氷を剥がそう
「さて、まずはこれをどうするかですわねぇ」
氷漬けの部屋の中で、セレッソは腕を組んで考えながら辺りを見回す。
どうするか、と言うのはもちろん、この部屋の氷の事だ。
「踏んでヒビが入るくらいだから、まぁ、割れるんだろうな。氷の獣にも武器が効いたし……お、意外と簡単に剥がれる」
ベナードはそう言うと、氷がヒビ割れた場所にしゃがみ込み、手を伸ばし、氷の欠片の一つをぱき、と剥がした。
続けて、もう一つ、二つ。
考えていたよりもあっさりと剥がれて行くそれを見て、セレッソとシスネはお互いの顔を見合わせると、自分達もしゃがみ込み氷を剥がし始めた。
「あ、本当ですね。思ったよりも簡単に剥がれます」
「ぱり、ぱり、ぱり、ぱり」
「言わんでいいぞセレッソ」
案外あっさりと剥がれる事が楽しかったのか、セレッソは鼻歌を歌いながら氷を剥がしている。
意外とクセになるのか、どこか楽しげな三人の様子を見て恐る恐るクルトゥーラも近づいて来て、それに混ざった。
「…………ぱり」
セレッソを真似してクルトゥーラが言うと、四人を見てうずうずしていたマルグリートもバッと右手を大きく挙げた。
「あたしも! あたしもやりたい!」
「あっマルグリートお嬢さん! ちょ、ちょっと待ってください、手を怪我しますから、ちゃんと手袋はめてください」
今にも飛びつきそうなマルグリートに、ピエールが慌てて上着のポケットから手袋を取り出して渡した。
マルグリートは素直にそれに従うと、これで準備万端だと言わんばかりにセレッソ達の所へと混ざり、氷を剥がし始めた。
「ぱり、ぱり、ぱりっ」
氷を剥がし、ぱりぱり。
剥がしながら口でぱりぱり。
セレッソとクルトゥーラ、マルグリートがあまりに「ぱりぱり」言うもので、気が付けばベナードやシスネ、ピエールにもそれが伝染していた。
まるで一種の呪いでも行っているかのような何とも奇妙な光景である。
「それにしても、全員が部屋に入ると、さすがに狭いですわね」
そんな奇妙な光景の中で、ふと、セレッソが顔を上げて周囲を見回した。
セレッソの部屋はもともと一人用の部屋である為、これだけ大勢が中に入っていれば流石に狭い。
さらにその人数が揃って床にしゃがみ込み、同じ場所で氷を剥がしているのだ。
セレッソの直ぐ隣では、氷を剥がす作業をしていたシスネとマルグリートが頭をぶつけあい、ゴロゴロと床に転がって呻いていた。
「あー、そうだな。剥がした氷の方も溜まって来たし、ちょいと分担するか」
シスネとマルグリートの様子を見て「あれは痛い」と目を細めていたベナードは、セレッソの言葉に頷いてそう言った。
そうして、簡単に役割分担を始める。
「セレッソとクルトゥーラ、マルグリートとピエールの四人はこのまま氷を剥がしてくれ。俺とシスネで剥がした氷を外に運び出す」
「はいですわ!」
ベナードの言葉に、セレッソが元気に返事をする。
剥がした氷はそのまま部屋の隅に置いてあったのだが、流石に山になって来ていた。
このままここに置いてけば、溶けるか溶けないかは別として、また同じように固まっても厄介だったのだろう。
ベナードとシスネはバケツや鍋など、適当な入れ物に剥がした氷を入れて隊舎の外へと持って行った。
だが、幾ら外に持って行っても、さすがにその辺にポイではそれもそれで問題がある。
なので、ひとまず火を焚き、その上に適当な大きさの鍋を乗せて、その中へ剥がした氷を入れる事にした。
見た目だけは何か料理でもしているような雰囲気である。
「火で溶けるでしょうか」
「さて、どうだろうな。……そう言えば、よくよく考えたら、氷の獣に火を向けた事はなかったな」
鍋の中の氷を見ながらベナードはふと思い出したように言った。
アルディリアの冬の討伐では氷の獣に対して火使われる事はほとんどない。
これは別に言い伝え上で禁じられているわけでも、今までの討伐の経験上から使わないと判断されている事でもなく、単純に効率の問題である。
冬の討伐は基本的に朝方から夕暮れまでの間に行われる。
氷の獣は日がある内は狼や牛などの何らかの獣の姿を取っているが、日が落ちればその姿は吹雪へと変化する。
その為、日が落ちてから幾ら氷の獣を探しても見つける事は出来ない。そして日がある内に行われるので、カンテラや松明などに火を点けて歩く必要もない。
もちろん火を点けて歩けば獣避けにもなるだろうが、冬の討伐の際は氷の獣以外の獣はどこかへ身を潜めてしまっている為、滅多な事では襲われる心配もない。
