第6話 新入生勧誘、どうしよう?
#響け、大地へ。はためけ、青空へ。群青に舞う色彩のシンフォニー
##序章 私たちのマーチングバンド
###第6話 新入生勧誘、どうしよう?
4月7日。
今日は一転して朝から雨が降り続く、どんよりとした空模様。
颯汰は昨日のうちに、倉庫の換気と清掃ができてよかったと思った。
それに今マーチングバンド同好会がかかえている複数の問題のうち、備品と、新しい部室の確保ができたことは、大きい。非常に大きい。
帰りのHRが終わって、教室を飛び出したところで、廊下で統風と綺羅に出会う。
「ふーちゃん。ちょうどよかった。相談したいことがあって……」
「ごめん。ちょっとやることがあるから、後で部室に行くよ」とだけ二人に告げて、颯汰は早速安田のいる職員室へ向かった。
2学年の教室がある3階から、職員室のある1階にむけて階段を二段飛ばしで駆け下りていると、ちょうど2階と1階の間の踊り場を歩いていた安田をみつけた。
「安田先生!」
見上げる形で、颯汰を認識した安田。
「おう、音羽(弟)か。」
「先生、その(弟)ってやめてください。俺が統風の弟みたいじゃないですか」
「だって、誕生日的にはそうなんだろ? 音羽がふたりいるから、呼ぶとき面倒なんだよ」
「じゃあ、颯汰でいいです。弟はやめてください」
「なんだ、気にしてたのか。わかったわかった。颯汰」
「それで、先生。持ってきてくれました?」
「ああ、その件か。大丈夫だ。持ってきた。ついてこい」
そう言って、安田は職員室の自席に颯汰を連れて行った。
デスクの下から、大きな手提げ袋を取り出して、颯汰に渡す。
「ほら、これが昨日頼まれてたものだ。バッテリーと充電器、あと接続ケーブルも入ってる」
渡された手提げ袋は、それなりにずしりと重かった。機材が入っているから当然だ。
「すみません。急にお願いして。助かります」
「いや、気にするな。どうせ今は使っていないしな。使い方はわかるか?」
「たぶん、大丈夫です。わかんなければ、ネットで調べますから」
「そうだよな。今どきの子はそうやって調べるんだよな。まあ、なにかあったら相談してくれ」
「はい、ありがとうございます。お借りします」
「あ、何度も言ってるが、使ってない機材だから、返すのはいつでもいいからな」
颯汰は、大事そうに手提げ袋を抱えて、一礼した。
「じゃあ、失礼します!」
「おう、頑張れ」
安田は手をヒラヒラと振って、席についた。
颯汰はそのまま、視聴覚室の鍵を借りると、職員室をあとにした。
* * *
視聴覚室は専門教室がならぶ別棟なので、渡り廊下を渡って来た。
渡り廊下から外をみると、下校時の傘の群れが流れ動いていた。今日はそう簡単に雨はあがりそうにない。
そのせいもあってか、いつもより、視聴覚室はしんと、静まり返っていた。
プロジェクターの入力コネクタに、ビデオカメラの出力からつないだケーブルを差し込む。
バッテリーは、安田先生はちゃんと充電しておいてくれたようで、バッテリーをつないでカメラの電源を入れると、すぐに立ち上がった。ありがたい。
颯汰は制服のポケットから、ケースを取り出した。
今はスマホで簡単に動画が撮れる時代だが、一昔前は、こんなに大掛かりな機材で撮っていたのかと少し驚きを隠せない。
しかも、テープって。
昨日、少し気になって調べていた。「VHS-C」とは何か。
その昔は、映画のレンタルも「ビデオ」だったとのことで、そのときの主流の規格が「VHS」という規格だったそうだ。
そういうテープメディアがあることは知ってはいたが、実際に目にしたのはこれが初めてだった。
しかも、コンパクトって。どうもビデオカメラ用に小さくした規格らしい。
それでも、SDカードとかに比べたら、何倍も大きい。時代の流れを感じる。
しかも、通常のデッキにいれるときには、アダプターにこのコンパクトカセットを「合体させる」らしい。ちょっとかっこいいじゃないか、と思った。
