戦斧の不在
翌朝、テント越しに差し込むキラキラとした光を瞼に受けて、セレッソとベナードは目を覚ました。
テントから顔を出して外を覗くと、いつの間にやら吹雪は止んでおり、白い雪の積もった木の枝の上には青空が広がっている。
セレッソとベナードはテントの外へ足を踏み出すと、両手を高く上げて体を伸ばした。
「いい天気ですわねぇー」
「ああ。これなら、町へ戻るにせよ氷の獣を討伐するにせよ、動きやすそうだ」
「ですわね。……やっぱりこの場所、氷の獣のボスにバレているでしょうか?」
「だろうな」
セレッソの言葉にベナードは頷いた。
氷の獣を討伐へ向かうにあたってベナード達は『必ず日没前には山を降りる事』と決めてある。
崖の上に残ったレアル達やルシエの班も、恐らくいったんは山を降りているだろう。
冬の精霊の悪戯が起こっている時に討伐以外で山へと入るような者は獣も含めてまずいない。
必然的に、今現在コンタールの山にいるのはセレッソとベナードだけになる。
氷の獣のボスは恐らくはセレッソ達を狙うはずだ。
「レアルさん達は大丈夫でしょうか」
「ああ、平気だ」
セレッソの問いかけに、ベナードは直ぐに頷いた。
平気だろうとも、平気だといいがとも言わず、平気だとはっきり言い切る辺り、信頼しているというのが伝わって来てセレッソは微笑んだ。
「……うふふ、そうですわよね! それなら……」
セレッソはそう言うと、右手を額の辺りに上げた。
そうしてきょろきょろと忙しなく辺りを見回し始める。
どうやら何かを探している様子にベナードは少し首を傾げた。
「あ」
少ししてセレッソの動きが止まる。
視線の先を辿ると、そこには太めの木の棒が落ちていた。
棒の端の様子から見ても、恐らく昨晩の吹雪で折れてどこからか飛んできたものだろう。
セレッソはザクザクと雪の上に足跡を付けながら木の棒を拾いに歩いて行く。
「とりあえず武器代わりになるかしら」
落ちている場所へとたどり着くと、セレッソは木の棒を拾い上げて軽く振って、そんな事を呟いた。
実の所、セレッソは今、全くの丸腰である。
セレッソの武器はご存じの通りバトルアックスと言う、片刃の斧が先端についた柄の長い戦斧だ。
だがその武器は、昨日、氷の獣のボスと戦った際にその体に刺さったままだ。
もしかしたら抜け落ちているかもしれないが。
「重さがちょっと……うーん……」
セレッソは落ち着かない様子で、木の棒を握り直してみたり両手で振りぬいてみたりしている。
重さがと言っている通り、セレッソにとっては振り回して使うのにはその木の棒は軽いようだ。
そんなセレッソの様子を見ていたベナードが、ふと、何かに気が付いたように口を開いた。
「そう言えば、セレッソが戦斧を持っていないのは珍しいな」
「え?」
ベナードの言葉にセレッソは目を丸くして振り返った。
「そう、ですか?」
「ああ。ほら、戦斧そのものじゃなくても、それを入れているチェロケースをいつも持っていただろう?」
ベナードにそう言われたセレッソは、ぱちぱちと目を瞬くと、恥ずかしそうに少しだけ赤く染めた頬に片手をあてた。
見られていて恥ずかしいのと、図星を突かれて驚いたのが混ざったような、何とも複雑な表情だ。
見たことがない表情だなとベナードは思った。
ベナードの言う通り、セレッソは外出する時には、ほとんどいつもバトルアックスを入れたチェロケースを持って歩いている。
チェロケースはバトルアックスを入れても余るくらいに大きいので、荷物入れとしてちょうど良いのだ。
それともう一つ、理由の大部分を占めるのが自衛の為である。
七年前のベナード隊が負け犬隊と呼ばれるようになったあの事件以降、セレッソやセレッソの村の人々は自衛の手段を得る為に鍛えている。
小さな村だからあまり目立ちはしないが、村人の大体がセレッソくらいは動けると考えて貰えば分かりやすいだろうか。
だが、いくら鍛えようとその時に受けたトラウマはなかなか払拭は出来ないようで、セレッソは武器が近くにないと落ち着かないのだ。
「や、やだ、ベナード隊長ったら! 見られていて嬉しいですわ! 婿に!」
「お前さんは誤魔化すのは下手だな」
咄嗟に笑って誤魔化そうとしたセレッソだったが、ベナードにはそれが丸分かりのようだ。
図星を突かれた気まずさに、セレッソは肩をすくめると小さく息を吐いた。
「うう、その……何というか、落ち着かなくて」
セレッソは言い辛そうにそう言う。
今は大丈夫だと分かっているし、万が一何かあってもあの時のようにはならないとセレッソも思っている。
だが、それでも時折、頭の中でふっと浮かんでくるのだ。
七年前に死にそうになった事も、自分を助けに来てくれた騎士が命を落とした事も、ベナードが負傷した事も。
その時の恐怖は何年経っても記憶の中から薄れる事はなかった。
「そうか」
セレッソは『何を』とは言わなかったが、ベナードは何となく察したのだろう。
少しだけ目を伏せた後で、親指でテントの方を指さして、
