隊舎の部屋
レアルが冒険者ギルドとコンタール山へ出発したのは、それから直ぐの事だった。
この寒さに加えて冬の討伐の際の教訓もあった為に、それなりにしっかりとした準備を整えたレアルの背負いの鞄には、セレッソが使った軽量型のテントもくくりつけらていた。
もちろん押しつけたのはセレッソである。
何もなければそれにこした事はないが、もしもその何かが起きてしまったらに備えて、である。
セレッソがそう言うと、レアルは「キミは心配性だねぇ」と苦笑していたが、自分を心配しての言葉が嬉しかったのか、どこか機嫌が良さそうだった。
「何事もないと良いのですけれど」
「はい。……えっと、多分、冒険者ギルドの方からも誰か様子を見に行くだろうって、お兄ちゃんが言っていました」
「一人じゃなのなら、少しは安心ですわね」
クルトゥーラの言葉に頷きながらそう言うと、セレッソは一度コンタール山を見上げる。
セレッソがあの音を聞いた時、コンタール山には冬の精霊の悪戯である虹色の輪は掛かっていなかった。
寒さ自体は異常ではあるが、あの輪が掛かっていないのならば、氷の獣の出現はないだろうとベナードも言っていた。
もちろん可能性はゼロではないが、確実性はない。
だからこそ一人で向かう事にならなかったのは良かったとセレッソは思った。
レアルも騎士だ。先日の冬の討伐の様子を見る限り、剣の腕は悪くない。
戦いでの強さという面ならばセレッソは心配してはいないが、如何せん向かうのは雪山だ。雪山での単独行動は命に関わる危険がある。
ベナードがレアルにコンタール山へ向かうより先に冒険者ギルドへ向かえと指示を出したのも、ギルドとの情報の共有以外に、そういった目的もあったのだろう。
「それじゃあ、セレッソお姉さん。わたしもこれで帰りますね」
レアルの背中が小さくなり、見えなくなるのを見計らってクルトゥーラがそう言った。
セレッソは「ええ」と言いかけて、何かを思い出したようにポンと両手を合わせる。
「そうだ、クルトゥーラはこの後、何か用事があります?」
「え? えっと、特にない、です」
突然の問いかけに、クルトゥーラは不思議そうに首を傾げた。
「それなら、ちょっとわたくしの部屋へ行きません? 面白い本があるんですの!」
にこにこ笑いながら言うセレッソに、クルトゥーラもまた嬉しそうに目を輝かせた。
「わあ……! 面白い本ですか?」
「ええ、随分昔に読んだ本なのですけれど、この間本屋で見かけて。懐かしくなって手に取ったんですの」
懐かしそうにセレッソは目を細める。
随分昔、と言う言葉から察するに、彼女がまだ小さな頃に読んだ本なのだろう。
どんな本なのだろうとワクワクしながら「読みたいです!」と言うクルトゥーラに、セレッソは嬉しそうに頷くと、彼女と一緒に隊舎の二階を目指して歩き始めた。
時計の針がそろそろ十一時頃を指そうかという頃。
セレッソとクルトゥーラはベナード隊の隊舎の二階を二人仲良く並んで歩いていた。
隊舎の廊下の窓は差し込む日差しでキラキラと輝いているものの寒さは相変わらずで、時折外を吹く風が冷え冷えとした音をガラス越しに伝えていた。
二人が向かっているのはベナード隊の隊舎の二階、その一番奥の部屋。
そう、セレッソの部屋である。
「騎士隊の隊舎って、広いですね」
「ええ。元々、十人くらいの騎士がここで活動出来るように、と設計されたみたいですわねぇ」
興味深そうに建物の内装を見ながらクルトゥーラがそう言うと、セレッソは頷いた。
セレッソの言葉通り、アルディリアの各地にある騎士隊の隊舎は、基本的には十人程度がそこで生活出来るようにと考えて設計されている。
もちろん騎士隊の人数は隊によってまちまちだ。
ベナード隊のように少人数の隊もあれば、十人を超える隊も存在する。
