表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
116/117

灰色の大地で

 新緑の道をバイクで走っている。


 あの切り立った狭い崖路も、バイクならそう怖いものではない。


 自分の胴にしっかりとしがみ付く暖かな温もりを背中に感じながら、見えてきた集落の猫の額ほどの畑に咲く菜の花を眺めた。


 すっかり片付けを済ませたあの旧い家の、砂利を敷き詰めた駐車場にバイクを停め、リアシートからヘルメットを脱いだ桜が降り立った。


 村人達へのあいさつ回りを終えて、桜と共にあの家で暮らす。


 慣れない畑仕事で腰を痛めて呻く自分。 

 見てくれこそ牧歌的だが管理に恐ろしく手間のかかる棚田。

 田植えに四苦八苦しながら、手直し作業中に泥の深みに足を掴まれて横倒しになる。泥人間になり果てた自分の体からトノサマガエルが飛び降り、畦に駆けつけた桜が笑い…腹いせに桜も引きずり込んで泥人間にしてやった。



 あの居間で二人で夕食を食べて、いよいよガタが深刻になって来たボイラーに手を焼きながら…二人でテレビを見ながらポツポツと語りながら過ごす。


 …急に季節外れの雪が降って来た。

 

 寒い。


 桜の温もりと肌を求め、彼女の眠る布団に潜り込もうとして…


 全く別の方角から「起きて!」と叫ばれた気がした。


 ビクリと身を震わせると同時に、耐えようのない寒さに気付いた。ステータスによる恩恵を受けた身体強度でも耐えられない極寒。


 夢の続きを見ていた。


 目覚めたのは生への渇望…生存本能か。

 神経の疲れと寒さから眠りかけていた。 凍える冷気と、失速しかける自分に気付き、慌てて自身の全身に特殊強化を施した。 

 全身を赤黒く染めた姿はドッペルゲンガーの分身とそう変わらないだろう。

 だが息苦しさも寒さも感じなくなり、射干のバーナーを再点火してスタテューに追い縋る。


 暫く進んで、ふと、背後を見た。 

 青く巨大な星があった。 遥か彼方に衛生写真や地図で見たままの形をした、緑生い茂る日本が遠ざかっていく。


 あれが俺の帰るべき人々がいる場所…

 見える筈も無いが、そこに確かにいる仲間達と、最愛の人の姿を思い浮かべ…再び敵を見据えた。


 青い星が見る間に離れていく。


 スタテューは尚も加速を続けていた。最大加速でも追いつけず、SPの消費を惜しみながらも射干自体にも強化を施す。


 独尊の機能である魔力サポート機能でSPの消費を半減させているとはいえ、それでも自身の残されたリソースである6000のSPは高電力機器を同時使用した電源のように急速に消耗していく。


 …もっともこの場合落ちるのはブレーカーでは無く、二度と戻らない自身の命運だったが。


 自身の視覚に表示させた数字が目まぐるしく減退していく。5300…更に数字は減り続ける。


 内臓を含めた全身と射干の機体全体…少しでも節約するため、最悪破損しても代わりが効く12.7㎜マシンガンだけは強化しないでおく。

 


 何時間も…スタテューは何時間でもそうしてやる、と言わんばかりに一点を目指して逃げ続けた。

 実際、この状況の自分にとっては焦燥するほど長い時が過ぎていった。


(どこまで行くつもりだよ…さっさと止まって戦いやがれ…!)

 

 地球から離れれば離れるだけ自分が助かる可能性は低くなる。 

 地上での持久戦とは真逆で、宇宙では自分の不利にしかならない。


 強化した射干の推進力がスタテューのソレを上回りつつあった。ぐいぐいと敵の背が迫る。

 目印らしい目印も無い、漆黒に瞬く無数の星の光だけの空間。Gを感じない為、自分がどれだけの速度で移動しているのかも、地球からどれだけの距離を離れたのかもまったく見当すらつかない。射干の簡易モニターの速度計は高度20000メートルに達する前から秒速3000メートルを振り切ったまま計測不能になっていた。

 当然、無線からはもう誰の声も聞こえてこないし届かない。


 …と、変わり映えの無かった星の海に、遥か前方に灰色の朧げな球体が見えてきた。


「月…」

 

 一度寝かけたが、完全失速していなかった事からしてさほど狂いは無い筈だ。その自分の時間間隔を信じるなら、四時間程度か。


 小学校の理科を思い出す。確か、月までの距離は…40万㎞だったか。

 …自分達は時速10万㎞で移動してきたのか… 呆気にとられながら儚げな灰色の天体を見つめた。

 

 だが、まさに天祐だった。

 

