射干独尊
なんとも……不思議な夢を見ていた。
マオと血を交わして契約を結び、魔神となって魔族の王となった自分が、志願した仲間達をも魔族に引き入れ…ヒトであることを捨てて上位者の更なる大規模な侵略に対抗する世界。
或いは上位者など存在せず、日菜子と結ばれ…あの旅館と深い山々を思わせる秋田の片田舎で、彼女の実家である寺と武術道場を継ぐ平穏な世界。
アリッサと共に、命を狙ってくる追手を躱しながら世界各地を転々としながら、文化も言語も通じない異国を逃避行する世界。
リノーシュの夫となり、ブレメルーダで新たな王として彼女に振り回され、四バカ娘にかき回される日々を送りながら政治と四苦八苦する世界。
黒島、星村、川村らと共に新たなビジネスを立ち上げ、毎日を面白おかしく騒がしく過ごす世界。
…単なる自分の欲望と妄想が見せた夢、或いはこれまでの選択の連続の過程での《《if》》を脳が無意識にシミュレーションしただけなのだろうが… もしかしたら、どれもが有り得た世界線…パラレルワールドなのかもしれない。
人が…自分が夢で見る程度の空想・妄想の世界など、宇宙の壁を一つ越えた先で起きていたとしても何ら不思議ではない。
現にこうして、病に倒れた五十過ぎの男がパラレルワールドの世界で仲間を得て旅をして、挙句世界を守るべく上位者相手に最後の戦いに臨もうとしているのだから。
そして、夢で見たどの世界線もが…どれだけ破天荒でも、最愛の人達に囲まれた眩しいものばかりだった。
自分には勿体なさすぎる幸せばかりだった。
…だが、最も大事なのは「今」だ。
そして、最後に見たのは…
『…さん …大淵さん!』
物思いから我に返った。
既に自分は独尊を着込み、外部高機動ユニットである射干を纏っていた。
八月九日。 午後二時三十一分。
東京上空に黒い魔法陣が現れた。
途轍もなくデカい魔法陣の周囲に、見慣れた大小の魔方陣が文字通り空を埋め尽くしており、厳しく照り付けていた真夏の日差しを遮り、都心は暗雲が立ち込めた冬のような暗さに包まれた。
『何度か実地訓練しただけでいきなりの実戦ですから、キツイかとは思いますが…お願いします!』
「わかった。 出撃する」
ヘルメットのバイザーを下ろす。
射干の脚部…魔力転換炉なる動力からフットバーナーが点火し、やがて加速したかと思うと航空機じみた速度で空中へと飛び出した。
(確かに…コイツは独尊無しではとても人間が扱えるモノじゃない…!)
最高の筋力アシストシステムと魔力アシストシステムを備える独尊のお陰でこの怖ろしい出力と燃費の暴れ馬…射干を制御する事ができる。そして既に常人とは比べ物にならない身体強度を持つ大淵の肉体で無ければ瞬間的なGに耐えられない。
自分やレイス以外が扱えば血と内臓のゲロをする事になるだろう。
だが、扱いこなせば風神騎槍や一々ジャンプをして敵と空中戦をするより遥かに効率的に空を駆け回れる。
都心上空1000メートルに達し、高空の風を受けながら両手の延長線上にある、突き出た分厚い四角柱状の筒の下にはボンベに似た円柱缶が取り付けられた奇妙な物体….50口径クーラント冷却式マシンガンを、上空に現れた上位者に向けた。
本来ならより大口径銃を装備したかったが、流石にこれ以上の口径となると大淵のスキル恩恵の対象外となってしまうために開発は断念していた。
特殊強化。
両手に装着された純白の銃身… .50口径マシンガンに赤く禍々しい脈が走る。美しい純白基調から赤黒く変化したソレを一連射した。前方に捉えた三体の人型上位者が空中で次々爆散した。破片は殆どが空中で燃え尽きている。
専用開発された12.7㎜×99炸裂焼夷弾。 他の者が扱う兵器で上位者に撃ち込んでも何にもならないが、大淵が強化して使えば上位者を空中で爆散・焼却させられる。
