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響け、大地へ。はためけ、青空へ。群青に舞う色彩のシンフォニー  作者: ちとせ鶫
第1章 名前を呼ぶ

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第9話 あの子の歩幅(テンポ)

 今日は、引っ越しの作業でマネージャーコンビの颯汰と里桜は、放課後プレハブ小屋の片付けに行っていた。


 統風と綺羅は明け渡す部室の整理に残って、作業を続けていた。


「ちょっとね、陸上部に気になる子がいるの」


 突然、統風が言った。

 部室の窓から、グラウンドが見える。いくつかの部活がそこで放課後の活動をしていた。


「ほら、あの子」と統風が指を指す方向。そこには陸上部の長距離のランナーが幾人か走っていた。


「どの子?」綺羅も引っ越しの作業を止めて、統風の隣に来る。


「えっと、今ちょうど道路側のフェンスのあたり。青いパンツの子」


綺羅は目を細めて、その子を追った。


「……あの子、速いね」


「速いだけじゃないよ」


統風は、じっとそのランナーのフォームを見つめていた。


「歩幅が綺麗なの。無駄がない。

 あれ、マーチングに向いてると思う」


颯汰が段ボールを抱えたまま振り返る。


「スカウトする気?」


「うん。というか……気になっちゃって」


 統風は少し照れたように笑った。


「だってさ、あの子の走り方、“音が聞こえる”みたいなんだよ」


 綺羅が「音……?」と首をかしげる。


 統風は頷いた。


「うん。リズムがある。 あの子の歩幅、すごく綺麗に“揃ってる”の。あれ、絶対にマーチングに向いてる」


 颯汰は段ボールを置き、窓の外を見た。


「……なるほどね。 統風がそこまで言うなら、間違いないかも」


統風は真剣な目で続けた。


「5人まで、遠いけど……でも、あの子なら“前に進む力”をくれる気がする」


 綺羅が小さく笑う。


「じゃあ、声かけてみる?」


 統風は深呼吸をした。


「うん。行ってくる」


 そう言って、統風は窓から目を離し、まるで“走り出す前のランナー”みたいに軽く肩を回した。そして屈伸まで始めた。

 軽く体を動かすと、体操着に着替えて、部室を飛び出していった。



     * * *



 綺羅は、閉まった扉をしばし眺めていた。

 まったく、私の親友は予想の斜め上の反応をしてくれる。


 ほんの冗談のつもりで、「声かけてみる?」と軽い投げかけだったのだ。


 でも、トモちゃんは、本気だった。


 しばらくすると、校舎から飛び出してくる彼女が見えた。

 一直線に、先ほどの陸上部の子を目指して駆けて行った。


「まったく、もう」


 こぼれた言葉は呆れからきたものではなく、期待から漏れた言葉だった。

 

 綺羅は機嫌よく、引っ越し作業の続きに戻っていった。


——新しい物語が、またひとつ動き出す。



     * * *


 統風はグラウンドを横切るように走り抜けると、青いパンツの子の真後ろにつけた。

 しばらくテンポを掴むように、歩幅をあわせて、そのフォームを間近で観察した。


 最初は半歩遅れていた。でも、すぐに気づく。


 (この子の歩幅……一定で、フォームも綺麗で崩れない。安定してる)


 足音が軽い。

 着地の音が揺れない。

 肩の上下が一定で、腕の振りも無駄がない。

 上体がブレていない。綺麗なフォーム。


 統風は呼吸を整え、歩幅を合わせる。

 青いパンツの子の足が地面を叩くタイミングに、

 自分の足をそっと重ねていく。


 ——タッ、タッ、タッ。


 音が揃う。

 呼吸が揃う。

 視線の高さが揃う。


 三周目に入るころ、統風は確信した。


 (やっぱり、この子なら……)


 青いパンツの子が、後ろに気配を感じたのか、ほんの少しだけ肩越しに視線を向けた。


 統風はまだ声をかけない。

 ただ、歩幅を合わせ続ける。


 四周目に入った。

 青いパンツの子の呼吸が、統風の呼吸と重なった。


 (いまだ——並ぶ)


 統風は、ほんの少しだけスピードを上げた。

 青いパンツの子の真横にぴったり、速度を合わせて並ぶ。


 視界の端で、その子の目が驚いたように揺れた。


 でも、走りは崩れない。

 むしろ、統風が並んだことで、

 その子のリズムがわずかに軽くなったように見えた。


 (……大丈夫。この子は、ちゃんと“合わせられる”)


