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響け、大地へ。はためけ、青空へ。群青に舞う色彩のシンフォニー  作者: ちとせ鶫
第1章 名前を呼ぶ

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第11話 土台を支える音。

 颯汰が生徒会の用事から、新しい部室へ戻る道すがら、校舎の影からトロンボーンより低い厚みのある音が聞こえた。


 誰かいるのかと、そっと壁沿いに進んで、覗いてみた。

 ひとりの男子生徒が、椅子を持ち込んで、楽器の練習をしている様子だった。


 その男子生徒は静かに息を吸い込むと、マウスピースに唇を当てた。

 次の瞬間、あとでユーフォニアムという名だとわかる、楽器独特の、太く優しく包み込むような温かい低音が辺りに響き、吸い込まれていった。


 颯汰はその曲が何か知らなかったが、その一音、一音の輪郭が驚くほど鮮明で、それでいて角がなく、ベルから放たれた音が、反響の少ない校舎裏の一角でさえ、天高く空へ空へ伸びていくのがわかった。


 フォルテシモ(強く)鳴らしても、決して音が割れることがなく、より力強く、その存在を示すように響き渡る。


 まるで、深く澄んだチェロの響きに似て、そばで聞く者の身体の芯に、ダイレクトに心地よく染み込んできた。


 打って変わって、超絶技巧な素速いパッセージ(細かい音符の連続)であっても、その一音ごとの輪郭は微塵も失われずに、その流れは清流のせせらぎのごとく淀みなく、滑らかに流れていく。


 運指もそれに合わせて止まることを知らず、快活に、でも滑らかに躍動する。


 演奏している男子生徒はその一連の動作を、難なくこなしており、その表情には一切の無駄な力みがなく、身体にも無理な力を掛けている様子はない。まさに楽器と奏者が一体となって、自らの息を超絶の音へ昇華させ、極上の調べを奏でていた。


 曲がクライマックスに近づくにつれ、先ほどとは真逆のピアニッシモ(弱く)のロングトーンに移る。少しでも意識がぶれると、音が揺れ台無しになるシーンだったが、その男子生徒は苦もなくそのまま、次のブレスまでの長い間、上手な息のコントロールで一定の音を出しきっていた。


 最後の一音が鳴り響き、そのソロリサイタルは終演を迎えた。

 

 颯汰は、そのときハッと、聞き惚れて立ち尽くしていたことに気づいた。

 そして、邪魔をしないよう、そっと元来た道を歩いていった。


     * * *

 

 颯汰は部室に戻り扉を開けると、ガタガタと音がした。

 ロッカーの周りをパーティションで囲っている女子たち。


「手伝おうか?」と声をかける。

「あ、ふーちゃん、おかえり。大丈夫だよ。もう終わるから」と統風。

「でも、天井に固定するのは、やってもらった方がいいんじゃない?」と綺羅。

「そっか。ふーちゃん、お願い」

「何をすればいいの?」


 パーティションは両端に天井に固定するところがあるようで、借りてきた脚立にあがって、締めこむ作業が最終工程だった。

 颯汰は、並べたパーティションの固定位置を確認して、ひとつひとつ動かないよう固定していった。


 作業は30分ほどで終わった。

 

 ロッカーは、周囲から見えなくなり、また途中で仕切りが入って、男女別になった。

 徐々に、活動拠点としての機能が加わっていく。


 そこで一息つこうという段になり、休憩をすることに。

 ちょうど、さきほど目撃した、男子生徒の話になった。


「それ、きっとユーフォニアムじゃないかしら」と綺羅が言う。


「ユーリンチーですか? 美味しそうな名前ですぅ」と、里桜が返す。そしてそのまま、一気にまくし立てた。

「あの黄金色を通り越して、深い狐色に染まった衣。表面の凹凸は限界まで水分が弾け飛んだ証拠あかしであり、まるで繊細なガラス細工のように細かく波打っている。ああっ、その角張った衣の隙間から、熱せられた肉汁が小さな泡となってじわりと湧き出して、光を浴びてきらきらと輝いている。タレを吸う前の、その圧倒的な乾燥。熱風を閉じ込めたかのような衣に箸を突き立てると、小気味よい『ザクッ』という低い震動が手元に伝わるの。身の詰まった鶏肉の重みが指先を介して感じられ、それと同時に、閉じ込められていた香ばしい油の香りが一気に空間へ解き放たれた。熱々の衣が、これから甘酸っぱい醤油タレを浴びていく。その直前の、一瞬の最も乾いていて、最も熱い静寂がそこに……。ああ、今にもかぶりつきたいですぅ」