「これで大分やりやすくなった。感謝するぜ、星村!」
『どういたしまして!どんどんやっちゃって下さい! …射干の機体に異常はありませんか?』
大淵はバイザー内に表示される機体状況を参照した。
「異常なしだ。…大ボスはまだ出てこないようだから、このまま他の上位者を潰して回る」
フットバーナー…左右の足の向きと踏み込み、姿勢制御を慎重に操作し、機体の向きを変えて新たに現れた動物型の上位者の集団に向かった。
『射干にも物凄い負荷がかかっている筈です。万一、機体に異常が現れたり、制御困難だと思ったらすぐに射干を強制排除して下さい。でないとその超高速のままどこかへ突っ込んでしまいますから。パージしてしまえば大淵さんからの魔力供給が途絶えて機能停止しますから、そのまま射干だけが落下して、大淵さんは普段通り空中戦に移れますから』
「分かった」
遠くでレイスによる攻撃で上位者が空中で燃え上がった。
黒島から無線通信が入った。
『昨日からの一時強制避難が効いてるな。都心がゴーストタウンだ。経済ダメージの反動は怖いが、巻き込まれる人が居ない分、これで俺達も身軽に動ける』
日本政府は黒島に説得され、この戦いにおいてのみ一度きりの強制避難を実施した。数日前からあらゆるメディア・通信媒体を通して説明し、昨日から警察が巡回して、何らかの個人的な理由で居残ろうとする人々を半ば強制的に疎開させた。
因みに皇族関係・行政関係者も例外なく避難している。
今回ばかりは誰も彼もが逃げてくれねば、戦える者達の命に関わるからだ。今、この戦場に残っているのは最悪の事態…大淵らが敗れたという絶望的なシナリオに備え、可能な限りの敵の情報収集の為、どこかで潜みながら大淵達を見守る特殊作戦群と、23区外縁で壁となって待機する警察・自衛隊・ギルド関係者、そして消防と後方支援部隊のスタッフだけだ。
「お前の持ち株は大丈夫か?」
『いくつか売る羽目になったよ。だが、人死にが出るより良いさ。 そう言う訳で、俺達の主任務は東京圏からあの雑魚共を出さない事…封鎖だ。今は23区の外縁に日本中から集まった精鋭が壁を作るように立っている。 俺達は安全な北区でお前らの為の補給拠点を用意している所だ。 せいぜい、雑魚を狩るだけの楽な任務さ。 …だから俺達の心配なんかしなくていいからな。大物はお前らじゃなきゃ殺れないんだ。お前らは、お前らが勝って生き残る事だけに専念してくれ。 …早い所連中を片付けて、盛大に打ち上げをするとしようぜ!』
「ああ」
新たに現れた黒竜型に左手のマシンガンを向けて一連射。瞬時に上位者が燃え上がる。 上空に現れて黒い矢と雑魚…タコマスクを垂れ流そうとするポットに向けて更に一連射。
ポットは粉々になって燃え上がり、地上に落下した有象無象にも掃射すると路上で爆炎が上がった。
「こちらは順調だ。 数こそ多いが、俺とレイスの敵ではない。 俺達の心配も無用だ」
『うぅむ、流石だな! …ただ、特段デカい魔法陣がまだ沈黙したままのようだが、ソイツが不気味だな』
藤崎が唸った。
皆は都内各所に設けられたライブカメラから戦場の様子を見ている。
大淵は横目で、未だ何の反応も示さない特大の魔方陣を見上げた。これのせいで未だ都心部は日暮れ時のように暗い。魔法陣の隙間から漏れる日差しだけが神々しく光を地上に齎していた。
「…なに、どんなのが来ようと全て返り討ちにしてやるさ。俺とレイスで力を合わせれば何が来ようと問題にならない」
『あの…大輔君、くれぐれも無茶は…』
「分かってるよ、桜。 …ありがとう」
『うむ。ダイスよ。桜の言う通りだぞ。つまらん欲をかいて危険な真似をしたら後で許さんからな。 おい、レイス。お前も同じようなものだから、気を付けるのだぞ』
『…フン。為になる御忠告をどうも』
