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荊棘の下に埋めた言葉  作者: 秋月 菊千代


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11/13

10 ジェラルディーンの告解



 眠ったのかどうかわからないうちに夜が明け、ジェラルディーンはいつものようにキッチンに立った。

 ベティとロバートはいつもよりほんの少し早く降りて来て、居間のソファでちょこんと座っているギデオンの様子に安堵を見せた。どうなったのかと心配していたのだ。

 二人にも世話になっていたことを聞いていたギデオンは丁寧に感謝の意を示し、そのまま揃って礼儀正しく食卓へと着き、朝食に舌鼓を打った。


 いつも通りに二人を仕事へ送り出したあと、ジェラルディーンは家事を済ませてしまうことにした。

 ギデオンも職場へ病休の連絡を入れ、お手伝いと称して食器を片づけたりなどして、ジェラルディーンが戻って来るのを待つことにする。彼女からの話を聞く為に。

 あんなに深刻そうな顔で「話を聞いて欲しい」などと言われたら、聞かないわけにはいかないではないか。


 いったいなにを話されるのだろうか、とドキドキしながら着替えて待っていると。昨日見せてもらった写真立てが目に入った。

 二枚飾れる折り畳み式のフレームの左側には、軍の正装姿の若い男。優しげに微笑むその顔からは、確かに軍人に向いているような気配はしない。

 右側には、その男と、同じ年頃の女――ジェラルディーンが映っている。

 結婚式当日の写真ではなく、それよりも前に撮ったものなのか、服装はお気に入りの外出着という風体だ。

 はにかむという表現が似合う笑みを浮かべるウィリアムと、無表情としか思えないくらいに硬い表情のジェラルディーンは、笑ってしまうほどに対照的だ。それでも、ゆるく握り合わされた手が、お互いを大切にし合っていることを感じさせる。


 ウィリアムのことを語るジェラルディーンは、今まで見てきたどの表情よりも優しく、けれどとてもつらそうな雰囲気だった。未だに喪服を着ていることからも、彼女が亡くなった夫をとても愛していたのだろうと窺える。


 そっと、身に着けた懐中時計を引き寄せる。

 よく使い込んだその時計に、カフスボタンほどの大きさのチャームが着けてある。亡くなった妻を偲ぶものとして、彼女の遺髪を使って作ったモーニングジュエリーだ。


(俺も、ジェインも、別にきみ達のことを忘れようというわけじゃない)


