崖の上
休憩を終えたベナード班は黒い染みを追ってさらに山を登っていた。
先程のレアルとカルタモの一件もあり、班の中に流れる雰囲気は先程よりも確実に悪くなっている。
ベナードとセレッソも、二人が離れていた際の出来事をそれとなくサウセからその事を聞いていたが、どうにも出来なかった。
山登りの疲労と氷の獣達のボスの出現による緊張感が、それぞれの口数を自然と減らしているのもその理由の一つだろう。
時折セレッソとサウセが顔を見合わせているが、残念ながら先程の分でネタ切れだ。
良い方法が思い浮かばず、揃って肩をすくめて歩いていた。
「…………あら?」
そうして歩いていると、ふとセレッソが足を止めて不思議そうに声を上げた。
「おい、どうした」
カルタモは怪訝そうに目を細め、急に足を止めたセレッソに声を掛けた。
その後ろにいるレアルもまた同様に足を止める。
カルタモの声には多少の棘はあるものの、セレッソは気にせず自分が向けている視線の先を指さした。
「この辺りの植物、山の下にあるものと比べると、何だか元気じゃありません?」
「植物が?」
セレッソの言葉にカルタモとレアルは彼女が指さした方向へと顔を向ける。
その先にあったのは一本の木だ。
殻のついた実が生っている所から見て、恐らくルースの木だろう。
カルタモとサウセはじっとその気を見つめて、気が付いた。
セレッソの言う通り、白い雪をかぶった細い葉の色は心なしか濃く、実は大きめのような気がする。
葉に関しては鮮やかさとも言えるかもしれない。
言われてみれば気づく程度の違いではあるが、その一本だけではなく周囲の木々も同じような状態だ。
「虹色の輪の影響かもしれないね」
レアルが「ふむ」と腕を組んでそう言った。
虹色の輪の影響と言えば精霊の力だ。
一日だけでこうなるとは考えにくいので、虹色の輪が掛かる前後のある程度の日数で変化が起きたと考えるのが妥当だろう。
「……目安を付けるには良いかもしれねぇな。良く気づいたな、お前」
カルタモにほんの少しだが感心したようにそう言われ、セレッソは「うふふ」と笑った。
「作家は観察力が命ですから。……この辺りで植物を育てたら良く育つかもしれませんわね」
「それは良い考えだが、さすがにここまで世話をしに来るのは難しいだろうね」
「ですわよねぇ」
何か良い方法がないだろうかとセレッソが考えていると、
「というか、それよりもほら、さっさと進め。サウセ達と距離が出来る」
カルタモがそう言って大きくため息を吐くと、先へ進むように促した。
見ればセレッソ達が足を止めている間に、ベナードとサウセは大分先に進んでしまっている。
これは大変とセレッソは足早にそれを追った。
「でも、あれですわね。精霊が育てた野菜って謳い文句、良い響きじゃありません?」
「……そんな謳い文句出してどうするつもりだよ」
「町おこし」
さらりと言ったセレッソにカルタモは目を剥いた。
「何を考えているのかさっぱり分からねぇわ」
「あら、褒め言葉ですわね。女はいつだってミステリアスですわ」
「褒めてねぇよ」
面倒そうにがしがしとカルタモは頭をかいた。
「お前作家だろうが」
「作家は作家でも隊付き作家志望ですもの。コンタールに人が増えれば、ベナード隊の事をより知って貰えるでしょう?」
「知って貰ってどうするんだよ、あんな連中の事なんて」
カルタモの言葉が聞こえたのか、レアルの目が剣呑な光を帯びる。
セレッソとカルタモは前を向いている為、後方を歩くレアルのそんな視線には気づかない。
もしかしたらカルタモは気づいているかもしれないが、特に何の反応も示さなかった。
「カルタモさん達が知っている事と、わたくしが知っている事は違うからですわ」
「は?」
「真実は人によって如何様にも姿を変える」
訳が分からないと言うように聞き返すカルタモに、セレッソははっきりと言った。
