修行
――朝。
町の外周を走る四人の少女たちの姿があった。
「はぁ……はぁ……」
先頭を走っているのはアリサ。その少し後ろをミリア。さらに離れてセラとリゼットが続いている。まだ一周目。町の外周を一周するだけなら、そこまで苦しくはない。少なくとも、アリサはそう思っていた。
「……ねえ」
走りながら、アリサが後ろを振り返る。
「まだ一周目だよね?」
「そうよ……」
ミリアが息を切らしながら答える。
「あと……四周……」
「……」
「……」
二人の間に沈黙が落ちる。アリサは後ろを振り返った。
「はぁ……はぁ……」
セラはすでに顔を真っ赤にしていた。
「む、無理……」
「頑張ってください!」
隣を走るリゼットが励ます。
「大丈夫です。ゆっくりでも走り続ければ――」
「その『ゆっくり』が……つらい……」
「セラ! 止まっちゃ駄目!」
アリサが叫ぶ。
「分かってる……!」
セラは歯を食いしばる。昨日までなら、ここで誰かが「休もう」と言っていたかもしれない。だが今日は違う。四人とも分かっている。これは遊びではない。昨日、自分たちは死にかけた。そして今、自分たちは強くなるためにここにいる。
「……走ろう」
アリサが前を向く。
「まだ始まったばかりだから」
「……そうね」
ミリアも頷いた。四人は走り続けた。
◇
町の外周。少し離れた場所にラントが立っていた。腕を組み、四人の姿を眺めている。四人が走り始めてから、まだ一時間も経っていない。だが、ラントにはすでに四人それぞれの問題が見えていた。
「……なるほど」
ラントは小さく呟いた。
アリサ。足は速い。体力も四人の中では一番ある。だが、走り方が雑だ。最初から速度を出しすぎている。このままでは後半に失速する。
ミリア。走る速度は遅い。だが、一定している。体力も悪くない。ただし、身体が硬い。戦闘でも動きが遅くなるだろう。
セラ。
明らかに体力不足。魔法使いだから仕方がない――という話ではない。戦場では、魔力だけで戦うことなどできない。魔力が尽きた後も、生き残らなければならない。
そしてリゼット。体力はセラよりある。だが、周囲を気にしすぎている。自分が遅れていることより、他の三人の状態ばかりを気にしている。
「……全員、問題だらけだな」
ラントはため息をついた。
◇
「……三周目……」
アリサが呟いた。
「あと二周……」
ミリアが答える。
「……二周もあるの?」
「あるわよ」
「……」
アリサは黙った。さすがに疲れていた。最初は余裕だった。だが、二周目を過ぎた頃から足が重くなってきた。三周目に入ってからは、呼吸も苦しい。それでも、
「止まらない……!」
アリサは走る。
「止まったら……負けだ……!」
何に負けるのか、自分でも分からない。ラントに「止まるな」と言われたわけでもない。それでも走る。
昨日、ゴブリンを前にして動けなかった自分が悔しかった。だから、
「……もっと……」
強くならなければ、そう思った。
◇
四周目。
「もう……無理……」
セラが足を止めた。その場で膝に手をつく。
「セラ!」
リゼットが振り返る。
「先に行って……」
「でも――」
「大丈夫だから……」
セラは息を切らしながら笑った。
「私、一人で少し休んでから行く……」
「駄目だ」
突然、声が聞こえた。
「ラントさん……?」
いつの間にか、ラントが近くに立っていた。
「座るな」
「でも……」
「歩け」
「え?」
「走れとは言っていない」
ラントはセラを見る。
「歩いてでもいい。最後まで進め」
「……」
セラは立ち上がった。
「はい……」
ゆっくり歩き始める。リゼットも隣を歩く。
「私も一緒に行きます」
「お前は走れ」
「え?」
「セラに合わせる必要はない」
リゼットは困った顔をした。
「でも……」
「自分の課題をやれ。セラは俺がついている」
リゼットは言葉を失う。セラは少し申し訳なさそうに笑う。
