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コンタール山の音


 その日の明け方。

 夜の闇(ビロード)の端を、朝の光がゆっくりと染め始める頃の事だ。

 夜明けの光に照らされた雪が、ほんの僅かに溶けて、音もなく地面に落ちた、そんな細やかな瞬間。 

 コンタールの町の近くにあるコンタール山から、微かに、本当に微かに、澄んだ音が響いた。

 不思議な響きを持った音だ。

 ほんの一度。

 ほんの一度だけ響いたその音は、静かな朝の空間に溶けて消えて行く。

 


 



 その時目覚めていたほんの僅かな者達の耳に残りながら。






 セレッソ達がイサーク一座のジャンヌに会った翌日。

 その日は空は晴れてはいるものの、普段以上に寒い日だった。

 辺りに積もった雪はその寒さでしっかりと凍りつき、空の色と太陽の光を映してキラキラと輝いている。

 建物の窓もまた同様に、力を入れなければ開かないくらいにカチンコチンだ。

 コンタールの町中がそんな様子である。

 もちろんベナード隊の隊舎も例外ではなく、窓と言う窓はしっかりと凍りついている。

 流石にそのままにしておくわけにもいかないので、最低限の窓だけ開ける事ができるようにしようとレアルが窓に手を当て力をこめれば、室内で響いていた賑やかな声がコンタールの町に勢いよく飛び出した。


「ねぇねぇ、シスネ! これはどこにしまうの?」

「ああ、それは……って、ちょっ!? ふらふらしていますけれど、大丈夫ですかマルグリートさん!?」

「お、お嬢さん! おおお重いですから、僕が持ちますよう!」

「待って下さい、どう考えてもピエールさんの方が危険です!」


 そのけたたまし――――もとい、とても賑やかな声の方を向けば、そこにはシスネと、彼の周りで荷物を持ちながらうろうろしている二人組の少年少女がいた。

 マルグリートとピエールである。

 彼女達は昨日の宣言通り、ベナード隊にお手伝い(、、、、)の名目で押しかけてきたのだ。

 そして昨日同様にシスネがはっきりと断っていたのだが、マルグリートとピエールはなかなか引き下がらなかった。

 否、どちらかと言えば引き下がらなかったのはマルグリートの方で、ピエールは申し訳なさそうに何度も何度も頭を下げていた。

 ちょうどそこへベナードが通りかかり、事情を聞くと、

 

