新たな情報
――キルディス王国王都。
昼下がりの街は、多くの人々で賑わっていた。石畳の大通りには商人たちの呼び声が響き、露店には色とりどりの商品が並んでいる。荷車を引く馬の蹄が石畳を叩き、通りを行き交う人々の間を子供たちが駆け抜けていた。
その賑やかな大通りから少し外れた場所。路地裏へ続く細い道の入口に、4人の少女たちが立っていた。
「……何も分からなかったね」
アリサが、がっくりと肩を落とす。
「まだ調査を始めてそれほど経っていないでしょう」
ミリアは呆れたように答えた。
「そうだけどさぁ。あっちの商人さんにも聞いたし、こっちのお店の人にも聞いたし……。これだけ聞いて何もないって、逆にすごくない?」
「何もないのではなく、私たちが求めている情報を持っている人がいなかっただけです」
リゼットは手元のメモを確認しながら言った。
「少なくとも、路地裏付近で不審な女性を見かけたという証言は得られませんでした。事件そのものを知っている方もいましたが、詳しい事情までは知らないようです」
「うーん……。やっぱり、あの女の人って普段は目立たないようにしてるのかな?」
セラが首を傾げた。
「そうかもしれないわね。無用な騒ぎを起こさない限り、街に紛れることは難しくないだろうから」
ミリアは路地裏へ目を向けた。先日、ここでアリサたちは1人の女性と戦った。紫色の髪に、黒いメッシュが混じった髪。胸元の大きく開いた服。そして、手にした複数のナイフを自在に操る、危険な女性、イリアス。
彼女は裏路地で男性を襲い、アリサたちが助けに入ったことで戦闘になった。戦いは激しく、アリサたちは苦戦を強いられた。リゼットの妨害魔法によって一時は攻撃の機会を作ったものの、イリアスはすぐにリゼットを危険な存在と判断し、狙いを切り替えた。ミリアは仲間を守るために盾を構え続けたが、繰り返される攻撃によって盾を砕かれ、命を落としかけた。最後はヴィンテルの介入によって、どうにか戦闘を終わらせることができた。もしあの時、助けが来ていなければ―――
「……あの人、今頃どこにいるんだろう」
セラが呟いた。
「分からないから、こうして調べているのでしょう」
「それはそうだけど……」
セラは小さく肩を落とした。イリアスが単独で行動しているのか、それとも仲間がいるのか。彼女が何を目的に商人を襲ったのか。今のところ、分かっていることはほとんどない。
「ただ、商人を襲った理由については、いくつか考えられます」
リゼットが言った。
「聞き込みの情報によると被害者の男性は魔石を扱っていたそうですから、金品目当てだった可能性もあります。ですが、あれほどの腕がある人間が、わざわざ人目に付きやすい昼間に商人を襲ったのは少し気になりますね」
「お金が欲しいなら、もっと簡単な方法がありそうだもんね」
アリサが腕を組む。
「そう。だから、何か別の目的があったのかもしれません」
「魔石そのものが目的だった、ということでしょうか?」
ミリアが尋ねた。
「その可能性はあります。ただ、奪われたものの詳細が分からない以上、断定はできません」
「うーん……。やっぱり本人を捕まえて聞くのが一番早いんじゃない?」
「アリサ」
「はい」
「あなたは、あの戦闘で何が起きたのか忘れたの?」
「……忘れてないです」
「なら、もう少し慎重に考えて」
「はーい……」
アリサはしょんぼりと俯いた。セラが苦笑する。
「でも、アリサが言いたいことも分かるよ。私たちが頑張っても、相手がどこにいるか分からなかったら何もできないもんね」
「だからこそ、情報を集めるの」
ミリアは落ち着いた口調で新しく武器屋で購入した盾の淵を指でなぞりながら答えた。
「焦って動いても、また同じように危険な目に遭うだけです。まずはできることから始めましょう」
「……うん」
リゼットの言葉にアリサは頷いた。それから、ふと通りの向こうへ視線を向ける。そこには焼き菓子を並べた露店があった。
「……あ」
「アリサ?」
「いや、違うよ!? 今のは情報収集とは関係ないから!」
「まだ何も言ってないけど」
「顔に書いてある!」
「何が?」
ミリアは深々とため息をついた。
「調査中に買い食いをするなとは言わないけど。さっき食事をしたばかりでしょう」
「だって、あれは別腹だよ!」