「行っていいよ」
「……」
「私、ちゃんと追いつくから」
リゼットは迷った。だが、頷いた。
「分かりました」
走り出す。数秒後。
「リゼット!」
セラが呼ぶ。
「何ですか?」
「ありがとう!」
リゼットは振り返らずに笑った。
「どういたしまして!」
◇
五周目。四人は誰も会話をしなかった。ただ走った。
そして――。
「……ゴール……!」
アリサが地面に倒れ込んだ。
「はぁ……はぁ……」
ミリアもその場に座り込む。
「……三十五キロ……」
「実際は一周七キロより少し短い」
ラントが言った。
「それでも……きつい……」
セラはその場に仰向けになる。
「死ぬ……」
「死なない」
「そういう意味じゃない……」
リゼットも肩で息をしていた。
「……終わりました」
「ああ」
ラントは四人を見渡した。
「よくやった」
その一言に、四人の顔が少しだけ明るくなる。
「ただし…これは準備運動だ」
四人の表情から、一瞬で生気が消えた。
「じゅ、準備……?」
アリサが震える声で聞く。
「ああ」
「これが?」
「これがだ」
アリサは驚愕の表情で地面を見た。
「私、さっきまでここを三十五キロ近く走ってたんだよね?」
「そうだな」
「……準備運動?」
「準備運動だ」
「…………」
アリサは無言でミリアを見る。
「ミリア」
「何かしら」
「私たち、帰っていいと思う?」
「思わないわ」
「即答!?」
「ラントさんが帰してくれるとは思えないもの」
「そこじゃないよ!」
セラが地面に倒れたまま呟く。
「……私、もうむりぃ…」
リゼットも小さく手を挙げる。
「私もです……」
「お前たち」
ラントが四人を見る。
「午後から戦闘訓練をする」
「…………」
「鬼……」
アリサが呟いた。
「何か言ったか?」
「何でもありません!」
アリサは反射的に背筋を伸ばした。
◇
昼食後、四人がラントの後を追ってしばらく歩くと、町の外れにある開けた場所へと出た。地面は踏み固められているだけで、訓練場と呼ぶにはあまりにも殺風景だ。四人はその場に立ったまま、ラントを見る。
「……ここで修行するんですか?」
アリサが尋ねる。
「ああ」
「でも……何もないですよ?」
「必要ない」
「必要ないって……」
アリサが周囲を見回す。ラントは背負っていた荷物を地面へ置くと、そこから一本の木剣を取り出した。使い込まれているものの、手入れの行き届いた剣だった。
「アリサ」
「え?」
「剣を持て」
ラントはアリサに一本の木剣を投げ渡した。アリサは反射的に木剣を受け取る。
「今日からお前は、あらゆる角度からミリアに打ち込め」
「……私が?」
「ああ」
「どれくらい?」
「限界まで」
「……それって……何回ですか?」
「回数を気にするな」
「じゃあ百回!」
「違う。無限だ」
「む…無限……」
アリサの顔が引きつった。一方、その隣ではミリアが盾を構えていた。
「ミリア」
「はい!」
「アリサの攻撃を防げ」
「……え?」
ミリアが目を丸くする。
「私が?」
「そうだ。そして防御したなら、次に反撃する」
ラントはミリアの盾を指差した。
「私が……?」
「ああ」
ミリアは戸惑いながらアリサを見る。
「アリサ、本気で来てください」
「もちろん!」
アリサが構える。
「いくよ!」
一直線に突っ込んでくる。ミリアは盾を構えた。
ガンッ!強烈な衝撃。
「くっ……!」
腕が痺れる。だが、ミリアは踏ん張った。
「よし!」
アリサが剣を引こうとする。その瞬間――ミリアが盾を前へ押し出した。
「っ!?」
アリサの身体がよろめく。ミリアは一歩踏み込んだ。盾の縁をアリサの胸元へ向ける。
「そこ!」
アリサが慌てて避ける。
「おお……!」
ミリア自身が驚いていた。
「今のだ」
ラントが言う。
「防ぐだけではだめだ。敵の攻撃を止める。体勢を崩す。そして反撃する」
ミリアは盾を見つめる。