 ウィレミーナとの思い出は今でもたくさん思い出せるし、決して失われることはない。ジェラルディーンにしたってそうだろう。


 そんな中で、ジェラルディーンのことが好きだと気づいた。

 出会ってからまだ一ヶ月と少しなので、自分の気持ちに自信がなかったが、彼女に関することを聞いては一喜一憂するのだから、やはりかなり好きなのだと確信した。

 けれど、それが恋愛感情なのかは、実のところよくわからない。


 ウィレミーナのことは愛していたし、とても大好きだった。結婚後に芽生えた感情ではあったが、あれは確かに恋愛感情だったと思う。

 そのときの感情と、ジェラルディーンに対するものは、明らかに違う。

 だからよくわからなかったのだが、それでも彼女への好感は気の所為ではないと思うし、ただの異性の友達というよりは、もう少し女性として意識しているように感じる。


「こっちにいたのね」


 物思いに沈んでいたところを呼びかけられて引き戻され、ギデオンは振り返る。


「お茶を淹れるわ。プディングの残りも食べる?」


 笑みを浮かべるジェラルディーンの様子に、なんだかホッとする。


「プディングはあとでいいよ。まだ朝食を消化しきってない感じだし」

「そう? じゃあ、取り敢えずお茶ね」


 さっさと踵を返されてしまったので、ギデオンもそのあとに続く。

 この一ヶ月ほどの間に何度も通い、すっかりと居心地のよくなってしまった居間のソファに腰を下ろし、お茶が運ばれて来るのを待つ。

 お茶を用意しているということは、やらなければいけない家事が終わり、例の話をしてくれようとしているのだろう。ギデオンは僅かに緊張した。


 いくらもしないうちにジェラルディーンは戻ってきて、定位置である一人掛けのソファに腰を下ろした。


「それじゃあ……」


 言いかけ、一度躊躇うように息を吸う。


「えぇと……どうやって話し始めればいいのか、いろいろ考えたんだけどね」


 話しにくそうに前置きを言い始めるので、ギデオンは静かに頷き返し、導入部分に移るのを待つ。

 ジェラルディーンはそんな様子を敏感に感じ取り、苦笑した。


「あまり楽しい話ではないことは、先に言っておくわね。でも、私はあなたの過去を聞いてしまったし、私だけが黙っているのもどうかと思うのよ。あなたと私は、対等であるべきだと思うの」

「うん」

「それに、あなたが私を好きだと言ってくれたから、ちゃんと伝えなければいけないと思ったのよ」


 そこでまた小さく息をつき、間を置くように、紅茶を手にした。

 緊張から手が震えているのか、カップとソーサーが揺れてカチカチと音を立てている。


「ジェイン。話したくないことなら、無理をしなくていいんだよ」


 そんな様子が心配になってギデオンはやめさせようと促すが、ジェラルディーンは首を振る。まっすぐな強い眼差しで見つめ返して。


「話さなければいけないことだと思うの。だから、聞いて欲しい」


 引く気のない言葉に、ギデオンは頷き返すことしか出来なかった。




      ***



 ウィリアムと出会ったのは、まだ十歳になるかならないかという頃だったと思う。

 何処かの家に招待されて、親達が親睦を深める社交に忙しくしている間、子供達は一所に集められ、付き添いの子守り(ナニー)家庭教師(ガヴァネス)達に相手をしてもらって待っていることが多い。そういう集まりのときのなにかで知り合った。


 お転婆だったジェラルディーンは、兄達男の子の集団に混ざって遊ぶことが多く、ウィリアムともそうして仲がよくなった。

 ブレットはそのウィリアムの友達で、一緒に遊ぶようになって自然と仲がよくなった。

 知り合ってから三年も経つとお互いに思春期になり、泥だらけになって一緒に遊び転げるようなことはなくなったが、行き来はずっと続いていた。


 ウィリアムがこの頃から既にジェラルディーンのことを女性として好きだったということは、求婚されるときになってようやく知ることになる。それくらいにジェラルディーンは色恋沙汰に興味がなく、自分に向けられる好意についても鈍かった。



「僕と、結婚してくれないか?」


 五月の半ば頃の、天気のよい昼下がりのことだった。

 散歩に誘われたのでついて出て来て、他愛のない話をして笑い合っていた筈なのに、ちょっと休憩、とベンチに腰を下ろしたと思ったらこの言葉だ。

 まったく予想だにしていなかったジェラルディーンは、目を丸くして、奇妙なものを見るかのようにウィリアムの顔を見つめた。


「……ディーン、そういう目つきは、ちょっと傷つく」

「やだ、ごめんなさい。変なことを言うから、驚いちゃって」

「変……」


 呟き、がっくりと肩を落とす。

 如何にも残念そうな気分が滲んでいる大きな溜め息を吐き出す姿に、ジェラルディーンは眉尻を下げて困惑した。


「ごめんなさい、ウィリアム。変って言っても、馬鹿にしたわけではないのよ」

「…………」

「ただちょっと、まったく、ちっとも予想してなかった言葉だったから、驚いちゃって」


 反応に困ったのだ、と言えば、何処か悲しそうな表情で見つめ返される。

 なので、ついもう一度「ごめんなさい」と言ってしまった。


「謝らないでよ。惨めになるから」


 溜め息混じりに呟かれ、もう一度ごめんと言いそうになり、慌てて口を噤んだ。


 俯いてしまったウィリアムになんと声をかけるべきか迷う。

 困惑しているジェラルディーンの様子に気づいたウィリアムは、溜め息をつきながら顔を上げた。


「本当に、僕の気持ちに、全然気づいていなかった?」


 疑うように尋ねられるが、ジェラルディーンは本当に微塵も気づいていなかった。申し訳なくなりながら頷き返す。

 ああ、とウィリアムはまた大きな溜め息をついた。


「ウィリアム……」

「いや、ごめん。気にしないで。なんとなくそんな気はしてたんだけど、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ夢見てた」

