不和
樹氷石と呼ばれる石がある。
植物の葉のような形をした、薄い青透明の小さな石だ。
これは以前グルージャが言っていた『氷の獣を倒した時に稀に手に入る素材』という奴である。
氷の獣が生まれる際にごくごく稀に、その体内に葉や花、木の実など、何らかの植物が混ざり、その植物が精霊の力を受けて変化したものが樹氷石と呼ばれている。
樹氷石は主に細かく砕いて飲み薬として使用される。
樹氷石には高い解毒作用と解熱作用があり、病の種類や毒の種類を問わず効果を発揮するのでアルディリアでは非常に重宝されている。
冬の精霊の悪戯は厄介で危険なものではあるが、こういった一面も持っている為、もしかしたら精霊からアルディリアの人々へ与えられた試練なのではないかと考える学者もいた。
「……という事だ。分かったかな、セレッソ君」
サウセは樹氷石についてセレッソに説明すると、くいっと眼鏡を上げる動作をした。
ただしサウセは眼鏡をかけてはいないのであくまで上げる動作だけである。
いわゆるただのフリという奴だ。
だが不思議な事に、サウセの目の前にいるセレッソはそんな事など気にした様子もなく、にこにこと笑顔で頷いた。
「ええ、ばっちりですわ、サウセ先生!」
しかも先生呼びである。
その返答にサウセも満足げにうんうんと何度も頷いた。
「はっはっは! それではリピートアフタミー、樹氷石イエーイ!」
「樹氷石イエーイ!」
セレッソとサウセは満面の笑顔でノリノリである。
そして笑顔のまま、セレッソとサウセはくるりと仲間達を振り返った。
「さあ、皆さんご一緒に! イエーイ!」
「イエーイ!」
両手を広げ元気よくそう言ったセレッソとサウセの声が辺りに木霊する。
だが返答はない。
無言である。
二人の耳にはサアアアと風が雪の上を滑る音が妙に大きく聞こえた。
「…………」
「…………」
セレッソとサウセは両手を雪の地面につけてがくりと崩れ落ちる。
ものの見事に完敗だった。
「手強いですわ……!」
「空気ってのはそう言うもんだぜ……」
わなわなと震えながらセレッソがそう言うと、サウセはフッと力なく笑いながらゆるゆると首を振った。
ふと、そんな項垂れる二人の肩に、ぽんと軽く手が当てられる。
二人が顔を上げると、そこには優しい笑顔を浮かべたベナードが立っていた。
「お前らの気持ちはちゃんと伝わって来たぜ。だからさ、ひとまず休んでおけよ。もう少しで出発だろ?」
「ベナード隊長……!」
「ベナード……!」
思いがけず掛けられた優しい言葉にセレッソとサウセは目を輝かせた。
その目は若干潤んでいるようにも見える。
心なしか三人の周りにはキラキラとした光の粒の幻が見えた気がした。
「はっはっは! 無駄に体力を使うなと言っているのだよっ」
その和やかな空気を華麗に突き破ったレアルが胸を張ってそう言うと、今度こそセレッソとサウセは撃沈した。
さて、セレッソとサウセが謎の茶番劇を行っていた時、ベナード班はコンタール山の中腹で昼の休憩を兼ねた十五分程の小休止中だった。
セレッソ達が座る左手側は崖のように鋭い斜面となっている。
まるで山が割けたかのように分かれたそれを見下ろしながらセレッソはコラソン亭の主人お手製のサンドイッチを食べていた。
「落ちたら危険ですわねぇ」
セレッソがぽつりと呟くと、彼女の隣に座っていたベナードもひょいと崖を見下ろす。
雪によるものか、それとも別の何かが働いているのか、崖の下の方は白く霞んでよく見えない。
「確かアルディリアの大災害の時に出来たって話だな。崖の底は精霊達の住処に繋がっている」
「ロマンですわね!」
ベナードの言葉はセレッソは目を輝かせた。
アルディリアに生まれた者にとって精霊とは特別な存在である上に、セレッソは作家である。
ロマンや不思議などそう言った言葉には実に弱い。
そんなセレッソにベナードは、
「……と言われているが、行ってみた奴が言うには特に何もなかったらしいぞ」
「ロマンがあっさりと崩れ去りましたわ……」
と言い、その言葉を聞いたセレッソはがくりと肩をすくめた。