「祖父の受け売りですの。何故と聞かれれば、それがわたくしの理由です」
「もっと分かりやすく言え」
「ベナード隊大好き」
「端折り過ぎてさっぱり分かんねぇよ!」
胸を張って言うセレッソにお手上げだと言わんばかりにカルタモは頭を抱えた。
カルタモの言葉にセレッソはくすくすと微笑んだ。
「カルタモさんは騎士がお嫌いですか?」
そのまま問いかけた言葉にカルタモは一瞬言葉を詰まらせた後、
「気に食わねぇだけだ」
と答えた。
好き嫌いではなく気に食わない、という言葉が帰って来た事にセレッソは少しだけほっとする。
「それに討伐を急ぐ理由は絡んでいます?」
「絡んでねぇよ」
ため息交じりにそう言うカルタモの言葉にレアルは少しだけ目を張る。
セレッソは「分かりましたわっ」と明るく頷く。
そうしていると三人はようやくサウセ達に追いついた。
「何してたの?」
セレッソ達が遅れている事に途中で気付いたサウセがそう聞くと、
「虹色の輪の神秘について少々」
とセレッソは真面目な顔で答えるものだから、サウセは頭に疑問符を浮かべていた。
カルタモは何とも言えない顔でそれを見て、
「……訳が分からん」
と独り言のように小さな声でそう言った。
セレッソ達が虹色の輪について話をしてから少し経った頃の事だ。
心なしか周囲の気温が先程よりも下がっている事に気付き、彼女達は足を止めた。
そうして武器を手に取ると辺りを慎重に見回す。
山を登った事によるものではない気温の下がり方だ。恐らく氷の獣達のボスがこの先にいるのだろう。
ベナードは振り返って仲間達を見ると目だけで合図をした。仲間達もそれに返すように頷く。
そしてなるべく足音を立てないようにゆっくりと前へと進んで行く。
すると。
「――――いたな」
その先の開けた場所に、氷の獣達とそのボスがまるでベナード班を待ち構えているかのように立っていた。
数は氷の獣達が三匹とボスが一匹だ。
氷の獣達の後ろには崖が見える。
先程セレッソ達が休憩を取っていた場所から続いている崖だろう。
ベナード達は氷の獣に気付かれないように体を低くすると、木々の影に隠れた。
「どうする?」
「まずは注意を引いてボスと小さいのを引き離す」
「なら俺がその役目を引き受けよう」
役割分担について相談する前に、カルタモはそう言って槍を手に、静かに移動を開始した。
それを見てサウセが軽く目を張って、
「あ、おい、カルタモ」
と声を掛けるも、カルタモが足を止める様子はない。
サウセは小さく息を吐くと、
「俺が行く」
と言って立ち上がり掛け、その肩をレアルが掴んだ。
サウセは怪訝そうにレアルを振り返る。
「いや、先程の様子を見る限り、キミは隊長と組んだ方が良い。ボクが行くよ」
「……そうだな、頼む、レアル」
「はっはっは! このボクに任せておきたまえっ」
ベナードの言葉に胸を張ってそう言うとレアルはカルタモを追った。
彼らが向かうのはベナード達がいる場所から右手の方向だ。
上手くいけば氷の獣達を左右から挟み打ちに出来る。
だが心配がないわけではない。
氷の獣達も心配ではあるが、サウセにしてみれば先程彼らが一度揉めた事の方が気がかりだった。
「ここまでは普通について来てくれたんだ、任せてみようぜ。それに、早めにボスを叩いちまえば何とかなるだろう」
「……それもそうだな」
「セレッソは周囲の警戒と、余裕があったらレアル達を手伝ってやってくれ」
「はいですわ!」
ベナードの言葉にサウセとセレッソは頷いた。
そうして三人はレアルとカルタモが配置につくのを見ながら、自分達の武器を手にじっと敵の様子を見つめる。
氷の獣達は周囲を警戒するように見回しているが、今の所はまだ気が付いていないようだ。
ベナード達が風下にいる事が幸いだったのだろう。
もっとも、氷の獣に嗅覚があるかどうかは微妙な部分ではあるのだが。
