吹雪の夜
叩きつけるような冷たい風を受けながら、セレッソは自分の体を包むあたたかい何かを感じた。
ずっと昔、どこかで確かに感じたあたたかさだ。
それはセレッソにとって希望と同じ意味を持つものだった。
「…………ん」
顔に当たる雪の冷たさに、ふっと、セレッソが目を覚ました。
雪に深く沈んだ体を起こしてせば辺りはだんだんと薄暗くなっている事に気が付く。
ぐるりと見渡すと、セレッソが倒れていた後ろには空高くへと続く岩壁が見えた。
ここはどこだろうか。
セレッソがぼんやりとする頭で考えてると、すぐ隣に見慣れた人影が倒れている事に気が付いた。
「ベナード隊長……?」
声を掛けたがベナードの反応はない。
それを見てようやくセレッソは、自分達が崖から落ちた事を思い出した。
セレッソがハッとして動かないベナードの口に耳を近づける。
呼吸の方はちゃんとしているようだ。
セレッソはほっと息を吐くと改めて辺りを見回す。
暗くなるにつれて辺りは吹雪始めている。恐らく氷の獣を倒しきれなかった為だろう。
獣は恐らく出ては来ないが、このままここにいては体が命諸共凍り付いてしまう。
「とにかく、どこかに……」
セレッソは立ち上がると反応のないベナードに手を伸ばした。
手を伸ばして、そこでセレッソは自分の体がそれ程痛まない事に気が付いた。
あの高さから落ちたのだ、幾ら下に雪が積もってクッションになってくれたとしても明らかに不自然だ。
近くにベナードがいる所から見ても、恐らく落下の際にベナードがセレッソを庇ってくれたのだろう。
セレッソはぐっと歯を噛みしめると、ベナードの腕を自分の肩に回して背負うと、ベナードを引き摺るように歩き始める。
力が入らずぐったりとした大人一人だ。重さは相当である。
それなりに腕力があっても苦しいようでセレッソの息は直ぐに上がる。
ずしり、ずしりと足を雪に沈めながら、セレッソは岩壁を離れて木々の生えている場所へと向かった。
その途中でベナードの剣が落ちているのも見えた。
ふらふらと不安定に揺れながらそれに近づくと、セレッソはしゃがんで剣を手に取る。
だが手に持ったままではベナードを運ぶことが出来ないので、セレッソは剣の柄を口でくわえた。
そうして再び足を動かす。
セレッソが前へ前へと足を踏み出す度に、彼女が背負った鞄からサラサラと何か砂のようなものが零れ、雪に落ちた。
それから数時間後。
ぼんやりとした灯りの揺らめきを瞼の裏に感じ、ベナードの意識はふっと 浮上した。
気だるさとずきずきとした体の痛みを感じながら目をゆっくりと開けると目の前に布のような天井が見える。
テントだ。
ベナードがそう思った時、
「大丈夫ですか?」
と、そんな声が聞こえた。
顔を向けると、カンテラの灯りを挟んだ向こうにほっとしたような笑顔を浮かべたセレッソが見える。
「セレッソ? ここは……」
「コンタール山の、あの精霊がどうのという話だった崖の下ですわ」
セレッソの言葉でベナードも思い出したのか、軽く頷いて、両手に力を入れてゆっくりと体を起こす。
すると腕にずきりと刺すような痛みが走り、ベナードは少しだけ眉をひそめた。
セレッソは慌ててベナードに近づくと、背中に手を当てて置き上がるのを手伝った。
「助かる」
「いえ、わたくしの方こそ。助けて頂いて、ありがとうございます」
ベナードの様子にセレッソは申し訳なさそうに眉を下げると、頭を下げた。
それを見てベナードは目を丸くしたあと、カラカラと笑う。
「いいや、俺の方こそだ」
そう言ってベナードはテントを見た。
他に誰もいない事から、このテントを張ったのもベナードを運んできたのもセレッソだろう。
ベナードの言葉にセレッソは顔を少し目を張って困ったように微笑んだ。
「……あ! そうですわ、何か食べます? 落ちてから大分時間が経っているみたいですの」
「あー、そう言えば、少し腹が減ったな。俺の方の鞄に少し……」
「うふふ。ちょっと待っていて下さいねっ」