それならば氷の獣に遭遇した時に火を点ければ良いと思うかもしれないが、流石に戦闘中にそんな悠長な事をしている余裕もない。
効くかどうか分からない火を試すよりも、確実に効くと分かっている攻撃をする方が、安全なのだ。
「この氷がここで溶ければ討伐の作戦の幅も広がるだろうが、まぁ、そいつは後だ。ひとまず火の精霊に祈っとこうぜ」
「そうですね」
ベナードの言葉にシスネは頷いた。
そうして何度か行き来を繰り返していると、こちらも流石に効率が悪かったのか、やがて窓から下にロープとバケツで氷を降ろす、という作業へと変わった。
シスネがセレッソの部屋の窓から、剥がした氷の入ったバケツをロープで降ろし、それをベナードが受け取るという繰り返しである。
そんな事をしていると通りすがりのコンタールの住人達が「何だ何だ」と興味深そうに眺めながら歩いて行った。
そこへ、依頼帰りのサウセとアベートが通りかかった。
「あれ、何してんの?」
隊舎の前でバケツを上げたり降ろしたりしているベナード達を見て、サウセが不思議そうに声を掛ける。
ベナードは二人を見ると、
「よう、ちょっとな」
と、軽く手を挙げて二人に挨拶をすると、簡単に事情を説明した。
ベナードの説明を聞いたサウセとアベートは目を瞬く。
「そいつはまた……俺ら朝から出てたからなぁ。ギルドに戻ったら何か話があるかもしれねぇな」
「だなぁ。年越しの祭りの直前に面倒事は勘弁して欲しいぜ……つーか、それなら、俺らも手伝おうか?」
「そっちも忙しいだろ?」
「依頼の方はひと段落してる。それに、そっちの話を聞く限り、これも無関係じゃなさそうだ」
サウセとアベートはそう言うと、荷物を隊舎の敷地内に置き、手伝いを始めた。
二人は専ら氷の運び出しがメインである。
窓からはシスネがバケツで氷を降ろしているので、サウセとアベートは最初にベナード達がやっていた通り、隊舎の中を通って氷を運び出した。
そうして剥がした氷が減って来ると、時々セレッソ達に混ざっては部屋の氷を剥がしていった。
作業を始めてから二時間程経過した頃。
サウセとアベートも手伝ってくれたおかげで、作業は思いのほかサクサクと進み、何とか部屋の半分くらいの氷は剥がす事が出来た。
原稿の置かれていた机の氷も、必死の形相のセレッソと、彼女を手伝うクルトゥーラの尽力により、本来の木の素材が感じられるものへと戻っている。
セレッソとクルトゥーラは、やり切ったような笑顔でパン、とお互いの手を打ち鳴らした。
その後でセレッソは机に近づくと、
「わたくしの原稿……!」
と、原稿の束を抱えて、ぎゅうと抱きしめる。
キラリ、と目の端に涙が見えた気がした。
ちなみに原稿自体はまだまだ氷漬けではある。
「紙の氷を剥がすのは流石に怖いですね」
「破れたら大変、ですもんね……」
シスネとクルトゥーラはうんうんと頷き合った。
そう、机の氷を剥がす事はそれ程難しくはない。机は元々が硬く、力を入れてもある程度は耐えうる素材で出来ている。
机以外にも、机の上にあるペンやインク瓶などの小物も、力を入れ過ぎなければ氷を剥がす時に割れたりはしないだろう。
だが、それが紙になると話は変わってくる。
少しの力であっても、氷を剥がせばそれと一緒にべり、と原稿も破れてしまう可能性が高いのだ。
「破れても一番上と一番下だけなら、書き直せば良いですわ。紙代とインク代はもったいないですけれど。わたくしは原稿用紙とペン、それと、インク瓶が無事ならそれで充分ですわ!」
だが、セレッソはにこりと笑うと、戻ってきた原稿を抱きしめたまま嬉しそうに言った。
そんなセレッソの手には、いつの間にか原稿以外にも彼女が使っているペンとインクの入ったインク瓶が握られていた。
ガラスに花の柄が浮かんだ洒落たデザインのインク瓶である。
インク瓶を見たクルトゥーラが「あ」と、嬉しそうに目を細めた。
「でも、これどうしよう? チェロケースの氷、全然割れないわ」
そんな三人に向かって、マルグリートが相談するように話し掛けた。
マルグリートはチェロケースの近くにしゃがみ込んで、コンコン、とドアをノックするように氷を叩いている。
ピエールもまたマルグリートの隣でチェロケースの氷に触れていた。
「凍り方を見ても、これが原因っぽいかなぁ……中に何か変なものって入っていますか?」
「うーん……わたくしの武器と、あとは生活雑貨が入っているくらいで、特に変なものはなかった気が……」
ピエールの問いかけに、セレッソは腕を組んで考えながら答えた。
