王国騎士
――キルディス王国王都、裏路地。
「―――そこまでだ」
凛とした声が、薄暗い路地裏に響き渡る。次の瞬間、再び鋭い風の刃が地面を走り、イリアスと少女たちの間に深い溝を刻んだ。
「っ!」
イリアスが咄嗟に後方へ跳躍する。地面に刻まれた溝を一瞥し、その攻撃の出処へ視線を向ける。視線の先、大通りへ続く道の前に立っていたのは、1人の青年だった。
濃い青色の髪に燃えるような赤い瞳。白を基調とした美しい鎧に身を包み、背中には純白のマントをなびかせている。腰には装飾の施された剣が佩かれていた。青年は少女たちの様子を一瞥すると、すぐさまイリアスへと視線を戻した。
「これ以上の狼藉は許しません。武器を捨て、こちらの指示に従っていただけますか」
「あら?誰かと思えば、この国の騎士様じゃない。ずいぶんと格好いい登場の仕方をするのね?」
イリアスは細身のナイフを指先でくるりと回し、興味深そうに青年を見つめた。声は今までと変わらないが、警戒のレベルがこれまでとは段違いに上がっているのが彼女の琥珀色の瞳から読み取れた。
「まずは、その手に持っている武器を置いてください」
「嫌だと言ったら?」
「実力行使させていただきます」
青年は穏やかな声で答えた。その声音には怒りも、焦りも感じられない。目の前にいるのが刃物を持った得体の知れない危険人物であるにもかかわらず、彼は少しも動じていなかった。イリアスは数秒、青年の顔を見つめ、
「ふふっ……あははっ!」
イリアスはナイフで口元を隠しながら、楽しそうに笑い始めた。
「いいわねえその態度!私が誰だか分かっているのに、そんなに落ち着いていられるのね?」
「あなたが何者であろうと、一般市民を襲った事実に変わりはありません」
「あらあら、正義感が強いのね」
「騎士として国民の安全を守るのが当然の務めです」
「騎士として、ねえ……」
イリアスはナイフをくるくると回し、切っ先を青年に向ける。
「それじゃあ、騎士様。あなたを殺したら、私はどうなるのかしら?」
「あなたのことは噂でしか聞いたことがありませんので、どれほどの実力か分かりかねますが......」
「ふふっ。素敵な返事!」
イリアスの身体が、わずかに沈んだ。地面を蹴り、接近する予備動作。青年はその動きを見逃さなかった。青年は腰の剣に手をかけ、
「……仕方ありませんね。王国騎士、ヴィンテル・オルタ。これより、あなたを拘束します」
ヴィンテルが剣を鞘から引き抜いた。その刃が陽光を反射した瞬間、イリアスの姿が消えた。
「っ!」
アリサが目を見開く。速い。先ほど自分たちが戦ったとき以上の速度だった。イリアスは地面を蹴り、一気にヴィンテルの懐へ潜り込んでいた。右手のナイフが下方から跳ね上がり、鎧の隙間を狙う。だが、ヴィンテルはわずかに剣を傾け、その一撃を受け流した。
甲高い金属音が路地裏に響く。イリアスは止まらない。笑みを張り付けたまま、弾かれた勢いを利用して身体をひねり、左手のナイフを横薙ぎに振るった。ヴィンテルは半歩後退しながら剣を引き戻した。刃と刃が交差し、激しく火花が散る。
「へえ……!」
イリアスの口元が大きく歪んだ。
「今のを止めるのね?すごいわあ」
イリアスは嬉しそうに笑い、一度後退した後、姿勢を低くし再び距離を詰めた。ナイフが連続して閃く。喉元、脇腹、太腿、手首。狙いはどれも急所か、それに近い部位だった。ヴィンテルはそのすべてを剣で受け、あるいは身体をわずかにずらして回避する。無駄な動きがない。相手の攻撃を防ぐだけではなく、次の攻撃が来る位置まで予測しているかのようだった。
「す、すごい……」
セラが息を呑む。アリサもまた、目の前の戦闘から視線を外せずにいた。自分たちが4人がかりで相手をしても、まったく歯が立たなかった狂気の女、イリアス。その攻撃を、ヴィンテルは正面から受け止めている。しかも、ただ防いでいるだけではない。
「アリサ、あれ……」
「どうしたの?ミリア」
アリサは目の前で行われている闘いに釘付けになりながらも、横目でミリアを見る。
「ヴィンテルさん相手の動きを誘導してる。イリアスは好きな方向へ動いているように見えるけど、ヴィンテルさんの剣が壁があるせいで、実際には動ける場所が限られているの」
「そんなことまで分かるの?」