 ひとり宙を見て、恍惚とした表情を浮かべる。

 ほかにその場にいた、統風、綺羅、颯汰、凛の4人は、ごくりと唾を飲み込んだ。


「って、ユーしか合ってないじゃん」という凛の突っ込みで、全員が我に返る。

「違うよ、里桜ちゃん。ユーフォニアム、っていう楽器の名前だよ」と綺羅が訂正。

「あはは、面白いね。里桜ちゃん。おなかすいちゃったよ」と統風。


「あれ、ユーフォニアム、っていうんだ。とにかく音がすごかったんだよ。ああ、言葉にするのがもどかしいけれど」

「千景ちゃん、何か知ってるかしら、明日聞いてみよう」


 統風の提案でその場は、お開きになった。


     * * *


 翌日、部室に来た千景に、その男子生徒に尋ねると……少しの間考えて、あっと思い出したように語りだした。


「ひとり私と同じ1年で、名前は……すみません、パートが違うんでわかんないんですけど。居ます。上手な男子が」


 そこで、ふたたび思い返しているような間があいて、続けた。


「合奏のときは、ソロを張るような楽器でないんですけど、時々、ソロで吹いているのを聞いたことがあって、私はすごい音圧を上手にコントロールしていて、綺麗な音だった印象があります」


 聞いていた一同は、颯汰の印象に近い、千景の回答に、期待感が高まった。


「でも……」と、そこで千景が言い淀む。


「どうしたの?」と綺羅が尋ねる。


 少しの間、躊躇ったあと、千景は答えた。


「えっと、多分、聞いてもらうとわかると思いますので……」と言葉を濁す。


 それ以上は、千景は教えてくれなかった。

 それが余計に、綺羅の中で、期待感を大きくしていた。


「私、ちょっと聞いてくるね」と、スマホに何やらメッセージを入れてから、立ち上がる。


「じゃあ、私たちは部室の片付け続けているから、あとで聞かせてね」と統風。


 綺羅は、部室をあとに、音楽室へ向かった。

 このとき、まさかの結果に、驚くとも知らずに。


     * * *


 音楽室の前には、綺羅と同じくらいの長身で、黒髪をポニーテールにした女子が、腕組して待っていた。

 綺羅の姿をみて、片手をあげた。


「きーちゃん。こっちこっち。いきなり、パート練習見学させてくれって言うから、何事かと」


 彼女は、鈴村茜すずむらあかね。吹奏楽部の副部長。綺羅のクラスメートでもある。

 先ほど、綺羅がスマホでメッセージを送った相手は、茜だった。


「ちょっと、確認したいことがあってさ」

「何々? 入部希望? なんなら、体験入部でもいいよ、今から」

「無理だよ。私楽器って聞く専門でやったことないもの」

「その割に、楽器に詳しいよね」

「まあ、うちは私以外が音楽畑なの。私は、向いてなかったのよ」


 そう言ったときの綺羅は、少し寂しそうな表情をしていた。

 茜は、踏み込み過ぎたかと反省し、話題を切り替えた。


「で、聞きたいってのは?」

「ユーフォのパートなんだけど、低音のパート」


 少しの間、茜は考えてから答えた。


「今、新人のオリエン的な活動もしているけれど、聞きたいのは、経験者の方だよね?」

「そう。経験者のほう」

「じゃあ、移動しよう。低音パートは、別の部屋で練習しているから」


 そういって、茜は移動を促した。

 連れてこれたのは、音楽室とは真逆の、端にある空き教室だった。

 近づくと、ユーフォニアムやチューバなどの低音を支える楽器の音が届いてくる。


「ここだよ、低音パートの練習場所」


 そう茜に告げられて、二人は教室の扉の前に陣取った。

 とびらの採光窓から中の様子が見える。


「ちょっと、ここで見学していよう」

 