「夢?」


 首を傾げると、うん、と頷かれた。


「きみが――ディーンも、僕のことを好きだって思ってくれてるって」


 なにを言っているのだろう、と思った。


「私だってあなたのことは好きよ」


 思わず眉間に皺を寄せながら答える。その表情にウィリアムは「違うんだなぁ」と大袈裟に首を振った。


「僕はきみに、僕の妻になって欲しいんだよ、ディーン」

「……うん」

「うん、って……。言ってる意味、わかってる?」

「ちゃんとわかってるわよ。結婚してって言ったじゃない」


 それがどういう意味なのか理解出来ないほどに無知ではないし、子供でもない。

 実際に縁談話は今までにいくつも持ち上がっていて、婚約の寸前までいった話も二つほどある。それが上手くいかなかったのは、この可愛げがない性格の所為だ。そんなことくらい自分自身でよくわかっている。

 それなのに、そんな女の何処がいいのだろう、と不思議で仕方がない。


 ウィリアムは真剣な表情で見つめてきて、ジェラルディーンの手を握った。


「じゃあ、僕のお嫁さんになってくれる?」

「…………」

「やっぱり悩むんじゃん!」


 黙り込んだジェラルディーンの様子に、わっと声を上げて泣き真似をする。


「だって、そんなこと言われたって。突然だからちょっとは悩むべきでしょう?」

「そりゃそうかも知れないけど。……でも、悩むってことは、その程度にしか思ってくれてないってことでしょ」

「まあ、いいから。ちょっと私の考えを聞いてくれる?」


 落ち込むウィリアムに微笑みかけ、返事を待たずに人差し指と中指の二本を立てた。


「私が親しくしている男の子って、あなたとブレットくらいなのよ」

「そうだね。あとはエドマンドとコンラッド」

「最近ちょっと疎遠だし、あの二人のことは置いておいて。――で、考えたの。ウィリアムとブレット、どちらとならキス出来るか、って。もちろん唇へのキスよ」


 ウィリアムが双眸を瞠り、生唾を飲み下すように喉許が微かに動く。

 ジェラルディーンは言った。


「それはやっぱり、あなたの方だなって思ったの」

「ディーン……」

「キスをするならあなたがいいし、そうなれば嬉しいなって思ったの」

「ディーン!」


 嬉しげな声で名前を呼ばれ、そのまま強く抱き締められる。珍しく「きゃっ」という不似合いな女らしい悲鳴が零れた。


 挨拶でキスくらいはいくらでもする。同性同士でも、異性とでも。

 それでも、唇へのキスはやはり特別だ。恋人や夫婦の間で交わされるものであり、友人同士ではほとんどない。

 そういうキスを、ウィリアムとは出来ると思った。

 だから、喜びのあまり「キスしてもいい?」と尋ねてきたウィリアムに対し、すぐに頷くことが出来たし、キスをされても不快だとは思わなかった。


「絶対に幸せにするよ。一緒に幸せになろう!」


 キスの合い間に言われたその言葉が嬉しくて、ジェラルディーンは頷いた。何度も頷いて、ウィリアムを抱き締めた。


 二人はその足で、ジェラルディーンの両親に結婚の許しを貰う為に家に向かった。

 許可はあっさりするほど簡単に下り、二人は夫婦になることにしたのだった。


 しかし、ウィリアムのクリミア出征の話が本格的に決まり、式だけでも大急ぎで挙げることになった。

 慌ただしく結婚許可証を用意して、招待客は身内とごく近しい友人達だけ。ウェディングドレスだって仕立てる時間がなくて、数年前に姉の着たものを大急ぎで手直しして袖を通すことに。