「分かるというより……盾を使っていると、少し似た状況になることがあるの。相手の進路を制限して、攻撃しやすい位置へ誘導するのよ」
ミリアの視線はヴィンテルの足元へ向けられていた。剣だけではなく、踏み込みの角度、立ち位置、重心の置き方。そのすべてが計算されているように見えた。一方、イリアスもまた、簡単に追い詰められる相手ではなかった。これが王国騎士の戦い方かと痛感する。
「ふふっ!」
彼女は突然、ヴィンテルの剣を強く弾き、後方へ跳ぶ。壁を蹴り、反対側の建物の出っ張りへ足をかけると、そのまま高く跳躍した。ヴィンテルは即座に顔を上げた。頭上から、イリアスが急降下してくる。2本のナイフが左右から交差するように迫った。
ヴィンテルは剣を頭上へ掲げ、片方の刃を受け止める。もう片方は身体をひねってかわした。だが、イリアスの攻撃はそれで終わらなかった。着地と同時に地面を蹴り、低い姿勢からヴィンテルの足元を狙う。ヴィンテルは後方へ跳んだが、ナイフが鎧の脚部をかすめる。
「危ない……!」
アリサは思わず声を上げた。イリアスは攻撃の手を緩めない。上から、下から、左右から。体格差を利用した立体的な動きで、ヴィンテルの隙を探し続けていた。対するヴィンテルは、剣を構えたまま静かに息を吐いた。
「なるほど。地形を利用した戦い方にも慣れていらっしゃるのですね」
「褒めてくれてうれしいわ!」
「ですが、いつまでも同じ手が通用するとは限りません」
ヴィンテルの足元で風が渦巻いた。次の瞬間、彼の身体が一気に加速する。
「っ!?」
イリアスの目が見開かれた。先ほどまでとは明らかに違う速度だった。ヴィンテルは一瞬で間合いを詰め、剣を横薙ぎに振るう。イリアスはナイフを交差させて受け止めた。しかし、その衝撃は想像以上だった。
「ぐっ……!」
両腕に痺れが走り、イリアスの身体が後方へ押し飛ばされ、壁面に叩きつけられる。彼女は壁に片手をつき、どうにか体勢を立て直した。
「……へえ」
イリアスは自分の両腕を見下ろした。剣撃を正面から受けたことにより指先がわずかに震えている。
「風魔法の応用かしら?」
「お答えする必要はないかと」
「つれないわねえ!」
イリアスは再び地面を蹴り接近するが、ヴィンテルの剣が迫る。彼女はそれを紙一重でかわし、右手のナイフを投げ放った。
「!」
ヴィンテルは剣で弾く。金属音が響き地面にナイフが転がる。だが、次の瞬間。イリアスの左手が閃いた。袖口から現れたもう1本のナイフが、ヴィンテルの首元を狙う。
「ヴィンテルさん!」
アリサが叫んだ。ヴィンテルは身体をわずかに傾けた。ナイフが首筋をかすめる。同時に、彼の蹴りがイリアスの胴を狙って振り抜かれた。イリアスは咄嗟に身を引いたが、完全には避けきれない。後方へ飛ばされるが、地面にナイフを突き立て勢いを相殺する。
「……あら」
イリアスが低い姿勢のまま、ヴィンテルを睨む。その表情からは笑みが消えていた。
「今のは、ちょっと危なかったわね」
「次は避けられるとは限りません。これ以上の抵抗はおやめください」
「嫌よ」
イリアスは即答し、舌で唇を湿らせる。
「だって、あなたと戦うのが楽しくなってきたんだもの!」
再び、2人の姿が動いた。ヴィンテルは正面から剣を振るう。イリアスは身を低くしてかわし、すれ違いざまにナイフを突き出した。ヴィンテルは剣の柄でその手首を打ち、攻撃を逸らす。イリアスは痛みを無視して回転し、反対側の手で斬りつけた。ヴィンテルのマントが切り裂かれる。純白の布が、ひらりと地面へ落ちた。
「……!」
アリサたちの表情が強張る。イリアスの攻撃は、確実にヴィンテルを追い詰めつつあった。しかし、ヴィンテルもまた、少しずつ相手の癖を見抜いていた。攻撃を仕掛ける直前、イリアスはほんのわずかに右肩を引く。左手のナイフを使うときには、視線が一瞬だけ相手の反対側へ動く。そして、攻撃を回避した後には、必ず次の攻撃へつなげようとする。そこに、隙があった。
「そこです」
ヴィンテルの剣が走った。
「っ!」
イリアスは反射的に身をひねるが、剣先が腕を切り裂き、血が一筋飛ぶ。彼女はすぐに距離を取った。そして、自分の腕の傷口を見つめる。
「……へえ」
その口元に、再び笑みが浮かぶ。
「私の癖、見抜いたの?」
「戦闘中に観察するのは当然です」
