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コンタール山の調査 後編

 

 レアルとペーラの二人はカルタモ達といったん別れ、彼らとは違うルートでコンタール山を調査する事となった。

 目的はもちろん、アスール狼の群れに襲われた可能性のある誰か(、、)の捜索である。

 アスール狼の住処や、群れの残りがどこかに潜んでいる可能性も踏まえて、レアルは周囲を注意深く見ながら慎重に足を進めた。

 彼の後ろをペーラがついて歩いている。


「ペーラ、体力の方は大丈夫かい?」

「はいッス」


 レアルは時々振り返ってはペーラにそう声を掛けるのだが、どうにもペーラの元気がない。

 表情からは普段の前向きな様子は消え、どこか暗く、沈んだ雰囲気が漂っている。

 カルタモ達と別れてからずっとこの調子である。

 先程の一件が尾を引いているのだろうが、それにしても今日のペーラはどこか変だった。

 出発前に「調査に行きたい」と半ば強引について来た事も、カルタモとぶつかった事も、今の様子も、そのどれもがレアルの知る普段のペーラとは違っていた。

 レアルの知るペーラは明るく元気で前向きな少女だ。

 ヒラソールと組んで冒険者ギルドから依頼を受け、それを達成しようと一生懸命に駆けまわっている所をレアルは見回りの最中によく目にしている。

 二人揃って騒いだり、失敗したり、空回ったりしている所もだ。

 新人らしい失敗も無鉄砲な所もあるが、無謀な事はせず、雪合戦の時のように落ち着いて周りを見る事が出来る子だと評価している。

 もちろん新人と言う立場上、経験不足な所も否めない。

 だが、それは逆に言えば経験を積めば良いだけであって、この点に限れば、彼女達よりも冒険者歴の長い冒険者達の方が危うく思える事もある。

 そう思っていたからこそ、レアルには今のペーラの不自然な様子に疑問を抱いていた。


「あー、その、だな、ペーラ。先程の……」

「……あ! レアルさん、見て下さいッス!」


 その疑問を口にしようとした時、不意にペーラが左の方を指さした。

 レアルは反射的にペーラの指さした方向へと顔を向ける。

 そこには、白い雪の上に点々と、何やら赤色の染みのようなものが出来ていた。

 その染みは、遠くから見れば花弁のようにも見えるが、残念ながら今の季節は冬である。

 アルディリアにも冬に咲く花はあるにはあるが、コンタールの周辺には生えてはいない。

 つまりあれは花弁ではない。

 それが何を示すかを察した二人は、足早にそこへと近づいた。


「血ッスね……」


 ペーラがそう言うとレアルも頷く。

 そう、血痕である。

 同じ場所に人間の靴の跡らしきものも残っていた。

 足跡と、その上に点々と続く血痕を見ながら、レアルとペーラは頷き合う。

 そしてその足跡を追いかけ始めた。




 足跡と血痕を辿ってしばらく進むと、ふっと木々がなくなって、空が良く見える開けた場所に出た。

 足跡は真っ直ぐに崖の方へ向かっており、空中と崖の境目で消えている。

 ぶわり、と吹く風をその身に受けながら、レアルとペーラは一度足を止める。


「ここは……」


 辿り着いた場所を見て、レアルは一瞬、苦い感情が喉から上って来るのを感じた。

 そう。

 そこは冬の討伐の際に氷の獣のボスと対峙した場所で、セレッソとベナードが落下した場所だったのだ。

 レアルはその感情を飲み込むと崖の方へと歩いて行く。

