趣味と仕事
イサークを見送った後、セレッソは広間で氷漬けになっていた原稿の内、駄目になった部分を書き直していた。
もちろん最初はベナード達の作業を手伝おうとしていたのだが、その時はすでに粗方が片付いていたり、セレッソが手伝えるような作業がなかった為である。
それはセレッソだけではなくピエールやマルグリートも同様だ。
暇になった彼女達も「何かしたい!」と言うものだから、セレッソは自身の書いている原稿の一部を渡し、誤字脱字のチェックを頼んでいた。
「たくさんあるねぇ」
しばらく原稿とにらめっこしていたマルグリートが、ふう、と息を吐いて顔を上げる。
セレッソは手を止めて小さく笑った。
「これでもまだまだ書き足りないんですのよ? 文字数の制限がなければ、もうちょっと書けたんですけれど」
「そうなの? ……あ! なら、こういう風景の所とか簡素にしたら、もっと書けるんじゃない? 綺麗だとか、怖いとか、そんな感じに!」
「ま、マルグリートお嬢さん! そういうのは……」
マルグリートが無邪気にそう言うと、慌てたのはピエールだ。
もちろんマルグリートに悪気があった訳ではない。
ただ、良いアイデアを思いついた、と思っただけなのだ。
セレッソもそれが分かっているので、特に気分を害したわけでもなく、少し考えた後でマルグリートの質問に答える。
「うふふ、そうですわね。……うーん、マルグリートさんはコラソン亭のミルクティーの美味しさを伝える為に、何が必要だと思います?」
「はいはい! 美味しいって書く!」
マルグリートが手を挙げて元気よく言う。
つい今しがた彼女が言っていたような簡素な表現だ。
「では、どんな風に美味しいですか?」
「どんな風に?」
「ええ。そうですわね、例えば……そのミルクティーはどんな味ですか?」
「え? ええと……甘くて、ミルクの味がそんなに強くなくて……」
マルグリートが腕を組み、はてなと首をかしげて考え込む。
恐らく頭の中でコラソン亭のミルクティーを思い出しているのだろう。
マルグリートは途中から目を閉じながら、途切れ途切れに答えた。
「う、うーん……結構難しい……」
「そうなんですの、結構難しいんですのよね」
セレッソはマルグリートの言葉に同意するように頷くと、続けた。
「美味しいという言葉だけは美味しさは伝えられない。かと言って、やたらめったら言葉を増やせば良いものでもない。どうやったら読み手に伝わるか、どうやったら美味しさを想像させられるか。読みやすく、分かりやすく。それが何を書いていても一番の悩みですの」
「でも、面白ければ関係ないんじゃないの?」
「何が面白いかというのは人それぞれですもの。書き手が『これは面白いぞ!』と思っていても、読み手からすればつまらない話かもしれないですわ」
セレッソは自身の原稿を手の平で軽く撫でる。
面白さと読みやすさは必ずしもイコールにはならない。
コラソン亭のミルクティーがどう美味しいか表現するだけでも意外と時間が掛かるものだ。
浮かんできたアイデアをただ文章にするだけ。
ただそれだけの事であるのに、それがそれだけとならないのが難しい所である。
「読んで欲しいと祈るのではなく、読ませる事。わたくしの一生の課題ですわ」
「読ませる事……」
ピエールが小さな声でセレッソの言葉を繰り返す。
「……なんて偉そうな事を言っていますけれど、わたくしだって本を出せるようになって、まだ二年なんですの。まだまだ当然ひよっこです。ぴよぴよですわ!」
「でも生まれたての雛鳥ではないですよね」
「あら、うふふ。そうですわね、殻は取れていますわね! ベナード隊の隊付き作家になれましたし!」
ピエールの褒め言葉に、セレッソは嬉しそうに笑う。
そこでふと、マルグリートは何かに気が付いたように原稿を見た。
