第8話 まだ、5名まで遠い
「あ、あの……見学、いいですか?」
小柄な女子生徒が入り口にちょこんと立っていた。
肩までの黒髪を左サイドで縛ったポニーテールが体の動きに合わせて揺れていた。
緊張しているのか、制服の袖をぎゅっと握りしめている。
声は小さいのに、なぜかその瞳はまっすぐ前を向いていた。
「私、水無瀬里桜っていいます。1年C組です。中学ではクラリネットやってました」
その言葉を聞いた瞬間、統風自身も、綺羅も、颯汰も、同じ未来を想像した。
(来たよ! ついに新入部員が……!)
期待が胸の奥でふくらんでいく。
統風は、これで演奏に厚みが出せるという期待。
綺羅は、可愛らしい後輩ができるという期待。
颯汰は、これであと1人で5名の基準を超えられるという期待。
三者三様の期待の眼差しを一点に受けて、ちょっと怖気づく、里桜。
でも、彼女は勇気を振り絞って、一歩を踏み出した。
「あの、私、入部を希望します」
キター!!
たぶん、傍から見た三人の顔は、今日一、輝いたであろう。
それを隠すことは微塵も考えていない様子だった。
ところが。次に里桜の口から洩れでた言葉は、思考停止させるに十分だった。
「あ、私、マネージャー志望ですぅ」
……え? えっと??
一瞬、理解が追い付かずに固まる三人。予想外の言葉に動揺してしまう。
「えっ……マネージャー?」
思わず声が裏返ったのは、統風だった。だって、クラリネットやってたって言ってたじゃない。
その隣で綺羅も「え、ええと……」と思考を整理しようと固まっていた。
颯汰だけは、一瞬の逡巡ののち、秒で状況を飲み込んだ。軽く息を吸い、気持ちを整えた。
「マネージャー希望だね。ありがとう。」
颯汰が即答した。
「えっ、ふーちゃん?」
「むしろ今、一番必要な人材だし。ね、トモ。僕一人じゃ、これからいろいろ大変だし」
そう言われて、私はハッとした。
綺羅も状況を飲み込めたようで、ほら、と促す。
「ようこそ、マーチングバンド同好会へ。歓迎するわ!」
綺羅が立ち上がって、里桜に駆け寄り、空いている椅子へと座るように促す。
こういう細かい気遣いは、きーちゃんらしい。と颯汰は思う。
確かに、演者が増えるのは嬉しい。
でも、私たち三人だけじゃ、練習も運営も回らない。
楽器の運搬、スケジュール管理、衣装、記録、連絡……やることは山ほどある。
その全部を、今は颯汰が一人で抱えようとしている。だがこのままだといずれ限界だ。
これからは一分一秒でも多く、練習に時間を割かねばならない状況になる。
私やきーちゃんがこれらをカバーすることは無理だろう。
それなら、里桜ちゃんの存在は今後大変大きな意味を持つ。そうだ。絶対だ。
でも、統風はそう思いつつも、ひとつ聞かずにいられなかった。すごく大事なこと。
回答次第で、今後ともに前を向いて進んでいけるかがわかる。
「里桜ちゃん、どうしてマネージャーを?」と、私はそっと尋ねた。
里桜は胸の前で手をぎゅっと握りしめ、少しだけ視線を落とした。
「昨日のオリエンで……あの映像を見て。胸がぎゅってなって……苦しくなって。でもすごい素敵なことだなって。私、ああいう輝いている人たちを、“支える人”になりたいって思ったんです」そのあと、小声で「私はまだ表に立つ自信がないので……」と付け加える。
その声は震えていたけれど、言葉には迷いがなかった。ここに来た時自己紹介してくれた時と同じ、真っすぐで真剣な瞳。
それでも緊張でまだ揺れていた。
綺羅が小さく息をのむ。
颯汰は、まるで答え合わせが終わったみたいに微笑んだ。
統風は、自分と同じ思いを感じて、ほっとした。
「里桜ちゃん」
私は一歩近づいた。
「演者じゃなくてもいい。来てくれて、すごく、ほんとに嬉しいよ」
そういって、里桜のそばにいき、里桜の手を両手でそっと包んで優しく握る。
里桜は驚いたように目を見開き、そして、ふわっと笑った。
「私……入りたいです。 ここで、誰かの力になりたいです」
その瞬間、胸の奥がじんわり熱くなった。
