第四章:芽吹く力と、迫る冬
三年の月日が流れた。
私の身体は、農奴の娘「シエル」として少しずつこの過酷な環境に順応し始めていた。前世の贅を尽くした食事とは程遠い、薄いスープと硬い黒パンだけの食事だったが、母アリスが惜しみなく注いでくれる愛情が、私の未発達な脳と心を満たしていた。
鏡などという高級品はこの家にはない。けれど、水桶に映る自分の姿を見れば、私がエルフェリーゼであった頃と同じ、透き通るような銀の髪を持っていることが分かった。この村では、くすんだ茶髪や黒髪が一般的だ。私の髪はあまりに目立ち、父バルトからは「不吉だ」と罵られる種になっていた。
しかし、不吉なのは髪の色ではない。この世界の歪みそのものだ。
三歳になったある日、私は母が洗濯に使う水が足りずに困っている姿を見た。アリスは身重の身体で、重い桶を抱えて遠くの川まで往復しようとしていた。
(……少しだけ。今のこの子どもの身体で、どれだけできるか)
私は母の背中を見送りながら、意識を自らの内側へと深く沈めた。
転生直後は空っぽだった魔力の回路が、成長と共に少しずつ、細い糸のような輝きを取り戻しつつあった。前世の私が持っていた大海のような魔力に比べれば、砂漠に落ちた一滴の露にも満たない量だ。
私は水桶の底を見つめ、極小の魔法陣を脳内に描く。
構築するのは、第一階梯の生活魔法「水生成」。
「…………出なさい」
幼い唇が微かな呪文を刻む。
その瞬間、桶の底から清らかな水が湧き上がり、あっという間に縁まで満たした。
全身を襲う、激しい倦怠感。たったこれだけの魔法で、視界がチカチカと火花を散らす。身体が魔力の循環に追いついていない。私はへなへなとその場に座り込んだ。
「あら……? シエル、どうしたの、その水……」
戻ってきたアリスが、驚きに目を見開く。
私は咄嗟に、空から雨が降ってきたのだと指を指して誤魔化した。母は不思議そうに空を見上げていたが、それ以上は追求せず、「神様が助けてくれたのかしら」と私を抱きしめてくれた。
この日から、私は自分の力が戻りつつあることを確信した。
同時に、これを決して他人に知られてはならないという危機感も強く抱いた。
この時代、農奴の娘が魔法を使えると知れれば、教会に連行され、一生「聖具」として搾取されるか、あるいは異端として処刑されるかのどちらかだ。前世の私がいた頃よりも、魔法に対する独占欲と排他性は強まっているように感じられた。
冬が近づいていた。
農奴にとって、冬は死の季節だ。領主への納品を終えた後の貯えは心許なく、家の中は常に凍てつくような冷気にさらされている。
そんな中、家の中に新しい産声が響いた。
赤ん坊は、母に似た愛らしい薄茶色の髪をしていた。
「シエル、見て。あなたの妹よ。名前は……**ルナ**」
アリスの腕に抱かれた小さな命。
その赤ん坊が、私の指をぎゅっと握りしめたとき、私の胸に熱い何かが込み上げた。
(ルナ……。私が、あなたを守るわ。この理不尽な世界から、絶対に)
それは、聖女としての博愛ではなく、一人の姉としての、ひりつくような決意だった。
しかし、喜びも束の間。
酒の臭いをプンプンさせたバルトが、乱暴に扉を蹴破って入ってきた。
「けっ、また女か。金にもならねえ」
その一言が、これから始まる惨劇の序曲であることを、当時の私はまだ知る由もなかった。