 それでも無事に祝福を受けて結婚台帳に署名し、夫婦となれたことにウィリアムは嬉しそうだったし、ジェラルディーンも喜んでいた。


「戦争に行くことになってしまったけど、きっとすぐに帰って来るよ。そうしたら、二人でのんびり暮らそう。子供もいっぱい欲しいな。ディーンの家みたいに」

「六人もいたら喧嘩ばっかりよ。二人くらいでいいわ」


 そんな未来の展望を語り合ってキスをして、二人は寝室へと向かった。ジェラルディーンはウィリアムの腕に抱え上げられ、新妻を運ぶウィリアムは誇らしげな顔をして、大切な夜を過ごす為に。


 夫婦が寝室でどんなことをするのか、実際に経験したことはなくとも、知識としてはそれなりにあった。読書は昔から好きだったので、恋愛小説も読んだことがあるし、父がこっそりと隠していた本も盗み読み、なにがあっても狼狽えない程度には知識は蓄えていた。

 お互いに緊張はしていたけれど、今夜はきっと幸せな夜を過ごせる筈だと、二人は確信していた。


 けれど、灯りが消され、夜の帳に包まれた寝室で、ジェラルディーンは叫んでいた。


「私に触らないで!」




      ***



 ジェラルディーンが自分の過去を語るのを、ギデオンは静かに聞いていた。

 相槌も打たず、溜め込んでいたものを吐き出すように一気に語られる亡夫との思い出を、ただ静かに聞いていた。

 ふう、とジェラルディーンはひとつ息をついた。


「……私は確かにウィリアムを愛していたし、友人としても、夫としても最良の人だと思っていた。だから、彼から求婚されたときは嬉しかったし、結婚するなら彼だろうとなんとなく思っていたこともあって、すんなりと受け入れたの」


 膝の上でゆるく握り合わされていた手に、徐々に力がこもっていくのが見えた。表情も苦しげに歪むので、ギデオンは心配になって声をかけようとしたが、ジェラルディーンの口が「でも」と動いたので、また見守ることにした。


「でも――きっと、ウィリアムに対する私の気持ちは、恋ではなかったのね」


 決して彼のことが嫌いだったわけではない。

 友人達の中では一番好きだったし、一緒にいると心が安らいだし、その関係がずっと続けば幸せだろうと感じていた。だから、ずっと一緒にいられるという意味で、結婚という行為はすんなりと受け入れられるに相応しい関係だった。


「どういう意味?」


 ギデオンはようやく口を挟み、ジェラルディーンの言わんとしていることの真意を探る。

 そのままの意味だ、とジェラルディーンは微笑み、潤んでいた両目を擦った。


「私はウィリアムを愛していた。でもそれは、友愛ではあっても、性愛ではなかった」


 その告白の、言わんとしている意味はなんとなくわかる。けれど、なにかそれだけではないような響きが含まれていた。

 どういう意味か、ともう一度首を傾げる。ジェラルディーンは苦笑した。


「抱き締められるのもキスされるのも、女性として愛されることも、それは男女間の恋愛に於いて当然のことだと受け入れられる。正常なことだとも思う。けれど、私は、男性に対して性愛を感じられないのよ」


 ふう、と息をつき、まだ怪訝そうにしているギデオンに微かな笑みを向ける。


「私は男性に欲情出来ない。この身体に、男性を受け入れることが出来ない」


 はっきりとした口調で告げられるその告白に、ギデオンは双眸を瞠った。


「それは、その……同性が好きだとか、そういう……?」

「いいえ、違う」


 否定の言葉もはっきりとしていた。なんの迷いもなくまっすぐな否定だ。


「女性に対して性愛を感じることもないわ。可愛いとか素敵とか、そういう感情を抱くことはあるけれど、抱き合いたいとか、もっと深い関係になりたいとか、そういう気持ちには至らない」


 自分の抱えている深い部分を晒すのは、なかなかに困難だ。言語化しようとするのも難しい。

 どういう風に表現すれば、ギデオンにも正しく伝わってくれるだろうか――ジェラルディーンは言葉を探して黙り込む。

 その間にも、記憶の中のウィリアムが悲しげにこちらを見つめてくる。昔のことを思い出しながら語っていたので、その表情はいつもより実体的な感じがした。


「自分のことを男性だと思っているわけでもないのよ。女性であることを押しつけられる――例えばこのコルセットとか、女性とはこうあるべきだという、そういう型にはめ込もうとされることはあまり好きではないけれど、そういうものだと思って受け入れている。私は女性だし、女性として生きるのはそういうものだと思っているから」