だが、その全てに合わせて隊舎を作っているような余裕はないし、建物自体もこの先何年も使用するものだ。
おおよそこのくらいの人数が使う事が出来れば今後も問題はないだろう。
そう言った理由が、この広さだった。
「空き部屋がまだ幾つかありますから、今の所は来客用に使われていますの」
「セレッソお姉さんの部屋も、そうだったんですか?」
「ええ! でも、今はすっかりお仲間ですわっ」
セレッソが嬉しそうにそう言うと、クルトゥーラも釣られてにこにこ笑った。
セレッソの部屋は、彼女が正式に隊付き作家見習いとして認められた際に、ベナード達が準備をしてくれたものだ。
隊舎の二階の一番奥。
そこは、余っていた部屋の中でも一番日当たりが良い部屋だった。
アルディリアでも北に位置するコンタールは一年を通して寒い。
故に、ベナード達の厚意で日当たりのよう部屋を用意して貰えたのはセレッソとしては有難い限りであった。
日当たりが良く、日差しの差し込む明るい部屋。その部屋の窓からはコンタール山も良く見える。
セレッソはその窓からコンタール山に朝日が昇るのを見るのが好きだった。
もっとも、目覚めてから朝日を見るのではなく、寝ずに朝日を見る回数の方が多かったりはするのだが。
「……それにしても何だか大分冷えますわねぇ」
クルトゥーラと話をしながら歩いていたセレッソは、ふと、廊下が大分冷えている事に気が付いた。
窓が凍りつくくらいの寒さだったのだ、もちろん廊下も寒い事は寒いのだが、寒さの度合いが微妙に違う。
周囲を雪で囲まれているような、そんな冷たい寒さである。
寒いと言っても室内なのだ、多少は寒さが緩和されていても良いものだが、不思議な事にその寒さはセレッソの部屋へと近づくにつれてだんだんと増しているようだった。
「こう、火精石が、お風呂以外に上手く使えるようになったら、便利ですよね」
「火精石?」
「はい。えっと、火トカゲのカンテラみたいに、雪で熱を発するようにできたら、雪も解けるし、温かいかなって」
クルトゥーラの言葉にセレッソは目を瞬いた。
火精石とは、アルディリアでは主に風呂を沸かすのに使われている透明な橙色をした小石の事である。
石を幾つかのハーブと一緒に袋に入れて水に沈めると、一、二時間程度熱を発するのだ。
もしも火精石火トカゲのカンテラのように雪でその効果を発揮できるようになったら、雪かきの辛さも減り、また寒さも緩和出来る。
もちろんそれだけではなく、それ以外にも色々と応用が効くようになるだろう。
「良いですわね、それ!」
「えへへ」
セレッソが楽しげに手を叩くと、クルトゥーラが嬉しそうにはにかんだ。
子供の想像力は無限だ。
自分達では考えもつかないようなアイデアが次々と浮かんでくる。
クルトゥーラの言葉に、以前の紙芝居の時に子供達の作った物語が思い出されて、セレッソは嬉しくなった。
想像力とは夢である。そして夢とは未来を変える力だ。
怒りでも、憎しみでも、恨みでも、後悔でもない。
ただひたすらに純粋で、広がって行くそれ。それはセレッソにとって見習いたいと思っているものの一つだった。
「…………あ! あそこですか?」
そんな事を考えていると、目的の場所が見えてきた。
セレッソの部屋である。
クルトゥーラが先にある部屋を指さすと、セレッソはそれに応えるように頷いた。
「ええ、あそこにあるのがわたくしの部屋ですわっ」
そうして自然と速くなる足で部屋の前まで辿り着く。
わくわくとしたクルトゥーラの視線を受けながらドアノブに手を掛けたセレッソは、次の瞬間驚いたようにそれから手を放す。
「冷たっ!」
そうして軽く目を見開き、自分の右手とドアノブを交互に見比べる。
そう、ドアノブが冷たかったのだ。
この寒さである、ドアノブ等の金属を触れば確かに冷たくはあるのだが、セレッソの想像以上にそれは冷たかった。
まるで。
