クルトゥーラの相談
「はーい!」
聞こえた声に向かって返事をしながら、セレッソとレアルは隊舎の入口へと向かう。
ドアノブを回し、ギィ、とドアを開けると、背の低い黒髪の少女がそこに立っていた。
冒険者のヒラソールの妹のクルトゥーラである。
クルトゥーラは外を吹く冷たい風に髪をさらさらと揺らしながら、セレッソとレアルを見上げた。
「こ、こんにちは……セレッソお姉さん、レアルお兄さん」
そうして、その明るい橙色の瞳を微笑むように少しだけ細め、小さな声で挨拶をした。
セレッソとレアルは、クルトゥーラの向こうから吹き込んで来る風に、ぶるりと体を震わせながら、
「こんにちは、クルトゥーラ」
「うむ、こんにちは、だ」
と、それぞれに挨拶を返す。
そうして「そこにいては寒いだろう」とクルトゥーラを隊舎の中へと招き入れる。
ドアがバタンと軽く音を立てて閉じられると、寒さが少しだけ和らいだ。
クルトゥーラは鼻を赤くしながら、ふう、と息を吐く。
「今日は一際冷えますわねぇ。クルトゥーラ、大丈夫?」
「は、はい」
「うむうむ、ならばこのレアルお兄さんが。レアルお兄さんが、美味しいミルクティーを淹れてあげようではないか!」
レアルがドン、と胸を叩いて力強くそう言った。
お兄さんを強調しているあたり、そう呼ばれた事が嬉しかったのだろう。
鼻歌でも歌い出しそうな様子のレアルにセレッソは思わず噴き出し、クルトゥーラは目を丸くする。
「今日はレアルお兄さんが、ローロさんに負けないようなミルクティーを淹れて下さるそうですわっ」
「待ちたまえセレッソ、唐突にハードルを上げないでくれたまえ!」
スキップするように一歩前へと足を踏み出し掛けたレアルはセレッソを振り返ってそう言った。
慌てた様子のレアルにセレッソは首を傾げ、
「さっき勝負って言っていませんでした?」
と尋ねると、レアルはぶんぶんと首を横に振り、
「ひっそりとなのだよっ」
びしりと人差し指を立て、そう言った。
広間で話をしていた時にセレッソに言っている時点でひっそりとではないような気もするのだが、レアルにとってはそうでもないようだ。
どちらかと言うと、クルトゥーラにお兄さんぶりたいという面が強いからかもしれない。
セレッソとレアルの会話を聞いていたクルトゥーラは、そんな二人の様子にくすくすと小さく笑った。
「そ、それにしても! キミが一人でここへやって来るとは珍しいね。どうしたんだい?」
レアルはコホン、と咳払いをして誤魔化すようにクルトゥーラにそう尋ねた。
セレッソもレアルの言葉に「そう言えば」と呟いた。
そうなのだ。クルトゥーラはルシエ程ではないが人見知りだ。
セレッソを通じてベナード隊の騎士達と何度も会っているうちに、さすがにクルトゥーラも慣れはしたものの、まだ一人で隊舎へやって来た事はなかった。
「あの、えっと、その……隊長さんに、お話があるんです」
「ベナード隊長に?」
「はい、えっと、その……今日の朝、コンタール山から変な音が聞こえてきて……」
コンタール山から聞こえた変な音。
その言葉に、先程の会話を思い出し、セレッソとレアルは顔を見合わせた。
クルトゥーラの話を聞いたセレッソは彼女と一緒にベナードの部屋へとやって来た。
レアルは「ミルクティーを淹れて来ようじゃないか!」と、先にキッチンへと行っている。
ベナードの部屋へ案内するのなら一人でも大丈夫だし、何よりもクルトゥーラが寒そうにしているのを見て用意してやろうと思ったのだろう。
本当は暖かい広間で待ってもらい、そこへベナードを呼んで来た方が良かったのだろうが、如何せん今日はピエールとマルグリートがやって来ている。
だからどうというわけではないが、変な風に首を突っ込まれては少々厄介だったので、セレッソとレアルはクルトゥーラをベナードの部屋へ案内する方を選んだのだ。
「ベナード隊長、セレッソです」
セレッソがコンコン、とベナードの部屋をノックすると、直ぐに「どうぞ」という声が聞こえてきた。
「失礼しますわっ」
「し、失礼、します」
セレッソは楽しそうに、クルトゥーラは少し緊張しながら、ドアを開けた。
開かれたドアの向こうの部屋には、あちこちに書類の山が出来ているのが見える。
今日はベナードもセレッソ達同様に書類の整理をしていたようだった。
「よう、セレッソ。それに、クルトゥーラか。よく来たな」
「こ、こんにちは、隊長さん」
執務机に座って書類を整理していたベナードは、二人の姿を見て手を止めてニッと笑う。
そうして立ち上がると、部屋の中央にある来客用のソファーに「どうぞ」と手のひらを向けた。
セレッソとクルトゥーラがソファーに座ると、ベナードもまたテーブルを挟んだ向かい側に腰を下ろす。
「こんにちは。今日はどうしたんだい?」
ベナードがクルトゥーラにそう尋ねると、クルトゥーラはどう言い出そうかと迷いながらセレッソを見上げた。
セレッソはその視線を受けてにこりと笑いかけると、
「クルトゥーラがベナード隊長にお話があるらしいんですの」
と、言った。
クルトゥーラはこくこくと何度も首を縦に振って頷く。
「ほうほう、俺に話か」
「は、はい、あの……えっと、今日の朝の……その、夜明けくらいの事なんですけど……その、コンタール山から変な音が聞こえてきたんです」
「変な音?」
その言葉にベナードが片方の眉を軽く上げた。