くるくるとよく変わる表情を見て小さく笑うと、ベナードは手に持っていたサンドイッチの最後のひと欠片を口に放り込む。
これは出発前にコラソン亭の主人が用意してくれていたものだった。
コラソン亭の主人も元冒険者という事もあって、冬の精霊の悪戯が近づいてくると気になるのだろう。
ここ数日、普段の朝の仕込みの時間よりも早めに起きて山の様子を見ていたのだそうだ。
セレッソもベナードと同じように残りのサンドイッチをもぐもぐと食べ終えると、お茶を一杯口に含む。
じわりとした温かさが冷えた体に広がって、ふう、と息を吐いた。
「結構登りましたわね」
「ああ。さァて、どこで待ち構えているか」
ベナードはセレッソの言葉に頷くと、雪の上に点々と続く黒色の染みを目で追った。
ベナードが氷の獣の一匹につけた印だ。
セレッソ達はあの黒色の染みを追い掛けて進んでいる。
時折、左右にジグザグと動いてはいるものの、基本的には氷の獣は山の上の方を目指しているらしい。
恐らく虹色の輪が掛かった辺りにいるのではないかとベナードは考えていた。
「前々から気になっていたのですけれど、あの虹色の輪って一体どんな仕組みで生まれたものなのでしょうね」
セレッソがそう言うと、ベナードは顎に手を当てて「ふむ」と空を見上げた。
「冬の精霊の悪戯と言うくらいだから、精霊が関わっているんだろうが……直接調べたって話は今の所聞かないな」
冬の精霊の悪戯の際に山に掛かる虹色の輪は、大体十数分程度で消えてしまう。
その為、発生してから山を登っていたのでは到底間に合わないし、かと言っていつ現れるかわからない虹色の輪を待って山の中に籠るのは危険すぎる。
氷の獣が現れる前には普通に獣も山にいるのだ。
まさに命がけになってしまう。
事実、今までに何人かがそれで命を落としていると聞いて、セレッソはぶるりと体を震わせた。
「研究に命を賭ける気持ちは分からなくもないですけれど、でも命あっての物種ですわね……」
「そういう事だ。無茶するなよ?」
そう言ってベナードは頷いた。
セレッソの言葉通り、研究であっても研究でなくても命あっての物種だ。
二人の話が聞こえたのか、少し離れた位置でレアルやサウせと共に座るカルタモが「フン」と鼻を鳴らした。
そう、先程のセレッソ達の茶番劇のようなものはここに繋がっている。
一番最初に氷の獣と遭遇した際に、カルタモが直ぐに追いかけようとしたのをベナードは止めた。
理由としてはやはり雪山での戦いの為、それぞれの体力面を考慮しての事ではあるのだが、カルタモにはそれが不満らしかった。
ベナードが討伐班含めての安全を優先しているのに対し、カルタモは多少無理をしても出来るだけ早く討伐を終えたいと考えているようだ。
その辺りの考え方の違いがベナード班の空気を微妙にピリピリと尖ったものにしている。
それを察知したセレッソとサウセが、何とかしようと思って行った行動が、アレである。
残念ながら結果は空振りで終わったが、短い時間で打ち合わせたにしては、まぁ頑張った方だろう。
「そう言えばさっきのアレだがね、いっそ組んで何かのイベントの時にやったらどうだい?」
「掘り起こさないで下さいお願いします」
先程の事についてレアルがそう言うと、サウセが両手で顔を覆った。
なかなかに心にくるものがあるらしい。
セレッソもセレッソでそっと視線を逸らした。
小さく「次こそは……!」と呟いている辺り、まだまだやる気はあるらしい。
「はははは。……さて、そろそろ少し周りの様子を見て来るか。ちょっと待っていてくれ」
「あ、でしたら、わたくしもご一緒しますわ」
からからと笑って立ち上がったベナードに続くようにセレッソも立ち上がる。
ベナードはセレッソの言葉に頷くと、鞄を背負い歩き出した。
「気を付けたまえよ」
「はいですわっ」
レアルの言葉に頷くとセレッソも同じように鞄を背負い、ベナードを追いかける。
疲労を感じさせないその様子にレアルは少し笑うと、自分も出発の準備を整え始めた。
サウセやカルタモも同じように準備をしている。
とは言え、食事をしたり武器を軽く手入れする程度なので、それ程荷物を広げているわけではなかったのだが。
