精霊と人の盟約 前編
氷の霊獣が消えた後、広間の奥にあった扉が音を立てて開いた。
『入って来い』と言わんばかりの扉の様子を見るからに、どうやら声の言っていた「我が王の試練」を達成出来たようだ。
セレッソ達はお互いに顔を見合わせ頷くと扉に向かって歩いていった。
一応は用心して、入る前に足を止め、ひょいと中を覗き込む。
扉の向こうは広間と比べて大分小さな部屋となっていた。
「誰もというか、何もいないですわね」
声の主でもいるのかと思っていた三人は少し拍子抜けしたような――それでいてほっとしたような――顔をして、部屋の中へと足を踏み入れた。
部屋は広間をそのまま小さくしたかのような簡素な造りだ。
天井には広間とおなじように天窓があり、そこから三色の光が降っている。
その下に祭壇が一つあった。
シンプルさゆえの神聖さ、と言ったら分かりやすいだろうか。
祭壇には華美な装飾こそされてはいないが、六柱の精霊王を象徴とする淡い六色の石で出来た花がはめ込まれており、静かな美しさを醸し出していた。
「精霊王を祀る祭壇に似ているね」
祭壇を見ながらローロが呟く。
そう、この祭壇はアルディリアの各地にある精霊王や精霊を祀る祭壇ととても良く似ているのだ。
三人が祭壇を近くで見ようと近づこうとした時、不意に天窓から降っていた三色の光が集まり始める。
そして氷の霊獣が出現した時と同じように何かの形を作り始めた。
セレッソ達が思わず身構える。
先ほどが先ほどだ、また妙な事になってはたまらない。
――――だが、そんな三人の心配をよそに、集まった光が作り出したのはセレッソ達と同じような『人』の姿であった。
「ひ、人?」
セレッソが目を瞬く。
見た目は十二、三歳くらいだろうか。
肩で切りそろえられた水色の髪に透き通るような白い肌に、少女とも少年ともとれる中性的な顔立ちをしている。
小柄な身体に纏っているのは装飾の美しい白色のローブで、全体的に華奢な雰囲気が感じられた。
彼、もしくは彼女は、セレッソ達の目の前で青色の目を静かに開き彼女達を見た。
『いいや、我はお前達が精霊と呼ぶ者。我が王たる水の精霊王が眷族――――水の精霊と言う方が、お前達には分かりやすいだろうか』
石碑に吸い込まれた時と、広間で聞いた時に聞いた声で、水の精霊はそう言った。
「水の精霊!? 精霊は人の姿をしていたのか……ですか?」
『自然で構わぬ。 ……この形の事を言っているのならば、違うな。我らに明確な形はない。この姿はお前達が認識しやすいように取ったに過ぎぬよ』
「明確な形はないという事は……もともと空気みたいにふわっとした感じですの?」
「ふわっとって」
セレッソがぱっと浮かんだ言葉を口にすると、思わずグルージャがツッコミを入れた。
ローロなど両手で顔を覆っている。
セレッソが言いたい事は二人にも伝わってはいるが、もう少し言い様がなかったのだろうか、と。
「どうしたんですの、お二人とも?」
「言いたい事は分かったが、もう少し他の言い方があるだろう」
「他の言い方……空気を他の言い方……色がなくて、匂いもしなくて、気配がないみたいな」
「何で悪化するの!?」
他の言い方をと言われて言い換えたセレッソにローロとグルージャが口を揃えた。
確かに間違ってはいない。
空気を別の言い方に換えようとすれば、セレッソが言ったような言葉が出てくるだろう。
間違ってはいないのだが、そういう事ではない。
だがそんな焦る二人をよそに、水の精霊は特に気分を害した訳ではなく『そうだ』と頷いた。
『ふわっとかどうかは我には分からぬが、そのようなものだ。お前達がお前達でなければ、別の形を取っている』
「わたくし達が人だから人の姿に、という事ですの?」
『そうだ』
セレッソの言葉に水の精霊は再び頷く。
彼女達が認識しやすいように人だから人の姿を取ったと水の精霊は言う。
それはつまり、言葉を交わす相手によって姿を選ぶという事だ。
生き物は――――特に人間は自分と異なる姿の相手を警戒する節がある。