「盾は……ただ耐えるためのものじゃない」
「そういうことだ」
「はい!」
再びアリサが構える。
「じゃあ、もう一回!」
「来てください!」
二人の訓練が始まった。アリサが攻める。ミリアが防ぐ。盾で受ける。押し返す。
反撃する。最初はぎこちなかった。だが、何度も繰り返すうちに、2人の動きが少しずつ変わっていく。ただ攻撃をするのではない。ただ攻撃を受けるのではない。受けた瞬間に、次の行動を考える。
「もう一度!」
「はい!」
◇
「セラ、リゼット」
「「はい」」
二人の前には、魔力測定用の魔石が置かれていた。
「お前たちは魔力量を増やす」
「魔力量を……?」
セラが首を傾げる。
「どうやってですか?」
「使う」
「……それだけ?」
「ああ」
ラントは魔石を二人に渡す。
「魔力を使い切れ」
「使い切る……」
「限界までだ」
セラの表情が固まる。
「でも……魔力がなくなったら、魔法が使えません」
「だから使い切る。使い切ったら魔石を握れ。魔力の回復が早まる効果がある。ある程度回復したらまた使い切る、その繰り返しだ」
「ええ……」
リゼットも不安そうに魔石を見る。
「それで、本当に増えるんですか?」
「魔力には器がある。限界まで使うことで器に負荷がかかり、回復すると、その器がほんの少しだけ広がる。ただし、一度や二度で増えるものじゃない。それに増えるのも少しずつだ」
「少しずつ……」
「今のお前たちは、魔力を使うことを怖がりすぎている」
セラが俯く。確かにそうだった。魔力がなくなるのが怖い。だから強い魔法を一度使っただけで、残りを気にしてしまう。
「使える魔力を増やせ」
ラントの言葉は簡潔だった。
「限界まで使い、限界まで休む。かなりきついぞ」
「……はい」
セラが杖を構える。
「ファイア!」
十回。二十回。最初は簡単だった。三十回を越えた頃から、火球が明らかに小さくなる。そして続けるうちに、セラの呼吸が荒くなる。
「ファ……イア……!」
最後の火球が消えた。
セラの身体から力が抜ける。
「……もう……無理……」
その場に大の字で倒れ込む。
「それがお前の限界だ。よし。魔石を持って休憩しろ」
「はい……」
その隣ではリゼットも同じように魔力を使っていた。回復魔法。身体強化魔法。光の矢。また回復魔法。一つ一つは小さな魔法だった。だが、それを何度も繰り返す。
「……ヒール」
光が消える。
「もう一度」
「はい……!」
「限界まで使え」
「……はい!」
リゼットもまた、自分の魔力が空になるまで魔法を使い続けた。
◇
夕方。
四人は地面に倒れていた。
「……もう……何もしたくない……」
アリサが呟く。
「同感ですわ……」
ミリアも疲れ切っている。セラは仰向けになり、リゼットはその隣で目を閉じていた。そんな四人を見下ろしながら、ラントは言う。
「今日の修行は終わりだ」
「……本当ですか?」
アリサが弱々しく尋ねる。
「ああ」
「やった……」
小さく拳を握る。
だが――
「明日も同じだ」
「…………」
四人が固まった。
「……え?」
「走る」
「はい……」
「打ち込む」
「はい……」
「防ぐ」
「はい……」
「魔力を使う」
「…………はい」
四人は力なく返事をした。ラントは背を向ける。
「強くなりたいと言ったのは、お前たちだ」
四人はその背中を見つめる。
「なら、強くなれ」
その言葉だけを残し、ラントは歩いていった。四人はしばらく黙っていた。やがてアリサが立ち上がる。
「……絶対、強くなってやる」
ミリアも盾を握る。
「ええ」
セラも杖を抱え直した。
「……私も」
リゼットは静かに頷いた。
「私も、頑張ります」
四人の修行は、まだ始まったばかりだった。
四人の姿を見ながら、ラントは小さく息を吐いた。
「思ってたよりもやるな……さて」
明日からは、もう一段階上げるか。その言葉を、四人はまだ知らなかった。