静かな空間にカチャカチャと小さな音が響くくらいだ。
その静けさにサウセがふと、セレッソがいると賑やかだったんだなと、そんな事を思っていると、
「……サウセ、お前、いつから騎士と慣れ合うようになったんだ?」
そうカルタモに話し掛けられた。
サウセが思わず顔を上げてカルタモを見ると、同じタイミングでレアルも顔を上げてカルタモを見たのが目に映った。
「慣れ合うも何も、今は仕事仲間だろ?」
「仕事仲間ね」
妙に突っかかるその態度にサウセは怪訝そうに片方の眉を上げた。
「どうしだんだよ、さっきから。らしくないぜ」
「らしくねぇのはお前だろうが。前なら騎士の肩なんて持たなかっただろう」
カルタモの言葉にサウセは一瞬言葉を詰まらせた。
恐らくカルタモは、氷の獣を追いかける自分をベナードが止めた際の事を言っているのだろう。
確かにサウセはベナードを擁護した。
そしてカルタモの言うとおり、以前のサウせならばベナードの制止を振り切って先へ進もうとする程度の事はしたかもしれない。
「騎士に従うのが支部長の指示だろう?」
少しだけバツが悪そうにサウセが言うとカルタモは小さく息を吐いた。
「支部長の指示には従うさ。だけど俺は早めに討伐を終えたいんだよ」
「討伐を急がねばならない理由でもあるのかい?」
ふと、それまで黙って話を聞いていたレアルが声を掛けた。
カルタモはレアルの方を見て少しだけ目を細めた。
「こうしてうだうだとやっている内に、倒しきれなかったらどうする気だ? ただでさえ時間制限があるんだ」
「だから確実に倒す為に体力を回復しているんだろう」
「それがまどろっこしいと言っているんだよ」
カルタモはがしがしと髪を掻く。
レアルが首を傾げると、カルタモの言葉を補足するように、顔をかきながらサウセが言った。
「まぁ、冒険者の場合は、こういう時は大体直ぐに追いかけるからな」
サウセの言葉を聞いて、レアルは「ふむ」と腕を組んだ。
「ベナード隊長だって早めに倒したいとは思っているさ」
「どうだかな。我が身可愛さに戦場から逃げ出した負け犬隊長様だ、ボスを見て怖気付いたんじゃないのか?」
吐き捨てるように言ったカルタモの言葉にレアルの目がすうと細まる。
だがそんな事など気にせずカルタモは立ち上がると、鞄を背負った。
「おい、カルタモ?」
「悪いが俺は先に行く。あの程度の数なら、俺一人でも十分だ」
カルタモの言葉にサウセはぎょっとして目を剥いた。
確かに先程の戦いの様子を見れば、今残っている氷の獣の数ならばカルタモ一人でも何とかなるだろう。
だが、それに加えて氷の獣達のボスがまだ残っているのだ。
強さは分からないが今まで戦った氷の獣達よりは強い事だけは、はっきりと分かっている。
何よりも雪山の一人歩きはリスクが高いのだ。
「待てって」
サウセは立ち上がるとカルタモの腕を掴んだ。
レアルも立ち上がり、カルタモの進む先を遮るように前に立つ。
カルタモは乱暴にサウセの腕を払い、レアルを睨みつけた。
「どけよ」
「どかないね。ボクは隊長の命令に従うまでさ」
両方の雰囲気がピリッと尖りだした事に、サウセが頭を抱えながら何か良い手はないかと辺りを見回す。
そうしていると、遠くの方でセレッソとベナードが戻ってくる姿が見えて、ぱっと表情を明るくした。
「お、おーい! ベナード隊長さーん! あとセレッソー! こっちの準備は万端だぞー! もういつでもオッケー! ワーオやったね!」
そして無理矢理に明るい声でぶんぶん手を振った。
必死である。
セレッソもサウセの声に気が付いたようで、ぶんぶんと手を振り返してくれた。
サウセの声にレアルとカルタモもベナード達のいる場所に顔を向けた後、そのままスッと視線を逸らしてお互いに離れた。
カルタモも今のところは一人で向かう事は諦めてくれたようで、サウセはほっと胸を撫で下ろす。
「……何かありました?」
「いや、うん、大丈夫……」
離れる前とは違う雰囲気にセレッソが首を傾げると、サウセは首を振って疲れたように息を吐いた。