「その理屈は食べ物を見るたびに使ってるわよね」
「うっ……」
リゼットがメモを閉じた。
「このままでは、今日の調査報告が『アリサさんが焼き菓子を見つけました』になってしまいそうですね」
「それは困る!」
「なら、まずは調査に集中してください」
「分かったよ……」
アリサは名残惜しそうに露店を一瞥してから、仲間たちの方へ向き直った。
「よし。次はどこに行こうか?」
「そうですね……」
リゼットが周囲を見渡す。
「この辺りで聞けることは、ひとまず聞いたと思います。少し場所を変えましょう。商人や冒険者が集まる場所なら、何か新しい話が聞けるかもしれません」
「商人や冒険者が集まる場所……」
セラが考え込む。
「酒場とか?」
「ええ。昼間なら、食事をしながら情報交換をしている人もいるでしょう」
「酒場!」
アリサの表情がぱっと明るくなった。
「ご飯も食べられる!」
「……アリサ」
「ち、違うって! 今度は本当に情報収集が目的だから!」
「本当でしょうね?」
身振り手振りで必死に否定するアリサに、ミリアは諦めたように息を吐いた。
「じゃあ、休憩がてら近くの酒場へ行こう。ただし、あくまで情報収集だからね」
「分かってるって!」
こうして4人は、路地裏から少し離れた酒場へ向かった。
◇
酒場の扉を開けると、賑やかな声と料理の匂いが一気に押し寄せてきた。昼間ということもあり、夜ほど混雑してはいない。それでも、いくつものテーブルには冒険者や商人らしき人々が座り、食事をしながら談笑していた。店の奥では店主が忙しそうに料理を運び、カウンターでは数人の男たちが酒を飲んでいる。
「わぁ……いい匂い!」
アリサは店内を見渡した。
「まずは席を探しましょう」
リゼットが促す。4人は壁際のテーブルを見つけ、そこに腰を下ろした。店内を見渡しやすく、出入口も確認できる場所だ。調査中の休憩場所としては悪くない。
「さて、折角ですし何を頼みましょうか」
リゼットがメニューを開く。
「私はスープとパンでいいかな」
セラが控えめに答えた。
「私は肉料理とサラダにします」
ミリアも注文を決める。
「じゃあ、私は肉料理とパンとスープと……」
「アリサ」
「……なに?」
「食べきれる量にしてくださいね」
「食べきれるよ!」
「前回は?」
「……食べきれませんでした」
「その前は?」
「……持ち帰りました」
「そのさらに前は?」
「もういいでしょ!?」
アリサが顔を赤くする。セラが口元を押さえて笑った。
「ふふっ……アリサ、食べるの好きだもんね」
「セラまで!」
「でも、残すのはもったいないから、ちゃんと考えて頼もうね」
「……はい」
結局、アリサは肉料理とパン、スープ、ポテトを注文した。注文を終えると、リゼットはテーブルの上にメモを広げた。
「食事が来るまで、これまでの情報を整理しましょう」
「はーい」
アリサは水を一口飲んだ。
「まず、イリアスは魔石を扱う商人を襲撃しました。被害者の男性は、この辺りで商売をしている人物です」
「イリアスは単独犯なのかどうかも分かってない。少なくとも、今のところ彼女の仲間を見たという証言はなかった」
ミリアが続ける。
「もし仲間がいるなら、どうして一緒に行動しないんだろう?」
「役割が分かれているのかもしれませんね」
セラの呟きにリゼットが答えた。
「例えば、イリアスが襲撃を担当し、仲間が盗んだものを受け取る。あるいは、彼女が何かを探していて、別の人物が準備を進めている。可能性はいくらでもあります」
「なるほど……」
ミリアが頷く。
「ですが、今は推測にすぎません。実際に仲間がいるかどうかを確認できれば、調査の進め方も変わるはずです」
そのとき、店員が料理を運んできた。
「お待たせしました」
「待ってました!」
アリサの顔がぱっと明るくなる。ミリアは一瞬だけ何かを言いかけたが、料理を前にしたアリサの表情を見て、そっと口を閉じた。
「いただきます!」
アリサは両手を合わせ、さっそく食事を始めた。その食べっぷりに、セラが微笑む。リゼットは食事をしながら、周囲の会話に耳を傾ける。
隣のテーブルでは冒険者らしき男たちが依頼について話していた。窓際の席では商人が荷物の運搬費用について交渉している。店の奥では、数人の男が大声で笑っていた。今のところ、事件に関係するような話は聞こえてこない。