頭を捻って考えたが、変なもの、で思い浮かぶものはない。
それでもチェロケースを中心とした場所の氷が一番硬い事から見ても、これが原因には違いなさそうだった。
「これだけ周りの氷が割れているなら、思い切り引っ張ったら取れないかしら」
そんな事を言いながら、セレッソがチェロケースを両手で掴んだ。
そして力任せに引っ張ってみるが、多少軋む程度で氷が割れる気配はない。
「あたしも手伝う!」
マルグリートもそう言うと、セレッソと同じようにチェロケースを掴んで引っ張り始める。
「お、お嬢さん、あああ危ないですよう!」
「平気だってば! ほらほら、ピエールも手伝って!」
「え、え、ええええ……」
マルグリートを心配そうに見ていたピエールも、彼女に呼ばれてそれに加わる。
そうしていると、ぴしり、とチェロケースから少し離れた場所の氷にヒビが入った。
シスネは目を瞬くと、
「もしかして、力を入れれば、取れるか……?」
と呟き、チェロケースを引っ張るのに加わる。
それを見てクルトゥーラはどうしようかと考えた後、同じように加わった。
ピシ。
ピシ、ピシ……ピシ。
腕力の強い弱いはあるものの、五人分の力である。
氷の方もたまったものではない、と言うように、割れる音が響き始めた。
「行けそう!」
「行けそうですわね!」
セレッソとマルグリートが嬉しそうにそう言う。
俄然やる気が出て来たのか、シスネ達にも気合が入った。
そうして一同は掛け声をかけてチェロケースを引っ張り始めた。
隊舎の下では、ベナード達が、二階から聞こえて来る謎の掛け声に怪訝そうに顔を上げる。
そんな事などつゆ知らず、セレッソ達は一層に、チェロケースを引っ張る手に力を込めていた。
「もう少し!」
「あとちょっとぉ!」
ピシ、ピシピシピシ。
氷の割れる音も、セレッソ達の気合と力に比例して大きくなっていく。
そして、ようやくその時は来た。
「せぇーのぉー!」
セレッソが大きな声でそう言うと、パキン、ととても心地よい音が響きチェロケースが床から剥がれた!
それぞれの顔に満足げな笑顔が浮かぶ。
だが。
「やった! ……って、あら?」
力を込めていたものの抵抗が、突然なくなったのだ。
勢いよく引っ張っていたその手は、腕は、跳ねあがるように大きく頭上へと上がる。
そうして、彼女達の手からチェロケースからするりとすっぽ抜けた。
「あ」
自由になったチェロケースは、開いた窓から勢いよく空へと飛んで行き、
「ん?」
くるくると空中で回転し、
「……って、おい、ちょっ待っ」
――――重力に従って勢いよく地面に落下した。
「うおぁ危ねぇ!!」
下で作業をしていたベナードとサウセとアベートが、ザッと左右に跳躍してそれを避けた。
セレッソ達の掛け声を聞いて上を見上げていた事が幸いだったのだろう。
三人の視線の先では、落下したチェロケースが雪と地面にめり込んでいた。
二階から落ちたにしてはいささかめり込みすぎではないだろうか?
そんな事を同時に思ったベナードとサウセ、アベートの額から、たらり、と冷や汗が頬へと伝った。
「だだだ大丈夫でしたー!?」
そんな三人に向かって、二階の窓から身を乗り出したセレッソが無事かどうかを呼びかける。
サウセとアベートはバッとセレッソの方を見上げ、
「大丈夫なわけあるか! 大丈夫だけど!」
「ちょっと、これどういう事!? めり込んでるんだが! 何かすげぇめり込んでるんだが!!」
と、拳を振り上げて大声で叫んだ。
二人とも若干涙目である。
その近くではベナードがこめかみを押さえ、軽くため息を吐いた。
「お前、どんだけ重いの持っていたんだよ、めりこんでるぞ、これ」
「一番重量があるのは戦斧ですけれど、それ程でもないですわよ? 近所のおばあちゃんの方がもっと……」
「お前の故郷すげぇな」
セレッソの言葉にベナードは真顔でそう言った。
めり込んだのは、落下の衝撃に加えてチェロケースの周りの氷の分も加算されているからだろう。
そんな事をベナードが考えていると、そのチェロケースのフタがぱかり、と開いた。
落下の衝撃でフタの付近の氷にもヒビが入っていたようだ。
チェロケースのフタが開いたと同時に、中身もごろり、と転がり出て来た。
中身が転がり出てきた音に、その場にいた者達の視線がそこへ集まる。
「……あれ? これ、こんな色だったか?」
ベナードが目を丸くして呟いた。
彼らの視線の先、そこには、
――――刃が青色に輝く、片刃の戦斧が転がっていた。