声は嫌味を気取っているようだったが、レイスの態度もすっかり丸くなっていた。 日菜子もそうだが、かつて命を狙われた相手に対して嫌悪もせず話しかけてくれるマオや、レイスだろうと構わず絡む黒島達の人の良さに触れて、レイスも変わってきていた。
茨城の旅館で黒島にダル絡みをされながらも邪険に扱わずに宴席に付き合ったレイスの姿を思い出した。
…それにしても楽しい旅行だった。次はどこへ行こうか…
彼らに出会ってから、どこかへ出かけるのが楽しくて仕方ない。 ついこの間の旅行だというのに、もう次の旅先を考えてしまう。
『と、都心部に大きなエネルギー反応が…まさか…』
『…ようやくお出ましのようだな』
レイスの声を聞きながら、空を舞う無数の上位者が讃えるように巨大魔法陣の周りを回遊し始めた。クラゲかイカを思わせるような触手がズルリと降りてくる。
これまでの炭を被ったような黒一色では無く、黒みがかった深いターコイズグリーンの美しい半透明の物質で構成されていた。
『大きい…何百メートルあるの…?』
言いながら日菜子が息を飲む気配。
『…奥のスカイツリーから逆算しテモ、六百メートルは下らない…デスね…』
『…ねぇ、大輔、レイス。微力だろうけど僕達もそちらへ行った方が…』
「なぁに、このくらいのデカさは想定内だ、リノーシュ。 そうだろう、レイス?」
『正直、ガッカリしたくらいだ。結局デカいだけの凧もどきか。 …もっとも、今回はちぃとばかり周囲の建物を壊すかも知れんがな』
『この際建物の被害は気にしないでくれ。このデカブツ共を世に解き放たれたら、それこそ世界中が大パニックになる。 …なんせ、核ですらも効かなそうだしな』
黒島が言い終わる前に有象無象の上位者が一斉にある方角へと向かって移動を開始した。
「いきなり何なんだ…!?」
言いながらも大淵はマシンガンを撃って機銃銃弾をその集団の背に浴びせかけた。
『例の大物以外が全て東京湾へ向かって移動を開始しました!湾外には海上自衛隊が待機していますが…このままでは蹂躙突破されてしまいます!』
『行けよ。海の上で自由に戦えるのはお前だけだ。 このデカブツは俺が遊んでやる』
レイスが巨大上位者に向かってビルから跳び上がった。
「…お前の事なら全く心配してないが、すぐに戻る。 俺の見せ場も残しておいてくれるとあいつらに示しが付くんだが」
『フッ』
射干を方向転換させ、高速で上位者の群に追い縋った。12.7㎜機銃弾が猛然とその背に襲い掛かり、空を突き進む黒い影が一体、また一体と撃ち減らされていく。
(クソ…確かに海上はどうしても手薄になるが…狙いはそれだけだろうか?)
機銃弾が次々と敵を処理していくが、すぐに東京湾に差し掛かった。
「ここなら尚更遠慮はいらないな…!」
マシンガンから手を引き抜き、空間から風神騎槍を取り出した。
特殊強化。
真空のミキサー…死嵐が範囲内の上位者を血飛沫と残骸に変えていく。砕き切れなかった残骸が湾内にボタボタと落下しては派手な水柱を立てる。
それでも物量の盾で生き残った上位者は南下を止めなかった。それを追う大淵だが、やがて海上自衛隊の護衛艦の頭上を通り過ぎてしまう。
(…俺とレイスの引き離しか…? 小賢しい真似を…)
もう一度死嵐を放った。死のミキサーに掛けられた上位者が消滅していく。
僅かに生き残った敵を機銃で始末し、大淵は機体を回頭させた。
雷撃が黒い魔法陣を透過しながら巨大上位者に直撃した。
イカかクラゲの上部に人の上半身を乗せたような、不格好な芸術品…そんな表現が思い浮かんだ。
そこそこ力を入れた雷撃を受けてもソレは怯まずに遊弋したまま、下半身に当たる部位から伸ばした七本の触手をレイスに向けて振り回してきた。
石と鉄でできた塔が次々と鋭利に両断され、レイスはそれら触手を難なく躱しながら両断面に着地して蹴り、再び空に躍り出てターコイズグリーンの巨体に剣を突き立てた。