「……特に怪しい話はありませんね」
リゼットが小声で言った。
「そうだね」
セラも周囲を見渡す。
「でも、こういう場所なら、いろんな話が集まりそうだよね」
「ええ。焦らずに聞いておきましょう」
ミリアが頷いた。アリサは真剣な顔で頷く。
「……んぐ」
「飲み込んでから返事をしてください」
「んっ……ごくん。分かった!」
「本当にもう……」
ミリアは呆れながらも、どこか安心したように微笑んだ。事件の調査は思うように進んでいない。それでも、こうして4人で食事をしながら話し合える時間は、張り詰めた気持ちを少しだけ和らげてくれた。やがて、アリサは食事を終え、満足そうに息を吐いた。
「ふぅ……おいしかった!」
「満足しましたか?」
「うん!」
「では、もう少し周囲の様子を見てから、ラントさんたちのところへ戻りましょう」
「はーい」
4人はしばらく、店内の会話に耳を傾けていた。そして――酒場の扉が開いた。
「……っ」
最初に気づいたのは、セラだった。扉の向こうから入ってきた女性。紫色の髪。黒い網目状の模様が混じる髪。胸元の大きく開いた服。そして、人を見下すような冷たい目。セラの表情が凍りついた。
忘れるはずがない。あの路地裏で、自分たちを追い詰めた女性。ナイフを振るい、ミリアの盾を砕き、彼女の命を奪おうとした人物。――イリアス。
「……っ」
セラは思わず息を止めた。その変化に気づいたリゼットが、そっと視線を向ける。
「セラさん?」
セラは答えなかった。ただ、目線だけで出入口を示す。リゼットがそちらを見た瞬間、表情が変わった。ミリアも気づく。アリサも2人の様子に違和感を覚え、顔を上げた。そして、イリアスの姿を見た瞬間、身体が強張った。
アリサは剣の柄に手を伸ばしかける。だが、ミリアがテーブルの下でそっと手首を押さえた。
――動かないで。
声には出さず、視線だけで伝える。アリサは歯を食いしばり、ゆっくりと手を引いた。イリアスは、こちらに気づいていない。店内を見渡すこともなく、慣れた様子で奥へ歩いていく。そして、壁際のテーブルに座っていた男の前で足を止めた。
「待たせたわね」
男が顔を上げる。スキンヘッド、肩幅も広い。腕は丸太のように太く、椅子に座っていても相当な体格だと分かる。男はイリアスを見ると、低い声で答えた。
「遅かったな」
「少し面倒なことがあったのよ」
イリアスは椅子を引き、男の向かいに腰を下ろした。2人の会話は店内の喧騒に紛れている。しかし、幸運にも壁際に座っているアリサたちの耳には、断片的ながら聞き取れる距離だった。
4人は互いに目配せする。今なら、情報を得られるかもしれない。アリサは何事もないようにコップを持ち上げ、水を口に運ぶ。ミリアはメニューを広げ、顔を隠すようにしながら耳を傾ける。セラは俯き、リゼットはスープの器を手に取った。
誰もイリアスを見つめ続けることはしなかった。気づかれてはいけない。相手は、先日の戦闘で自分たちを圧倒した女性なのだから。
「それで?」
イリアスが口を開く。
「魔水晶の方は順調かしら?」
その言葉を聞いた瞬間、リゼットの目が見開かれた。魔水晶。聞き間違いではない。確かに、イリアスそう言った。
「もちろんだ」
男が答える。
「そっちはどうなんだ?」
「問題ないわ」
「そうか。なら、よかった」
イリアスは頬杖をつき楽しそうに笑うと、店員が持ってきた水を口に運ぶ。
リゼットは顔を伏せたまま、思考を巡らせる。魔水晶。その単語には覚えがあった。忘れるはずがない。ウルフキング討伐の際、あの異常な魔物の体内から発見されたもの。こぶしほどの大きさをした、濃い魔力を宿す結晶。あの魔物が通常のウルフキングよりも強かった理由として、ラントたちは魔水晶の存在を疑っていた。討伐後、魔水晶は回収されている。
それが、今ここで話題に上がった。偶然だろうか。それとも――
リゼットは隣に座るミリアを見た。ミリアもまた、わずかに目を見開いている。彼女も同じことを考えたのだろう。別々の事件だと思っていたものが、頭の中でゆっくりとつながり始めていた。
「……それで、そっちはどうだった?」
椅子にもたれかかりながら男が尋ねる。椅子の背もたれが大きく軋む。
「騎士と、女の子たちに邪魔されたわ」
「騎士?」
男は眉を顰める。
「王国騎士か?」