颯汰は借り物のビデオカメラを慎重に持ち上げ、EJECTと書かれたレバーをスライドさせた。
パカッと蓋がひらいて、カセットの挿入口が開く。
そこにケースから取り出した、カセットをゆっくりと差し込んだ。奥まではいったことを確認して、そっと蓋を閉じる。
ウィーンというモーターの音が聞こえて、テープがセットされる。準備は整った。
プロジェクターの電源を入れて、入力を先ほどつないだ外部入力に切り替える。
そしておもむろに、ビデオカメラの「再生」ボタンを押した。
そこに映し出された映像は、群青の制服が重厚に奏で、流麗に舞う姿だった。
開始から最後まで圧倒された。途中息を吸うのを忘れたぐらいに。
これは単なる記録ではなかった。それだけは見ればわかる。理解できる。
今となっては、このクオリティで活動できたことが、信じられなかった。
しかし、これは事実だった。
その昔、神代学園は、この競技で輝いていたのだ。
ひととおり見終えてのち、颯汰は息を深く吐き出した。
なんてもの見てしまったんだと、心臓の拍動まで聞こえそうだった。
画面が暗転し、映像が終わる。
ふたたび、視聴覚室を、雨の日の静けさが支配する。
だけど、颯汰の心の中はその静けさと反対に、大いにざわついていた。
この感動は、自分の中に秘めておくには大きすぎた。
――ふたりにも、見せたい。この感動を。
そう思ったら、いてもたってもいられなかった。
勢いのまま視聴覚室を飛び出した。
だけど、ふと冷静な自分が、借り物のビデオカメラを放置して、カギをかけずに教室をあけるのはまずいと思い返す。
慌てて戻りカギをかけてから、同好会の部室(明け渡し予定)に走った。
* * *
同好会の部室(明け渡し予定)に着いたころには、颯汰の息は十分にあがっていた。
ドアをノックももどかしく、開け放つ。
ちょうど、明日8日の放課後に予定されている「新入生オリエンテーション」のリハーサルをしていた、統風と綺羅の二人は、その勢いにビクッとして、固まっていた。
「あ、あの…はぁ、はぁ、ふ、ふたりに……はぁ、はぁ」とまったく言葉がでてこない。
気持ちはあれど、言葉にならない。胸が苦しいのは走ったせいだけじゃない。さっき見た映像の衝撃が、まだ気持ちを大きく揺さぶっていた。
全く言いたいことが言えずに息があがっている颯汰をみて、縛りの解けた綺羅が水のペットボトルを差し出した。
「とりあえず、落ち着こう? ほら、お水飲んで」
一気に飲もうとして、むせてしまう。綺羅はそんな颯汰の背中をやさしくさすってあげていた。
「どうしたの? そんなに慌てて。そういえばなんか用事があるからって言ってたよね?」と、統風が心配そうに尋ねる。
やっと落ち着きを取り戻した颯汰は、うん、と頷いてから、続けた。
「トモときーちゃんに、見てもらいたいものがあるんだ。一緒に来てくれないか」
その真剣な眼差しに、ふたりは顔を見合わせ、とりあえず、颯汰の願いに応えることにした。
「わかった、行こう。なにを見せてくれるのか興味があるし」と統風。
「こんなに慌てたふーちゃん、久々だしね」と綺羅。
三人は、視聴覚室に向かった
* * *
先ほどは、がむしゃらに走ってきたので、視聴覚室への道のりは倍以上の時間がかかった。
でも、その間、三人の間には会話らしい会話もなく、外の雨音と足音だけが廊下に響いていた。
時間をかけて、視聴覚室にたどり着き、カギを開けて入る。
「そのへんに、かけて待ってて。準備するから」
颯汰は、二人に席に座るよう促して、自分は映像の再生準備に入る。
統風と綺羅は、前の方の席に陣取り、腰掛けた。これから何を見せらえるのか、颯汰の緊張が伝わってきて、二人も胸がざわついていた。
颯汰は一度最後まで見終えたビデオテープを巻き戻す。
ビデオカメラの巻き戻しスイッチを押すと、カチッ、ウィーンと機械音が聞こえ最初の位置へ頭出しが始まる。
