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氷の獣


 コンタール山へ入ったベナード班は、ルシエ班とは別のルートから山へ入っていた。

 雪を乗せた木々の間から晴れた空が見えるものの、気温は低く寒い。

 足下の雪もセレッソの膝下くらいまであり、坂道である事も合わさって歩くと想像以上に体力を消費する。

 また、いつ現れるか分からない氷の獣にも注意を割きながら雪山を登るのは、なかなかに大変なものだった。

 体力を使う仕事に慣れている騎士や冒険者以外にセレッソも入っている為か、先頭を歩くベナードは時折後ろを振り返っては、全員がちゃんとついて来ているかを確認しながら進んでいる。

 歩く順番は先頭からベナード、サウセ、セレッソ、カルタモ、レアルだ。

 セレッソが入る事によって冒険者の人数が一人減っているが、かねがね話し合い通りの編成となっている。

 騎士隊メンバーは例年通りだが、冒険者の方は現在コンタールに残っている冒険者の中から実力重視で選出されていた。

 そうして選出したメンバーの中から全体的な相性や戦い方の傾向を考えた上で今回の編成となっている。

 セレッソの場合はベナード班とルシエ班どちらでも良かったのだが、武器の関係と冒険者(カルタモとカトレーヤ)の騎士に対しての感情を考慮した結果、こうなった。

 グルージャからすれば、実力が伴っていればヒラソールやペーラ等、騎士に対して友好的な冒険者を選びたかったのが本音だろう。

 雪合戦の後にレアルとサウセが意気投合したのは幸いだった。


「やっぱり、他の獣の姿は見えないね」


 周囲を警戒しながら歩くサウセがそう言うと、ベナードは「ああ」と頷いた。

 冬の精霊の悪戯が始まると、山からは肉食草食関係なく、ほとんどの獣が姿を消す。

 昨日セレッソ達が遭遇したアスール狼も同じだ。

 獣達にはそういった自然に関する何かを察する力があると言われている。

 氷の獣に襲われないように、冬の精霊の悪戯が発生するのを事前に察知して、一時的にどこかへ避難しているのだろう。

 氷の獣は人だけではなく植物や無機物以外の全ての命あるものに平等に襲い掛かる。その平等さは精霊の恵みが誰に対しても等しく与えられる事を体現していると精霊信仰では伝えられていた。

 冬の精霊の悪戯などと名前だけならば実に可愛らしいものだが、実際の所は可愛さなど欠片もない危険で厄介なものだ。

 何故このような現象が起こるかは未だに解明はされていない。

 だがはっきりと分かっているのは、放置しておくと危険であるという事と、氷の獣の討伐が終わると再び山に獣が戻ってくるという事だった。


「天候が良い事だけは幸いだな」

「ええ、悪天候で視界が悪くなると、氷の獣の姿は本当に見せませんものね」


 ベナードの言葉にセレッソは頷いた。

 そうなのだ。氷の獣はその名の通り氷でできた透明な体を持っている為、悪天候なら悪天候な分だけ姿が確認し辛い。

 何せ体の向こうが透けて見えるのだ。明るい場所ならば氷で出来た体がその光で輝いて見つけやすいが、暗い場所やあまり天気が良くない時は当たりの景色に同化しているように見える。

 特に雨や雪の日などは最悪で、視界が悪い見つけ辛い上に、氷の獣を剣などの武器で攻撃しても浅い傷ならばそこへ雨や雪が入り込み直ぐに修復されてしまう。


「そう言えばキミも冬の討伐は何度か参加した事があるのだったか」

「ええ、二回ほど」

「……二回ねぇ」


 レアルとセレッソの会話を聞いていたカルタモが片方の眉を上げて不審そうにそう言った。


「まぁ、見た目からだと疑問だよな」


 カルタモの言葉にサウセが肩をすくめて言った。

 恐らく以前にセレッソと対峙した時の事を思い出したのだろう。

 