三人だった同好会に、四人目が加わった瞬間だった。
演者じゃなくてもいい。
この一歩が、きっと未来を変える。
——ここからが、本当のスタートだ。
* * *
里桜は中学まで吹奏楽部でクラリネットを担当していた。
でも中学から内部進学生として高校にあがったとき、高校では別のことやりたいとオリエンテーションにのぞんでいたのだ。
でもめぼしいものが見つからず、そのまま二日目に突入。
友人やクラスメイトが次々と決まっていくなか、少し焦ってきたところに、あのマーチングバンド同好会の紹介映像。
初めて目にしたマーチングバンドの演技は一瞬で里桜を虜にした。
でも冷静になって考えて、私が演者としてあんなに華麗に流麗にできるのかと思う自分がいて、じゃあまずは近くでサポートする、マネージャからやってみようと。一晩いろいろ考えた末、なけなしの勇気を振り絞って来てくれたのだという。
とりあえず、当面の活動場所が変わることと、活動時間などの簡単な説明を受けてもらい、遅くならないうちにということで、入部届に必要事項を書いて提出してもらうと、解散となった。
そのあと、1時間ほど待っていたけれど、あらたな見学者、入部希望者は現れなかった。
* * *
颯汰は、明日の部室の引っ越しに備えて、今日は早めに解散しようと、提案し、部室をあとにした。
その足で、向かったのは生徒会室。
一度、無理をお願いした、流水先輩に、ひと言お礼を言っておこうと思い立ったのだった。
生徒会室の扉をノックして、入る。
「これは、音羽会計。どうしたのかな?」
流水副会長は、昨日、オリエンテーションの進行役を務めていた書記の比沢圭子と、なにやら書類を整理していた。流水はその手を止めて、颯汰に声をかけた。
「昨日のオリエンテーションの順番変更の件、ありがとうございました。おかげで無事にできました」
「そう、じゃあ素直に受け取っておくわ」
「それだけ言いに来たので、では......」と帰ろうとすると、流水先輩は、まあ、待ちたまえ、と引き留めた。
「ここにあるのは、二日間に渡って実施した部活動オリエンテーションの、アンケートだ。新入生たちの生の声だよ」と言って、手招きする。「昨日のお礼というなら、ちょっとアンケートの入力作業を手伝っていきたまえ」
颯汰は、ちょっとだけ生徒会室によったことを後悔した。そうだよな、タダでは帰してはくれないか。
「このPCのスプレッドシートにリスト化すればいいんですか」
「理解が早くて助かるよ。じゃあお願いするわね」
そう言って、流水先輩は紙の束を颯汰に渡し、自分は部屋を出ていった。
颯汰は上着を脱いで、シャツの袖をまくると、アンケートと格闘を始めた。
* * *
いろいろな部活の、いろいろな感想、意見がかかれていた。
最初はひたすら書かれた文字列を追いながら、そのまま画面に打ち込むことを繰り返していたが、なかにマーチングバンド同好会の発表に対しての意見も散見された。すごい、綺麗、かっこいい、などポジティブな意見が並んでいる。ちょっと誇らしくなった。あれだけ徹夜して(ほとんどは創がやったが)、できたものだ。当然だと思った。
日も傾き始めた頃。
急に頬に冷たい感触が触れて、びっくりした。
気が付くと隣に流水先輩が屈むように並んで立っていて、手にしたコーヒー缶を、颯汰の頬に押し当てて、いたずらっぽく微笑んでいた。
「おつかれ、音羽会計。少し、休みたまえ。根を詰めすぎるのはよくないぞ」
颯汰はコーヒー缶を受け取り、「いただきます」と、プルタブを開け、一口すすった。激甘のコーヒー飲料が口に広がる。いつもなら飲まない味だが、今は心地よかった。
「一生懸命手伝ってくれた音羽会計の努力に報いるためにも、ひとつ私からアドバイスをしておこう」
そう言って、流水先輩は向かいにまわると、席につく。
「アンケートを見て、なにか気づいたことはあるかい?」とそこで一区切り、続けて、「特に、”マーチングバンド同好会”のことについて」と付け足した。