「本当に真面目な騎士様ねえ」
イリアスは楽しそうに笑った。しかし、その瞳の奥では、冷静な計算が始まっていた。目の前の騎士は強い。剣の技量だけではなく、戦況を判断する能力も高い。このまま戦い続ければ、いずれ自分の動きを完全に読まれる可能性がある。それは、イリアスにとって望ましい展開ではなかった。
彼女はナイフを構え直し、周囲を見渡した。路地の入口には、ヴィンテル。その後方には、戦闘を見守る4人の少女。周囲には、騒ぎを聞きつけて集まり始めた人々の気配もある。これ以上、戦闘を長引かせるのは得策ではない。そう判断したイリアスは、わざとらしく大きく息を吐いた。
「惜しいけれど、今日はここまでにしましょうか」
「逃走するおつもりですか?」
「ええ。あなた、思っていたより強いんだもの。これ以上続けても、いい結果になるとは限らないでしょう?お互いに」
「そのような理由で見逃すわけにはいきません。武器を捨ててください」
「だから、嫌だって言っているじゃない」
イリアスは肩をすくめた。そして、右手のナイフをヴィンテルの顔面目掛けて投げつける。ヴィンテルは冷静に剣で弾いた。その一瞬の隙、イリアスは左手を懐へ差し入れた。
「またですか……!」
ヴィンテルが風魔法を剣に纏わせる。しかし、イリアスが取り出したのはナイフではなく、小さな金属片だった。彼女はそれを地面へ叩きつけた。甲高い破裂音が響き渡り、白い煙が一気に噴き出した。
「煙幕です!」
ミリアが叫ぶ。ヴィンテルは即座に剣を構え、周囲へ意識を向けた。
「皆さん、動かないでください!」
風が巻き起こる。ヴィンテルは魔法によって煙を吹き飛ばそうとした。だが、その間にもイリアスは動いていた。煙の中を低い姿勢で駆け抜け、路地の脇にある狭い通路へ飛び込む。
「待て!」
ヴィンテルが追おうとした瞬間、煙の中からナイフが飛んできた。彼はそれを弾き落とす。そのわずかな遅れが、致命的だった。煙が晴れたとき、イリアスの姿はどこにもなかった。
「……逃げられましたか」
ヴィンテルは剣を下ろさず、周囲を警戒し続けた。数秒後、安全を確認してから、ようやく剣を鞘へ収める。
「くそっ……!あと少しだったのに!」
アリサが悔しそうに歯を食いしばった。
「アリサ、落ち着いて」
ミリアが声をかける。
「でも!」
「気持ちは分かるわ。でも、今はあの男性の安全が先よ」
ミリアは最初襲われていた男性へ目を向け、アリサは唇を噛みながらも頷いた。ヴィンテルは少女たちへ振り返る。
「皆さん、お怪我はありませんか?」
「は、はい! 私たちは大丈夫です!」
セラが慌てて答えた。
「それはよかったです。先ほどの女性について、あとで詳しくお話を伺いたいのですが、よろしいでしょうか」
「もちろんです」
ミリアが答えた。
「私たちも、あの女性について知っていることはすべてお話しします」
「ありがとうございます」
ヴィンテルは丁寧に頭を下げた。その仕草を見て、アリサは少しだけ驚いた。激しい戦闘の直後だというのに、ヴィンテルはまったく態度を変えていない。相手がどれほど危険な人物であっても、言葉遣いを崩さず、冷静に対応していた。
「……あの」
アリサは遠慮がちに声をかけた。
「ヴィンテルさん、ですよね?」
「はい。王国騎士のヴィンテル・オルタと申します」
「さっきの戦い、すごかったです! 私たち、あの女に全然歯が立たなくて……」
アリサは悔しそうに拳を握った。
「なのに、ヴィンテルさんはあんなに戦えて……」
「相手は非常に手強い方でした。私も、決して余裕があったわけではありません」
「えっ?」
アリサは目を丸くした。
「でも、ずっと押していたじゃないですか!」
「攻撃を防ぐことと、相手を拘束することは別です。あの女性は逃走の準備をしていましたし、周囲には皆さんや一般市民もいました。無理に攻めれば、別の被害が出る可能性もあります」
ヴィンテルは穏やかに説明した。
「勝つことだけを考えれば、選べる手段は増えるかもしれません。しかし、騎士として守るべきものを忘れてはいけません」
その言葉に、アリサははっとした。敵を倒すことだけが戦いではない。ラントから何度も教えられてきたことだった。
「……そうですよね」
アリサは小さく頷いた。
「私、もっと強くなります。今度こそ、あんな相手にも負けないように」