「……あのさ」
カルタモ達の準備が整うのを待っている時に、ふとサウセが口を開いた。
「俺が言うのも何だけど、カルタモの奴の事、悪いな。あいつ普段ならもっと落ち着いてるんだよ」
「だろうな、さっきの戦い見てりゃ分かるよ。状況を冷静に判断できる奴じゃなきゃ、あれは無理だ」
氷の獣達とカルタモ達の様子を見ている為、視線は前に固定されたままだったが、ベナードはそう言ってサウセの言葉に頷いた。
サウセは少しだけ目を張ると「そっか」と笑う。
二人の話を聞きながらセレッソは先程カルタモと話した時の事を思い出していた。
騎士の事が気に食わなくても、それでもカルタモは仕事自体はちゃんとしている。
指示を無視して動こうとしたのは昼の休憩の時に一度だけだ。
ならば、それとは別に何か急がなければならない理由があるのだ。
「サウセさんはカルタモさんが討伐を急ぐ理由ってご存知です?」
「急ぐ理由か? うーん……あ、もしかしたら、樹氷石かもしれねぇな」
サウセの言葉にセレッソは少しだけ首を傾げた。
樹氷石と言えば、セレッソとサウセが茶番劇で話した氷の獣を倒した際に稀に落とす素材だったはずだ。
「樹氷石ですか?」
「ああ。樹氷石って精霊の力で変化したものだからさ。氷の獣の体の中に長い時間入っていると、逆に氷の獣に吸収されちまうんだ」
それがもともと手に入り辛い樹氷石が、より手に入り辛い理由なのだとサウセは言う。
サウセの言葉にベナードも頷いた。
「氷の獣が傷を負った場合もな、それを修復する為に使っちまう事があるんだよ」
「なるほど……」
「カルタモの弟、体弱くてさ。よく熱出してるから、そいつに持って行ってやりたいのかもしれねぇなぁ……」
「……なら、急がないとですわね!」
「そうだな」
セレッソが力強くそう言うと、ベナードとサウセも笑って頷いた。
そうしているとどうやらカルタモ達も準備が出来たようだ。
「……よし、そろそろだな」
セレッソ達がカルタモ達を見ていると、向こうも同じようにセレッソ達の方を見た。
お互いに分かるように大きく頷き合うと、カルタモとレアルが木陰から勢い良く飛び出した。
『――――――――』
二人に反応をして、氷の獣達は再びあの不思議な響きで遠吠えをする。
セレッソはこの音がどうにも苦手なのだろう。眉間に少しシワを寄せて目を細めた。
「よし、離れたな。出るぞ」
思惑通り、ボス以外の氷の獣達はレアル達の方へと飛び掛かって行く。
氷の獣達がボスから十分に距離を取ったのを確認すると、ベナードとサウセ、一歩遅れてセレッソも木陰から飛び出した。
ベナードとサウセの足音に氷の獣のボスは振り返ると、低く唸り声を上げた。
セレッソがレアルとカルタモが相手をしている氷の獣達の様子を確認すると、こちらの方には気付いていないようだった。
「大丈夫です!」
セレッソがそう言うとベナードとサウセはニッと笑って、氷の獣のボスへと向かって行く。
ベナードとサウセが剣を振るうと、氷の獣のボスは地面を軽く蹴ってそれを避けた。
その大きな体とは裏腹に動きはとてもしなやかだ。
氷で出来ているはずの毛並がその動きに合わせて動いているように見える。
また、木々に囲まれた山の中では分からなかったが、その体の周囲には小さな氷の粉のようなものが舞い、日の光を受けて淡く輝いている。
冷たい光を纏うその様は美しく、同時に底知れぬ自然の恐ろしさをも感じさせた。
「ベナード隊長とサウセさんは大丈夫そうですわね。レアルさんとカルタモさんは……」
セレッソは氷の獣達を逃がさないように周囲の様子を見張りながら、レアルとカルタモの方を見た。
「大体、てめぇらのやり方はぬるいんだよ! いつも後手後手じゃねぇか!」
「先走って失敗するキミ達に言われたくないがね!」
目に映った光景にセレッソは目を剥いた。