 これ以上逃げられる訳にも行かない。それに、重力のあるこの月に敵を叩き落とせれば、とりあえず一旦重力で拘束できるのでは無いか。

 

 とにかく、敵の足を止めなければならなかった。


 マシンガンを構えかけて、射干に積まれたもう一つの武装を思い出した。


 後部…尾部のように伸びた先にカルトロップ…西洋撒菱のように鋭利な返し針がついた鏃が覗いていた。

 強化した最大加速でスタテューに追い縋り、百メートル程の距離まで迫った。


 左腕のマシンガンに併設されているトリガーに持ち替え、起動スイッチを押した。尾部が持ち上がり、サソリが毒針の鎌首を持ち上げるように大淵の頭上から前方のスタテューを狙った。 嬉々として大淵に武装説明してくれた星村の顔が思い浮かぶ。


(大淵さん、コレがテールアンカーです! …といっても、マッコウクジラ漁に使われてた北欧製の90㎜ハープーンキャノンをちょこっと弄ったものなんですけどね。ワイヤー飛距離は200メートルくらいですかね。巻き取り機能も無いので、不要になったら投棄するかそのままぶら下げているしか無いんですけど…それじゃ何か格好悪いですよね…上位者の捕獲とか、引き寄せるのに使えるかな、なんて)


「星村…お前の発明にはいつでも救われてきたな…」


 気の利いた事に、テールアンカーの先端部には大型の特製ホロサイトが取り付けられ、この宇宙空間でも狙いを定めやすい。


「今回も…頼むぜッ!」


 引き金を引くと同時に90㎜の返し付きの銛が放たれ、ワイヤーがしなりながら続く。スタテューの胴体を貫き、返しが肉塊に食い込み、大淵の射干にもその手応えが伝わった。


「よし…! さぁ、来やがれ…いい加減決着着けようぜ!」 


逃がさないよう、射干でスタテューの周囲を旋回してワイヤーを巻き付け、そのまま月へと向かって引きずった。


「レイス、大丈夫か!? 緊急月面着陸だ!しっかり掴まってろ!振り落とされるなよ!?」 


 無線が壊れたとしても、レイスとは思念を通わせて会話できる。

「俺の事より、自分の心配をするんだな。 …俺はどうでもいいが、あの地から随分と離れたぞ。SP残量に注意しろ」

「言われなくたって…!」


 藻掻くスタテューを引きずりながら月の重力圏に飛び込んだ。

 射干を加速させたまま、灰色の大地へとスタテューを叩き付けた。衝撃でレイスが飛ばされかけるが、剣を敵の頭部から抜き、地面に突き立てて着地した。


 大淵も射干をパージし、地球の六分の一ほどにまで軽くなった重力に調子を狂わせかけながらも月面に降り立った。

 瞬間、感慨に耽った。灰色の大地と全天に瞬く星々、月面を照らす僅かな陽光と、その薄暗い光の影…あまりに物寂しい、モノトーンの世界。

 

 かつて人類が…それこそマオに語って聞かせたように、古代から人々が憧れ続けてきた月。 …どういう運命の悪戯か、宇宙飛行士でも無い自分が、この生命の存在に冷淡な地に立っている。 



 そして…顔を上げれば、モノトーンの世界の中で希望のように浮かぶ、何よりも美しい青い星があった。


 遠い所へ来た。

 この世界に来る前…四十台の頃の気まぐれで、人生で最初で最後に登った信越の県境にある険しい山を思い出した。


 普通は頂上からの景色に感動するものだろう。 確かに頂上からの景色も良かったが…それ以上に自分が感動したのは下山した後、その山を振り仰いだ時だった。

 

 自分はついさっきまで、ヒィヒィ言いながら…それでも確かにあのてっぺんに立っていたのだ、と。

 

 その時に近い…いや、それ以上のものを感じた。


 ――帰るんだ。…コイツを倒して!


 今なら、より鮮烈に彼ら、彼女らの顔が思い浮かぶ。

 あの病室で抗った時以上に、生への渇望が胸の内を激しく叩いていた。


 月の表面で藻掻き、逃れようとするスタテューに迫った。

 

「追いかけっこは終わりだ…!」


 手をかざして迫る。

 しかしあと一歩、という所で戒めから逃れたスタテューの巨大な左腕が大淵を薙ぎ払った。 灰色の地面を転がる。 その隙に敵は右手も戒めから逃れ、自身に突き刺さった銛を引き抜いて捨てた。


 飛び掛かったレイスがスタテューの左大腿を切りつけ、更にその50メートルの体に飛び上がって首筋に斬り掛かった。巨大な左手で首筋を庇いつつ、右手がレイスを弾き飛ばす。


「グッ…!」

 地に叩き付けられるレイスと入れ替わりに大淵が空間から取り出した紫電を抜いて斬り掛かり、スタテューの払い手を掻い潜りながら左足を切り崩した。

 鋭い反撃の殺気と気配を察知し、大淵は追撃の「剥奪」を断念して飛び退った。

 膝をつきかけながらもスタテューは大淵とレイスを見据えた。

 無機質な顔には厳然たる意志を感じられた。


――どうしてそこまで人を滅ぼすのに拘る?