「そうよ。ヴィンテル・オルタって名乗ってたかしら?」
「おいおい有名人じゃねえか。『風切り』だろ?……厄介だな」
男が低く呟いた。その言葉に、ミリアの表情がわずかに強張った。自分たちを助けてくれた騎士、ヴィンテル。イリアスたちは、その人物の存在を把握している。
「それで、目的は果たせたのか?」
「ええ。必要なものは手に入ったわ」
イリアスは懐へ手を入れ、小さな袋を取り出し、それをテーブルの上に置く。カチャリ、と硬いものがぶつかる音がした。男が袋を開くと中から、いくつかの魔石が姿を現した。透明度の高く青みを帯びたもの。手のひらに収まるほどの大きさでありながら、内部に濃い魔力が感じられるものであった。
「ほう……」
男の目が細くなる。
「良質なものが揃っているな」
「でしょう? 運がよかったわ」
「これを全部、お前が?」
「ええ。少し抵抗されたけれど、問題はなかったわ」
イリアスは楽しそうに笑った。
「もっとも、冒険者の女の子たちが割り込んできたせいで、全部は奪えなかったけれど」
アリサの指先に力がこもった。自分たちのことを話している。ミリアも唇を引き結んだ。だが、4人とも動かない。いや、動けない。ここで立ち上がれば、相手に気づかれる。せっかく得た情報を持ち帰れなくなるかもしれない。
「……お前がまた遊んでたからじゃないのか?」
「まあそれは否定しないわ。それでも……あの子たち、思ったよりしぶとかったわ。剣士と盾使い、それに魔法使い2人」
イリアスは指先でテーブルを叩き指で人数を示した。
「特に、妨害魔法を使う子。何度も何度も邪魔をしてきたのよ。煙幕まで使ってね」
リゼットは静かに息を吸った。自分のことだ。あの戦闘で、何度も妨害魔法を使った。それがイリアスを苛立たせ、狙いを自分へ向けさせた。
「盾の子も面白かったわ。最後まで後ろを守ろうとして……」
イリアスが戦いを思い出すように天井を見つめ笑う。
「結局、盾を砕いたら何もできなくなったけれど」
ミリアの肩がわずかに震えた。テーブルの下で、拳が固く握られる。盾が砕けた瞬間の衝撃。地面に倒れ、ナイフが振り下ろされるのを見つめるしかなかった、あの一瞬。忘れようとしても、忘れられない。
アリサがミリアの手にそっと触れた。大丈夫。そう伝えるように。ミリアは一度だけ目を閉じ、静かに息を吐いた。
「……まあいいわ。必要なものは手に入ったんだもの」
イリアスは、魔石の入った袋を男の方へ押しやった。
「これで足りるかしら?」
男は中身を確かめ、満足そうに頷いた。
「ああ。良質なものがいくつか揃った。これならかなり準備を進められる」
「そう。なら、あなたに渡して正解だったわね」
「当然だ。俺たちが何のために動いていると思っている?」
男は魔石を袋へ戻し、懐にしまった。イリアスは髪を耳にかけると楽しそうに笑う。
「ふふっ……そうだったわね」
2人のやり取りから、1つの事実が浮かび上がる。イリアスは、単独で犯行を行っているわけではない。襲撃で手に入れた魔石を、別の人間に渡している。そして、その男もまた、魔水晶に関わる何らかの準備を進めている。これは個人の気まぐれによる犯行ではない。少なくとも、背後に協力者がいる。あるいは、もっと大きな集団が存在するのかもしれない。
アリサたちは、互いに目配せを交わした。今までイリアスは、単独で行動する危険な女だと思われていた。だが、その認識は改めなければならない。彼女には仲間がいる。そして、その仲間と何らかの目的を共有している。
「……それで、次はいつ?」
イリアスが尋ねた。
「もう少し待て。魔水晶の準備が整えば、こちらから知らせる」
「分かったわ」
イリアスは椅子から立ち上がった。
「楽しみにしているわね」
「分かっているとは思うが余計なことはするなよ。王国騎士に目をつけられているんだ。これ以上、騒ぎを起こすな」
「はいはい。分かっているわよ」
イリアスは肩をすくめ、退屈そうに答えた。
「でも、あの子たちには少しお礼をしてあげたいわね」
その声には、楽しげな響きがあった。アリサの背中に、冷たいものが走る。あの笑み、戦闘中に見せていた、相手を追い詰めることを楽しむような笑みと同じだった。
「……計画が終わってからにしろ」
男が低く言う。
「今は余計なことをするな。必要なものが揃うまでは、目立つ行動を控えろ」