 そうして縁までやって来ると、風に煽られて自分が下へ落ちないように気をつけながら、崖下を覗きこんだ。

 覗き込んだ瞬間、レアルは大きく目を見開き、言葉を失くす。


「――――」


 レアルの目に映る崖の下、そこに広がる空間。

 普段通りならば、そこに広がっているのはレアル達の後ろにあるような雪と森のはずだった。

 だが。

 だが、そこに広がっていたのは、もっと別のもの。

 覆い尽くすような虹色の霧(、、、、)だったのだ。


「何だい、これは……」


 崖の下など見えないくらいに広がった、濃い色をした虹色の霧だ。

 それが何であるかは分からないが、似たようなものをレアルは知っている。

 冬の精霊の悪戯(、、、、、、、)である。

 だが、冬の精霊の悪戯は、山に掛かる虹色の輪の事を指すものだ。

 こんな虹色の霧ではない。

 ならばこれは一体何なのか。

 考えるよりも早く、レアルは鞄から発煙筒を取り出し、近くにあった岩の雪を手で払い、シュッと擦った。

 カルタモやコンタールの町に『何かが起こった』と知らせる為である。

 発煙筒からは直ぐに橙色の煙が発生し、空に向かって上がり始める。

 レアルはそれを確認すると、発煙筒の一部を雪に挿し、ペーラを振り返った。


「ペーラ、カルタモ達が来る前に、ある程度準備をして……ペーラ?」


 とにかくカルタモ達やコンタールから応援が来る前に崖の下へ降りる準備を済ませておこう。

 そう言いながら振り返った所でレアルは目を丸くした。

 ペーラはすでに鞄からロープを取り出していたのだ。


「ペーラ?」

「直ぐに準備するッス! あの辺りの木で良いですか?」

「待ちたまえ、そこよりももっと下に降りやすい場所が……」


 レアル達は以前、一度崖下へ降りている。

 その際に少し遠回りにはなるが、降りやすく、また登りやすい場所にロープを垂らしていた。

 カルタモもそれを知っているので、発煙筒の煙で場所を知らせておけば、二人がそこから離れていても気づいてくれるだろう。

 そもそも、ここからでは持ってきているロープの長さが足りるかも怪しい。

 だからこそレアルはペーラに『そちらの方が良い』と言っているのだが、ペーラは「大丈夫ッス!」と動き出した。


「ここからロープを垂らすにしても、誰かしら上に残っていないと万が一切れた時に厄介だ。それに加えてこの奇妙な現象だ、せめてカルタモ達が来るまで待ちたまえ」

「大丈夫ッス! 自分、慣れてますから! だから、降りましょうッス!」


 ペーラは胸を叩いてそう言うが、レアルは少々困ったようにこめかみを押さえた。

 やはりペーラの様子がおかしい。

 そう思ったレアルの脳裏に、出発前のグルージャやペーラ自身の言葉が蘇ってきた。


「…………ヒラソール達が来る前に、か?」


 レアルがそう尋ねた瞬間、ペーラの肩がぎくり、と跳ねた。

 その反応で何となくだが今回のペーラの不自然な様子の原因を察し、レアルは小さく息を吐く。


「当たったか」


 ペーラは出発前に「ヒラソールに差をつけられる」と言っていた。

 恐らくはそれが、コンタール山へ調査に入ってからの奇妙な行動や言動の原因なのだろう。

 ペーラはバツが悪そうにレアルから視線を逸らした。


「…………それも、あるッス。でも、それだけじゃないッス。崖から落ちたら、普通は無事じゃ済まないッス。下もあんな様子だし、怪我もしているみたいだから、早く助けに行かないと危険で……」