「えっと、概ねというか、ほとんど、良い印象をもってもらえたのかと思います。肯定的な意見が大半でしたし」
「そうだね。確かに良い印象は持ってもらえたろう。でもね。残念ながらそこまでなんだ。なぜだと思う?」
颯汰は、流水先輩の意図を測りかねていた。だってポジティブな意見がおおいんだから、成功したってことじゃないのか。それ以外の問題に颯汰は気づくことが出来ずにいて、答えに詰まる。沈黙が答えとなる。
「君はたぶん、いい素材を見つけてそれを最大限活用しようとしたのだろう。確かにあの発表で流れた映像はとてもインパクトがあって、綺麗で躍動的でこれ以上ない魅力を放っていた。聞いたところによれば、聴衆の反応は上々だったそうじゃないか」
そこまで告げて、流水先輩は颯汰を真っすぐ見つめて言った。
「でもね、そこまでなんだよ。君がつくったものは。その場は盛り上がるけれど、そこまで。なぜだと思う?」
質問を振られていてるのに、考えが全く整理できなかった。
「それはね、君がやりすぎたのさ」
「やりすぎた?」やっと出た言葉は、ただのオウム返し。考えは全くまとまらない。
流水先輩はすっと立ち上がり、窓際に移動して暮れゆく夕暮れ空を見つめながら、続きを言った。
「まあ、音羽会計の今回の努力が無駄にならないよう、アドバイスをあげよう。君は映像を作る際に、目的を間違ったの。見る側が求めるものじゃなくて、こちらが見せたいものをつくってしまった。異常に完成度を高くね。それだけだよ」
――あまりに隙間のない完璧な“完成形”を見せられた新入生は、感動すると同時に思ってしまうのだ。
『自分なんかがここに入っても、ついていけるわけがない』と。
勧誘に必要なのは「憧れ」だけじゃない。「私にもできるかも」という期待を生む、わずかな隙間が必要だったのだ。
すっと、理解が頭に落ちてきた。それとともに、心を支配したのは悔しさだった。
「まあ、いい勉強になったと思いたまえ。これくらいの失敗は、成功のための必要な経験よ」
颯汰は、恥ずかしくて、この場を立ち去るしかなかった。
「ありがとうございました。失礼します」
そそくさと、生徒会室を後にする。
「あーあ、ちょっと、いじめ過ぎたかなぁ」
颯汰がいなくなった生徒会室で、流水は独り言ちる。
「副会長って、音羽会計には厳しいですよねぇ、いつも」と、淡々と作業を続ける圭子が突っ込む。
「だって、ほっとけないじゃないか。あんなに仲間を大切にしよと頑張っていたら」
そのあと、圭子に聞こえないほどの小声で付け加える。
「そうでしょ、姉さん.......」
「何か言いました?」と圭子。
「いや、なんでも。じゃあ、今日はここまでにして帰ろうじゃないか。お疲れ様」
まもなく、生徒会室の明かりが落ちた。
* * *
時間は少し巻き戻る。
颯汰と分かれたあと、駅までの道すがら、統風と綺羅は商店街を並んで歩いていた。
「入部、思ったより来なかったね」
「でも、里桜ちゃんは、来てくれたよ。可愛い子だったよね」
「あれ、きーちゃんは、ああいう子が好みですか?」
「ち、違うってば、一般的な話、一般的な。もうっ」
「あはは、冗談だって。怒んないでよ。お詫びにジュース奢るから」
「じゃあ、イチゴみるくがいい」
「きーちゃんって、ほんとあれ好きだよね」
なんて、他愛もない会話をしながら、途中の公園のブランコに二人は座って、飲み物で一息ついた。
「あと半月で、少なくとも1人は入れないとね」
全国を目指すにしても、同好会がなくなっては元も子もない。
「そうだねぇ。5人まで、遠いなぁ……」
見上げた空は茜色から濃い瑠璃色に綺麗なグラデーションがつながっていて、まるであの映像の流麗な演技のように鮮やかだった。
* * *
統風は、ふたたびマーチングが響く学園を強く願った。
綺羅は、その願いを支えたかった。
颯汰も、夢の実現を助けたかった。
安田や流水は、過去からのしがらみを解き放ちたかった。
それぞれの期待と願いを受けて、
マーチングバンド同好会は、波濤の世界へ漕ぎだした。
——第一部、開幕。




