石碑と歌姫
精霊祭が終わればアルディリアは年越しの祭りの準備で忙しくなる。
年越しの祭りとは一年の締めくくりに行われる祭りの事で、一年の労をねぎらい、新しい年を迎えようという趣旨のものだ。
コンタールでは春祭りと並んで、一年を通して最も賑やかな祭りである。
食べて、飲んで、歌い、踊り、笑い合う。そうして一日を過ごし、新しい年を迎えるのだ。
日が暮れれば各地で花火の打ち上げも始まり、とても華やかになる。
そんな年越しの祭りは、毎年精霊祭が終わって7日後と、忙しい日程で開催されていた。
年越しの祭りまであと数日と迫った今日、セレッソはシスネ、ルシエと共に年越しの祭りの準備の手伝いにコンタールの町を歩いていた。
コンタールの年越しの祭りでは、精霊祭と同じく、騎士隊も祭りの準備の手伝いであちこちに駆り出されている。
去年までは、本来の仕事である見回りに加えて、さらに手伝いも行っていたので人数の少ないベナード隊はてんてこ舞だった。
だが、今年は冒険者ギルドとも役割分担が出来ている為、今までと比べると比較的楽になっている。
昨日行われた騎士隊と冒険者ギルドとの打ち合わせは、この準備の為のものである。
もちろん、年越しの祭りの準備の手伝いは騎士隊だけが行っていたものではない。
毎年冒険者ギルドからも冒険者達を派遣していた。
だが、今までは騎士と冒険者の関係の悪さが災いして、顔を合わせればいざこざが起こり、余計に時間が掛かってしまっていたのだ。
打ち合わせをするという話は毎年あるのだが、如何せん上手く行っていない。
というよりも、打ち合わせに至るまでの段階で、色々と面倒事が起きていたのだ。
打ち合わせもまともに出来なかった為に、二度手間になったり、鉢合わせしたりと、散々である。
ルシエは去年までを思い出しながら「今年はスムーズね」と、しみじみ呟いていた。
さて、そんな手伝いに駆り出されたセレッソ達だが、彼女達に振り分けられたのは商店街の大掃除の手伝いである。
最も大掃除自体はそれぞれの店できちんと行われているので、主な手伝い先はお年寄りの所や、人手が足りない所である。
これが意外と多かった。
ならば、力のあるローロや、体力のありそうなレアルにこちらへ来て貰った方が良いのではと思うだろう。
敢えてこのメンバーである理由があった。
「ルシエさーん!」
「ひい!」
セレッソ達が町を歩いていると、遠くの方からそんな声が聞こえてきた。
掛けられた声にルシエの肩が大きく跳ねる。
顔を向ければ、そこにはルシエのファンが数人並んで手を振っていた。
そう、これである。
ルシエのファンにも掃除を手伝って貰おうという事なのだ。
隊舎でその事を聞いたルシエは沈痛な表情ではあったが、ベナードは「人手の確保には困らねェぞ」と明るく言っていた。
もっとも、ルシエのファン達も彼らの家で大掃除や片付けはあるのだが、毎年この日の為に事前にしっかりと終わらせて、嬉々として手伝いに来てくれていた。
しかも自ら率先してである。
その熱意にセレッソとシスネは頭の下がる思いだった。
「しかし、彼らが手伝ってくれるおかげで、今年の大掃除のペースはかなり早いですね」
リストを見ながらシスネが言うと、セレッソとルシエも頷いた。
「今度何かお礼をしないとって思っているのだけど……」
何がいいかしら、とルシエが頬に手を添えて首を傾げる。
「食事会に招くとか」
「あ、それいいですね。ルシエ副隊長、得意料理はありますか?」
「えっ!? えっと……その……目玉焼きなら、何とか……」
サッと目を逸らしたルシエに、セレッソとシスネは何かを察した。