 茜の提案に、綺羅は頷いた。


     * * *


 パート練習が始まって、かれこれ1時間。 この部屋の空気はひどく張り詰め、重かった。


「──うん。ピッチは悪くないんだけどさ。やっぱりちょっと音が引っ込んでるな」


 パートリーダーの先輩が、譜面台から顔を上げて静かに告げた。

 その隣では、大型のチューバを抱えた同じく2年の経験者が、心配そうにこちらを見つめている。


 ユーフォニアムを構える男子生徒は、小さく「すみません」と呟き、マウスピースから唇を離した。


 中学からの内部進学組で、吹奏楽のキャリアはすでに4年目に入っている。ソロを吹かせれば、誰もが息をのむほど深く、艶やかな美音を響かせる実力者だった。それは、部長、副部長、そしてこのパートリーダーの2年生もよく承知していた。


 しかし、こうして低音パートが集まる「パート練習」になった瞬間、彼の音はまるで殻に閉じこもるように萎縮して生気を失って死んでしまう。


「もっとさ、チューバの太い低音の波に、自分の音をガバッと乗せる感じでいいんだよ。お前のソロのときの、あの良い音が全然聴こえてこない。もっと音を出して」


 別の先輩からも、重ねるように指摘が繰り返し飛んでくる。


(わかっている。頭では、ちゃんとわかっているんだ)


 彼は心の中で、何度も自分に言い聞かせていた。


 マウスピースに息を吹き込む。


 だが、チューバの放つ地鳴りのような重低音がすぐ隣で鳴り響いた瞬間、彼の脳内に「合わせなければ」という強迫観念が走る。相手の音量、音色、アタックのタイミング。それらすべてを意識し、自分の音を周囲の空間へ完璧に溶け込ませようと、無意識に息の量をコントロールしてしまうのだった。


 その結果として、彼の出す音の輪郭はふにゃふにゃと歪み、音程が迷子になってピッチが不自然に揺れ始める。


「あ、また揺れた。周りを気にしすぎだよ。息のコントロール意識して?」


 その指摘が、一番苦しかった。

 自分一人なら、どこまでも真っ直ぐで綺麗な放物線を描けるのに、誰かと並んだ途端に線の引き方が分からなくなる。もっと音を出そうと力めば力むほど、ユーフォニアム特有の柔らかな倍音は死に、ただの雑な息の音が楽器の中で空回りしていた。


「……もう一回、最初からお願いします」


 彼は乾いた唇をもう一度マウスピースに当て、冷たくなったバルブを押し下げた。


 窓の外に見える桜の木は、すでに葉桜へと変わりつつある。新しい季節の始まりの中で、彼は一人、自分の音と周囲の音との境界線を見失い、深い泥の中に足をとられているようだった。


    * * *


 しばらく様子を見て、茜が告げた。


「どう思う?」


 どうやら、私が感じている懸念と、同じことを確認したいのだろう。綺羅はその問いに答える。


「あの、ユーフォの子、1年生? あの子だけ、音が揺れて安定してないね」

「ほんと、耳がいいよね。きーちゃんは。そうなの、指摘のとおり、彼の音はパートでは活かせない。うちではね」

「でも、練習と経験を積めば……」

「そうね。もしかしたら、1ヶ月、半年、1年後、もしかしたら変われるかもしれない。彼がその行為に耐えられればだけどね」


 それでも、今聞いた音は、まったくの期待はずれだった。

 颯汰が語っていた、千景が告げていた、その音は、まるで幻のように感じていた。

 

 思案顔の綺羅に、茜は言った。


「ねぇ。もしかしたら、きーちゃんのところなら、彼、上手くやれるかもしれないわ」


 その提案に、綺羅はすぐに返事ができなかった。

 見学の機会をくれたことに、お礼を告げて、茜と別れた。



    * * *


 部室に戻った綺羅の浮かない顔を見て、千景はやっぱりと納得した。

 