手応えは殆ど無し。これだけ巨体だと、ただ剣を刺しただけではさすがに何にもならないか。
マナを流し込みながら、もう一度剣を振り抜いた。
剣先から放たれた鋭利な真空の波動が巨体を斬り捨てる。数十メートルはある胴部の向こう側の景色を尻目に、もう一度身を捻りながら剣を真横に切り付ける。
今度は真横に胴部を切断する。十字に分断された四つの体が…この間食堂で出たゼリーとか言う甘味のようにブルブル揺れながら落下していく。
「…呆気なさすぎるな。 それで終わりか?」
剣を担ぎながら色だけは美しいゼラチンを見下ろした。気配と音に気付いて顔を上げると、南下していた敵を追っていた大淵が戻って来た。
「随分早いな。取り逃がしたんじゃないだろうな?」
「バカ言え。 …どうなんだ、これは?こいつらは殺気や気配が薄すぎて、死んでいるのかどうか判別し難いんだが」
「ピンピンしているさ。 直す必要も無く、どうやったら俺達《《天敵》》を攻略できるか考えている所だろうよ」
「ワクチン開発中って所か。…厄介な真似をされる前に始末しないと」
大淵は空中からストームランスを構えた。
特殊強化…死嵐。
ミキサーがターコイズグリーンのゼラチンを細かく刻んで消却していく。
…だが、範囲外に逃れたゼラチンがプルプルと震えながら肥大化していく。
「…チッ。 なぁ、凍らせてみるか」
「ああ」
レイスが手をかざし、大淵は空間から散弾銃を抜いて、水色のシェル…12G・ジャックフロストを三発詰めた。
「凍てつけ」
「喰らえ…!」
呼吸を合わせ、それぞれが決めたゼラチン体を凍結させにかかった。ターコイズグリーンのゼラチン体はそれぞれの攻撃により白い霜を浮かせて凍結した…かに見えたが、氷塊の中で収縮したかと思うと全身を鋭いウニのように針だらけにして氷を砕いてしまった。
「…つくづく不細工な芸術品だ。ウグリィアーツとでも呼ぶか?」
「賛成だ」
ゼラチン体が小刻みに這いながら別れた別のゼラチン体と惹かれ合うように集まっていく。
「燃やすぞ」
「ああ」
大淵はドラゴンブレスを装填し、レイスは再び下界に向けて手をかざす。
火力を集中させ、ゼラチン群は業火に包まれた。
「これでどうだ…!?」
ゼラチン群は燻ぶりながらも互いに絡まり合うようにして一つに融け合い、再び元の不細工な芸術品へと戻ってしまう。
「…フン。しぶとさだけは大したものだな。 だが長丁場になりそうだ。お前は念の為、一旦下がって補給を受けてきた方が良い。 それは恐ろしくMP…SPを消費するようだからな」
「…再度すまんな。すぐに戻る」
再び600メートルにもなるクラゲ人間…ウグリィアーツが空中に舞い上がった。大淵はそれを横目に射干のバーナーを再点火させ、北上した。
空の警戒に当たっていた陸自の戦闘ヘリAHー64アパッチが二機、気を利かせて大淵の前方左右に付いて北区に展開する小隊の拠点まで誘導してくれた。
やがて、運動公園のグラウンドに引かれた白線を見つけた。
…黒島らの悪戯によるものだろう、「おかえり♡」と書かれた巨大な白文字が目立つ。
苦笑しながらも誘導してくれたパイロットたちに敬礼すると、彼らも敬礼を返しながら再び空の警備に戻って行く。
「…大淵さんです! 皆さん、胴体着陸するので注意してください!整備チームの皆さんはスタンバイお願いします!」
星村がメガホンで声を上げるが、着陸ポイントで邪魔になるような場所にいる者は居なかった。
周囲に40㎜高射機関砲を据え付けて万一の敵襲に備え、各種弾薬ケースやテント、医療スペースなどが隣接していた。 極力邪魔にならないよう、縮こまるようにして隅で撮影を続ける報道機関の姿もあった。