目玉焼きでも彼らは喜んでくれるだろうが、流石に食事会に招いて目玉焼きだけというわけにもいかないだろう。
さらに言えば、果たしてその目玉焼きに食べられる部分は如何ほど残るかは分からないが。
とにもかくにもローロに相談してみよう、という事で話がまとまりセレッソ達は次の手伝い先に向かって歩き出した。
そうして順番に手伝いをしながら移動しながら、セレッソ達がちょうど商店街の端の方へとやって来た時の事だ。
商店街の端に、灰色をした長方形の石碑のようなものが見えて、セレッソは足を止めた。
「どうしました?」
「あ、いえ、そう言えばここまで来た事はなかったな、と思いまして」
セレッソの言葉に、ルシエは「ああ」と石碑を見て頷いた。
「あれはコンタールが創立された時に立てられた石碑ね。150年くらい前になるかしら」
「150年……」
セレッソが感心したように「ほう」と息を吐きながら石碑に近づくと、ふと石碑の前に誰かが立っている事に気が付いた。
二十代半ばか、後半くらいの女性だった。
波打つ金色の髪に、紫色の瞳。左目の下にある泣きボクロが特徴の美人だ。
髪は頭の後ろで一つにまとめられており、しっかりとした女性らしい体つきに纏うのは暖かそうな橙色のコートとスカートである。
女性は何やら熱心に石碑を見上げては、小さく口を動かしていた。
その女性の顔に、どこかで見覚えがあるな、と思っていたセレッソの隣でシスネがぽんと手を鳴らした。
「イサーク一座の歌姫の……確か名前は、ジャンヌさん」
そうだ、イサーク一座の歌姫のジャンヌである。
シスネの言葉にセレッソが彼女の事を思い出すと同時に、そのシスネの声が聞こえたようでジャンヌが振り返った。
『あ』
セレッソ達とジャンヌの声が重なる。
何と言おうか迷っていると、ジャンヌの方がセレッソに気が付き、
「あ、昨日の隊付き作家さん!」
と、笑って手を振ってくれた。
「そうですか、しばらくコンタールに」
簡単に自己紹介を済ませたセレッソ達は、石碑の前で軽く話を始めた。
ジャンヌが言うには、イサーク一座は少しの間コンタールにいる事に決めたようだった。
この間のコンタールでの公演が今年最後だったし、何よりもあの賑わいが昔を思い出して楽しかったからだとジャンヌは言う。
一座のメンバーの内、何人かは故郷で年越しをするので戻って行ったが、イサークを始めとした残ったメンバー達は年が明けて少しの間はコンタールにいるようだ。
また、人数が少なくても出来る演目を調整しているらしく、上手く行けば年越しの祭りでも公演する予定だと言うジャンヌにセレッソ達は目を輝かせた。
「ところで、石碑がお好きなのですか?」
話の区切りがついたところでシスネが尋ねると、ジャンヌはにこりと笑って石碑を見上げた。
「この石碑と同じようなもの、あたしらの拠点のムーシカにもあるんだけどね」
灰色をした長方形のような形の石碑である。
高さはローロよりも頭二つ分高いくらいだろうか。
石碑に刻まれているのは古い時代の言葉で、セレッソには何と書いてあるのかは読めなかった。
ジャンヌはその石碑の文字を指さしながら、これは歌だと教えてくれた。
「歌、ですか?」
「ええ。あたしも読み方しか知らないから、どういう意味かは分からないんだけど。そうね、ちょうど……」
軽く頷くと、ジャンヌは石碑を見ながら小さく口ずさみ始めた。
澄んだ歌声だった。
どういう意味なのかはもちろんセレッソにも分からないが、その声が紡ぐ歌は、どこか不思議で綺麗な響きを持っていた。
どこかで、聞いたような。
そんな事を思いながらセレッソ達がまるで雪解けの水のようなその歌声に聞き入っていると、彼女の歌声に惹かれてだんだんとコンタールの住人達も集まり始めた。
