精霊と人の盟約 後編
アルディリアの大災害とは今から三十年前に起きた大雪による自然災害の事だ。
七日七晩降り続けた雪により、アルディリアの町のほとんどが雪の下に埋まり、多くの者が命を落とした。
それが水の精霊の言う『限界を越えた魔力は暴走し、別の形でこの地を覆う』という事ではないかとグルージャは言う。
「でも冬の討伐は毎年行われていたのでは?」
「ああ、確かに冬の討伐は毎年行われているはずだ。普段通り時ならな」
「普段通り……三十年前って確かアルディリアがかなり荒れていた頃だったよね」
「ああ……酷いもんだったよ。その対応に追われて、冒険者も騎士も冬の討伐どころじゃなかったんだろうな」
グルージャは昔を思い出すように遠い目をして言った。
三十年前はセレッソはまだ生まれていないし、ローロは二歳だ。知識としては知っているものの、実際に体験した事はない。
当時の事を体験し、詳しく覚えているのは、今この場ではグルージャだけだった。
「それじゃあ儀式というのは」
『アルディリアを本来の形へ戻すための儀式だ』
「在るがままに魔力を享受する、という事ですのね?」
『そうだ』
問い掛けを肯定して水の精霊は頷く。
アルディリアを本来の形へ戻すという事は、かつての魔力溢れる土地にする、という事だ。
魔力が多い土地になれば人はもちろん、動植物にも影響が出る。
今の世代にどれだけの変化があるかは分からないが、これから生まれてくる世代にはより大きくそれが出るだろう。
グルージャはくらくらする頭を押さえながら、とりあえず考えるのは後回しにして聞きたい事を聞く事にした。
「儀式というのは実際にはどんな事をするんだ?」
『お前達が行うのは、盟約を刻んだ石碑の前で我が王に祈りと歌を捧げ神殿までの道を開く事、我が王の試練に打ち勝つ事だ』
「あー、あれか……ちなみに試練で死ぬなんて事は」
『稀に』
「稀」
つい先ほどしたようなやり取りに、セレッソとローロ、グルージャは思わず噴き出した。
水の精霊は三人が何が面白かったのかは分からなかったが、楽しげなその様を見て表情を少し緩めた。
少しして笑いが治まると、ローロが「うーん」と腕を組んだ。
「でも僕達は石碑の文字は読めない。歴史資料にも載っていないから儀式の事も知らない。それなのにどうして儀式の形になったんだろうね」
「石碑の前で祈りと歌だろ? そんな事……あれ? というか何か最近そんな話がなかったか?」
「最近? 何か事件でもあったっけ?」
「何で事件性が増すんだよ。ある意味事件だけども」
「い、いやぁ、つい癖で……あ! そう言えば、ねぇセレッソ」
「何でしょう?」
「ルシエから聞いたんだけど、石碑の前でイサーク一座の歌姫の臨時公演があったんじゃないの?」
「あ」
ローロに言われ、セレッソが思い出したように目を瞬き、手を合わせた。
「色々あってすっかり忘れていましたわ。祈りはどうかは知りませんけど、歌はありましたのっ」
「マジかよ、聞きたかったわ」
「うふふっ特等席でしたの! ではなくて……わたくし、あの時にあの石碑には歌が刻まれているのだとジャンヌさんに教えて頂きましたし、その時にその歌も聞きましたわ」
セレッソはジャンヌの言葉を思い出しながら言う。
ジャンヌの歌声がセレッソの頭の中に蘇る。澄んだ歌声が紡ぐあの歌は、どこか不思議な響きと美しさを聞く者に与えてくれた。
どんなメロディだったかしら、とセレッソは考える。
あの後の臨時公演で、大勢で歌ったおかげで断片的にしか思い出せない。何とか再現できないかと唸っているセレッソにグルージャが聞き返す。
「あの石碑の文字が読めたのか?」
「はい。あ、でも、ジャンヌさんは読み方しか知らないと仰っていましたけれど」
「意味は知らないってことか……うーむ」
「それと彼女達の拠点のムーシカにも同じ石碑がると言っていましたわ」
『ああ、その辺りにも、我が王の神殿があったはずだ。もっとも儀式は行われてはいても、我が王の在り方を体現する者がいないため、神殿へ辿り着く事は出来なかったようだがな』
セレッソの言葉を引き継ぐように水の精霊がそう教えてくれた。
儀式が行われていた、という事実に、グルージャの頬がひくっと引きつる。
グルージャは眼鏡を押し上げると嫌そうに顔をしかめた。
「何か一気にきな臭い感じの話になって来たな」
「事件性が増すよね」
「まったくだ」
増さない方が良かったがな、と付け加えるグルージャに、ローロは苦笑して肩をすくめる。
それから水の精霊に向かって尋ねた。
「各地に神殿があるという事は、それぞれの神殿がその周囲の土地の魔力を溜めているという認識で良いのかな?」
『ああ、その通りだ。この神殿はコンタールを含めた一定の範囲の魔力を溜めている。ゆえに、魔力が強くなるのはこの周囲だけだ』
「アルディリア全体ではまだ影響は出てないってことか」
グルージャがほっとして息を吐く。
コンタール周辺だけならばまだ手の打ち所があるのだろう。
そうと分かれば話は早いと、グルージャは帰る手立てを探して辺りを見回した。