 毎朝きつく締めるコルセットも、風に揺れるスカートも、髪を伸ばして結うのもそんなに好きではないけれど、男装がしたいわけでもない。

 自分は確かに女性で、女性とはこういうものだと言われれば、逆らうことなく受け入れられているのだから、やはり自分が男性だと思っているわけでもない。


 ジェラルディーンは確かに女性で、異性愛者ではあるが、誰に対しても性愛の感情を抱くことが出来ない。ただそれだけのことだ。

 しかし、その『ただそれだけのこと』が原因で、取り返しのつかない過ちを犯してしまったのも事実。


 ジェラルディーンは静かに俯き、目を閉じた。


「こんな状態で求婚を受け入れたりしたから、罰が当たったんだわ」


 苦しげに吐き出された言葉に、ギデオンは首を振る。


「ウィリアムさんが亡くなったことを言っているのなら、きっと違うよ」

「いいえ、違わない」

「違う。彼は戦争で亡くなったんだ。きみの所為じゃない」


 きつく握り合わせて震えている手を握り、ギデオンは強く言う。その二つは決して結びつかない、と。


「でも、私は、ウィリアムを傷つけた。傷つけたまま、独りで死なせてしまった」


 初夜のベッドで彼を拒絶したとき、とても驚いた顔をしていた。そうして、悲しげに表情を歪めて『ごめん』と呟き、寝室を出て行った。


「あんなに優しかったウィリアムを、私は否定したのよ!」


 思い出して胸の奥が締めつけられる。突き刺されるように酷い痛みが襲ってきて、彼が受けた痛みはこの程度ではないのだぞ、と教えられているかのようだ。


「彼はなにひとつ私が嫌がるようなことはしなかった。キスは優しかったし、触れてくる手も優しかった。私を傷つけるようなことがないようにと、すごく気を遣ってくれているのがわかった」


 そのすべてが嫌ではなかった。甘やかで官能的な空気を感じ取り、それに身を委ねる覚悟も出来ていた。

 けれど、ウィリアムの手によって寝間着の襟許が開かれた瞬間、吹き消されるようにそのすべてが消え去ってしまった。


 嫌悪を感じたわけではない。ただ、触れられてもなにも感じられず、その行為の意味が一切わからなくなったのだ。

 自分は何故ここにいて、ウィリアムからこんなことをされているのだろうか――そんな醒めた気持ちが込み上げてきたとき、これは駄目だと思った。


 彼が男で、自分が女であるという現実を、急に受け入れられなくなった。

 次の瞬間には、その行為を拒絶していた。


「私は確かにウィリアムのことが好きで、嫁ぐなら彼だろうという気持ちも確かにあった。それでも、彼を本当の意味で夫としては受け入れられなかった」


 どんなに思い返そうとも、それが現実だ。

 そうして、夜が明けても気不味いままで、碌に目も合わすことが出来ないまま、ウィリアムは戦争に行ってしまった。

 敬礼と共に『暫し行って参ります』と言って笑った顔がとてもぎこちなくて、ジェラルディーンも上手く微笑めなくて。


「私が打算で求婚を受けたりしたから、彼は悲しみを抱いたまま亡くなってしまった。私はこの罪を償わなければいけない」


 ジェラルディーンの夫は生涯ウィリアムだけで、傷つけてしまった彼の魂の救済を祈りながら生きていくことが、自分に出来る唯一の罪滅ぼしだと思っている。その為の喪服だ。

 その事情を知らない人は、貞淑な未亡人だと思っているだろう。そんなにも愛していたのだろう、と思われているに違いない。

 そんな清らかな事情では決してないが、都合がよかったので敢えて否定はしなかった。


「打算って、なんで?」


 昨日から持っていたので皺の寄ってしまったハンカチを差し出しながら、ギデオンは尋ねる。

 ジェラルディーンはそれで涙を拭き、ひとつ息を吐いた。


「再婚再婚ってうるさいうちの母に会ったでしょう」


 すぐに頷き返す。彼女に会う為にジェラルディーンと同盟関係になったのだが、なかなかに強烈なお母様だった。おっとりとしてすぐに泣くギデオンの母とは大違いだ。


「その母の持論がね、良家の娘は十八までに嫁ぐのが常識っていうものなの。実際母は十五でお嫁に来たし、姉も十六で嫁いだし、そういうものだという認識を幼い頃から叩き込まれていたのよ」