 そんな綺羅を、統風が気遣って、尋ねた。


「どうだった? きーちゃん」


 部屋にいた一同の視線が、綺羅に向けられた。


「ふーちゃんから聞いていた感じとは、ぜんぜん違ったよ」


「そんな……」


 それを聞いた颯汰は、混乱する。まるで自分が見たときの印象と真逆だったから。


「低音パートの練習を見学させてもらっていたけれど、彼の音は周囲に埋もれて、揺れて、消えていた。さっき言いかけたのは、このことだったのね、千景ちゃん」

「そうです。パートでは音が聞こえないんです……」


 そんな一同とは、違い、ひとり挙動が違う人物がいた。

 統風である。


 はた目からも、沈んだ雰囲気の中で、逆にウキウキとして落ち着きがない。


「私、彼の音、聞いてみたい!」


 そして、飛び出したのは、予想外の発言だった。


「でも、聞いたらがっかりするんじゃ……」と心配する綺羅。


「がっかりするのは、聞いたあとでもいいじゃない。行こ、きーちゃん」


 浮かない顔のままの綺羅の腕をひっぱりながら、統風が言う。


「ねぇ、ふーちゃん。彼がソロ練習してるって場所に連れてって。たぶん、今頃、いるんじゃない?」


 時計を見ると、ちょうど昨日と同じ時間帯だった。


「そうだね。行ってみようか」


「先輩たち、どこに行くんですか?」


「音を拾いにね! ちょっと行ってくるね」



 三人は、部室をあとに、その秘密の練習場所へ向かった。



    * * *



 颯汰は混乱していた。


 あの春空の下、空へ溶けていく低音の調べ。

 でも、綺羅はその一端も感じられなかったと言っていた。

 何が起こっているのか、まるでわからなかった。

 でも、実際に、昨日と同じシチュエーションならと、わずかな期待を胸に歩いていた。


 綺羅は落ち込んでいた。


 颯汰から聞いた話が、自分の中でより美化されていたのかもしれない。

 期待が高まりすぎて、あの空き教室での出来事がかなりショックな印象を、彼女に植え付けていた。

 でも、茜が言っていた、「マーチングバンド同好会なら、活かせるかも」という言葉が、

 心の中でずっと引っかかっていた。


 統風はワクワクが止まらなかった。


 現在進行形で、期待度が最高潮に達しようとしていた。

 なぜだかは、言葉にできない。けれど感覚として、これは逃せない、絶対だと思った。

 きっと、行けばわかる。

 きっと、聞けばわかる。

 きっと、話せばわかる。

 それだけ。


     * * *


 パート練習の雰囲気に耐えきれず部屋を飛び出した彼は、校舎裏の静けさの中にパイプ椅子を置き、一人で楽器を構えた。


 マウスピースに唇をあて、深く息を吸い込む。


 放たれたソロの第一音は、先ほどまでの迷いが嘘のように、純度の高い一本の光となって春の澄んだ青空へと突き抜けて溶けていった。


 遮る壁も、合わせるべき他人の音もない。


 ただ自分の呼吸がそのまま楽器の震えとなり、どこまでも自由に、真っ直ぐに広がっていく。


 周囲に合わせようと縮こまっていた音が、本来の艶やかな輝きを取り戻し、空の青に溶けていくようだった。


 これこそが彼の、誰にも邪魔されない本物の音だった。


 しかしそれと同時に、この孤高の美しさが、今の彼を独りぼっちにさせている理由そのものでもあった。

 