この巻き戻している間の時間がもどかしくて仕方なかった。待つしかないのはわかっていて、どうにもできないとわかっていても。
あと、少し不安もあった。自分が感じた感動と同じベクトルで二人が反応してくれるのか。
逆に、マイナスにならないか。
でも、この心中に芽生えた、まだ名前のない何かは、抑えることができなかった。何かしらの方法で伝えたかった。
まもなく、ブーンという空回りの音がして、カチッとモーターが止まる。巻き戻しが終わったようだ。
最初、何を見せるかを伝えてから、再生するつもりだったが、辞めた。
この感動は、見ればわかる。たぶん、このふたりなら大丈夫。
「じゃあ、再生するね」とだけ伝えた。
二人の緊張が伝わる。うん、と各々頷くだけだった。
颯汰は、そっと、ビデオカメラの「再生」ボタンを押した。ブーンとモーターの回る音が静かに聞こえ、スクリーンに映像が浮かぶ。
この映像は「ほとんど編集されていない」映像なのだ。
テロップなどの説明や解説は一切ない。
ありのままをそのままを記録した生の映像だった。
スクリーンに光が走り、暗い視聴覚室の中に、淡い群青色がふわりと浮かび上がった。
最初の一音が鳴った瞬間、統風が小さく息を呑む気配がした。綺羅は、思わず背筋を伸ばしていた。
四角い画面の中で、群青の制服が一斉に舞う。
重厚な音がさきほどの静寂を破り、視聴覚室のスピーカーを大きく震わせる。
一瞬でその場の空気を書き換えた。
統風は、その圧倒的なステップのスピードと揃い方に圧倒された。
綺羅は、風に舞うカラーガードの鮮やかな色彩の輪舞に酔う。
そして颯汰は、空間の隅々まで計算しつくされた完璧な隊列の動き(コンテ)に目を奪われた。
どのシーンも迫力と美しさで、見ているこちらも気持ちが高揚するのを止められなかった。
颯汰は、ふたりの横顔をそっと見た。その表情を見た瞬間、胸の奥が熱くなる。
――よかった。伝わってる。
これ以上、余計な言葉はいらなかった。ふたりの瞳は、目の前のスクリーンに飲み込まれ、微動だにしない。その瞳の揺れが、颯汰の不安をすべて溶かしていく。
映像は、ただの記録じゃない。その場の空気を、先輩たちの“本気”が、時間を超えて、画面の向こうから止めどなく溢れ出していた。
* * *
映像はいつの間にか終わって、スクリーンは暗転していた。
さっきまで響いていた重厚な音が消え、また、外の雨音だけが、静かに、部屋を支配していた。
しばらく、誰も口を開かなかった。いや開けなかった。
統風は、前のめりになった姿勢のまま、暗転したスクリーンを見つめたまま固まっている。
綺羅は、胸の前で組んだ手をぎゅっと握りしめている。目は固く閉じていた。
ふたりとも、まだ映像の余韻から抜け出せていない。
やっとのことで颯汰は、そっと息を吐いた。胸の奥にわずかに残っていた不安が、ゆっくりと溶けて消えていく。
「……凄い。すごすぎる」
最初に声を出したのは、統風だった。でも、その声は震えていて、いつもの調子とはまるで違った。
特に、ひとり目立つステップで舞う先輩の姿が、綺麗で印象に残っていた。
「なに、これ。こんなの、知らなかったよ」
綺羅も、ぽつりと呟く。今、その瞳を見開いて、未だにスクリーンの余韻を追っているようだった。
颯汰は、ふたりの言葉を聞いて、胸が熱くなる。
「……これが、神代の“昔”なんだよ。ほんの数年前までの。俺たちの、先輩たちの……本気」
やっと言葉にした瞬間、三人の心の中には言わずとも、同じ熱が灯ったのがわかる。これ以上なく。
ここで、ふと、颯汰の頭に、よぎったことがある。この感動をこの三人だけに留めてよいのかという疑問だった。
「あのさ、この映像なんだけど……新歓のデモに使えないかなって」
ばん、と勢いよく机を叩き、立ち上がる統風。
「それだ!」
もう一つ、問題が解決した瞬間だった。