「俺の方に武器があるし、まぁ心配しなさんな。お前一人くらい守って戦ういくら平気だ。それにルシエ達も探しに来てくれるだろうよ」
そう言って、セレッソを安心させるようにニッと笑った。
――――大丈夫だ、何も心配はいらねェよ。すぐ終わるから、目でも瞑ってな。
その笑顔を見て、セレッソは頭の中にかつて聞いた言葉が浮かんできた。
ああ、そうだ。そうだった。
じわりと胸の内に広がるあたたかさを思い出しながらセレッソは表情を緩めた。
そうして、セレッソは木の棒を持ったまま、はしっと両手を合わせて、
「やだ、ベナード隊長ったら! 婿に!」
「そこは一緒なのか」
そう言って目を輝かせた。
相変わらずの台詞にベナードは苦笑すると、セレッソもうふふと笑った。
「でも、わたくしも、もう守られる側ではありませんわ。ガンガン行きますわよっ!」
「ガンガン折れるぞ、棒が」
「うぐっ」
力瘤を作ってやる気をアピールした後でやって来た言葉にセレッソは胸を押さえて言葉を詰まらせた。
確かに。
確かにセレッソが拾った木の棒程度では、氷の獣をガンガン殴ったらあっという間に折れてしまうだろう。
「か、数で勝負ですわ!」
質より量だと言わんばかりにびしっと木の棒を構えてセレッソがそう言うと、ベナードはカラカラと笑った。
そうしてひとしきり笑った後で、ベナードはテントの方に向きを変える。
「とりあえず、今のうちに朝飯にするか」
「はいですわ!」
ベナードの言葉にセレッソはにこにこと笑顔で頷くと、跳ねるようにそれに続いた。
朝食はベナードが持ってきていた非常食用のクッキーに、昨日の残りの燻製肉を軽く火で炙ったものだ。
冷めてしまった紅茶はカップに注ぎ、その中にカンテラの火で熱した小石を入れて温める。
流石に沸かし立てとまではいかないが、冷たいものを飲むよりはマシくらいになった。
「やっぱり食事は大事だな」
「大事ですわね」
食べながらベナードはクッキーを見つめて頷いた。
昨日の夕食を思い出しているのかもしれない。
次の携帯食料はパンも候補に入れようなどと、ぶつぶつと呟いている姿に、セレッソはくすくす笑った。
そうしていると、ふと、テントの外から、何やら不思議な響きを持った遠吠えのようなものが聞こえて来る。
『――――』
つい昨日聞いたものと同じだ。
声は一つなので、セレッソが苦手としているあの何とも言えない不協和音にはならない。
その声にセレッソとベナードはお互いに顔を見合わせた。
「来たなぁ……」
「来ちゃいましたわねぇ……」
そう言うとそれぞれに、それぞれの武器を手に立ち上がった。
一瞬ベナードが握った剣を落としそうになるのが見えて、セレッソは「あ」と声を上げた。
「怪我が」
「いや、平気だ」
心配そうなセレッソの言葉にベナードは笑って首を振った。
そうして剣を握り直す。
セレッソは何か言いたげに口を開いていたが、そのまま何も言わずに閉じる。
その代わりに手に持った木の棒をぎゅっと強く握りしめた。
「……いたな」
二人が外へ出ると、そこにはまるで待ち構えていたかのように氷の獣が一匹で立っていた。
体の大きさから見ても昨日戦った氷の獣達のボスで間違いないだろう。
その体にはセレッソのバトルアックスが刺さっており、完全に凍り付いているそれはまるで氷柱のように横に突き出ている。
それを見てセレッソは頬に手を添えて叫んだ。
「同化していますわー!」
「あー、後で融かさねぇとなぁ」
倒した後に一緒に消えたりしないよなとベナードは一瞬思ったが、そこは敢えて言葉にはしなかった。
まぁ、あのバトルアックスは人工物だ。
樹氷石とは違い、万が一バトルアックスを吸収できても、体を回復はしたりは出来ないだろう。
もしも吸収出来た場合には攻撃力や凶暴性は増しそうな気はしないでもないが。
「それにしても、朝食を終えるまで待っていてくれるなんて、意外と紳士ですわね」
しみじみとそう言ってセレッソは頷いた。
セレッソが良く読む小説の中にもあるのだが、前口上を言っている最中に敵役に攻撃される事が多々ある。
創作上なのだから前口上くらい聞いてやれば良いのにと思う反面、実際に敵が戦いの前に何かを言い出したら自分でも攻撃するだろうとも思うので、読みながらセレッソは何とも言えないジレンマを感じたものだ。
「腹いっぱいになって動きが遅くなるのを待っていたのかもしれねェぞ」
「まあ! なら、食後の腹ごなしをしないといけませんわね!」
ベナードの言葉に、セレッソはくすくす笑ってそう言った。
そんな二人の前で氷の獣のボスはザク、と、一歩前へと足を踏み出す。
それを見てベナードがセレッソの前に出た。
「無茶するなよ」
「ええ、心得ておりますわっ」
氷の獣を見据えたまま言うベナードにセレッソは力強く頷いた。
ベナードは剣をヒュンと軽く振って構える。
その目は真剣だが口元はセレッソの言葉に少し上がっていた。
「それじゃあ第二ラウンドと行こうか」
ベナードの言葉に呼応するかのように、氷の獣のボスは再び、大きく、大きく吼えた。