「その意気込みは素晴らしいと思います。ただ、焦りは禁物ですよ」
ヴィンテルは微笑んだ。
「皆さんには、まだ成長する時間があります。今回の経験を次に活かしてください」
「はい!」
アリサは力強く返事をした。その隣で、ミリアも静かに頷く。セラは自分の手を見つめ、リゼットは祈るように胸の前で手を組んでいた。それぞれが、今回の戦いから何かを学ぼうとしていた。ヴィンテルは倒れている男性へ視線を向ける。
「まずは、この方を医療施設へ運びましょう。意識はありますか?」
「まだ戻っていません。でも、呼吸は落ち着いています」
リゼットが答えた。
「私が回復魔法をかけました。命に別状はないと思いますが、詳しい状態は診てもらわないと……」
「分かりました。適切な判断をしてくださり、ありがとうございます」
ヴィンテルは騎士たちへ指示をし、男性の搬送を手配した。男性が担架に乗せられて運ばれていくのを見届けてから、ヴィンテルは少女たちへ向き直る。
「それでは、王城へご同行いただけますか。今回の件について、正式な報告を行う必要があります。皆さんにもお話しいただきたい」
「王城……!」
セラが緊張した声を漏らした。
「私たちも、王様にお会いするんですか?」
「必ずしも国王陛下に直接お会いするとは限りません。ただ、事件の重大性を考えると、王城での報告が必要になるでしょう」
「わ、分かりました……!」
セラは背筋を伸ばした。こうして、少女たちは白き騎士ヴィンテルとともに、王城へ向かうことになった。
◇
――キルディス王国王城。王城の廊下には、磨き上げられた石床がどこまでも続いていた。壁には歴代の王族や騎士たちを描いた絵画が飾られ、窓から差し込む光が白い壁を照らしている。
「うわぁ……」
アリサは思わず感嘆の声を漏らした。
「すごいね、ここ……!」
「声が大きいわよ、アリサ」
ミリアが小声で注意する。
「だって、こんなところに来るなんて思わなかったんだもん!」
「気持ちは分かりますけど、少し静かにしましょう……」
セラが周囲を気にしながら呟いた。リゼットも緊張した面持ちで、廊下の先を見つめている。先頭を歩くヴィンテルは、そんな4人の様子に気づいていたが、何も言わなかった。やがて、一行は大きな扉の前で足を止めた。
「こちらです」
ヴィンテルが扉をノックする。
「ヴィンテルです。先ほどの事件について、報告に参りました」
「入れ」
室内から返事があった。扉が開かれる。広々とした部屋の中には、すでに数人の人物が集まっていた。
「おっ、来たか!」
最初に声を上げたのは、金髪の青年だった。
「リンクスさん!」
アリサが驚きの声を上げる。リンクスはいつもの調子で笑った。その隣には、長い緑髪の女性――セレナが立っている。そして、少し離れた場所には、黒い外套をまとった男がいた。
「ラントさん!」
4人の表情が一気に明るくなる。ラントは少女たちを一瞥し、短く頷いた。
「……全員無事か」
「はい!」
アリサが元気よく答えた。
「ちょっと危ない目には遭ったけど、なんとかね!」
「ちょっと、ではないでしょう……」
ミリアが小さくため息をつく。ラントはアリサの言葉を聞いても、表情を変えなかった。
「後で詳しく話を聞く」
「うっ……はい」
アリサは少しだけ背筋を伸ばした。ラントがこの場で詳しく問い詰めないのは、まず事件の報告を優先しているからだろう。それくらいは、彼女にも分かっていた。
「それで、さっき軽くは騎士の人から聞いたけど…何があったんだ?」
リンクスがヴィンテルへ視線を向けた。ヴィンテルは一歩前へ出る。
「王都の裏路地で、刃物を持った女性が一般市民を襲撃している現場に遭遇しました。私が介入し、交戦しましたが、最終的に取り逃がしました」
「取り逃がした、か……」
リンクスの表情が少しだけ険しくなる。
「相手はどれほどの腕前だった?」
「短剣を用いた近接戦闘に長けており、隠し武器も所持していました。動きは非常に素早く、こちらの攻撃を回避する判断力も高い。さらに、煙幕を利用した逃走手段まで用意していました」
「ヴィンテルと互角に戦ったということですか?」
セレナが驚いたように尋ねた。
「互いに決定打を与えられなかった、というのが正確でしょう。私の攻撃も何度か届きかけましたが、相手は隙を見つけるのが非常に上手でした」