まるで氷そのものに触れたかのような。
「だ、大丈夫、ですか?」
何も言わずにドアノブと手を見比べているセレッソに、クルトゥーラが心配そうに声を掛けた。
ハッとして顔を上げたセレッソは、その声に応えるように笑って頷いた。
「え、ええ……思ったよりも冷たくて、ちょっとびっくりしてしまいましたわっ」
ドアノブに触れた左手を右手で包み、温めるように軽く揉みながらセレッソは言う。
表情こそ笑顔ではあるものの、先程浮かべた疑問符の数は増えてるかのようだった。
セレッソは顎に手をあててドアノブを見つめた後、自身の服の袖を軽く伸ばし始める。
そうして袖をドアノブにあてて、それごしにドアノブを掴んだ。
こうすれば直接ドアノブに触れる事はない為、多少は冷たさも緩和される。
あくまで多少ではあるが、それでも直接触れるよりはマシではあった。
セレッソはそのままドアノブを回し、ドアを開けようと試みる。
「あら?」
しかし不思議な事にドアは打ち付けられたかのように開かない。
セレッソは両腕の袖を同様に伸ばし、両手でドアノブを掴んで引く。
だが、ドアは一向に開かない。
開かない代わりに、何やらピシピシと軋んでいるような嫌な音が聞こえてきた。
「せ、セレッソお姉さん、だ、大丈夫ですか……?」
「だ、だ、大丈夫ですわ! 何だか良く分からないですけれど、大丈夫ですわ! 多分! 多分!」
心配そうなクルトゥーラに、セレッソは『多分』と何度も応えている辺り、本当に何が何だか良く分からないのだろう。
隊舎の部屋はどの部屋も鍵が掛かる形のドアである。
自身が隊舎の中にいる時は、寝るとき以外はセレッソは基本的にドアに鍵は掛けない。
であるのに、何故かドアは空かないのだ。
焦る気持ちは自然と手や行動に反映されていく。
そう、力任せである。
「あ、い、て、く、だ、さ、い、な!」
ギギギ、と思い切りドアを引っ張るセレッソ。
その近くではクルトゥーラがハラハラした面持ちでセレッソとドアを交互に見る。
――――やがて、ドアはバリバリと、とても嫌な音を立てて動いた。
「何か変な音がしましたけれど、無事に開きましたわっ」
変な音がした時点で無事も何もないのではないのだが。
セレッソはそんな音などまるで聞こえなかったと言わんばかりのやり遂げた笑顔をクルトゥーラに向け、ドアを引く。
引いて、先程のドアのようにピシリ、と固まった。
「え?」
セレッソの目の前の彼女の部屋。
そこには、薄らとした底冷えのする青色で染まっている。
部屋一面を覆うそれは、セレッソの記憶にある自身の部屋の色とはまるで違っていた。
「え? え?」
きょろきょろと部屋を見回しながら、セレッソが一歩、足を踏み入れる。
すると、足下からピシリ、と、氷が割れるような音が聞こえた。
音から感じる嫌な予感に、セレッソが部屋の色のように青ざめながら視線を下に向けると、彼女が踏み出した足を中心に細かなヒビが走っていた。
「重」
重さではない。
断じて自分の重さではない。
でも最近、ちょっと甘い物を食べすぎている気がするから、体重計に乗るのが怖いけれどでも絶対に重さでヒビが入ったのではない。
一瞬の内にそんな事がふっと浮かんできたセレッソの脳裏に、クルトゥーラが『くしゅん』と小さくくしゃみをした声が聞こえた。
そうだ。寒いのだ、ここは。
足元のこれが何であるかを理解したセレッソは、慌てて部屋中をぐるりと見回した。
薄らとした冷たい青色。
つるりと光るそれには、セレッソやクルトゥーラの姿が映り込んでいる。
「氷……?」
クルトゥーラが目を丸くしながら呟く。
そう、氷だ。
セレッソの部屋中がしっかりと凍り付いているのだ。
「な、な、何ですの、これーーーー!?」
驚愕したセレッソの叫び声は隊舎中に響き渡り、閉めた窓から外まで飛び出し、通行人がびくりと肩を跳ねた。