そのグラウンドに大淵の操る射干がグラウンドをスライディングしながら胴体着陸した。土の上という事もあり、ミスリルコーティングされた機体そのものは胴体着陸でダメージを受ける事は無い。 着陸後、大淵は脚部、胴部の各種ロックを解除して高機動ユニット・射干から離脱した。
ふぅ、と一息つく。
背負っていた重たい荷物を下ろしたような解放感だ。 たった一時間の戦闘でコレか…独尊のアシストと自身の肉体強度を以てしても今まで経験した事の無い疲労だった。
「お疲れ様です! どんな感じですか、射干は?どこか不具合とか、気になる所とかありませんでしたか?」
星村が駆け寄り、ツナギを着た整備クルーが射干に取りついて、整備マニュアルを片手に各部の点検を始めた。
「お疲れ、星村。 いや、扱いにも慣れてきたし、不安は何も無いな。おかげで上位者が海上に逃げてもすぐに追いかけられるし、とにかく移動と空中戦が楽だ。 …ただ、自分の体の上に慣れない機械を乗せたり乗ったりして戦うから、それだけはちょっと気付かれするが、それを覆して余りあるアドバンテージが得られているよ」
「そう言って頂けると何よりです! 素人考えのアイデアで思いついた物ですけど、こんな形でお役に立てて本当に良かったです」
「…ちなみに射干って言うのは花か?」
「ええ。機体の色と同じように白を基調として、花弁に青紫と黄色の綺麗な斑紋があるの。日本の野山にもあるよ。 色々と不思議な因果を持つ花だけど」
声に振り返ると、日菜子が腰に手を当てて微笑んでいた。例の、純白の美しい花弁を思わせるメイルアーマー・イベリスを着込んでいた。胴部をパーソナルカラーである真紅に塗装したアリッサ以外の少女たちは胴部をアリスブルーに塗装されている。
「ちなみに、射干は古代中国の言葉で「邪気を射ち払う」って意味もあるみたいね。葉が刺々しいから、花言葉は「反抗」だし。 …上位者相手には縁起良いかも?」
「違いないな。 大量の雑魚敵が放たれたようだが、こっちは平気か?」
「ええ。 星村さん達が作ってくれたこのアーマーのおかげもあってね。他の部隊含めて、今のところ戦死者ゼロよ」
「お疲れ様です、大輔君。あの、これ…」
桜がおにぎりと飲み物を持ってきてくれていた。オマケのようにマオもついてくる。
「ありがとう、桜」
おにぎりを頬張り、麦茶で喉を潤した。大幅に消費していたSPが幾分回復していく。 鮭と…こっちは梅かな?それぞれ体力と疲労回復に良さそうだ。
「御苦労だな、ダイスよ。 …レイスの奴も、よく戦ってくれているな」
大淵は都心部を振り返った。渋谷を中心に暗雲が立ち込めたように真っ暗になり、その周辺は逆に真夏のギラついた日差しと酷暑。 相反する二つの空間が同時に存在していた。
「ああ。あいつのおかげで俺がこうして補給を受けて休める。 …交代して休憩させてやらないとな」
「お疲れサマデス!」
「お・か・え・り♡大淵! あとはあの厄介なデカブツだけだな!」
「…奴の再生速度が若干遅くなっているようだ。 お前達ならじきに倒せる」
「先生、お疲れ様です!」
「なぁ、大輔、腹減ってねぇか?握り飯ならまだあるぜ?」
気付けば皆に囲まれていた。 …嬉しいが、なんだか照れくさい。
おにぎりとお茶を飲み下し、ごみは桜が引き取ってくれた。
「ありがとう。 …お前らの顔を見たら疲れがどっかに飛んだよ。レイスの奴と交代してやらなきゃな」
整備クルーに礼を言いながら、点検が終わった射干に再び乗り込んだ。 バーナーが点火され、射干の機体が前進しながら浮き上がる。
…桜を見た。不安そうに自分を見上げる桜に向け…大きく頷いて微笑んで見せた。
全員が見送る中、再び戦場へ戻る。
レイスを縦横無尽に振り回される触手が襲った。