 幼い頃からの刷り込みとは恐いものだ。変だと思っていても、それが常識なのだと思い込んでしまうことがある。


「ウィリアムが求婚してきてくれたとき、私はもう十九の半ばで、母からのプレッシャーがすごかったのよ。纏まりかけた縁談が流れてしまった直後だったこともあるのだけど、私も少し焦っていたの。すぐ下の妹は、そのときには式の日取りまで決まっていたし」


 結婚というものに強い憧れがあったわけではないが、女は結婚して家庭を築いてこそ幸せになれる、一人前である、と幼い頃から母に刷り込まれていた為、結婚はしなければならないものだという認識がすっかりと出来ていた。だから、なかなか縁談が纏まらないことに焦りを感じていたのだ。

 そんなときにウィリアムが結婚を申し込んでくれた。

 長年の友人だったし、好きだと思っていたし、面倒なことはなさそうだからいいか――その程度の気持ちで承諾したのだ。


「今のアリスンも、そのときの私と同じような感じなんでしょうね。それであなたに迷惑をかけてしまった」


 父がいい話を探してくれているといっても、なかなか決まらなければ焦るものだ。あの母からの刷り込みを受けているのだから尚のこと。


「事情が許すなら、あなたの相手はあの子でもいいと思ったのよ。ご両親が跡継ぎを望まれているなら、すぐに産めなくなる三十路女より、健康的な若い娘の方がいいでしょうし」

「ジェイン……」


 咎めるように呼ばれ、わかっている、とすぐに首を振る。


「でも、私にはあなたの子供を産んであげることは出来ない。跡継ぎを残せない嫁なんて、貴族の家には不要だわ」


 それがジェラルディーンの答えだ。


「昨日、あなたが私のことを女性として、恋愛感情寄りの気持ちで好きだと言ってくれたから、これは話しておかなければいけないと思ったの。私は例えあなたの妻となっても触れ合うことは出来ないし、子供を残すことも出来ない」


 はっきりとした答えに、ギデオンは押し黙る。


「妊娠は、したことがないからなんとも言えないけれど、一応月のものも正常に来ているし、不可能ではないと思うの。でも、例え健康に産めたとしても、そこに至るまでのことが私には出来ない。意識を失ってなら可能かも知れないけれどね」

「そんなの強姦するのと変わらないじゃないか」


 本人との合意の上だとしても、そんなこと出来るわけがない。


「だから、私ではあなたの気持ちに応えられない、と話しているのよ」


 ギデオンはくしゃりと顔を歪めた。

 ジェラルディーンもギデオンのことを好きだと言ってくれた。例え友人としての感情でも、確かに好意は持ってくれていると。

 嫌われているわけではないとわかっているからこそか、なんだか余計につらい。はっきり振られるよりも悲しい。


 黙り込んだギデオンに向かい、ジェラルディーンは真摯な目を向ける。


「だから昨日の提案を、もう一度考えてみて」


 言い聞かせるようにゆっくりと言われた言葉に、ギデオンはそっと視線を返した。


「私は約束通りにあなたのご両親への挨拶に同行することは出来るけど、あなたがこの関係を本物にしたいと望んでも、すべての希望に添うことは出来ない。だから、このまま婚約者の演技を続けるか、他の道を探すか、どうするのか考えなければ」


 ただでさえアリスンのことで大きな負担をかけてしまった。その上、せっかく向けてくれた好意も受け止めてやれないとなれば、ギデオンにはつらい思いばかりさせてしまう。そんな関係はジェラルディーンも望んでいない。

 改めて突きつけられた提案に、ギデオンは静かに俯いた。





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