    * * *


「もうすぐだよ、あの角を曲がった先……」


 颯汰が言ったとき、一陣の春風がその場を抜けていく。すると、それにあわせたように校舎の影から、突き抜けるような低音の調べが聞こえてきた。


 三人は顔を見合わせて、その角から、そっと覗き込んだ。


 男子生徒がひとり、椅子に座って、ユーフォを吹いていた。


「びっくりした。やっぱり聞き間違いじゃなかった。ほら、すごいだろ?」


 颯汰は、安心したように、二人に言った。


「さっきの音とは全然違う。同じ人が吹いた音とは思えないくらい、綺麗な音……でも、ちょっと悲しそう」


 初めて聞いたソロ演奏の音に、綺羅はそう感想を言った。


 統風は黙って、その音を目を閉じて聞いていた。


    * * *


 しばらくして、演奏が終わった。


 目をそっと開いた統風は、その場で拍手をしながら、奏者の彼に近寄っていった。


「もう、トモちゃん待って……」という、綺羅と、颯汰のふたりを連れて。


 一方、演奏者の彼は、ふっとマウスピースから口を離し、余韻を味わっていた。


 演奏後の余韻が解けて、意識が周囲の存在を知覚しただしたとき、拍手の音が耳を刺激した。


 彼は驚いて、音の鳴る方を見ると、女子生徒がふたりと、男子生徒がひとり。こちらに向かってきていた。


 どの顔もしらない人だった。先頭の女子生徒はリボンの色から上級生、二年生だとわかる。


「突然、ごめんね。すごく綺麗な音が聞こえたから、つい」と、統風が言った。

「私、二年の、音羽統風。それに、同じく二年の環奈崎綺羅と、音羽颯汰。同じマーチングバンド同好会のメンバーです。あなたは?」

「一年の日向、日向奏ひなたかなでです」


 聞いた名前を噛みしめるように頭で繰り返し、統風は続けた。


「日向くんね。あなた、すごく上手に吹くのね。吹奏楽部?」

「ありがとうございます。でも、みんなとはうまく合わせられなくて、今日も叱られっぱなしで……」

「ねぇ、どうして合わせようとするの?」


 統風は、さらっと確信をついてきた。


「だって、合わせないと、音が揃わないじゃないですか」

「じゃあ、揃ったの? 合わせようとして」

「いえ、できません」

「だって、合わせようとして、自分の音を我慢して消しているから」


 奏は、一瞬頭が真っ白になった。

 音は合わせろ、協調しろと、常日頃、ずっと言われ続けていた。

 だから、周囲の音に馴染ませよう、溶け込ませようと努力した。それが合わせることだと。

 でも、そうじゃない。間違っていたのかもしれない。


「低音パートって、演奏の土台、屋台骨だと思うの。バーンと派手に慣らして下から音を支えるの!」


 奏は、悩んでいたことが、すっと消えていく感覚があった。


「だって、それでこそ、ユーフォでしょ?」


 そう言って、くるっとひと回転。周囲の風を纏ってしなやかにそして軽やかにターンして、統風は上体を前に倒して、日向の顔に、自分の顔を近づけて言った。


「そんな日向くんは、マーチングバンドが向いてると思う! ねぇ、一緒にやろうよ」


 奏は思う。

 統風が向いていると言ってくれた言葉——吹奏楽部で落ちこぼれ、居場所のなかった自分にかけてもらえた真っすぐな言葉。

 心の中で、その奥底にあった何かが音を立てて崩れた気がした。

 ずっと自分を縛り付けていた合わせなければいけないという呪縛にひびが入る。

 僕は、自分の音にもっと自由になって欲しかった。

 僕は、遠くまで伝わる音を響かせたかった。

 僕は、この空に向かって届く音を奏でたかった。

 でも、そう思うたび、音が浮いていると言われた。

 迷惑だと言われた。

 だから、もうどんなに足掻こうと、どんなに音を磨こうとも、自分の音を活かせる場所はないと思っていた。

 音を合わせようとして息を弱め音は貧弱になり、溶け込ませようとして濁った。

 協調しよう、馴染ませよう、溶け込ませようとすればするほど、理想の音とは離れていく。

 それはもう、抜け出せない迷路に閉じ込められて、苦しくて仕方がなかった。

 でも、派手に鳴らして、下から支える音でいいんだと、再認識させてくれた。

 合わせなくても、自分を出せばいいと。

 マーチングなら、それが許されるのかと。

 萎縮して本来の音が出せない状態から、自分を取り戻せるのか。

 一度、もう一度、自身を取り戻してソロで吹いているときのように音で表現できるだろうか。

 まだ、できるか自信はない。ないけれど……。

 でも、チャンスを逃したくないと思った。

 この機会を逃したら、これから僕の音はこのまま、消えてしまうかもしれない。

 そして―—「一緒にやろう」と声をかけてくれた先輩に。

 その瞬間、心の中にその期待に応えたいという意思が芽生えた。


 もう、迷う余地はなかった。


「僕でも、マーチングバンドはできるんでしょうか」


 いきなりのアプローチに逡巡する奏。


「できるか、できないかじゃなくて、楽しんでやろうよ。それでいいじゃない」


 そう言って、目の前で微笑んだ先輩の笑顔を、僕は一生忘れないだろう。


「どこまで通用するかわかりませんが、僕のユーフォでよければ。よろしくお願いします。先輩」


 そういった時の奏の顔は、いままでで一番、春の快晴の空のように、澄んで輝いていた。


 これで部員は7人になった。

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