その中をサーカスの曲芸のように避けて回りながら、その触手のうちの一本をレイスの剣が切り裂いた。 裂かれた触手は宙に舞うが、切られたトカゲの尻尾が暴れるように、そのままレイスに襲い掛かって来た。
「チッ…」
それをやり過ごし、ビルの屋上に着地するレイス。
轟音が立て続けに聞こえたかと思うと、ターコイズグリーンの肉塊が一部弾け飛んだ。遅れて純白の機体が空を駆けていく。
『ありがとよ。おかげでゆっくり休めた』
「もう良いのか? …連中ともっとゆっくりしていれば良いものを」
『コイツを倒したら嫌になるほどあいつらとゆっくりするさ。今度はお前が休憩してこいよ。 …お前は疲労はしないみたいだが、SP…いや、MPは消耗するんだろう?』
「…そうさせてもらうか」
無線が割り込んだ。
『横から失礼します。それでしたら我々がお連れします。こちらのヘリまで来て頂けますか?』
今度は偵察用のヘリがレイスの脇を通りかかった。レイスは難なく飛びつき、ヘリのスキッドにぶら下がった。
「任せるぞ、大淵」
『ごゆっくり』
大淵は眼下で撃ち落とされ、路上からノロノロと本体を目指そうとするゼラチン塊を見た。
…確かに動きが鈍ってきているような気はする。
切断に銃撃、火、氷、雷…あらゆる攻撃に今一つ手応えが見えなかったので内心で不安だったが、その内再生できなくなるのだろうか。
もっとも、まだこちらには「剥奪」の切り札も残されている。…ただ、その為には射干を離脱してあの巨大すぎる相手に肉薄しなければならない。射干を抜きにした自分以上の高機動が可能なレイスと違って、あの巨体の移動に追いついて手を触れるのは至難の業だった。 アリが全力で走っても人間の歩行速度に追いつけないのと同じようなものだ。
おまけにウグリィアーツ自身の移動速度も決して鈍重では無い。
…そして、当然ながら自分が危険な存在であるという情報は共有している。自分の接近にはレイス以上に警戒している節があった。
「…消えるのが嫌か? だったらとっとと帰ればいいだろう」
⦅お前達は存在してはならない⦆
言葉では無く、そんな意味…感情のようなものが脳裏に直接送られてきた。
「…意思疎通できるのか。どうして存在してはならないって言うんだ?」
返事は無かった。ただ、断固たる意志決定を感じられた。
いくら説得しても無駄だと確信した。
「…そうかよ。だったらとことんやってやるまでだ」
強化した両手のマシンガンで集中射を浴びせた。派手にターコイズグリーンのゼラチン塊が飛び散り、人型の上半身から頭部が捥げ落ち、胴体と手が崩れ落ちていく。
地上に落下したそれらが再び本体を目指してノロノロと這い上がっていく。
「…持久走だからって勝ち目があると思うなよ? …俺は独りじゃない。 こっちにはレイスや、俺を支えてくれる人々が居る。 そっちはお前で最後なんだろう?」
空に無数にあった大小の魔方陣は全て消えていた。残されたのは直径500メートル程の、ウグリィアーツが出てきた魔法陣だけだ。それでも日傘のように代々木公園を中心に影を作っている。
素直にも肯定の意思…念が送られてきた。
「だったらなぜこんな無益な事をする? …きっかけは呼び出した人間側だが、お互いに干渉せずに共存する道もあった筈だ」
…返答は無かった。
伸びてきた触手をマシンガンで悉く撃ち落とし、背に回ろうとした。
自身の接近を嫌ったか、ウグリィアーツは更に高空へと高度を上げた。
分厚い真っ白な雲の層が迫ってくる。 …あまり高度を取られても良い事は無い。 バーナー出力を上げて加速し、より高空に先回りして両手のマシンガンから機銃弾を叩き込んだ。
機銃弾でズタズタに裂かれたゼラチン状の肉塊がボタボタと地上に崩れ落ち、勢いを失ったウグリィアーツは上昇を諦め、踵を返すように地上へと急降下していった。
大淵もその後を追って急降下。
(クソッ…ジェットコースターは嫌いだってのに…!)