「邪魔をしねェなら人手は多い方がいいな」


 と良い笑顔で言ってのけたのだ。

 ちょうど忙しい時期でもあったからだろう、本当に良い笑顔だった。

 元々人数が少ないベナード隊だ。

 コンタールの年越しの祭りの手伝いはもちろんの事、自分達の隊舎の片付けや掃除、一年間分の書類の整理など、しなければならない事は山ほどある。

 故に、自ら進んで手伝いに来てくれるならば願ってもないと、ベナードは快く受け入れた。

 そしてそんな二人の面倒は、年齢が近い事もあってシスネが任されたのだ。

 ちなみにその言葉を聞いた時、シスネは死んだ魚のような目をしていた。


「誰かさんを思い出すねぇ」

「あ、あらやだ、おほほほ」


 広間のテーブルで書類整理をしていたレアルがそう言うと、向かい側に座っていたセレッソは誤魔化すように笑ってスッと目を逸らす。

 やはりセレッソ自身、それなりに自覚はあるようだ。

 その反応にレアルはくつくつ笑うと、目の前に広げていた書類をトントンとまとめ、日付や文字が書かれた封筒に仕舞った。

 二人が今しているのはベナード隊の日報や報告書の整理である。

 日付を見れば、ちょうどセレッソがベナード隊へやって来た頃のものだった。


「キミが来た日の辺りから、書類の量が倍近くになったねぇ」

「話題に事欠かないですわね!」

「自分で言うかいソレ」


 半眼になったレアルに、セレッソはびしりと右手の人差し指を立てて笑顔で頷く。


「ならばレアルさん、お譲りしますから、是非もう一回(ワン・モア・タイム)!」

「いや待て、一体何を譲られたんだねボクは」

「話題」

「確かに話題だが、そういう意味ではなくてだね?」


 セレッソとレアルが手を止め、そんな話をしていると、不意に何やら刺すような視線を感じてぶるりと体を震わせる。

 まるで針のようなそれを辿って行くと、その先には恨めしそうな顔のシスネがいた。

 無言である。

 無言でこちらを見ているが、その顔にははっきりと『遊んでいるなら変われ』と言う言葉が書かれているのが見えた。

 相当にストレスが溜まっているようである。

 セレッソとレアルは「ひい!」と息を呑んで、大慌てで書類に手を伸ばし作業を再開する。

 その間にもマルグリートとピエールの賑やかな声は止む事はなく、うんざりしたようなシスネの声もまたそこに加わった。


「……しかしあの二人は熱心だね。この忙しい時期に好んで手伝いに来るとは、よほどキミに脚本の勉強をさせたいようだ」

「他の仕事を終えてからとは言ったのですけれど。でも、あそこまで頑張って下さるのは、何だかちょっと嬉しいですわね」


 ひそひそ。

 シスネに聞こえない程度の声で話をしながら、セレッソとレアルは作業を進める。

 作業の合間合間にセレッソは、シスネ達の様子を盗み見ては微笑ましそうに目を細めた。

 彼女の視線の先では躓きそうになったマルグリートを助けようとピエールが手を伸ばし――――自ら盛大に転んではシスネが頭を抱えるという光景が繰り広げられている。

 内容こそ違うが大体そんな事の繰り返しである。

 マルグリートとピエールは体力的に疲れるかもしれないが、そんな二人の面倒を見ているシスネは精神的にもすり減っていそうである。

 先程の表情ではないが、だんだんと目の下のクマが濃くなっているような気がした。


「しかし、作業を初めてもう二時間か? そろそろ休憩を入れようじゃないか」


 シスネの様子を見かねたレアルが、そんな事を言いながら立ち上がった。

 レアルの言葉にセレッソが時計を見れば、確かに彼の言う通り、時計はそろそろ十時を回っている。

 そろそろ一息入れても良い頃だろう。


「あ、わたくしもお手伝いしますわっ」

「ほほう、殊勝な心がけだねっ! だがミルクティーはボクに任せて貰おうか! ローロのミルクティーとどちらか美味いか密かに(、、、)勝負なのだよ!」

「何故密かに(、、、)なんですの?」

「はっはっは! それはもちろん、腕相撲の二の舞が嫌だからだとも!」


 レアルは胸を張って、清々しいまでに残念な台詞を言い放った。

 セレッソは半眼になって、右の肘をテーブルにつける。


もう一度(ワン・モア・タイム)?」

「古傷を抉るのはやめたまえ!」


 両腕で大きくバツ印を作りながら、レアルはずささと後ずさった。

 古傷と言うには三か月は短い気もするが、清々しいまでに残念な男である。


「まぁ冗談は置いておいて、それではミルクティーはお任せしますわね」


 そう言ってセレッソもまた立ち上がる。

 セレッソが腕相撲の再戦をする気はないと分かったレアルは、安心したように再びテーブルの方へと戻って来た。


「うむ、任せておきたまえよ。……ああ、ところで、セレッソ」

「はい?」

「あの一座の脚本の依頼を受けるそうじゃないか?」

「え」


 唐突にレアルにそう言われ、セレッソは思わず言葉に詰まった。

 あの一座、という彼の言葉で頭の中に浮かぶのは、今現在コンタールではイサーク一座しかいない。

 しかもレアルは脚本の依頼(、、、、、)とも言ったのだ。

 驚いて目を瞬くセレッソに、してやったりと言わんばかりにレアルはニヤリと笑った。

 何故レアルが知っているのだろうか。

 イサーク一座がセレッソに脚本の依頼について話をした事など、知っているのは本人達とカラバッサ、それとマルグリートとピエールだけである。

 カラバッサは、まぁ、あの浮かれ様では心配だが、それでもベテランの冒険者だ。話すなと言われれば話さないだろう。

 マルグリートとピエールに至ってはそれ以上に心配だが、レアルは二人と面識はなかったはずである。

 ならば、どこから話が漏れたのだろうか。


「……知っていたんですの?」


 声の大きさに気をつけながらセレッソがそう尋ねると、レアルは「フフン」と得意げに笑って、肩に掛かった髪を右手でフアサと払った。 


「まぁね、少々別の方面から聞こえてきた」

「別?」


 別、の言葉のところでマルグリートやピエールを見なかった事から、やはり彼女達から聞いたという事でもなさそうだ。

 それにカラバッサの名前を出さなかった事から見ても、彼ではない。

 恐らくはセレッソが知らない相手の可能性が高いだろう。


「あの一座は有名だからね。隙あらば何か良い情報を……と思う輩もいるということだ。それに、キミもベナード隊(うち)の人間だからね。そういう面を絡ませて良いネタにもなるのだろうよ」


 肩をすくめて言うレアルにセレッソは軽く目を見張った。

 情報に、ネタ。

 レアルの言葉から察するに、相手は新聞社か、その類の何かなのだろう。

 イサーク一座の話題に、ベナード隊の悪評。それが絡めば、恐らくは双方ともにあまり良い事にはならないだろう。


「こういう時だけは食いつきが早いんですのね」

「そういう事だ。まぁ、口止めしておいたから、しばらくは大丈夫だと思うが」

「ありがとうございます、レアルさん」

「フッこのボクに掛かれば、この程度簡単な事だとも! 感謝したまえよ、はっはっは!」


 セレッソが素直に礼を言うと、レアルは大きく頷き高らかに笑い出した。

 だがその笑い声は次の瞬間、笑顔と共にシスネの氷点下並の視線に射抜かれ、ぴしりと凍りつく。

 レアルは向けられる視線から逃れるようにスッと体ごと顔を逸らすと、ジェスチャーで『早急にティータイムだ』とセレッソに合図をした。

 セレッソもまた大きく頷くと、二人揃って早足で広間を出て行く。 

 そうして廊下に出てバタン、と広間のドアを閉めると、二人は同時にふうと息を吐いた。


「あれはかなり参っているねぇ」

「シスネさん、面倒見が良い上に真面目ですからねぇ……美味しいミルクティーに甘いものを持って行けば、少しは肩の力が抜けるかしら」

「そうだねぇ……それじゃあ、気合入れて作らないとならないねっ」


 ニッと笑ってレアルが歩き出すと、セレッソもそれに続く。

 二人が歩き出した時、壁に飾られた時計から、十時を告げるポーン、という音が隊舎の中に響いた。

 その音に、思い出したようにセレッソが「そう言えば」と口を開いた。


「そう言えばレアルさん、日の出の頃に、何か変な音を聞きませんでした?」

「音? いや、気が付かなかったが……というか、また徹夜したのかいキミは。まだまだ若いと思って無理をすると、後々響くから気をつけたまえよ」

「ご安心下さいな、今日()してませんわ!」

「今日()って、キミね……」


 胸を張って言うセレッソに、レアルは半眼になる。

 今日()という事は、昨日()違うという事になる。

 日常的に徹夜をしていたらしきセレッソの言葉にレアルは盛大にため息を吐いて、さらに何か言おうと口を動かし掛けた時。


「こ、こんにちはー……」


 隊舎の入口の方からノックと共に、クルトゥーラの小さな声が聞こえて来た。

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