ヴィンテルは冷静に答えた。
「こちらも相手も大きな傷を負わず、最終的には相手が撤退しました」
「なるほどな……」
リンクスは腕を組んだ。ラントは黙って話を聞いていたが、やがて少女たちへ視線を向けた。
「お前たちは、どこまで見た?」
「最初から最後まで、ほとんど全部だよ」
アリサが答えた。
「私たちが裏路地を通りかかったら、あの女が男性を襲っていて……。それで助けようとしたんだけど、全然歯が立たなくて」
ミリアが続ける。
「私の盾でも押し切られそうになりました。攻撃の隙を見つけるのが上手で、防御を固めるだけでは対応できませんでした」
「私は魔法で攻撃したんですけど、全然相手にされてなくて......」
セラが悔しそうに俯く。
「私は煙幕で相手の視界を遮り、その隙に男性を助けようとしました。でも、相手はすぐに私を狙ってきて……」
リゼットも静かに言葉を添えた。
「そうか」
ラントは4人の話を聞き終えると、ゆっくりと口を開いた。
「それで、お前たちはどうした?」
「え?」
「勝てない相手だと分かった後、どう動いた」
少女たちは顔を見合わせた。少し考え、ミリアが答える。
「私が前に出て、みんなが攻撃されないようにしました。セラには応援を呼びに行ってもらって、それでヴィンテルさんが来てくれました」
「なるほど」
ラントは短く頷いた。
「判断そのものは悪くない」
「ほ、本当ですか?」
セラが恐る恐る尋ねる。
「勝てない相手に無謀に挑む必要はない。目的は敵を倒すことだけじゃない。守るべきものを守り、生きて帰ることも冒険者の仕事だ」
その言葉に、4人は静かに頷いた。
「ただし」
ラントの声がわずかに低くなる。
「今回のような相手と遭遇した場合、何が起きるか分からない。自分たちの実力を過信するな。相手が逃げたからといって、次も同じとは限らない」
「「「「はい!」」」」
4人の返事が重なった。その様子を見ていたリンクスが、腰に手を当て苦笑する。
「相変わらず厳しいな、ラント」
「当然のことを言っているだけだ」
「そういうところだよ」
リンクスは肩をすくめた。そのとき、部屋の奥から落ち着いた声が響いた。
「報告は聞かせてもらった」
室内にいた全員が、声の主へと向き直る。声の主、キルディス王国の上層部が3人、室内に入ってきた。
「ヴィンテル。現場の状況について、もう少し詳しく説明してくれ」
「承知しました」
ヴィンテルは一礼し、戦闘の経緯を改めて説明した。相手の武器。動きの特徴。戦闘中に使用した煙幕。そして、撤退する際の様子。説明が進むにつれ、室内の空気は次第に重くなっていった。
「……つまり、その女は王都の人通りがある場所で、ためらいなく人を襲ったということか」
「はい。少なくとも、私が確認した限りではそうです」
「目的は何だと思う?」
問いかけに、ヴィンテルはわずかに考え込んだ。
「現時点では不明です。ただ、無差別な犯行なのか、特定の人物を狙ったものなのか。それすら判断できていません」
「被害者の身元は?」
「現在、確認を進めています。意識が戻れば、本人からも話を聞けるでしょう」
ヴィンテルが答えると、室内に短い沈黙が落ちた。その沈黙を破ったのは、セレナだった。
「1つ、気になることがあります」
「何だ、セレナ」
リンクスが尋ねる。
「今回の女性は、逃走用の道具をあらかじめ用意していました。つまり、単なる衝動的な犯行ではなく、ある程度の準備をしていた可能性があります」
「確かに……」
ミリアが頷いた。
「戦闘中も、こちらの反応を見ながら攻撃を変えていました。相手の動きを観察することに慣れているように感じました」
「それに、あの女……」
アリサが眉をひそめる。
「戦っているとき、ずっと笑っていたんです。まるで、戦うことそのものが楽しいみたいに」
その言葉に、セラが小さく身を震わせた。
「私も……怖かったです。人を傷つけているのに、全然ためらっていなくて……」
「……なるほど」
ヴィンテルは目を伏せた。
「私も交戦中、相手がこちらの攻撃を楽しんでいるように感じました。普通の犯罪者とは違う可能性があります」
「放置するわけにはいかないな」
リンクスが真剣な表情で言った。