「……あれ? そう言えばこれ、ベナード隊についてのお話だよね? でも、ベナードさんの事、中心に書いていないわ」
「それはそうですわね。こればベナード隊について書いたものですから、ベナード隊長だけに注目して書くのは、ちょっと主旨がずれますもの」
「え、そうなんですか?」
セレッソの言葉にピエールが驚いたように目を丸くする。
その様子を見てセレッソは『どうして驚くんだろう?』と不思議そうに首を傾げた。
「ベナード隊長を主人公にした話ならそうしますけれど。どちらかと言うと、これは群像劇みたいな感じですわね」
「でも、セレッソはベナード隊長の事好きなんでしょう?」
「ええ、もちろんですわ! 婿になって下さいと、常々叫んでおりますの!」
マルグリートの問いにセレッソは力強く答えた。
心なしか『それより仕事だ!』という幻聴が聞こえたような気がする。
「また振られましたわー!」
「えっ!? ど、どこから聞こえたんですか!?」
突然叫んだセレッソに、ピエールがぎょっとして辺りをきょろきょろと見回す。
が、当然だが、ベナードは作業中である為ここにはいない。
いないのだから声が聞こえようもない。
繰り返すが、ただの幻聴である。
「つい癖で」
「そ、そうですか……ははは……」
セレッソの言葉にピエールは引き気味に頷いた。
普段どれだけ振られているのだろうか。
そんな疑問を浮かべたピエールの隣でマルグリートが話を続けた。
「好きな人の事って、たくさん書きたくならない?」
「マルグリートさんは好きな人がいるんですの?」
「え!?」
「ううん、いないよ! あ、でも、イサーク一座の舞台は大好き!」
即答したマルグリートに、ピエールは何とも複雑な表情になる。
ほっとしたような、がっかりしたような、そんな感情が混ざったものだ。
セレッソはピエールの様子を見て、少しばかり悪い事をしたなぁと思いながらマルグリートの問いに答える。
「好きな人の事だけを書くなら日記で十分ですわ。そんな物を読む為に、読者は本を手に取ってくれたわけではありませんもの」
首を横に振ってはっきりと答えるセレッソに、マルグリートもまた目を丸くした。
ピエールは逆に少し苦い表情になる。
「そんな物って……」
「ただの趣味ならどんな風に書いたってわたくしの自由ですわ。けれどね、本を売るならば、そこにはお金のやり取りが発生します。お金を稼ぐと言う事は、それこそ大変な事ですもの」
セレッソはベナード隊にやって来る前の事を思い出した。
作家としての仕事以外に、アルバイトをしたり、山へ入って売却できる素材を探したり。
毎日、毎日その繰り返しでお金を貯めて、コンタールへやって来たのだ。
「指をくわえて待っていたってお金を手に入れる事は出来ません。毎日、毎日、汗水垂らして働いて、働いて、そうして手に入れた大事なお金の中で、わたくしの本を買ってくれるんですわ」
セレッソは二人を真っ直ぐに見つめながら言葉を続ける。
お金を稼ぐというのは存外大変な事である。
食事をするにも、風呂に入るにも、欲しい物を買うにも、とにかくお金は必要だ。
お金を使うのは一瞬で、それこそ財布からオルデン硬貨やオルデン紙幣を一枚出すだけ済む。
だがその一瞬を得る為には、毎日毎日働かなくてはならない。
雨の日も、雪の日も、今日のように普段よりもずっと寒い日も、働いて、働いて、そうして手に入れるものだ。
それを自分の本に使ってくれるという事は、とても有難い事だとセレッソは考えている。
「だからそんな物を読ませるわけにいきませんの」
セレッソは胸を張ってそう言う。
当然だがセレッソはベナードを貶めているわけではない。
そういう物語を書けと言われれば、それが求められているのなら、セレッソは喜んで書くだろう。
けれどそうではないのだ。
