第5話 先輩たちの、熱い思い
「早速、手伝って。ふーちゃん。倉庫の片付け」
統風は気持ちを切り替えて、颯汰に頼む。
まだ日が高いうちに、ある程度片付けておきたかった。
「倉庫?」
颯汰は記憶を振り返った。
同好会の部室はここだけのはず。
ほかに倉庫があるとは聞いたことがないはずだ。
そういえば、運動部、確か女子テニス部から追加で、レギュラーメンバー向けの追加の部室の使用申請が出ていた。前年の活動実績から、その追加の申請は問題なければ承認されていておかしくない。たぶん、そのせいだ。間違いない。
今、マーチングバンド同好会は、設立以来最大のピンチに置かれているのは間違いなさそうだ。まったくタイミングが最悪だ。
颯汰の問いに、統風と綺羅が続けて答える。
「私たち、この部屋追い出されるからさ」
「そうなの。来週月曜までに、女子テニス部に明け渡さないといけないの。さっき場所は確認してきたの」
ああ、やはりそうか。颯汰は納得した。
とはいえ、成り行き上、マネージャーを引き受けたからには、現状を詳細に把握しておかないといけない。人も、設備も。
結果を出さないと、流水先輩から何を言われるか、分かったもんじゃない。
それに、トモときーちゃんの力になりたかった。
そう、今度は力になれるはずだ。今度こそ。
トモが、陸上を諦めたときのように、見ているだけでは終わらせない。
「トモ、きーちゃん」
久々に統風をトモと呼んだ。高校に入ってからは、統風呼びで距離を置いていた。
「これから一年よろしく」
そう言って、ふたりの前にまっすぐ手をのばす。
統風と綺羅は一瞬の戸惑い、そして目を合わせて微笑んで、その手に自分たちの手を重ねた。
「ふーちゃん、よろしくね!」
「もう逃がさないからね。これで3人だ! 行くぞー!」
やっとこの場の全員に笑顔が戻る。
3人でスタート地点にたった瞬間だった。
* * *
統風と綺羅は体操着に着替えるとかで、颯汰は鍵を預かって先に倉庫に向かう。
途中で用務員室に立ち寄って、掃除用具を借りた。
バケツに水を汲んでから、教えてもらった東校舎の外れに行くと、コの字に校舎に囲まれた広場の向こうにプレハブ小屋がみつかった。
こんな場所があったのかと思う。周囲には人通りがない。
確かに用がないと、来ることはないな。
扉の鍵を開ける。むっとしたこもった匂い、埃とカビの匂いが漂ってくる。これは換気から始めないといけないと思った。颯汰はシャツをまくって、マスクをつけた。
はじめに窓を塞いでいる板をどかし、カーテンを開けると、窓を全開にして換気をする。そのまま30分ほど中の空気と入れ替えることにした。これでだいぶやりやすくなる。
換気の間、さきほど用務員室で借りてきたブルーシートを、小屋の前の広場に広げておく。その作業をしているうちに、これまたモップや雑巾、水の入ったバケツを抱えた統風と綺羅が来た。
「ふーちゃん、お待たせ。ってこれ、何やってるの?」と、統風が尋ねる。
「とりあえず、今、窓開けて換気してるから。しばらくして落ち着いたら、床の上にあるもの全部、ここに運び出すよ」とシートを広げながら颯汰は続けて言った。「あと、掃除の間、マスクつけといたほうがいい。はい、これ使って」
未使用のマスクを二人に渡す。統風と、綺羅はマスクをつけて、シートを広げるのを手伝った。その間に換気をはじめて30分ほど経過した。この時点で昼をすぎ、14時を超えたあたり。まだまだ時間はある。
「ふーちゃん、次は倉庫の備品を外に運び出せばいいの?」と綺羅が確認する。「結構、あるけど……」
「そうだね。三人で一度、床の上にあるもので運び出せるものは運び出しちゃおう。それから掃き掃除と拭き掃除をして綺麗にしてから、戻す。それまではここに置いておこう」
「おー、的確な指示。よし、ちゃっちゃと片付けちゃおう。ね、きーちゃん」と統風。もうやる気十分な表情で、小屋に飛び込んでいく。
「あ、まってトモちゃん」と綺羅もつづく。
そんなふたりを見て、ちょっとこの関係性にほっとして、自らも小屋に飛び込んだ。
「あ、トモ、備品に被ってる布はそっと、そっと外してくれよ。せっかく換気したのに、埃舞ったら意味ないからな!」
「だって、トモちゃん。勢いにまかせて、引っ張っちゃだめだよ」
「そ、そんなことしないもん。そっとだよね、そっと……」と、ゆっくりたたむようにはがしていく。本当は思い切り布の端を掴んで引っ剥がそうとしたのは、絶対ひみつ。
「嘘……見てよ、これ……」
覆っていた布をめくった綺羅が息を飲む。
保管されていた備品、楽器などのハードケースはビニール袋に密閉されていた。
シリカゲルや防錆紙に守られて、衣装やフラッグなども調湿シートと一緒に圧縮袋でまとめられていた。徹底した保管時の劣化防止対策だった。
数年間締め切ったプレハブという過酷な環境にもかかわらず、楽器・衣装・フラッグ類はすべて無傷。カビなし、サビなし、劣化なし。恐ろしいくらいの徹底ぶり。
でも、これでわかったことがある。これを施した先輩たちの愛情を――いつか誰かがここを開けたとき、すぐに演奏できるように——先輩たちの手間と愛情が、そこに詰まっていた。
「ぜんぜん、痛んでないよ。きーちゃん。すぐにも使える状態になってる」
「そうだね。すごいね」