「つまり一粒で二度美味しいという事ですわね!」

「二度って」

「三度でも良いですわ!」

「何故増やしたんだい」


 胸を張って言うセレッソにメンバー達から小さく笑い声が上がる。

 カルタモだけは相変わらず不審そうな顔ではあったが、それ以上は何も言わなかった。


「サウセさん達は如何です?」

「討伐か? 俺は別の村からの依頼で何度か。カルタモもそのくらいだよな」

「ああ」


 サウセの言葉にカルタモは短く答えた。

 冒険者ギルドにもそう言った冬の討伐に関する依頼は今までに数回来ているのだそうだ。

 そのほとんどがセレッソ達のような駐留する騎士が少ない村で、本部や周辺の騎士隊からの応援がどうしても間に合わない時に、だったらしい。

 そう言った部分からも冒険者達の苛立ちは募ったのだろうとセレッソは思った。


 そんな事を話しながら進んでいると、不意にどこかからキィンと独特の響きを持つ音が聞こえてきた。

 グラスハープという水の入ったグラスを指で擦って鳴らした音に似ている。

 ベナード班は足を止め、それぞれの武器を手に取って警戒の色を強めた目で周囲を見回す。

 このキィンとした独特の音は氷の獣の鳴き声である。

 氷の獣には声帯がないので厳密に言えば鳴き声とは言えないかもしれないが、便宜上アルディリアではそう呼んでいた。


「おっと、いたな」


 ベナードの目が僅かに細まる。

 その視線は右前方へと向けられている。

 ベナードの視線を伝って、メンバー達もそちらへと目を向けた。

 木々の間、積もった雪をゆっくりと踏みしめてそれら(、、、)はいた。

 青く透き通った体、本物の毛並を表現するかのように細かな氷のそれ、頭の上でピンと尖った狼のような耳。


――――――氷の獣である。


 数はおおよそ十匹、その姿は狼と酷似していた。


「相変わらず美しいものだね。討伐対象でなければ一度ゆっくりと眺めてみたいものだが」

「同感だ」


 レアルの言葉にサウセが笑って頷いた。

 相手の数を見ても軽口を叩ける程度には余裕があるようだ。


「セレッソ、頼む」

「はいですわっ」


 ベナードに声を掛けられたセレッソはコートの中から発煙筒を取り出した。

 この発煙筒は出発前にシスネから両方の班にそれぞれ渡されたものだ。

 氷の獣は基本的に群れで行動する。

 その為、一度どこかで姿を現せば他の場所では現れる事はまずない。

 事前の相談で、氷の獣と遭遇した際には、発煙筒でもう一方の班へと知らせる事になっていた。


「行きますわよ」


 セレッソは手に持った発煙筒の先端を、近くの木の幹に勢いよく擦り付ける。

 シュッと火のつくような音が聞こえたかと思うと、発煙筒からは直ぐにもくもくと橙色の煙が上がり始めた。

 その瞬間、発煙筒の煙に反応したように氷の獣達は一斉に遠吠えを始めた。

 幾つもの声が不協和音のように重なって響き、ビリビリと辺りの空気を震わせる。


「――――ッ」


 ざわりと耳の奥を撫でるような感覚に、セレッソは思わず耳を塞ぎたくなるのを何とか堪えた。

 挙げかけた手に持っていた発煙筒を、倒れないようにしっかりと雪の地面に突き刺すと、バトルアックスを構える。

 見ればベナード達もすでにその手に武器を構えていた。


「まだボスの姿が見えねェ。全員、焦るなよ」

「了解」


 ベナードの言葉に全員が頷く。

 獣の群れがそうであるように、氷の獣にもボスと呼ばれるものが存在する。

 群れの中で最も体が大きく強い獣だ。

 今、目の前にいる氷の獣の群れには、目立って特別なものはいない。

 氷の獣のボスの現れ方には二種類あり、ひとつが群れと同時に現れる場合、もうひとつが群れを倒した後に現れる場合だ。

 どちらの場合でも厄介な事には変わりがないが、ボスと群れを同時に相手にしてなくて良い分、後者の方がまだ戦いやすい。

 もちろん疲労や怪我の具合にもよるが。

 今回の場合は群れを倒した後に現れる方だろうとベナードは考えた。

 