(…お前達のようなイレギュラーが存在する可能性が僅かでもある限り)


「…やっとやり合う覚悟を決めたらしいな」

 大淵とレイスがターコイズグリーンの巨人の前に立ちはだかった。

「ああ。 …油断するな」


 足を再生させた巨人が立ち上がり、地球より遥かに軽い重力を忘れさせるほど重厚な動きで迫る。


 当たれば死ぬ。


 レイスと大淵はそれぞれ別の方向に動いた。二人の一瞬前に居た場所を巨人の手足が叩き潰して行く。

 レイスが巨人の上部を目指して飛びつき、大淵は巨人の足を鎌鼬のように襲った。


 二体の猛獣に襲われた人間のようにスタテューは暴れたが、首を狙って執拗に切り付け続けるレイスを捉える事も、二本の足を達磨落としのように切り崩して行く大淵を蹴り払う事もできず、その体は徐々に失われて小さくなっていった。

 

 切り離されたターコイズグリーンの肉塊は再融合する事も無く蒸発していく。


「今度こそ…!」


 止めを刺そうとすると、それまでとは明らかに違った反応速度で大淵の手を避ける。 その一瞬の隙を逃さずに巨人の頭部を切り落としたレイスがカウンターで弾かれた。 

「レイスッ!?」  


 数百メートルも吹き飛ばされるレイスの体。

 大淵は頭部を無くしても尚動き続ける巨人に向かって駆けた。


 巨人の片手がレイスに向けられたかと思うと、一条の青白い光が高速でレイスに向けて放たれた。 

(レーザーか!?) 

 その腕を切り落とした時には既に遅く、高エネルギーのレーザーはレイスを包みながら月面を爆散、地殻を削り飛ばしながら破壊した。 削り飛ばされた瓦礫が高々と吹き飛んでいく。

 巻き込まれた射干の破片が吹き飛んでいく。


「…!  …おい、レイス!てめぇはこのくらいでくたばるタマじゃないだろう!?おい!?」


 思念は返ってこなかった。


 巨人…の姿は無くなっていた。 大量のゼラチン塊がナメクジのように萎れていき、やがて蒸発していった。

 …その跡に今は屈強な二メートル程の黒い人型が立っていた。


 黒い人影は徐に地球に向けて体を反転させた。



 途轍もなく嫌な気配がした。


 自身に向けられていないにも関わらず、全身が総毛立つ。


 本能に従い、大淵は月面を蹴って迫った。

 強化された身体が、自身の赤黒い残像を振り切りながら瞬時に敵に迫る。

 寸分狂わぬ間合いで紫電を斬り下げた。

 

 別れ道はたった二尺五寸の間合いの差。斬らずに手で触れていれば剥奪で終わらせられただろう。

 だが、代わりにかけがえの無いものを永遠に失っていた。


 黒い人影が揺れ、その口から放たれたレーザーが地球から大きく軌道を逸らし、凄まじい速度で星の海の彼方に消えていく。

 月から地球を狙う程の精度と計算の精密さ…そして自分の持てる限りの力で使う銃火器類もあれほどの速度は出せないだろう。


 その破壊力を測り知る術は無いが、考えたくも無い事だった。


「この野郎ッ!」

 紫電で更に斬りかかるが、黒いスタテューは漆黒の残像を残しながら大淵の間合いから逃れた。


 アレを再び地球にやられたらかなわない。 距離を取らせないように追い続けた。空間から騎兵銃を取り出し、スタテューに向けて連射した。

 

 銃弾は黒い肉に突き刺さっていくが、さして堪えた様子も見せない。

 

 やがてスタテューは立ち止まって待ち受け、空間から武器を取り出す大淵を真似るように宇宙空間から黒い剣を取り出して手に構えた。


「…」

 騎兵銃を空間に戻し、大淵から斬りかかった。

 全力の一撃は難なく受け止められ、逆に相手が即座に空間から抜き出した黒い刀に脇を突かれた。


 あまりの速度と殺気に反応しきれなかった。

 

「グッ!?」


 思わず退き下がった所へ容赦ない追撃が迫った。


(コイツ…動きがレイス並に速い…!?)