そういう物語を求めているのは恐らくセレッソだけであり、大多数はそうではない。
だから書かないし、書けない。
「なら、その……ベナード隊についての本って、大丈夫なの?」
「あ、これは自費出版ですわよ。出版は今お世話になっている所にお願いしていますけれど、諸々の費用はわたくし持ちですわ」
「え!? そうなの!?」
「ええ。ティグレ隊みたいに人気のある隊でしたら、そうでもないんでしょうけれど」
ティグレ隊とは騎士隊の中でも人気の高い隊である。
武勇に優れ、王と国民からの信頼も厚い。
アルディリアの騎士隊について尋ねた時に真っ先に名前が挙がる、言わばアルディリアの騎士隊の顔であり、ベナード隊とは真逆の位置にある騎士隊だ。
そんなティグレ隊にも隊付き作家がおり、発行された本は人気も高い。つまりは必要とされているのだ。
だが、そんな隊とは正反対に、ベナード隊の本が必要とされているかと言われれば、残念ながらそうではない。
何せ負け犬隊の本なのだ。
出版社にとっては売れ残る可能性が高い上に、取扱い注意の代物である。
手に取る相手もゴシップ好きや、悪感情を持った者が多いだろう。
そしてその悪意の矛先は、セレッソやベナード隊だけではなく、出版社にも向きかねない。
そんなリスクを背負ってまで今までの本と同じ条件で発行して貰う事はできない。
だからこそセレッソは、ベナード隊について書いた本の印刷諸々の費用を自分で負担する契約を交わした上で、出版社に流通を頼んだのだ。
「お、お金は大丈夫なんですか?」
「生活費は確保していますけれど、ほとんどすっからかんになりますわね!」
セレッソはあっけらかんと笑う。
そんな事は大した問題ではない、と言わんばかりに。
「この為に隊付き作家になったんですもの。読んで貰う為に――――読ませる為に書いたんですもの。ここからが勝負ですわ!」
セレッソは胸を叩いた。
その勢いに銀色の髪が跳ねる。
売れるかどうかは今の所は未知数だ。
だが先程の彼女の台詞と合わせれば、手に取って貰うに値する出来であると自負しているのだろう。
そんなセレッソの言葉を聞いていたピエールは、何か言いたそうに口を開きかけた、その時だ。
「いいねぇ、その熱さ。若いねぇ」
突然そんな声が部屋の中から聞こえてきた。
ぎょっとして顔を向けると、ドアの近くにベナードやグルージャ達が立っている。
いつの間に入って来ていたのだろうか、話に夢中になっていて気が付かなかったようだ。
セレッソ達の視線が向けられると、グルージャは「よう!」と片手を挙げて笑った。
「いいいいいいつからそこにいたんですの!?」
「ただの趣味ならってあたりからだな」
「ほ、ほとんど全部じゃありませんか! いたなら声を掛けて下さいな!」
「いや、何か声を掛けられる雰囲気じゃなかったというか、一応ノックはしたぞ?」
にやにやと面白がるようなベナードやグルージャ達の視線に、セレッソは真っ赤になった。
話を聞かれた事がどうやら恥ずかしかったようで、わなわなと持ち上げた両手で顔を覆うと、セレッソはテーブルに突っ伏して呻く。
「何たる不覚……ッ!」
「いいじゃねェか、格好良かったぞ」
「ならば婿に!」
「全く脈絡がないな」
「また振られましたわー!」
そんなやり取りをしていると、そこへ遅れてルシエとシスネもやって来る。
そうしてセレッソやベナード達の様子を見て首を傾げた。
「あら……うふふ。何だか楽しそうね?」
「ちょっとな。戦斧の方は調べ終わったのか?」
「ええ。それじゃ、皆揃っているみたいだから、今から報告を始めても良いかしら?」
心なしかウキウキとした様子でルシエはセレッソの戦斧を軽く持ち上げて尋ねる。
ベナード達は普段通りに、グルージャは少し驚いたような表情で、セレッソはテーブルに突っ伏したまま、それぞれ頷いたのだった。