ベナードの言葉に軽く首を振ると、セレッソは自分の鞄の中に手を突っ込み、ごそごそと中から何かを探し始める。
出て来たのは布に包まれたパンとチーズ、それと燻製肉だ。
ベナードが目を丸くしていると、
「紅茶もありますわ!」
とにこにこしながら水筒を取り出しセレッソは笑った。
それを見てベナードは思わず噴き出す。
「準備がいいなァ」
「だって雪山ですもの。惜しむらくはミルクティーではない事ですわね」
むむっと眉をひそめてセレッソが言う。
そのままセレッソはひょいひょいとカンテラのフタを取ってその火で燻製肉とチーズを軽く炙ると、パンに挟んでベナードに渡した。
ベナードはひとしきり笑い終えた後でそれを受け取ると、ふう、と大きく息を吐く。
「どうしました?」
「なにか逆だろうなってさ」
「え?」
「いや、こっちの話」
そうして軽く首を振ると、パンを受け取った手を軽く上げた。
セレッソは首を傾げると自分の分のパンも用意した後、水筒の紅茶を自分とベナードの分のカップに入れてそれぞれの前に置いた。
「精霊の恵みに感謝を」
軽く目を閉じそう言った後、二人は食事を始めた。
食べながらセレッソはふと考えた。
二人で食事。
ベナード隊長と二人で食事だ。
しかも向かい合って夕ご飯。
「新婚みたいですわね!」
パッと目を輝かせてセレッソがそう言うと、ベナードは思わずむせた。
「前より進んでねェか?」
「希望は常に前進ですわ!」
うふふ、と笑うセレッソにベナードは苦笑して肩をすくめた。
食事を終えた後、二人はテントの中にそれぞれの荷物を広げて確認し始めた。
落下した際に鞄の中の荷物は幾つか割れたり、壊れたり、物によってはどこかへ転がっていってしまったりしている。
鞄自体も落下の際に岩壁か木の枝に引っ掛けたようで、少し破れていた。
「あ」
セレッソが声を上げたのを聞いて、ベナードは顔を向ける。
「どうした?」
「いえ、ちょっと」
セレッソは口元に手を当てたまま、困ったように笑って、鞄の中からある物をとりだしてベナードに見せた。
僅かに白色の粉の入ったガラスの小瓶だ。
瓶の一部が落下時の衝撃のせいか割れている。
そこからサラサラと白色の粉が落ちていた。
「調味料か?」
「いえ、実はこれ……ルースの実の粉なんですの」
「ルースの実の粉? ……ああ、あの時持っていた奴か」
「ええ」
ベナードの言葉にセレッソは自分の手に残った粉を少し取って、ベナードに近づける。
セレッソはその上からもう片方の手をかぶせるように乗せると「指の間から中を見て見て下さいな」と言った。
言われた通り、ベナードはセレッソの親指と人差し指の間にからその手の中を覗いてみる。
そうして少し目を張った。
ほんの僅かだがルースの実の粉が黄色く光っているのだ。
「これは……」
ベナードは体を戻してセレッソに尋ねると、
「ルースの実って、太陽の光を当てると、こうして光るみたいなんですの」
「へー、そいつは面白い効果だな」
「雪山は迷いやすいですから、何かあった時の為に持ってきたのですが……」
セレッソは肩をすくめた。
このルースの実の粉は本当はベナード隊の隊付き作家として認めて貰う為の課題用に作ったものだ。
雪山で何かあった時の為に使えるならばそれはそれで良かったが、こうして何かに使う前に無くなってしまうと、何とも言えない気持ちになる。
もちろん崖から落下してこの程度で済んだならばセレッソも幸いだとは思っているのだが。
ルースの実の粉自体はまた作れば良いのだが、その材料であるルースの実は先日の分で粗方拾い終わっている為、残っているかどうか。
残っていても果たして『魔法』として認められるくらいの量を手に入れられるかは微妙な所だった。
「セレッソ?」
話の途中で、急に黙って考え込むように目を細めたセレッソを見てベナードが声を掛ける。
「えっ、あっ、何でもありませんわ!」
ハッとしてセレッソは顔を上げると、慌てて首を振って笑う。
ベナードはその様子を少し首を傾げた。