「とにかく何とかして一度戻らないとな。入り口は綺麗サッパリ消えちまったが、出口はどっかにあるんだろう?」
『ない』
「バッサリ!?」
水の精霊にすげなく否定され、グルージャが目を剥いた。
セレッソとローロも一気に青ざめ、あわあわと辺りを見回す。
「ど、ど、どどうしましょう、非常食とか持っていませんわっ!」
「そこ!? そこなの!?」
「だって食べ物って大事じゃありませんか。そ、そうですわ! 狩り場は! 狩り場は近くにありませんの!?」
『ない。だがまぁ望むのならば、先ほどのような眷族を……』
「ノった!? 待って! 勘弁して下さいお願いします!」
何かをしようと手を動かした水の精霊を見て、ローロが慌てて止める。
水の精霊も意外とノリは良いようだ。
「そうですわっ! 戦闘経験を積めても、食べられはしませんの! 二重の意味で!」
「確かに食べられんわな……」
幾らなんでも恐れ多い、とグルージャが呟いた。
アルディリアでは食事の前に精霊に祈りを捧げる風習がある。
これはアルディリアでは根強く広がっている精霊信仰の考え方に関係している。
この世界のありとあらゆる物には精霊が宿り、精霊が存在するからこそ自然の恵みを享受する事が出来る、というものだ。
一般的には精霊の恵み、と呼ばれている。
セレッソ達も生まれた時から精霊の恵みを享受して生きてきた。
だが、精霊の恵みを享受する事と、精霊をそのまま、という事は全く別の話である。
グルージャの言葉にセレッソは同意するように頷くと、両手でぐっと拳を作り、
「わたくし、やりたい事が山ほどあるんですもの。ここで呑気に死んでいられないですわっ」
と、力強く言った。
セレッソの目的はベナード隊の汚名返上である。隊付き作家になったという一歩を踏み出しただけで、まだまだ先は長いのだ。
だから死なない。自分に出来る限り生き延びる。
そんなセレッソの言葉を聞いて水の精霊は小さく――そしてどこか嬉しそうに――笑った。
『我が王の力により、この神殿は我らに近い場所に作られている。今のお前達では行きも帰りも自力で辿り着くことは出来ぬ』
「か、帰るにはどうすれば? 方法がないなんて言わないよね?」
『方法はある。繋ぐのは石碑だけだ』
そう言うと水の精霊が祭壇の後ろに顔を向ける。
セレッソ達が覗き込んで見れば、そこにはコンタールにあった石碑と同じものがあるのが見えた。
水の精霊がその石碑に向かって右の手のひらを向けると、石碑の文字がゆっくりと光を放ち始める。
三人が石碑に吸い込まれた時と同じである。
帰れるのだと安堵して石碑を見つめるセレッソ達に、水の精霊は心なしかおずおず、と言った様子で声を掛けた。
『……一つ、聞いても良いだろうか?』
「何でしょう?」
『お前達は……アルディリアが魔力に満ちる事を望んではいないのか?』
水の精霊はどう問いかけるか迷ったような間を置いて尋ねた。
セレッソ達は少しだけ考えた後に、各々その問いかけに答える。
「そうですわね……わたくしは今まで通りの現状維持を希望したかった、かもしれませんわね」
「ああ、俺も同意見だ」
「僕もかなぁ」
『ふむ?』
「魔力が強くなるのは便利だと思いますの。今まで出来なかった事が出来るようになって、もっとアルディリアの暮らしが楽になるかもしれませんわっ」
「だがアルディリアにはまだそれを受け入れる土壌が出来てねぇんだ。今じゃ古い時代の言葉もほとんど誰も読めないしな」
「今くらいが今のアルディリアではちょうど良いし、魔法が使えなくても困らないからね」
三人がそれぞれ言う考えを水の精霊は静かに聞いている。
興味深そうに、時々相槌を打ちながら。
そんな水の精霊に向かってセレッソ達は話を続ける。
「自分達の事は自分達で何とかやっていますし、やってきましたもの。自分の手に負えない範囲の事に手は出しませんの」
「グルージャは分かっていたけれど、セレッソも意外と現実的なんだね」
「自分で責任が取れない事をする度胸はありませんわっ」
「つまり、ベナード隊の汚名返上に関しては手が届く範囲と」
「うふふ」
にこにこ笑うセレッソに、グルージャとローロは苦笑した。
ああ、こいつはやるだろうな、という妙な確信を得ながら。
水の精霊は優しげな目でわいわいと賑やかに話す三人を見ながら、
『そうか。我はようやく――――お前達が再び、我らと言葉を交わし、共に生きる事を望んだのだと、思ったのだがな』
と、少しだけ寂しげな表情を浮かべ、そう言った。
「え?」
その言葉に、表情に、思わずセレッソは言葉の意味を聞き返す。
だが水の精霊は応えず、ただ微笑むだけだ。
水の精霊はセレッソ達に『行け』と促すように手を向ける。
すると三人の身体は着た時と同じように石碑に向かって不思議な力で引っ張られ始めた。
『さあ、帰るが良い、我らが王の在り方を体現する者達よ。――――すまなかったな』
最後に聞こえた謝罪の言葉がセレッソの耳の奥に強く残った。
セレッソが水の精霊に何かを言おうとするよりも早く、三人の身体は眩い光を放つ石碑の中に吸い込まれて行った。