「次にどこで誰を襲うか分からない。早急に身柄を確保する必要がある」
「同感です」
ヴィンテルが頷く。
「私が引き続き調査を担当します」
「頼めるか?」
「お任せください」
ヴィンテルは胸に手を当て、一礼した。
「まずは目撃情報を集め、逃走経路を洗い出します。使用した道具や武器の出所も調べる必要があるでしょう。必要に応じて、王都の警備部隊とも連携します」
「よし。捜査に必要な人員は手配しよう。くれぐれも単独で無理はするな」
「承知しました」
ヴィンテルは一礼すると、上層部3人は退出していった。会議室の扉が閉まる音を聞き届けると、少女たちへ視線を向けた。
「皆さんも、今日はよく協力してくださいました。特に、負傷者を救助した判断は適切だったと思います」
「い、いえ! 私たちは、できることをしただけです……!」
セラが慌てて答える。
「それが大切なのです」
ヴィンテルは穏やかに微笑んだ。
「実力だけが騎士や冒険者の価値を決めるわけではありません。自分に何ができるのかを考え、行動すること。それもまた、強さの1つです」
その言葉に、アリサたちは顔を見合わせた。ラントの教えとは少し違うようでいて、どこか通じるものがあった。やがて、リンクスが小さく息を吐いた。
「しかし面倒なことになったな」
「ええ……」
セレナも心配そうに頷く。
「王都であれほど危険な人物が自由に動いているとなると、他にも被害者がいるかもしれません」
「だからこそ、早く捕まえる必要がある」
ラントは淡々と言った。
「ただ、相手の目的が分からない以上、次の行動を予測するのは難しい。警戒は怠るな」
「分かってるよ」
リンクスは頷いた。
そして、アリサたちへ視線を向ける。
「お前たちも、しばらくは勝手に街を歩き回らないことだ。今回みたいなことが、また起こるかもしれないからな」
「ええっ!? せっかく王都に来たのに!」
アリサが不満そうな声を上げる。
「命のほうが大事だろ」
「うっ……それは、そうだけど……」
「アリサ」
ミリアがたしなめるように言った。
「分かってるってば!」
アリサは頬を膨らませたものの、反論はしなかった。セラとリゼットも、今回の出来事を思い出したのか、静かに頷いている。ラントはそんな4人を見て、短く告げた。
「明日からの行動は、状況を見て判断する。勝手な真似はするな」
「「「「はい!」」」」
4人の返事が、再び部屋に響いた。少し間を置き、ヴィンテルが口を開く
「皆様、少しご依頼したいことが」
「依頼?」
リンクスがヴィンテルの発言に首をかしげる。全員の目線がヴィンテルに向けられていた。
「今回の事件の解決に向けて、皆様にも協力していただきたいのです。皆様の実力は聞いています。陛下自らウルフキングの討伐を依頼し、達成したと」
ヴィンテルはラント達を真っ直ぐに見つめ、話を続ける。
「イリアスという女性は、王都の治安を脅かす危険人物です。先ほどの戦闘で取り逃がしてしまいましたが、再び誰かを襲う可能性があります。騎士団でも捜索を進めますが、彼女の実力を考えれば、発見した際に確実に捕らえるための戦力が必要です」
「なるほどな。つまり、見つけたら一緒に戦ってほしいってことか」
リンクスが腕を組み、確認するように尋ねた。
「はい。可能であれば、確保への協力をお願いしたいと考えています」
「俺は構わないぜ。そんな危険な女を野放しにしておくわけにもいかないからな」
リンクスは迷うことなく答えた。隣にいたセレナも、小さく頷く。
「私も協力いたします。イリアスの魔法や戦い方について、まだ分からないことも多いですが、少しでも皆様のお力になれるのでしたら」
「俺も協力しよう」
ラントの返事は短かった。その言葉を聞いたアリサは、思わずラントの顔を見上げた。
「ラントさんも行くんだよね……?」
「そのつもりだ」
「そっか……」
アリサは一度だけ頷いたものの、その表情には不安が残っていた。先ほどの戦いを思い出す。自分たち4人で立ち向かったとき、イリアスの刃は何度も仲間たちを追い詰めた。ミリアの盾は壊され、リゼットも狙われた。自分も攻撃を仕掛けながら、決定的な一撃を与えることはできなかった。そして、最後にはヴィンテルに助けられた。
「……私たちも、何かできないかな」
アリサの呟きに、ミリアが隣から視線を向ける。
「アリサ……」