腸を抉るようなGを感じながら執拗に機銃弾を浴びせ続ける。
…ここまでやっても敵のHPは測定不能のままだった。
微かな焦りと不安が芽生えかけるがそれを掻き消した。
――焦る事は無い。動き自体は明らかに弱ってきている。…もしかしたら徹夜…一日二日くらいやり合わなければならないかも知れないが、この要領で休みながら戦えば…
それに、隙が生まれれば敵に接近して「剥奪」してしまえば決着はつく筈だ。
細かな人影が飛び出したかと思うと、巨体が盛大に切り裂かれた。
「…なんだ、もう戻って来たのか?」
『あのバカ共が鬱陶しくてな。 …よくもこんな得体の知れない、かつて敵だった奴に平気で接せるものだ』
「そういう奴らだからな。 でも、悪くはないだろう?」
『…フン。 それよりコイツ、何を考えているのか全く分からんな』
「さっき幾らか意思疎通ができたが…どうしても人類との共存はできないらしい。今のところ、俺達に傷一つ付けられないってのに全く意思を変えるつもりも無いと来ている」
『この呆れた持久力以外に、何かしらの切り札があると考えるのが妥当だろうな』
触手を振り回して来た。大淵は射干をサイドロールさせて回避し、レイスは触手を切り払いながら切り抜けた。
『…どうやら異変が起きているようだな』
言われてウグリィアーツを見下ろした。
切り落とされた触手は地上に落下すると再融合しようとすることも無く、そのまま交差点の上でターコイズグリーンの水となって溶け、蒸発していった。
「さすがに限界が来たのか。 今のうちに畳みかけよう」
レイスが斬りつけ、大淵が機銃弾を叩き込む。巨体からゼラチンの肉塊が引き剥がされていき、見る見る巨体が一回りずつ小さくなっていった。
のたうち回るように二人の手から逃れるウグリィアーツだったが、その体は数分と経たずに歪に削がれ、元の半分以下の大きさになっていく。
「…なぁ、なんだか妙だな」
『どうやら、重りを脱ぐのに俺達の力を借りただけのようだな』
ウグリィアーツはクラゲ人間の姿から、徐々に50メートルサイズの人型へとなっていく。今も、自ら左腕にへばりついていたゼラチン塊を剥ぎ取って大淵に向けて投げつけてきた。
「珍奇な生態だ。 殺さない代わりに大学か研究所を紹介してやろうか?」
肉塊をサイドロールで回避しながら大淵が軽口を叩いた。
『再生していたのは何らかの時間稼ぎか、俺らの観察って所か』
「それを脱ぎ捨てたって事は、何らかの判断と決定だな。敵わないと知って奥の手を出したか…」
『或いはその逆…俺達に特段の脅威無しと見て始末しに来たか。 …だとしたら大歓迎だがな』
「しかしあの姿にウグリィアーツじゃあんまりだ。…スタテューに改めてやるか」
50メートルの巨人が地上に降り立ち、交差点を踏み割った。そのまま無機質・無表情のターコイズグリーンの顔面を上げて大淵らの姿を捉えると、それまでとは比べ物にならない速度で跳ねてきた。
「チッ…逃がすかッ!」
レイスが剣身で頭突きを受けた。レイスを頭部に乗せたまま高空へと飛び上がり続ける。
「レイス!」
レイスは空中移動手段を持たない。あくまで超人的なジャンプで空中戦をこなしているだけだ。
大淵はスタテューを追った。
(速い…!?最大加速でも追い越せないのか!?)
スタテューにも何かしらの推進機能があるのか、ただのジャンプによる加速とは思えない。射干の最大速度をも越えるGに圧され、レイスも脱出できないままでいる。
(クソッ、どこまで行くつもりだ!?)