神秘の存在であった精霊の合理的な一面にローロは感心したように息を吐いた。
「それにしても、まさか精霊をこの目で見ることが出来るなんて思わなかったなぁ……」
『何を言っている? お前達はいつも目にしていたであろう』
「いつも?」
『お前達が氷の獣と呼んでいる者、それは我らと同じ精霊だ』
「うえ!?」
水の精霊から放り投げられた事実にセレッソ達は雷に打たれたように固まった。
次第にだらだらと冷や汗が流れてくる。
精霊。氷の獣が精霊。
頭の中でぐるぐるとその言葉を渦巻かせながら、三人は立てつけの悪いドアのようにギギギとお互いの顔を見合わせた。
「…………わたくし、精霊を戦斧でガンガン殴っておりましたわ」
「僕も剣でガンガン……というか、さっきのアレももしかしなくてもそうだよね? 足で踏みつけちゃったんだけど……」
「マジか、まさかの本体か。何かしら関係があるもんだとは思っていたが、まんまそうだとは思わなかった」
セレッソ達の脳裏に先日や今までの冬の討伐の記憶が蘇る。
そのせいで三人は遠い目になった。
アルディリアは精霊信仰の強い国で、当然ながらセレッソ達もそうである。
思う所がないはずはなかった。
「次の冬の討伐、普通に出来るかなぁ……」
「他の連中には知らせねぇ方が安全に対処できる気がしてきたぞ」
『お前達が幾らガンガンと殴ろうと足蹴にしようと我らは特に気にはしないが』
「そう仰られても、わたくし達は気にはなりますの……うう、せめて戦いの前後に祈りを捧げたらいいのかしら」
『祈りか、お前達が捧げてくれるというのならば我らとしても拒まぬが……これは予め決められている事だ、問題はない』
水の精霊は淡々とそう言った。
予め決められているとの言葉を聞いて、セレッソは目を瞬く。
「予め決められているって、冬の討伐がですの?」
『そうだが、お前達は何も知らぬまま我らが王の眷族と戦っているのか? ……まぁ、良い』
水の精霊は不思議そうにそう言ったあと、スッと細い両腕を開いた。
そして天を仰ぐと、
『――――盟約は果された。我が王の力を以って、この地を今一度、魔力で満たそう』
と、高らかな声で宣言をする。
その言葉に呼応するように祭壇が突然強い光を放ち始めた。
冬の討伐の際に山に掛かる虹色の輪と同じ色をした光である。
目を開けていられない程に眩い光は一本の光の柱となり、祭壇の上へ、上へと天窓を突き破って真っ直ぐの上って行く。
セレッソ達は何が起こっているのか事態が全く飲み込めずポカンとした顔で、水の精霊は彼女達とは正反対に満足げな顔で、それぞれ光の柱を見上げ続けた。
光の柱が立ってから数分経った後。
粉雪のような光の粒を残して光の柱は消えた。
キラキラと煌めく光の雪の中で呆けていたセレッソ達は、そこでようやく我に返った。
「綺麗でしたけれど、何が起こったんですの? 確か魔力で満たそうって仰っていましたけれど……」
「う、うーん……満たすって事は多分増えるって事じゃないかな。それで増えるって事は強くなるって事だから……魔法が強くなる?」
「あとは魔力を持った獣や植物に変化があるとか、か? セレッソの戦斧みたいに妙な事が起こるかもしれねぇな」
「……それって、不味くありませんか?」
「まだ想像の段階だが、不味いと思うぞ」
グルージャは眉間に皺をよせ、考えるように腕を組んだ。
セレッソの戦斧のような事態が各地で起これば騒ぎになる事は目に見えている。
洒落にならないとグルージャは目を細めた。
ただ騒ぐだけならばまだ良い。だが獣が狂暴化したり、その力を悪用する者達まで出てくれば、命の危険に発展しかねないのだ。
『何を驚いているのか分からぬが、これはお前達が望んだ事であろう?』
水の精霊は難しい顔になった三人を見て不思議そうな声でそう聞いた。
セレッソ達がどうして慌てたり、困惑したりしているのか分からない、と言った様子である。
「え? いえ、わたくし達、特に望んではおりませんわ」
『精霊王に祈りと歌を捧げる儀式を行ったであろう?』
「いえ、特に」
『……?』