「だって、私たちもあの女と戦ったんだよ。あいつがどれだけ危険なのか、私たちは実際に知ってる。それなのに、全部ラントさんたちに任せるのは……」
言葉の途中で、アリサは唇を噛んだ。悔しさが胸の奥から込み上げてくる。強くなりたいと願い、ラントの厳しい訓練に食らいついてきた。少しずつ成長している実感もあった。けれど、実戦で突きつけられた現実は厳しかった。目の前の敵に、今の自分たちだけでは勝てない。
「……私も、同じ気持ちです」
ミリアが静かに口を開いた。
「私は皆を守るために盾を持っています。でも、さっきは皆を守りきれませんでした。もし、あのままヴィンテルさんが来てくださらなかったら……」
ミリアは言葉を止め、両手を握り締めた。
「次は、もっと上手く立ち回ります。だから、私たちにもできることがあるなら、協力したいです」
「わ、私も……!」
セラが慌てて手を挙げた。いつものように声は少し震えていたが、その目は真剣だった。
「私は、あの人がまた誰かを襲うなら、私も、今度はちゃんと役に立ちたいです」
「セラ……」
「もちろん、怖いです。正直、もうあんな戦いはしたくないって思うくらい。でも……怖いからって、何もしないままなのは嫌なんです」
セラは胸元で両手をぎゅっと握った。最後に、リゼットがゆっくりと口を開いた。
「私も、皆さんと同じです。あの方は、戦う相手を傷つけることそのものを楽しんでいるように見えました。放っておけば、また誰かが傷つけられてしまうかもしれません。そのような行為を見逃すわけにはいきません」
リゼットは一度、目を伏せる。
「私は皆さんの傷を癒やすことができます。でも、傷ついたあとで治せばいい、というわけではありませんから。できることがあるなら、少しでも被害を防ぎたいです」
4人の言葉を聞き、ヴィンテルは彼女たちを見つめた。
「皆様のお気持ちは分かりました。しかし、イリアスは非常に危険な相手です。先ほどの戦闘を見ても、正面から立ち向かうだけでは命を落としかねません」
「それは……分かってます」
アリサは悔しそうに答えた。
「ですが、危険だからこそ、無理に討伐へ参加していただくわけにはいきません。皆様には、まずご自身の身を守ることを優先していただきたいのです」
「じゃあ!情報収集だけでも手伝わせてください!」
アリサが勢いよく声を上げた。ヴィンテルが意外そうに視線を向ける。
「私たちはあいつの顔も、武器も、戦い方も知ってる。何か手掛かりを見つけられるかもしれないでしょ?」
「アリサの言うとおりです」
ミリアも一歩前に出た。
「私たちが直接戦うのは難しくても、情報を集めることならできます。あの女性が再び誰かを襲う前に、居場所を突き止めるお手伝いをさせてください」
「わ、私も協力します!」
セラは少し緊張した様子で手を挙げ、
「魔法で何かできるかもしれませんし、目撃情報を集めるだけでも、きっと役に立てると思います」
「私も賛成です。被害に遭われた方や、事件を目撃した方がいるなら、話を聞いて回りたいです」
リゼットも静かに続けた。4人の言葉を聞いたヴィンテルは、しばらく考え込んだ。
「……確かに、皆様はイリアスと直接交戦しています。その経験は、捜査においても重要な情報になるでしょう」
「それじゃあ……!」
「ただし、条件があります」
期待したアリサの言葉を遮り、ヴィンテルは真剣な表情で告げた。
「イリアスを発見しても、決して皆様だけで追跡したり、戦闘を仕掛けたりしないでください。彼女は非常に危険です。情報を得た場合は、必ずラントさん達か私に報告してください」
「分かりました。勝手に戦ったりしない」
アリサは力強く頷いた。
「本当ですね?」
「ほ、本当だってば!」
念を押され、アリサは少しだけ視線を逸らした。その様子を見て、ミリアが呆れたようにため息をつく。
「アリサ、あなたは特に気をつけて。すぐに突っ込んでいくんだから」
「分かってるって!」
「前回も同じことを言っていましたよね?」
「うっ……」
言い返せなくなったアリサに、セラが苦笑を浮かべた。張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ和らぐ。
「それでは、捜査の方針を説明します」
ヴィンテルは机の上に王都の地図を広げた。