 大淵の反応が間に合わなくなっていく。捌き切れない攻撃から急所を守りながら斬り合うが、防ぐのに必死で受け太刀一方になってしまう。 


 それでも守り切れない体の端部…赤黒く強化された手足を敵の刀剣が容易く削ぎ落していく。

 瞬時に傷口をを強化で補うために出血こそ無いが、自身の脳裏が把握するHPは見る間に減っていく。

 全身強化したまま継続する激しい戦いにSPの消耗も激しく、深刻な数字になっていた。

 1400… 既に地球へ帰還できるかどうかも怪しいレベルだった。


 大淵は頭上に浮かぶ青い星を見つめた。

 その星を見つめている内に迷いと焦りが薄らいでいく。

 

――何を迷っている?

 ずっと前から決めていた事だろう。 どんな敵が相手だろうと…


 独尊に力を入れ、インジケーターが緑…魔力サポート状態からオレンジ…筋力アシストシステムに代わる。

 振り下ろされた大淵の剣から逃れ、スタテューは絶妙な間合いを維持して来る。


 …まともに戦っている内はこうしていなされて、いずれSPが尽きて死ぬのを待つつもりか。


 それでも斬りかかった。

 大淵の強力な太刀筋は全て見切られ、逆にカウンターを受けた大淵の体の方が傷ついていく。


 形勢は逆転していた。今や大淵は独尊ごと切り刻まれる巻き藁のように、全身を少しずつ削ぎ落されていた。 独尊が無ければとっくに死んでいる。


 刀を振り上げ、勢いを失ったまま足を進める大淵に黒い刀が振り下ろされた。


 血飛沫が一瞬だけ舞って…それが目の前ですぐに凍結していく。 赤い雪となって虚空に消えていった。


 紫電を握ったまま切り放された左腕が宙に浮かぶ。


 最初から腕は捨てていた。

「うおぉおおッ!」 

 それと同時に一気に迫った大淵はスタテューに片手で組み付いていた。


 捨て身の突撃の意図に気付いたが、もう遅かった。スタテューは必死に藻掻き、片手しかない大淵を突き飛ばした。それから跳び退って距離を取ろうとするが、間髪入れず、その足にワイヤーアンカーが絡みついた。


「逃がすかッ」


 引きずり戻され、今度こそ逃げられないように大淵によって組み伏せられる。

 死力を振り絞った大淵から逃れる事はできなかった。

 最後の悪足掻きとばかりに口を開け、覆い被さった大淵とその先にある地球を捉え、その口内が眩く光った。


 だが、既に大淵の手はしっかりと相手の体に触れていた。

――やめろ


 強烈な思念が伝わって来た。


「…なぁ。今ならお前が俺達を執拗に滅ぼそうとした理由が痛い程分かるよ」

 

 怖い。お前が俺達を恐れたように。


 地球を滅ぼす力を持つお前と共存はできない。滅ぼさなければ安心できない、と思ってしまう。

 …愛する存在を脅かされてまで…お前との共存の道を選べるか?

 少なくとも、もう俺にはできない。


 …だから …赦してくれ。  


「…終わりだ」


 黒い人影が一瞬の煌きと共に消えていく。



 抑えていたものを失い、大淵は灰色の大地に倒れ込んだ。



(思ったよりSPを消費してしまった…)


 灰色の大地に横たわりながら、仰向けに寝返った。そして、自分の真正面に浮かぶ青い星を眺めた。


 SP…もう残りは百も無かった。 この世界に来て初めての頃の自分のステータス数値を思い出し、苦笑を浮かべた。


 …こんな時こそ転移の魔法石があれば良かったのだが、生憎と都民避難の為に提供して手持ちは無かった。 まさか自分が月で遭難するとは夢にも思わなかった。

 

 もう、自分は生きて帰れない。 


 …だが、その代わりに皆はこれからも生きていける。 …それで十分だ。

 

 独尊の魔力サポート機能も失われた今、残りのSPだと…せいぜいこの死の空間で生きていられるのも二、三時間といった所か。


「悪いな、斎城…前科もう一犯追加だ」


 目を閉じ、自分の運命を受け入れた。



 あの悪魔は色々教えてくれたが…結局、何故自分の魂がこの世界の自分の体に入り込んだのか、それは分からなかった。

 

 自分なりにずっと考えていた。

 

 この世界の自分への痛痒と申し訳なさに…少しばかりは残っている良心を苛まれながら。


 本来、彼が受けるべきだった幸福を横取りしてしまった。


 そこまでして自分は何のためにこの世界にやって来たのか。 ただ乗っ取る為だけにやって来たのか? 