「分かっているわ」
イリアスは軽く手を振った。そのまま出口へ向かう。男も少し遅れて立ち上がり、周囲を一瞥してから店を後にした。アリサたちは、すぐに視線を落とした。気づかれていない。
酒場の扉が開き、2人の姿が外へ消える。扉が閉まる。足音が遠ざかる。それでも、4人はすぐには動けなかった。誰も口を開かない。店内の喧騒だけが、何事もなかったかのように続いていた。
◇
「……行っちゃったね」
最初に声を出したのはセラだった。その声は、いつもより小さかった。
「ええ」
リゼットが頷く。
「……追跡する?」
アリサは扉を見つめたまま尋ねた。その手は、剣の柄に触れている。
「追いかけたい気持ちは分かります」
ミリアが静かに言った。
「ですが、今はやめておきましょう」
「でも、あいつらが何かを企んでいるのは間違いないよ!」
「そうですね。ですが、相手は2人だけではないかもしれません。こちらの人数も少なく、戦闘になれば先日のような状況になる可能性があります」
リゼットが説明する。
「それに、あの男性の実力も分かりません。体格だけで判断することはできませんが、イリアスと行動を共にしている以上、警戒する必要があります」
「……うん」
アリサは悔しそうに唇を噛んだ。目の前に敵がいた。しかも、相手は自分たちのことを覚えていて、再び狙われる可能性まである。それでも、今は追わない。ラントに教わったことを思い出す。勝てるか分からない相手に、勢いだけで挑んではいけない。情報を持ち帰ることも、仲間を守るための大切な判断だ。
「それより……」
リゼットが声を潜めた。
「先ほどの会話、聞きましたよね?」
「魔水晶……だよね」
セラが答えた。
「はい」
リゼットは真剣な表情で頷く。
「ウルフキングの体内から発見されたものと、同じ名称だった」
ミリアも頷いた。
「私も気になっていました。あの魔水晶が、イリアスの計画に関係しているのでしょうか」
「でも、ウルフキングの魔水晶って、ラントさんたちが回収したんだよね?」
アリサが尋ねる。
「そうです」
リゼットは答えた。
「だからといって、無関係だとは言い切れません。あの魔水晶がどこから来たのか、どうしてウルフキングの体内にあったのか、まだ分かっていないことが多いですから」
セラの顔が不安そうに曇った。
「じゃあ……ウルフキングに魔水晶があったのも、イリアスたちが関係していたのかな?」
「可能性はあります」
リゼットは言葉を選ぶように続けた。
「ただ、今の段階では推測にすぎません。魔水晶という名前が同じだからといって、同じ性質のものとは限りませんし、2つの事件が直接つながっているとも断定できません」
「……でも、偶然にしては気になるよね」
ミリアが呟く。その言葉に、誰も反論しなかった。ウルフキング討伐。あの異常な魔物。体内から発見された魔水晶。そして今、イリアスとその仲間が口にした魔水晶。さらに、良質な魔石を集める男。それぞれは別々の出来事だったはずだ。だが、ここに来て、何かがつながり始めているように思えた。
「……とりあえずラントさんたちに報告しよう」
アリサが顔を上げた。
「魔水晶のことも、あの男のことも。私たちだけで考えても、分からないことばかりだし」
「そうですね」
リゼットが頷く。
「特に、ウルフキングの魔水晶については、ラントさんたちが直接確認しています。今回の話と照らし合わせれば、何か分かるかもしれません」
「よし。じゃあ、すぐに戻ろう!」
アリサが立ち上がり扉に手をかける。だが、ミリアがその肩を押さえた。
「待って。まずは会計を済ませないと」
「……あ」
「まさか、食事代を払わずに出ていくつもり?」
「ち、違うよ! ちょっと急いだだけ!」
「なら、落ち着いて」
セラが苦笑した。
「アリサ、さっきまで食事をしていたのに、もうそんなに元気なんだね……」
「だって、気になることができたんだもん!」
リゼットはメモをしまい、静かに立ち上がった。
「急ぎましょう。ただし、周囲には気を配ってください。イリアスたちがまだ近くにいる可能性もあります」
4人は会計を済ませ、酒場を後にした。今度は、誰も露店に目を向けずまっすぐラントたちの所へむかうのだった。
◇
宿に戻ると、ラントたちは部屋で話し合いをしていた。扉を開けたアリサが、勢いよく声を上げる。