「来るぞ!」


 そうして氷の獣の声が収まった時だ。

 氷の獣が駆け出すのとベナードが叫ぶのはほぼ同時だった。

 雪を蹴って氷の獣がベナード達に向かって飛び掛かってくる。


「おっとボクかい、嬉しいね!」


 まず最初に狙われたのはレアルだった。

 レアルは抜いた剣で、牙をむいて飛び掛かって来た氷の獣の牙をガキンと音を立てて受け止める。

 そしてそのまま剣を振り抜き、氷の獣を前方へ弾き飛ばす。

 その隣ではカルタモが槍を巧みに扱って複数の氷の獣の動きをけん制していた。 

 ちらりとそれが見えたレアルは感心したように少し目を丸くする。

 上手い。

 言葉にはしなかったが、そう思った。

 カルタモは三匹の獣達の注意を自分に引きつけて、味方に負担が減るように戦っている。

 もちろんカルタモ自身も一人で三匹の相手を倒す事は難しいが、そうやって引きつけてくれている分、大分戦いやすい。

 特にカルタモの近くで戦っていたセレッソやレアルにとっては有難かった。


「お強いですわ、ねっ!」


 セレッソはカルタモに向かって素直にそう言うと、自分が相手にしている氷の獣に向かってバトルアックスを振り下ろす。

 ヒュンと風を切って振り下ろされたバトルアックスの刃は氷の獣の足の一部を削り、その周囲にヒビを入れた。

 氷の獣の体は硬い。一撃では倒せない事はセレッソも理解していた。

 また、セレッソ自身もあまり動きの速い相手との相性が良くないので、まずは相手の動きを削ぐことを優先したのだ。

 以前教会でサウセやアベートと戦った際に、基本的に受け身だったのはその関係もある。


「弱ぇ奴が討伐になんか参加するかよ!」


 カルタモは律儀にそう――怒鳴りはしたが――返した。

 セレッソは小さく笑うと自分の戦いに集中した。

 その左隣ではベナードとサウセが協力して複数匹相手に戦っている。


「まず一匹!」

「オーケー!」


 ベナードが向かってくる氷の獣を剣で捌き、サウセの方へと飛ばすとそれをサウセが力任せに切り伏せる。

 特に事前に相談していたわけでもなかった二人だが、どうやら戦いに対する考え方が似ているようだ。

 するりと流れるような動作で氷の獣達と戦っている。

 サウセが氷の獣を削り止めを刺している間にベナードは残りの獣の相手をする。

 向かってくる獣達を剣で斬りつけ、距離を取り、弱らせた相手から順番にサウせの方へと送る。

 ゆっくりと、だが確実に数は減って行く。


「よいしょっと!」


 セレッソが相手をしていた氷の獣を倒す頃には、十匹いた獣達の数は半数以下まで減っていた。

 あと少し。

 セレッソとレアルがカルタモが相手をしている獣の討伐を手伝いは始めた、ちょうどその時だ。


『――――――――』


 先程の氷の獣と似た音を持つ遠吠えが辺りに響いた。

 その声を聞いた獣達は一斉に動きを止める。

 そうして踵を返して山の上の方へと駆け上がり始めた。

 ベナードはそれを見て、コートの中から何かを取り出して、氷の獣の一匹に目がけて投げつける。

 当たった瞬間その何かは弾け、ぶわりと何やら黒色の粉が獣にまとわりついた。

 だが氷の獣はそれに構わずに斜面を登って行く。


「……ボスのお出ましか」


 獣の走って行く先を見てレアルが目を細めた。

 その言葉にセレッソ達も顔を上げた。

 視線のその先、ベナード班がいる場所よりもずっと高い位置に、今まで戦っていた氷の獣達の二倍以上はあるであろう大きな体の獣が立っている。

 レアルの言葉通り、あれが氷の獣達のボスなのだろう。

 ボスらしき氷の獣はベナード班を見下ろしすと向きを変え、戻ってきた氷の獣達を引き連れてさらに山の上の方へと走って行く。


「逃がすか!」

「待て」


 直ぐに追いかけようとしたカルタモの肩をベナードは掴んで止める。

 追いかける為にはこの斜面を駆け上がらなくてはならない。ここで下手に体力を消耗し過ぎれば返り討ちに合う可能性が高くなるからだ。

 カルタモはギッと振り返りベナードを睨みつけた。


「待っていられるか、逃げられるぞ!」

「カルタモ落ち着け。そういう決まりだっただろ」

「だがなサウセ!」

「落ち着けって。止めたって事は何か考えがあるって事だろ、隊長さん?」


 サウセがそう言うと、ベナードは「ああ」頷いて氷の獣達が走って行った方向を見上げる。

 するとそこには雪の上に黒色の染みのようなものが点々と続いていた。

 あの黒色の染みは騎士隊で追跡用に使われる特殊な粉末で出来る物だ。

 上に雪が乗ってもじわりと染み出すので、滅多な事では消えたりはしない。

 それを見てカルタモは不満そうに舌打ちをして、乱暴に肩を掴むベナードの手を払った。


「あれを追えば良いって事か。効果時間は?」

「二、三日って所だね」


 サウセの言葉にレアルはそう答えると、自分達が倒した氷の獣に目をやる。

 倒れた獣達の体はサラサラと砂のように崩れ、やがて雪の中へと消えて行った。

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