 

 …だが。

 

 だが、あの最後の上位者を倒す事が自分の使命だったとしたら?


 その使命と引き換えに自分は第二の生を…歪な形ではあるが、転生という形でオリジナルを乗っ取ったのではないか?


 結果的に自分は上位者を倒し…自分で評するのはおこがましいが、少なくともこの世界を救えた。


 使命を果たす過程で、自らの願望も叶った。


 だからこんなにも、死を前にして安らかな気持ちだ。


 使命を終え、もう二度と転生する事が無いと確信しても。

 

 あの時と同じように…今度は生命の気配すらない、この冷涼な世界で孤独に終わるというのに。

 それでも自分の胸を温かく満たしてくれるもので溢れていた。


 


 …自分の終焉も近い。


 SPが切れかけている。 冷気が蘇り、大気に守られない自分の体を身体ステータスと独尊がその代わりになって膨大な宇宙線から守ろうとしてくれているのが分かる。

 それでも人の身では完全に守り切れず、更にはレゴリスと呼ばれる月の微細な砂埃…が大淵の肺に侵入し始め、内部から肺胞を切り刻み始める。

 

 SPが完全に尽きれば呼吸をしなければならなくなる。 その時、どんな苦しみを味わう事になるのかは想像もつかない。

 

(…最後の最期にまた苦しみながら死ななきゃならんのか…) 


 自身の因果に苦笑しながら、見納めに地球を見上げ…仲間達一人一人の顔を思い浮かべた。

(なぁ、皆…俺はオリジナルの大淵大輔に恥ずかしくない、良いリーダーになれたか…?)


 意識が遠のいていく。

(ああ、そうだ…)

 右腕を何とか動かし、アーマー胸部…心臓上に当たる小物入れから写真を取り出した。

 二人にも送った、あの旅館で撮影された写真。 

 浴衣を着た二人が…あの日と同じ、少し恥ずかし気な微笑を浮かべて映っていた。

 …日菜子と… 


(桜…) 


 大淵は言い表し切れない幸福を噛み締め、静かに目を閉じた。









 香山桜は、仲間達と共に拠点屋上から夜空に浮かぶ月を眺めていた。


 肉眼で見える訳も無いのに、桜は月を見上げたまま…何かを待っていた。


 今にあの人が、思わぬ手段で帰って来て皆を驚かせ…そしてあの、気取ったつもりの顔を見せてくれる…

 

 そんな光景を信じて疑わなかった。


 

「…黒島さん。観測していた国立天文台から政府を通して…」

 

 浮田の沈んだ声が背後から聞えた。 


「…あー、皆、ひとまず喜べ。 さっきのとんでもない光は敵の放ったものらしい。あれの第二波が来ない事と、月面の状況からして…大淵とレイスが最後の上位者を討伐したのはほぼ間違いない」


 …確かにそれ自体は喜ばしい事だ。 …だが、もっと大事な情報が不明なままだ。  


「…大淵とレイスは?」

 尾倉がいつもと変わらぬ、静かな口調で問いかけた。


「…あー、まだ…安否は確認できていない。だが安心しろ、アイツらがこのくらいでくたばるタマな訳がないだろ? …どうせしばらくしたらひょっこり戻ってきて「いやー、死ぬかと思ったぜ」とか「大した事無かった」とか言うに決まってるさ」

 そう言う黒島の声は硬かった。 



 私だって信じたい。 信じたいけれど…


 屋上の縁から月を見上げていた斎城が嗚咽を堪えながら崩れ落ちた。アリッサが斎城を気遣って屈み込んだ。


 隣で月を見上げるマオは、腕を組んで凛とした顔を崩さなかった。


 しかしその目の端には…

 

 自分まで堪えきれなくなりそうになって、桜はすぐに顔を逸らして月を見上げた。



 月だけが煌々と、何事も無かったかのように照っていた。 


 大淵大輔らの死闘など、初めから存在しなかったかのように。






 …大淵大輔、レイス・ブレイバー未帰還のまま…三週間後、太平洋上に墜落する火球が観測された。


 米第七艦隊、及び海上自衛隊による調査・捜索の末、米巡洋艦により独尊のガントレットとその中身…ガントレットに守られて大気圏を突破してきた、遺伝子を持たない左腕部が発見された。 

 

 状況から、大淵小隊特別隊員であるレイス・ブレイバーの遺物と断定された。


 当該艦の艦長は米政府の回収命令を《《独自解釈》》してガントレット《《のみ》》を回収し、左腕部を海上自衛隊に返却した。


 …大淵大輔は未だ、未帰還のままだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