セレッソ達も水の精霊も頭の上に疑問符を浮かべ、全員揃って首を傾げた。
お互いに面と向かって話をしているはずなのだが、どうにも会話がズレている。
「何だか話が食い違っていますわね?」
「そもそも最初からどうしてこうなったのかが分からないね」
セレッソが頬に手を当てて言うと、ローロも同意するように頷く。
それを聞いて水の精霊は不可解そうに眉をひそめる。
『最初から分からぬとはどういう意味だ? お前達は我が王と、かつてのお前達の王との間に交わされた盟約を知らぬのか?』
「いや……グルージャは知ってる?」
「俺も聞いたことはねぇな」
『それについて書かれた石碑があるはずだが』
「石碑というと……もしかしてあれか? コンタールの町で俺達が引っ張り込まれたの」
『それだ』
水の精霊が頷く。
コンタールの石碑ならばつい先日、セレッソはルシエから話を聞いたばかりである。
セレッソはルシエから聞いた事を思い出しながら、
「あの石碑はコンタールが出来た百五十年前に作られたものだと聞きましたけれど、町の創立について書かれたものではないのですか?」
と言うと、水の精霊は首を横に振る。
『あれには我が王とお前達の王の間で交わされた盟約と、儀式の方法について書かれているのだが……読めぬのか?』
「石碑の文字は古い時代の物だからな、あれを読める奴は王都の学者くらいだろう」
『ならばお前達は何故あの儀式を行ったのだ?』
水の精霊はいよいよ困ったようにそう言って腕を組んだ。
「先ほども言いましたけれど、儀式については存じませんわ。そもそも盟約とは何ですの?」
『ふむ……少し長くなるが構わぬか?』
水の精霊は少し考えてからそう言うとセレッソ達は直ぐに頷く。
それを見て水の精霊はゆっくりと話し始めた。
『もともとアルディリアは我が王の加護が強い土地なのだ』
水の精霊が言うにはもともとアルディリアは水の精霊王の加護が強い土地なのだそうだ。
精霊や精霊王は魔力の塊のような存在だ。ゆえに、その加護が強いという事は土地の魔力も強い。
大地から生み出される魔力の中で育った動植物には魔力が宿りやすく、当時のアルディリアには人や獣を含めて大きい魔力を持った者が多かったのだと言う。
ローロが言っていたが、大きな魔力を持っているという事は強い魔法を扱えると言う事だ。
いつからかその力を使って他者を支配しようとする者達が現れるようになった。
獣ではない、植物でもない。人間である。
彼らを止めようと人間同士が争った結果、アルディリア国内は疲弊し、動植物達も巻き添えをくらい多くの命が消えた。
ゆえに当時のアルディリアの王が水の精霊王に祈りを捧げ、願った。
『強い魔力は争いを生む。だからどうかこの魔力を押さえて欲しい。我が王に、お前達の王はそう願った』
「……どこかで聞いたような話だな」
三十年ほど前に過激派が起こした騒動の事を思い出しグルージャが呟く。
セレッソはその言葉に七年前の記憶が呼び起こされ、少しだけ目を細めた。
『我が王はそれを聞き入れ、この祭壇と神殿を各地に作るように命じた。そこにアルディリアの魔力を溜めたのだ』
しかし魔力は自然に生み出され続けるものだ。
そしてこの神殿でも魔力を無尽蔵に溜め続けられるものではない。
だからこそ、その魔力で精霊を―――氷の獣を生み出し、一定の周期で魔力を消費させていたのだという。
「冬の討伐にはそんな意味が……」
「では、その魔力が限界を越えたらどうなるんですの?」
『限界を越えた魔力は暴走し、別の形でこの地を覆う』
「…………つまり、氷の獣を倒せなかった時と同じようになるんだな?」
『そうだ』
「なるほど」
グルージャが眼鏡を押さえながら短く息を吐いた。
「支部長さん?」
「グルージャ、どうしたの?」
セレッソとローロの視線がグルージャに集まる。
グルージャは二人を見て、古傷を抑えるような苦い顔で言った。
「――――三十年前のアルディリアの大災害だ」
セレッソとローロがヒュッと息を呑む音が妙に大きくその場に響いた。