「はい。何か、不思議な響きのする音で……」
コンタール山。不思議な響きのする音。
クルトゥーラの話から、ベナードの頭には先日の冬の討伐の事が浮かんできた。
セレッソは彼女の言葉を引き継ぐように、
「その、わたくしも今朝方、不思議な音を聞きましたの」
と、軽く右手を挙げて、申し訳なさそうにそう言った。
その言葉にクルトゥーラは目を丸くし、ベナードは「ふむ」と顎に手を当てた。
「お姉さんもですか?」
「ええ。夢でも見たのかと思ったのですけれど、クルトゥーラも聞いているなら、夢じゃないですわね。えっと、その音は、こういう音じゃありませんでしたか?」
そう言うと、セレッソは目を閉じて、音を再現しようと試みる。
今朝聞いた音は、聞こえてきた音が小さかった事もあって、あまりはっきりとはしない。
しないが、何かに似ていると思った。
最初はそれが何か分からなかったが、クルトゥーラの話を聞いている内に、それがどんな音だったのか思い出してきたのだ。
冬の討伐で聞いた氷の獣の声に似ていたのである。
氷の獣の声ならば、まだ耳の奥に残っている。
セレッソは喉に手を当てて、その音になるべく近いような声を出すと、クルトゥーラが目を大きく見張った。
「その音!」
クルトゥーラがぱちりと手を合わせてそう言うと、ベナードも何度か頷いた。
「なるほど、氷の獣に似てるな」
「音の事をお兄ちゃんに話したら、グルージャさんに話しに行くから、お前はベナード隊長の所に話しに行ってくれないかって」
「ヒラソールさんも音を聞いたんですの?」
「いえ、お兄ちゃんは良く寝ていたので……」
セレッソの問いかけに、クルトゥーラは小さく笑って首を横に振った。
どうやら彼女の兄であるヒラソールは、コンタール山の音については聞いてはいないようだ。
だが妹の話を信じて、冒険者ギルドの支部長に相談に行った。
夢だと一蹴してしまう事も出来ただろうに、ヒラソールはそうはしなかったのだ。
良いお兄ちゃんだ。
セレッソがそんな事を思いながら微笑んでいると、コンコン、とベナードの部屋のドアがノックされた。
「隊長、ボクだが、入ってもいいかい」
ノックと共に聞こえて来たのはレアルの声だった。
どうやらミルクティーの準備が出来たようだ。
セレッソ達の耳に、カチャ、と僅かに食器同士が当たる音が聞こえた。
「おう、どうぞ」
「失礼」
ベナードが答えると、レアルはドアを開けて中へと入って来た。
その手にはやはり、温かそうな湯気の立つミルクティーのカップを乗せたトレイを持っている。
レアルはニッと笑うとセレッソ達の前にカップを置いて行く。
そうして全員にミルクティーが行き渡ると、空いていたベナードの隣に腰を下ろした。
「それで、音についての話は出来たのかい?」
「ああ、ちょうど今聞いた。氷の獣の声に似ているんだそうだ」
「氷の獣……」
氷の獣と聞いてレアルの表情が僅かに強張る。
恐らくその時の事を思い出したのだろう。
「音についてもだが、今日の寒さと合わせて考えると、気になるな」
実の所、今日の寒さは少々異常だった。
天気が良いにも関わらず、コンタールの町のあちこちが凍りつくような寒さだ。
太陽の光からもたらされる暖かさを遮るような、この冷気。
コンタール山の音がなければ、ただの自然現象で済ませる所だが、聞いてしまった以上は何かしらの関係があるかもしれない。
何より。
「その音が氷の獣と似ているとなれば、放っておくわけにはいかねェな」
そうなのだ。
万が一、再び氷の獣が現れたとなれば早急に対処が必要になる。
今回は冬の精霊の悪戯が発生する時の諸々とは違うものの、何か起きていてもいなくても、確認だけはしなければならない。
「……それならば、隊長。ボクに行かせて貰えないだろうか」
「レアル?」
「仕事もちょうどひと段落しているからねっ! ルシエ副隊長とローロは出かけているし、シスネはあのイサーク一座の追っかけ二人の面倒を見ている。ちょうど手が空いているのだよ」
確かに書類整理の仕事はひと段落している。
終わってはいないが、あとはセレッソ一人でも時間は掛かるが何とかなるだろう。
そういう意味では騎士隊ではレアルの手は空いている。
空いてはいるが、恐らくそれだけではないと、セレッソにもベナードにも分かった。
「そうか、なら、調査の方はお前に任せる」
「うむ! では早速――――」
「いや、山へ向かう前に先にギルドへ向かってくれ。あちらでも何かしら動きがあるだろう」
「承知したともっ」
ベナードの言葉にレアルは力強く頷くと、自分の前に置いたミルクティーのカップを手に取った。
そうして勢いよくそれを飲み干す。
――――飲み干して、盛大に咽た。
「げっほ!?」
レアルは口を押さえて、げほげほと咳をしている。
それもそうだろう。
彼が飲んだのはほぼ淹れたてのアツアツのミルクティーである。
それを一気飲みすれば、こうなるのは分かりきった事だ。
レアルは涙目で、顔を真っ赤にしながら咽ている。
それを見て大慌てでクルトゥーラがその背中をさすった。
「だ、だ、大丈夫ですか?」
「み、水を持ってきますから、ちょっと待っていて下さいなっ」
セレッソも慌てたように立ち上がると、水を用意する為に早足でベナードの部屋を出て行く。
「こいつは、ちょいと心配になってきたなァ……」
ベナードはそんなレアルを見て、こめかみを軽く押さえて息を吐いたのだった。