「ラントさん! 大変です!」
「……何があった?」
「酒場で、イリアスを見つけたんです!」
リンクスの表情が変わった。
「イリアスを?」
「はい。スキンヘッドで、すごくガタイのいい男と一緒にいました」
ミリアが続ける。
「私たちには気づいていない様子だったので、会話を聞くことができました」
4人は、イリアスが男に襲撃で奪った良質な魔石を渡していたこと、そして2人が魔水晶について話していたことを報告した。
「……なるほど。単独犯ではなかったわけだな」
リンクスが腕を組む。
「少なくとも、あの2人が協力関係にあるのは間違いありません」
リゼットが冷静に答えた。
「魔石を渡したうえに、魔水晶についても話していたんです。何らかの目的を共有している可能性が高いと思います」
「背後に、ほかの仲間もいるかもしれないな」
ラントが呟くと、セレナが考え込むように目を伏せた。
「……少し、気になることがあります」
「セレナさん?」
セラが不安そうに尋ねる。
「ウルフキングを討伐した際、体内から魔水晶が見つかったことを覚えていますか?」
「もちろんです。こぶしほどの大きさのものでしたね」
リゼットが答えた。
「通常の個体よりも異常に強かった原因かもしれない、と話していました」
「ええ。そして今回、イリアスたちも魔水晶について話していた。さらに、良質な魔石を集め、何らかの準備を進めている様子だった……」
セレナは慎重に言葉を続ける。
「直接の関係があるとは断定できません。ですが、ウルフキングから見つかった魔水晶と、彼らが話していた魔水晶がつながっている可能性はあります」
「もしそうなら、ウルフキングの異常な強さにも関係しているかもしれないってこと?」
セラが呟いた。
「そういう可能性もあります。ただ、魔水晶の性質も、彼らの目的も分かっていません」
「調べる価値はあるな」
リンクスが頷く。
「ウルフキングの魔水晶を詳しく調べれば、何か分かるかもしれない」
ラントも、討伐時の光景を思い返していた。通常の個体とは比較にならない魔力。そして、体内から見つかった魔水晶。もし、誰かが意図的に魔物を強化していたのだとしたら。王都で起きている襲撃事件も、単なる金品目的の犯罪ではないのかもしれない。だが、今あるのは断片的な情報だけだった。
「……まずは、それぞれ調べよう」
ラントが口を開く。
「セレナ、ウルフキングから回収した魔水晶をもう一度確認してくれ。魔力の反応や表面の状態に、何か特徴がないか調べてほしい」
「分かりました」
「リンクスは詰所へ行って、ヴィンテルに話を聞いてくれ。イリアスの事件や、あの男について何か分かるかもしれない」
「了解だ」
「俺はこいつらと魔石を扱う商人について調べる。イリアスがまだ近くに潜伏している可能性もあるからな」
ラントは4人の少女たちを見渡した。
「ただし、イリアスを見つけても無理に追うな。相手は複数で動いている可能性が高い。くれぐれも無理はするなよ」
「はい!」
4人は揃って返事をした。
アリサは拳を握りしめる。先日の戦いでは、何もできなかった。だが、今度は違う。敵の情報を集め、仲間と協力すれば、次に戦うときは少しでも状況を変えられるかもしれない。
「……ラントさん。私たちも、できることを頑張ります」
「そうしろ。だが、功を焦るな。情報を集めることも、仲間を守ることも、戦いの一部だ」
「はい!」
アリサは力強く頷いた。
◇
「……ウルフキングの件と、今回の事件」
セレナが静かに呟く。
「もし本当につながっているのなら、王都で起きていることは、私たちが考えているよりも大きな問題なのかもしれません」
「魔水晶を集めているのか、それとも何かを作るために魔石が必要なのか……」
リンクスが険しい表情を浮かべる。
「まだ分からない」
ラントは机の上の地図へ視線を落とした。
「だからこそ、確かめる必要がある」
ウルフキングの魔水晶。イリアスが手にした魔石。そして、彼女の仲間が進めているという準備。それらがどこでつながるのか、まだ答えは見えない。だが、王都で起きている事件は、単なる襲撃事件では終わらない。ラントはそう感じ始めていた。
「……急ぐ必要があるな」
その呟きは、夕暮れの街の喧騒に消えていった。