「まず、事件が起きた裏路地周辺で、イリアスを目撃した者がいないか確認します。次に、最近、刃物を使った襲撃事件が起きていないか調べます。今回の事件が単独のものなのか、それとも以前から続いているものなのかを把握する必要があります」
「私たちは、裏路地の周辺で聞き込みをすればいいんですね?」
ミリアの問いに、ヴィンテルは頷いた。
「はい。ただし、必ず複数人で行動してください。騎士団にも担当者をつけます。何か不審な点があれば、無理に確かめようとせず、すぐに報告を」
「はい!」
アリサが答え、ミリアたちも頷いた。
「ラントさん、私たち、やってみるよ」
アリサはラントを振り返った。
「戦うことだけが冒険者の仕事じゃないから」
「……少しは学んだようだな」
「少しって何ですか、少しって!」
アリサが頬を膨らませると、ラントは答える代わりに視線を逸らした。その反応に、リンクスが愉快そうに笑う。
「ははっ、ラントにそこまで言わせるとはな。こりゃあ、明日は槍でも降るか?」
「リンクス。余計なことを言うな」
「おっと、怖い怖い」
軽口を交わす2人をよそに、セレナは地図を覗き込んでいた。
「ヴィンテルさん。イリアスさんは、今回の襲撃で男性を狙っていたのでしょうか。それとも、たまたま遭遇した相手を襲っていたのでしょうか?」
「現時点では分かりません。被害者から話を聞く必要がありますが、治療が済むまでは詳しい事情を確認できていません」
「そうですか……。でしたら、被害者の方から話を聞ければ、次の手掛かりにつながるかもしれませんね」
「その通りです。皆様には、可能な範囲で情報収集にご協力いただければと思います」
ヴィンテルは地図を畳み、改めて全員を見渡した。
「イリアスの目的も、潜伏先も、まだ分かっていません。ですが、必ず手掛かりはあります。皆様からいただいた情報は、騎士団で精査し、捜査に反映させます」
ラントは短く頷いた。
「分かった。まずは情報を集める。動くのは、それからだ」
「はい。よろしくお願いいたします」
こうして、イリアス討伐に向けた捜査が始まった。ラントたちは、騎士団と連携しながら彼女の足取りを追う。そしてアリサたち4人もまた、冒険者として初めて本格的な事件の情報収集に取り組むことになった。
◇
――王城、騎士団詰所。
ヴィンテルは机の上に広げられた王都の地図を見つめていた。赤い印がいくつか記された地図には、今回の事件現場と、これまでに報告された犯人不明の複数の傷害事件の発生場所が示されている。
「……やはり、偶然ではないか」
ヴィンテルは指先で地図をなぞった。現時点で、今回の事件と過去の事件に直接的なつながりがあるとは断定できない。だが、いくつかの事件には共通点があった。被害者の証言が曖昧であること。犯人の姿を見た者が少ないこと。裏路地で犯行が行われていること。そして、事件が起きた後、現場から素早く姿を消していること。
すべてが同一人物による犯行とは限らない。しかし、無関係と決めつけるには不自然な点が多すぎた。
「まずは、今回の被害者から話を聞く必要がありますね」
ヴィンテルは地図を畳み、立ち上がった。そのとき、詰所の扉がノックされた。
「どうぞ」
「失礼します!」
若い騎士が入室し、一礼する。
「ヴィンテル様。先ほどの件について、目撃者から追加の証言が得られました」
「聞かせてください」
「はい。現場付近にいた商人の話では、紫色の髪をした女性が、事件の少し前から裏路地を出入りしていたそうです。また、事件後には、黒い外套を着た女が近くの酒場に入っていくのを見たとのことです」
「黒い外套……?」
ヴィンテルの表情が険しくなる。しかし、すぐに首を横に振った。
「いや、今は関係があると決めつけるべきではありません。特徴を詳しく確認し、本人を見たという証言が複数あるか調べてください」
「承知しました!」
若い騎士は一礼して退室した。ヴィンテルは再び地図へ視線を落とす。紫色の髪。細身のナイフ。そして、あの不気味な笑み。
「……必ず見つけ出す」
燃えるような赤い瞳が、鋭く細められた。王都の平穏を脅かす存在を、これ以上野放しにするわけにはいかない。ヴィンテルは白いマントを翻し、詰所を後にした。調査は、まだ始まったばかりだった。