「臨時公演でもしちゃおうかしら」
それを見てジャンヌはくすくすと笑って、先程よりも大きな声で歌い始めた。
彼女が歌っているのは先程の石碑に刻まれた歌ではなく、アルディリアで昔から愛されている、誰もが知っている歌だ。
明るく、優しく、跳ねるように、踊るように。
とびきりの楽しい音楽に人は笑顔を浮かべ、やがて手拍子が始まると、ジャンヌはセレッソやルシエ、シスネの肩を叩いて『さあ、一緒に!』と言わんばかりに片目を瞑ってウィンクをした。
セレッソとルシエは顔を見合わせて、おずおずと小さい声から歌い始めると、それぞれの違う声が重なった響きにより手拍子が大きくなる。
それにつられて、聴衆もさらに増えた。
一度歌いだしてしまえば先程までの緊張は何のその――ルシエは人見知りも合わさってはいるが――セレッソ達の声も大きくなる。
だがシスネだけは困った顔でぶんぶんと両手と共に首を横に振ると一歩後ずさった。
そうして下がったその背中を、歌声を聞きつけて、いつの間にか聴衆に混ざっていた冒険者のアベートが軽く押した。
恐らく冒険者ギルドから割り振られた手伝いの最中に見かけたのだろう。
シスネは目を大きく見開いてアベートを振り返ると、アベートはその顔にニッと笑って見せた。
背中を押されて再び歌声の真ん中へと戻されたシスネの腕を取って、ジャンヌは引き寄せる。
顔を真っ赤にしたシスネは、どうにもならない事態にとうとう観念したらしく、小さく口を動かし、歌い始めた。
臨時公演が終わったのは、それから一時間程後の事だった。
明るい笑顔でコンタールの人々はそれぞれの仕事等に戻って行く。
石碑の前に残っているのはセレッソとルシエ、ジャンヌにアベート、そしてシスネの五人だった。
「だから嫌だったんだ……」
石碑の前にいるのが自分達だけになると、シスネは沈痛な面持ちでしゃがみこみ、両手で顔を覆って呟いた。
そんなシスネを見てぎょっとしたセレッソとアベート、ジャンヌは、彼の肩を叩きながら必死で励ます。
だがどんな言葉を投げかけられてもシスネはどんよりとした空気を増すばかりだ。
「で、でも、前よりは上達しているわっ」
ルシエもルシエなりに励ますが、シスネは一向に浮上しない。
そう、シスネは歌が大変苦手だったのだ。
最初はぎょっとしたものの、ジャンヌが旨い具合に音程を導いて、なかなか良い味の合唱にはなったのだが、それでもシスネにとってのダメージは大きかったようだ。
「ううう、分かっています、分かっていますよ……! どうせ僕は音痴で歌が下手です。家庭教師の先生も必死で教えて下さったのに、ちっとも治らない……!」
「家庭教師!? お前すげぇな!? じゃなくて、あれだよ、良い感じで受けてたじゃねぇか!」
「こんな事で受けたくないです!」
アベートの言葉にバッと顔を上げるシスネは涙目だ。
ほとほと困ったセレッソが「あ!」と声を上げて手を鳴らす。
「そう言えばシスネさん! この間サインがどうのって言っていたじゃありませんか、良ければ隊舎に戻ったらどうです!?」
「えっ」
セレッソの言葉にシスネがぴしりと固まり、目を丸くした。
先程までの沈痛な表情は、ほんのりふわっとした、どこか柔らかい物へと変わる。
アベートはそれを見て『意外と単純』と、ほっとしながら思ったが、敢えて口にはしなかった。
ルシエとジャンヌはほっとしたように表情を緩めた後、年相応のシスネの反応に思わず噴き出した。
つられてセレッソとアベートも笑い出す。
シスネだけはそんな四人を見て目を丸くしながら、しきりに首を傾げていた。