『お、おい、大淵、どうなっている!?お前らどこに消えたんだ!?』
無線機から黒島の慌てた声が聞こえてくる。
「奴が…雲まで突き抜けた…!どこまで行くのか分からんが、今追いかけている!とんでもないスピードと推進力だ!」
『そ、そのままじゃまずいです!射干はそんな高高度で運用する事まで考えて設計されてませんし…何より大淵さん達の体が!』
『大輔君、ダメ!一旦戻って!』
『そうだぞ、スケ!戻って来い!』
『おい、俺の心配なんざ要らん!たとえ空気の無い真空だろうが俺の体はお前らとは違う。俺がコイツを始末する!』
体勢を立て直したのか、レイスがスタテューの頭部に剣を突き刺した。緑色の体液が飛び散り、凄まじい勢いで落下して大淵のバイザーを穢した。
「バカたれ!行きは良いとして、どうやって帰ってくるつもりだ!?」
緑色の体液が風圧で勝手に排除されるのを眺めながら、大淵は自分のそう多くない知識を必死に掘り起こした。
確か…戦闘機の限界高度は頑張ってもせいぜい20000メートルくらいだったか。 …一番低い位置にある雲が7000メートル…高い位置で13000だったか…
高度が上がれば上がるほど気温は下がり、20000メートルあたりではマイナス70度にもなるのだったか…空気も薄くなる。そして大気圏を越えてしまえば、どんな航空機の優秀なエンジンでも酸素が薄ければエンジンの性能を発揮できなくなるが…
「星村、魔力炉はSPをエネルギーに転換しているんだよな?」
『は、はい…』
「なら多分だが…そっちは問題解決だな。 …さて問題は俺の体だが…このまま奴に成層圏を突破された場合、何とも芸の無い脳筋ゴリ押しだが、俺自身の全身に特殊強化を施して疑似的に魔族やレイス同様に宇宙空間で耐える。そしてそのままあの緑色の彫像を撃破して、レイスを回収して同じように全身強化で大気圏を突破して帰還する。 …これしか無い」
スタテューの思念が感じられた。 …どうやら大淵にとって極限まで不利になる宇宙空間まで行くつもりのようだ。
しかも厄介な事に…奴の切り札はこれだけでは無いようだ。
『先生、空の上の事はよくわからないけど、とにかく一旦戻って対策を練り直しましょうよ…!』
『吟遊詩でもあるんですよ、天に惹かれた大賢者カーバは空から落ちて命を落としたって! 危険すぎます!』
ラナとパルムが懇願するが…最早退くに退けない状況になってしまった。
「…実は、奴の思念らしきものを感じ取った。 奴は宇宙まで行って、厄介者である俺が追い付けなくなった所で特大の大技をぶちかまそうとしているらしい。 …どんな攻撃か想像もつかんが、ソイツを喰らえばこの星もダメらしい」
『な…』
皆が絶句する気配。
『そんな事が… ブラフ、という可能性は?』
リノーシュが冷静さを取り戻して指摘した。
「無いな。…良くも悪くも奴は正直だ。嘘を吐く必要が無い存在なんだ。 だからわざわざこうして予言通りの日にご丁寧に現れて、滅ぼすと言えばいくら説得しても共存なんか考え直しもしない。 決めてあることをただ黙々と実行に移すだけの、面白みのないプログラムみたいな奴なのさ。 …だから逃がす訳にはいかん。ついでにレイスの奴もなんとか連れて帰る」
『だ、ダイス!この大馬鹿者め! どれだけ皆に心配を掛ければ気が済むのだ!帰ってきたら折檻だからな、逃げるなよッ!?』
大淵は苦笑を浮かべた。
「すまんな、マオ。 まぁ今回も不死身の俺を信じて待っていてくれ」
『ネバーダイ…デス、大淵! 帰ってきたら悪戯パーティの御覚悟デス!』
「お手柔らかに頼む」
『だ、大輔君ッ…!』
桜の悲痛な声。
「すまん、桜。 …でも、必ず戻るから」
最後の雲の層を突き抜けた。空の蒼が深まる。
薄くなってきた空気を噛み締めるように吸い、途轍もない冷気に震えながらも、ギリギリまで強化は使わない。
…ここから先、大地も大気も無い空間にいる以上は永遠にマナ…SPが回復する事は無い。今、自分の体に残された約六千のSPが自分の命綱そのものだった。
絶対に勝つ。それは当然の絶対条件だ。
なおかつ生きて帰る。 …絶対に生きて帰りたい。