「キミは応急手当の経験はあるのかい?」

「前にカルタモセンパイに習ったッス!」

「そうか」


 ペーラの返答に、レアルは短く頷く。

 ペーラはカルタモに『習った』と言った。それは恐らく、知識があるだけで経験はない、という事だろう。

 つまりペーラ自身、カルタモに習った応急手当の技術を実際に行使するのは今回が初めてなのだ。


「キミは下へ行きたいのだね?」

「はい」

「それは落下したであろう誰かを助ける為にだね?」

「はいッス!」

「――――ならば、キミはカルタモ達が来るまで上で待機していてくれたまえ。ボクが先に下へ降りよう」


 レアルがそう言うとペーラは驚愕に目を見張った。

 先程までの言葉ならば自分を行かせてくれるのではないかと思ったからだろう。

 ペーラが「どうして」と小さい声で言うと、レアルは淡々とその理由を答える。


「ボクも応急手当の経験はある。それに多少だが魔法を使えるからね、ボクが向かう方が確実だ。それに獣に襲われた時に、キミは怪我人を庇って戦えるかい?」

「それは、えっと……でも……」


 ペーラが困ったように視線を落とす。

 今のこの状況だけで言えばレアルが提案した方法の方が確実だ。

 レアルが言った通りの事に加えて、この虹色の霧である。

 冬の精霊の悪戯で発生する事を考えると、下で何が起こるのか、起きているのか分からない。

 そんな現状で二人一緒に、もしくはペーラを一人で下に行かせるのは危険なのだ

 だが、ペーラはそれに対して即答をしなかった。

 それ(、、)は言葉以上に明確に、ペーラの行動の中にある心情を物語っている。


「キミは一体何をしに、ここへ来たのだね?」


 ペーラはレアルの言葉に絶句した。

 そうして、そこでようやくペーラ自身も気づいたようだ。

 今の自分の行動が、他人の命を第一に考え(、、、、、、、、、、)てのものではなかった(、、、、、、、、、、)という事に。

 もちろんペーラとて、コンタール山の異変や、足跡の持ち主の事を心配していないわけではないのだ。

 だがそれ以上に、彼女自身の心情が強すぎる為に、彼女の思考を曇らせている。


「…………」


 ペーラは答えない。

 否、答えられない(、、、、、、)

 レアルは僅かに肩を震わせるペーラを見ながらもう一度息を吐く。

 そうしてペーラからすれば意外な言葉を口にした。


「――――アルディリアの騎士はアルディリアの人々の為に在る。キミが先へ進みたいと言うのなら、一緒に行こう」


 レアルの言葉にペーラは青色の目を大きく見開く。

 自分の無茶に付き合ってくれるのかと、ペーラはほんの一瞬そう思った。

 だが。

 だが直ぐにペーラは、レアルが言った言葉が、決して、自分の行動を後押しするものではないという事に気が付いた。


「あたしは……」


 レアルはペーラに感情と他人の命を秤に(、、、、、、、、、、)賭けて(、、、)、それでも先へ進めるかと問いかけたのだ。

 崖下に広がる虹色の霧。

 冬の精霊の悪戯と同じ色をしたそれの先、冬の討伐の事を考えればそこが安全なものであるとは考えにくい。

 幾ら冬の討伐の時と違って、山からアスール狼などの獣が姿を消していなくても、である。

 山に虹色の輪が掛かった時に、山に入った者の記録はない。ゆえに何があるのか分からない。

 万が一、氷の獣のようなものが出現した場合、ペーラ一人では対応できない。そうなれば助けるべき対象も、助けに向かったペーラ自身も無事では済まない。

 レアルが同行しても、ペーラ達を庇っての戦いになれば苦戦するだろう。

 だからこそ冬の討伐ですら複数人体制で行われているのだ。


「どうする?」


 レアルはペーラから目を逸らさずに、もう一度問いける。

 ペーラは俯き、両手の拳を握りしめた。

 彼女の様子にレアルは自分の言葉の意味が正しくペーラに伝わった事を理解し、少しだけほっとしたように目を細めた。

 本来ならば、こんな風に問いかけるのではなく、問答無用で止めてしまえば良いだけなのだ。

 そうして戻った後で、カルタモから冒険者ギルドへこの事を伝えて貰い、冒険者達(身内から)諭すなり、教えるなりするべき事なのだ。

 レアルは騎士であって、冒険者ではない。

 冒険者達の方針や行動、考え方、そのどれであっても、全てを理解出来てはいない。

 それは冒険者達からしてもそうだろうが、だからこそ、知らない相手から諭されるよりも、知っている相手から諭される方が理解しやすい。

 反発はあるだろうが、それは冒険者達がそれぞれ通って来た道だろう。

 ペーラは冒険者であって、騎士ではない。

 冷たく感じられるだろうが、それが丸く収まる最善の方法であるとレアルは思っていた。 

 だが。

 だが今回レアルはそうしなかった。

 進むか、留まるか。

 その選択肢を提示してレアルはペーラの答えを待ったのだ。

 万が一ペーラが先へ進むと言えばそれに付き合う覚悟で。

 何故ならばレアルにはペーラの焦りが理解出来てしまったからだ。


「…………すみませんッス、レアルさん。頭、冷えたッス。皆がやって来るまで……やって来ても、足手まといだと言われれば、ここで待つッス」


 しばらくの沈黙の後、ペーラは顔を上げ、レアルを真っ直ぐに見てそう言った。

 その言葉にレアルは頷くと、表情を緩める。


「あたし……ヒラソールが、セレッソさんが、シスネが、自分と同じくらいの年の人達が、周りから信頼されて、前へ前へと進んで行くのを見て、焦って。自分も何かしなきゃって、そう思って。だから……目に見える形で、何かを残したくて……」