統風と綺羅はそんな備品の状態をみて、感極まって目頭が熱くなる。ふたりの声は震えていた。その横で見ていた颯汰も、胸の奥がじんわり熱くなっていく。
――こんなに大事にされてたんだ、この場所。
先輩たちの手間と時間と想いが、ひとつひとつの袋やテープの跡に残っている。それが、言葉よりも強く胸に響いた。そんなふたりをそばでみていた颯汰もつられて泣きそうになる。
「あ、ふーちゃん、なんで泣いてんの?」
「う、うるさい。ちょっとほこりが目にはいったんだ。ほら、つぎは掃き掃除! ささっと片付けるぞ」
「ほらほら、トモちゃん。ほうき持って」と綺羅が統風の背中を軽く押して、小屋に戻っていく。
床一面の掃き掃除を終え、壁と床の拭き掃除に移る。モップ掛けと雑巾で丁寧に。
棚の一角で、拭き掃除をしていた颯汰が、棚の上段の違和感に気づく。
埃をかぶった棚の上に、一本だけ、ケースにはいったテープが置かれていたのだ。違和感の原因は、そのケース自体には、いっさい埃が積もっていなかったことだった。すごくわざとらしく「置かれて」いた。
でもそのとき、颯汰はその違和感の原因にはそのとき気づけなかった。それよりも、そのケースが何なのかという興味が先に心を埋めていた。
「なんだ、これ?」
颯汰は、ケースを手に取った。「VHS-C」とロゴがあるが、なんのことは颯汰は理解していなかった。どうもなにかの記録媒体であることはかろうじて理解できた。ケースには黒のマジックで「神代学園マーチングバンド部 20xx年 関東大会」とだけ、流麗な書体で書かれていた。すごい興味を惹かれたが、中身を見る方法がまったく思いつかなかった。あとで調べてみようかと悩んでいた時、うしろから声がかかった。
「どうしたの、ふーちゃん。なにか見つけたの?」
綺羅だった。雑巾を持った手を後ろにして、ちょっと首をかしげるようにこちらをみていた。
「いや、なんでもない。なんでもないんだ。さ、つづきつづき」
なぜかとっさにケースを胸ポケットにしまい、ごまかした。なぜそうしたのかは、よくわからなかった。ただ、まだ統風たちに見せるのは尚早だと、そんな気がしただけだった。
「そう? もう床は終わったから、備品戻していくね」
「うん、お願い」
ひとまず、掃除をおわらせよう。それからだと、颯汰は気持ちを切り替えた。
「きーちゃん、重いよ。手伝って!」と外から統風の声に、綺羅が外にかけていく。
颯汰は、棚掃除の続きに戻った。
「おー、やっとるな」
そのタイミングで、ふと入り口から、声が聞こえた。安田先生が、入り口の縁に手をかけて、小屋の中を覗き込んでいた。
「あ、安田先生! いいところに。運ぶの手伝ってよ!」と統風。
「悪いな、音羽。先生、腰が悪いから、重いの無理だわ。頑張れ」
「えー手伝ってくれないなら、邪魔です。先生。ほら、どいてどいて」
「あ、もうトモちゃん。先生にそんな言い方、失礼でしょ。すみません、先生」
「ははは。いつも、環奈崎は大変だな……」と言いつつ、思いだしたように、続けた。「そうだ、音羽。ちょっといいか」
持ち上げようとしていたハードケースを、地面に戻して、統風は安田のところに歩いてきた。
「何? 先生」
「えっとな、この書類にサインしろ。ほら、ペンはこれ使え」
「なんなの、この紙?」
統風は疑問を顔に浮かべつつ、紙を受け取った。
「施設利用申請書だ。いいから、ほら、ここにお前の名前を書いてくれればいい」
「うん。わかった。はい、これでいいですか」と、統風は入り口の床にしゃがんで、名前を書いて安田に返す。
「おう、これで大丈夫。サンキューな」と、受けとった申請書を折りたたんでポケットにしまう。
「じゃあ、先生は行くな。あまり遅くなる前に帰るんだぞ」
安田は、扉から体を離すと、帰ろうと踵を返す。
「あー本当に、手伝ってくれないの? せんせー」
「先生も忙しいんだ、悪いな。あ、あとな……」と帰り際、ひとこと付け加えた。「来週から、この小屋、正式にお前らの『部室』として、使っていいから。カギはそのまま持っておけ。じゃな」
安田が入り口から消えたとき、颯汰は反射的に追いかけていた。
「安田先生!」
その勢いに押されて、入り口付近にいた、統風と綺羅は何事かと驚く。
「なんなの、ふーちゃん⁉」との統風の問いは流して、そのまま颯汰は安田を追いかけた。
小屋からさほど離れていない場所で、颯汰は安田に追いついた。
「お、どうした? 音羽。そんなに汗だくになって」
息を整え、深呼吸をひとつしてから、颯汰は話す。
「先生、あの、これなんですが……」とポケットから、さきほど小屋の棚でみつけたケースを見せる。
「なんだ、VHS-Cカセットか。懐かしいな」
「ぶいえいちえす? しー?」
「あー、今のお前たちは知らないか。昔はな、動画の撮影といったら、こんなテープに記録してたんだよ。これはVHSという規格の記録方式でな」
「先生、これ見る方法ありませんか」と説明に被るように問う。
「たしか、うちに使ってないビデオカメラあったなぁ。まだ使えるだろう。カメラで再生もできるから、わかった、明日もってこよう」
そういって、ケースを颯汰に返す。じゃあなと、安田は帰っていった。
颯汰は、あとで明日の視聴覚室の利用申請をすることに決めた。
「さ、残りを片付けよう」
独り言をつぶやいて、小屋に取って返した。