 統風は、呼吸をひとつ整えた。


 そして——いよいよ、声をかけた。


「ねえ——」


 夕方の風に溶けるような、でも確かに届く、相手の走りを邪魔をしないほどの声で。


     * * *


「あなた、綺麗なフォームで走るのね。これだけ走って、テンポが崩れないし」


 目線は前に向けたまま、統風はそう話しかけた。


「ど、どうも……」 


 ちょっと警戒させちゃったかなぁ。続けて、統風は自己紹介する。


「私、『マーチングバンド同好会』で部長やってます。音羽統風です」


 ——タッ、タッ、タッ。


 その間も、ふたりのテンポは一定で崩れない。繰り返し同じ足音が続く。


「ありがとう。それでも、結果はでないけどね……」


 少し、自嘲気味の返事。やはり、この子は今の場所に満足していないんだ。


 ——タッ、タッ、タッ。


「で、部長さんが私に何の用?」


 依然として目線は前に向けたまま、彼女は尋ねてきた。話は聞いてくれそうだ。


 ——タッ、タッ、タッ。


「そのままでいいから、ちょっとだけ、私の話を聞いてくれる?」


 ——タッ、タッ、タッ。


 返事はなかったが、走りの調子が変わらないことが、同意と受け取れた。


「さっき、部室の窓から君の走りが見えて……どうしても、気になっちゃってさ。来ちゃった」


 青いパンツの子は思う。

 いや、そんな軽い気持ちで、もう何周も私の走りに追いつき、並走してくるなんて、ありえない。

 この人は、ちゃんと毎日「走っている」人だと。少し、興味が沸いた。


「それで?」


 ——タッ、タッ、タッ。


「うん。それだけ」


 ——タッ、タッ、タッ。


「それだけ?」


 ——タッ、タッ、タッ。


「うん。それだけ。でも、思ったとおりだった」


 ——タッ、タッ、タッ。


 周回は5周目に入った。

 青いパンツの子は、戸惑いを浮かべる。でも、走りはブレていない。


「ほんとに、それだけなの?」


 ——タッ、タッ、タッ。


「あ、でもね。ちょっと、明日でいいからお話できたらと思って。もしよければだけど」


 ——タッ、タッ、タッ。


 少し間があって、返事が返ってきた。


「明日は練習が休みだから、いいよ。どこに行けばいいの?」


 ——タッ、タッ、タッ。


「ほんと? ありがとう。じゃあ、部室棟4階にある、『マーチングバンド同好会』の部室に来れる?」


 ——タッ、タッ、タッ。


「部室ね。放課後でいいのなら」


 ——タッ、タッ、タッ。


「ありがとう。じゃあ、約束ね! 今日は一緒に走れて、楽しかった。それじゃ」


 そう言って、統風は周回を離れ、校舎へ向かって戻っていった。

 

 夕暮れが進む空の下、残った陸上部の彼女は、そのまま周回を重ねていった。


     * * *


 次の日の放課後、引っ越し作業の続きをしていた最中、扉がノックされた。


「はい、どうぞ!」


 静かに開いた扉の向こう、昨日の陸上部の女子が立っていた。


「あ、いらっしゃい。約束、守ってくれてありがとう」


 統風はそう言って、彼女を部室に招き入れた。


「ごめんねぇ。今、部室の引っ越し作業中で、ちょっと散らかっているけど……」


「引っ越し?」


「うち、去年の活動実績がないから、女子テニス部に部室とられちゃって、ははは……来週、明け渡しの予定なの」


「大丈夫なの、それ」


「あ、新しい部室はね、ちょっと離れているけど、もうちゃんとあるんだよ」と慌てて、綺羅が補足する。


 ふぅ、とため息をつくと、片手でセミロングの髪を書き上げながら、陸上部の子は問うた。


「で、私に話したいことって?」


 陸上部の子がそう言うと、統風はそこらに並んだ段ボールのひとつに腰を下ろし、まっすぐ彼女を見て言った。


「昨日ね、あなたと走ってて思ったんだけど」

「……なにを?」

「走るときのあなたのテンポ、ぜんぜん乱れなかった」


陸上部の子は、少しだけ眉を上げた。


「テンポ……?」

「うん。君に並走しようとして、テンポをあわせようとしたら、自然と呼吸も、歩幅も揃っていったの。あれって、走りの技術だけじゃなくて……“合わせようとする気持ち”があるからできるんだよ」


陸上部の子は黙って聞いていた。否定も肯定もせず、ただ受け止めるように。


「あんなに綺麗なフォームで、一定のリズムを刻みながら、走るのはすごいなって」それから、続けて、「マーチングってね、上手いとか下手とかより、揃えようとする気持ちがあるかどうかが大事なの。昨日、一緒に走ってみて……あなたとなら、上手くできそうな気がして」


 陸上部の子は、少しだけ視線を落とした。


「……合わせるのが、そんなに大事なの?」


「うん。ひとりじゃ見えない景色も、歩幅を合わせたら見えるようになる。音楽も、前に進むようになる」


 統風は、押しつけるような言い方はしなかった。ただ、昨日の感覚をそのまま言葉にしただけ。


「だから、あなたの走る姿を見て……“この子となら前に進める”って思ったの。ねぇ、一緒にやってみない、マーチング」


 陸上部の子は、ゆっくりと息を吐いた。その表情は、昨日よりもずっと柔らかい。


「……そんなふうに言われたの、初めて」


「でしょ?」


 統風は笑った。


「だから、見てほしいの。歩幅が音になる瞬間を。 あなたなら、きっと分かると思うから」


 陸上部の子は、ほんの少しだけ頷いた。


     * * *


 スマホでオリエンの時の映像を見せた。

 見終えたあと、しばし無言の時間が流れる。


「どうかな?」


 時間をおいて、統風が尋ねる。


「すごいね。圧倒されたわ……」


 一息ついて、続ける。


「ちょうど、陸上は辞めようと思っていたところだったし……いいわよ。私でよければ。ちょっと面白そうだし」

「ほんとに?」


 陸上部の子は、立ち上がって手を差し出した。


「私、2年D組の朝霧あさぎり りんよ。よろしく」


 なんと、凜は統風たちと同い年、2年だった。統風と綺羅は顔を見合わせ、表情を緩めた。

 そして、差し出された手を握りつつ、統風も答える。

 

「私は、音羽統風。こっちは……」

「環奈崎綺羅です。よろしく」

「どうも」

「あと、ふたりいるんだけど、引っ越し先の片付けしてて。今度紹介するね」


 私も手伝うよと、凛も引っ越し作業に加わった。

 これで、部員は5人になった。

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