 ぽつり、ぽつりとペーラは零すように話す。

 認められたい。

 負けたくない。

 置いて行かれたくない。

 ペーラが吐露するその感情は、レアル自身も覚えがあるものだった。

 横に並んで進んでいたはずの者達が、気が付けば一歩、また一歩、自分の前に歩いている。

 その距離がだんだんと離れて行くのを感じながら、自分だけが何も変わっていない、底なしの泥沼にはまるような恐怖。

 それはどれだけ年を、経験を重ねても、ふとした時に顔を出す。

 何よりも怖いのは、相手の背だけを追いかけ続けている事に気が付いた時の絶望だ。


「……別に焦っても良いのではないかね?」


 声を震わせるペーラに、レアルがそう声を掛けた。


「え?」


 レアルの言葉にペーラは目を丸くする。

 てっきり『焦るな』とか『焦らなくても良い』とか、もしくはもっと簡潔に『馬鹿かね?』と呆れられると思っていたのだろう。

 驚くペーラをよそに、レアルは続ける。


「焦って、色々学ぼうとして本を読み漁っても、色んな武器を使えるようになりたいと修行を積んでも、出来ない事を出来るようにしようと苦手な課題に挑戦しても、別にそれは悪い事ではないよ」

「で、でも……っていうか、見てたッスか!?」

「む? 当たったか? はっはっは! うむ、いやまぁ、大体検討がつくというか何と言うか……」


 あわあわと慌てるペーラを見ながら、レアルは『自分も通って来た道だな』と、小さく笑う。

 そう。

 レアルが口にしたそのどれもが、レアルがレアル自身で経験した事である。

 逆にレアルの方が、ペーラのその慌てっぷりを見て自分だけではなかったのだと、少しほっとしたような気持ちになった。


「焦りが生んだ行動でも、そこで得た知識は決して無駄にはならないよ。人生は皆経験だ、良い事も悪い事もひっくるめて、自分の糧になる。何一つ無駄になる事はないさ。どれだけ焦って空回りしようが、悩んで、悩んで、悩みぬいて、最後のギリギリで踏み留まる事が出来るのなら、ボクは構わないと思うよ」

「……でも、レアルさんが止めてくれなければ、構わず進んでいたと思うッス」

「うむ? ボクは止めてはいなかったと思うがね?」


 おどけた調子でそう言ったレアルに、ペーラは少しだけ緊張が緩んだようだ。

 先程まで泣きそうな顔をしていたペーラの表情に、僅かに笑顔が戻る。


「あたし、もっと頑張るッス! ギルドの皆にも、町の皆にも、騎士さん達にも、あたしがいたら大丈夫だって思って貰えるように、頑張るッス!」


 力強くそう言うペーラに、レアルはニッと笑い返す。


「うむ、向上心があるのは良い事だねっ! 頑張ればこのボクのように、このボクのように(、、、、、、、、)立派に……」

「ひとまず目標はカトレーヤセンパイッスー!」

「いや、それは全力で阻止する」

「何でそこだけ真顔になるッスか?」


 話している内に、ペーラはようやく元の元気を取り戻したようだ。 

 レアルはカラカラと笑い、


「まぁ、人それぞれ、立派さは違うからね。キミが良いと思った事を見習えば良いさ」


 そう言うと、ペーラも元気よく「はいっス!」と手を挙げて答える。

 レアルはペーラの明るい声に「うむうむ」と満足そうに頷いた後で、もう一度真っ直ぐにペーラを見た。


「だがね、忘れないでくれ、ペーラ。あの雪合戦の勝敗を、最後の最後にひっくり(、、、、、、、、、、)返したのは(、、、、、)キミだ」


 それは嘘偽りのない真実。

 そして誰の目にも明らかな事実だった。

 あの一点がなければ、今のこの状況はなかっただろう。

 最初は何を言われたのか分からなかったらしいペーラの頬が、一瞬遅れて紅潮する。

 レアルはそれに気づかない振りをしながら、ゆっくりと崖下へ視線を落とす。

 そこには相変わらず虹色の霧が、ゆらり、ゆらりと揺れている。


「それでは、応援が来る前に降りる準備に取り掛かろう」

「はいッス!」


 レアルの言葉にペーラは僅かに震える声で、元気にそう答えたのだった。

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