そうして、ふと、思いついたように口を開いた。
「そう言えばセレッソ。ちゃんと聞いておきたかったんだが」
「何でしょう?」
「お前さんは何でうちに来たんだ?」
ベナードの言葉にセレッソは目を瞬いた。
セレッソは以前ベナードから同じ事を尋ねられたのを思い出した。
「それはもちろん負け犬隊の汚名返上ですわ」
「ああ、それは聞いた。だがな、一度その理由をちゃんと聞いておきたいと思ったんだよ」
ベナードは真っ直ぐにセレッソの目を見てそう問いかけた。
セレッソの理由は負け犬隊の汚名返上だ。
だが言われてみれば確かに、セレッソはそれ以上の理由を話した事はなかった。
セレッソはベナードに向き直ると、
「……そうですわね。ベナード隊長は、わたくしの紙芝居の内容を覚えています?」
と、話し始めた。
ベナードが「ああ」と頷くと、セレッソは続ける。
「あれは多少は脚色してありますけれど、わたくしの体験談なんですの」
セレッソが作った『三人の騎士』の紙芝居。
あれはセレッソが実際に体験した話を、子供達に聞かせても問題ないくらい柔らかい表現で描いたものだ。
恐らく大部分の相手にはそれが創作だと思われていた事だろう。
だが、違う。
「体験談?」
「ええ。登場人物も、出来事も、全て。足りない部分は調べました」
ベナードの言葉にセレッソは頷く。
紙芝居の出来事はセレッソの目で見たものだ。
そしてその紙芝居の登場人物もセレッソが想像で書いたものではない。
ちゃんとその一人一人の事を調べて書いたのだ。
ベナードがどういう人物なのか、命を落とした二人の騎士がどういう人物だったのか。
全てではないが、出来る限りで調べて書き上げたものが、あれだ。
「あの紙芝居は、わたくしの故郷を助けてくれた騎士と騎士隊の物語です。あの騎士隊がいたこらこそ、わたくしは今、こうしてここにいる事が出来ます」
セレッソは胸に手を当ててはっきりと言う。
あの時からずっとセレッソは怒っていた。
あの時からずっとセレッソは悔しかったのだ。
そして納得出来なかった。
自分達を助けに来てくれた騎士隊が、自分達を助けに来て命を落とした二人の騎士が、自分を助けてくれた騎士が、悪く言われ続ける事が。
けれど自分が声を上げたところで誰の耳にも止まらなかった。
子供一人の声なんてちっぽけだ。
新聞社に、騎士隊に、国に、手紙を送り続けていたセレッソはそれを理解した。
ならば無視など出来ない存在になれば良い。
新聞社も国も騎士隊も動かないなら、それ以外の大勢に、伝える事が出来るようになれば良い。
だからセレッソは作家になったのだ。
物語の本文で、本のあとがきで、伝える手段など幾らでもある。
だから。
「負け犬なんて誰にも呼ばせない」
青色の目に火が灯っているように見えてベナードが目を張った。
かつてベナードが見た歪んだ色の火でなく、明るく強い光を帯びた火だ。
その火に呼び起されるように、ベナードの頭の中にかつて自分が助けた少女の事が浮かぶ。
不安そうで泣きそう顔をした小さな子供だ。
「お前」
ベナードは大きく目を張った。
そんなベナードに、セレッソは居住まいを正した後、深く頭を下げる。
「あの時も、今も。助けて頂いて本当にありがとうございました。ベナード隊長」
ベナードはセレッソを見て何かを言おうと口を動かした。
だが上手く言葉が出てこないようで、そのまま閉じる。
しばらくそうした後、ベナードは小さな声で「なぁ」と声を掛けた。
「はい」
セレッソは顔を上げた。
「……紙芝居、読んでくれない?」
「絵はないですわよ?」
「ああ、大丈夫。覚えている」
目の前のベナードは、くしゃりと照れくさそうな顔で笑う。
セレッソはベナードの言葉に嬉しそうに笑うと目を閉じて「むかし、むかし」と話し始めた。
吹雪の音の中にあっても、不思議とその声は、ベナードの耳にはっきりと届く。
ベナードもゆっくりと目を閉じると、瞼の向こうに紙芝居を思い浮かべながら、静かに、静かにセレッソの声に耳を傾け続けた。




