニコ笑って「それもそうですわね」と答えながら、ドアを閉めるフリをして、敢えてロシオに背を向けた。そしてマルグリート達に向けて、目だけで受付の方を指す。受付で待っていて下さいな、という無言のメッセージだ。二人は小さく頷くと足跡を立てずに歩き出す。遠ざかって行く後ろ姿を見ながら、セレッソはドアを閉めた。
そうした後で、セレッソはもう一度ロシオの方を向いて、近寄る。
「お加減はいかがですか?」
「まぁまぁです。見た目ほど大怪我ではないんですよ。クラル先生のお話では、数日で退院できるそうです」
「それは良かったですわっ! あっ食べ物の制限とかはあります? コラソン亭のシュークリームを持ってきたんですけれど」
コラソン亭のシュークリームと聞いてロシオの目が輝いた。どうやら見舞いの品の選択は正解だったようだ。
ロシオはにこにこ笑い、
「食事制限については特に何も。何かあったとしても、シュークリームがダメだとは言われていないので、有難く頂戴します」
と言った。あるのかないのか、非常にグレーな口ぶりである。だが、まぁ、クラルの目の前でシュークリームを持ち出しても何も言われなかったので、恐らくは大丈夫なのだろう。
セレッソがシュークリームの包みを差し出すと、ロシオは嬉しそうに受け取った。
「何だかすみません。先ほどもベナード隊長とカラバッサさんがお見舞いに来て下さいまして」
「あら、カラバッサさんも?」
どうやらベナードと同じタイミングでカラバッサも来ていたらしい。恐らく、バラバラ訪れるよりは、と合わせたのだろう。
お見舞いではなく、それを口実にした事情聴取だろうが、そこには触れないでおこうとセレッソは思った。
「ええ。入院中は暇だろうからと、本を貸して下さったんですよ」
そう言ってロシオはカラバッサが貸したという本を持ち上げ、セレッソに見せた。セレッソが書いた司書怪盗シリーズの第一巻である。
「セレッソさんが書かれた本なんですよね。読んでみたいと思っていたので、有難いです」
「うふふ、楽しんで頂けると嬉しいですわ」
セレッソは少し照れたように言った。知り合いに自分の本を読んで貰えるというのは、何だかんだで気恥ずかしくはなるらしい。嬉しいのは本当だが。
ロシオは本に目を落とした後「そういえば」と顔を上げた。
「今日はまだお時間がありますか?」
「ええ、大丈夫ですわ」
「良かった。実は例の紙芝居の事でお話が」
ロシオが浮かべていた柔らかな笑顔が、急に不敵なものへと変わる。商人の顔だ。それへ変わったという事は、つまりは商談である。
セレッソは笑顔を浮かべたまま、少し背筋を伸ばした。