この短い時間に何があったのか、何やら大きな声で言い合いながら氷の獣達を相手にしている。
実に器用である。
セレッソは冷や汗をかきながらそう思った。
ちゃんと戦っている分、問題がないと言えなくもないのだが頭が痛い。
「後手後手ではなく堅実と言うのだよッ」
怒鳴りながらレアルが剣を振るって氷の獣の体を斬ると、そこへ畳みかけるようにカルタモが槍を突き刺して止めを刺す。
ベナードとサウセもそうだが、こちらもこちらで戦い方の相性は良いようだ。
本人達自身の相性は別として。
「それで敵を逃がしてりゃ世話ねぇわな!」
剣と槍、それぞれを振るって確実に敵は減って行く。
セレッソが手伝う必要がないくらいの早さだ。
カルタモが自分一人で十分だと言っていた言葉も、これを見れば納得が出来た。
「大体、お前ら一体何なんだよ! おどおどした名ばかりの副隊長に、ただ図体がでかいだけの奴、生意気なチビに、貴族気取りの派手好き野郎、そして負け犬隊長様だ!……ああ、もう一人いたな、あのはた迷惑な作家の女だ! あいつが来てから、町中が騒がしくてかなわねぇ!」
「訂正したまえよ!」
レアルは力任せに最後の一匹を倒し終えるとカルタモに詰め寄る。
「嫌だね」
「訂正したまえ!」
レアルはカルタモの襟首を掴んだ。
セレッソは「あっ」と口に手を当てて、慌てて二人の下へと走る。
「直ぐに手を出すってのは噂通りだな! 前の隊でもそうやって隊長を殴って、負け犬隊に左遷されたんだろ!?」
カルタモはレアルを睨みつけてそう言った。
その言葉にレアルは大きく目を張り、ギリッと歯を噛みしめた。
「ちょ、ちょっと! 喧嘩なら後にして下さいな! 今はまだ討伐の最中ですわよ!?」
止めに入ったセレッソがレアルの腕を掴んで怒鳴るように言う。
ちょうどその時、セレッソは背後から、ぶわりとした何かの風圧を感じた。
「セレッソ、後ろだ!!」
ベナードの声に、はっとしてセレッソはもう片方の手に持ったバトルアックスを、振り返り様に横に薙ぐ。
片手だった為に力は足りないものの、勢いと遠心力でその刃はセレッソの後ろにいた相手の体にガキンと刺さった。
そこにいたのは氷の獣のボスだ。
恐らくレアル達の声でこちらに気付き、倒しやすいと踏んだのだろう。
レアルは直ぐにカルタモから手を放し、剣を構える。カルタモも同様だ。
だが。
「な……!」
三人は信じられないものを見るように目を張った。
氷の獣のボスに刺さったバトルアックスが、刺さった場所からパキパキと音を立てて凍って行くのだ。
セレッソは両手で柄を握り直すと、その体から何とかバトルアックスを抜こうとするが、動かない。
それどころか柄の方まで凍り始める。
――――その、一瞬だ。
氷の獣のボスが大きく体を震わせたのだ。
柄を握ったまま咄嗟に手を放す事が出来なかったセレッソは、その勢いで軽々と空へと投げ出される。
「ま」
まずい。
セレッソがそう言葉にする前に、ずるっと柄から手が抜けたセレッソの体は崖を落ち始める。
レアルとカルタモが目を見開いて叫んでいるのが僅かに見えた。
冷たい風が斬るように皮膚の上を滑って行く。
「セレッソ!!」
不意に、セレッソのその耳にベナードの声が飛び込んで来る。
セレッソが顔を向けると、ベナードが迷わず崖を跳び、セレッソへ腕を伸ばすのがが見えた。
「ベナードた」
隊長、と言い終える前にセレッソは腕に人の手の温かい感触を感じた。
ベナードの手だ。
セレッソの腕を掴んだベナードは、手に持った剣を崖の壁に向かって突き立てる。
岩の削れる鋭い音と振動がベナードの手からセレッソにも伝わる。
だが速度は緩まない。
「隊長、セレッソ!」
崖の上からレアルが叫ぶ。
その瞬間、ベナードの手が掴んでいた剣の柄からずるりと抜ける。
「――――ッ」
そして二人はそのまま、白く霞む崖下へと落ちて行った。




